亡国公女の初夜が進まない話

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20 ドラゴン

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封印が解けた瞬間、光が弾けて木の牢獄は内側から破壊された。

衝撃波を正面から受けてフェリクは「おお」と歓声を上げ、呪術師は「ぎゃ」と悲鳴を上げて吹っ飛ばされる。
牢獄内に囚われていた兵士らまでもが森のあっちこっちに吹っ飛ばされているのを見て、フェリクは「おいおい優しくないな」と他人事の顔で失笑した。

光の中にラクロの大柄のシルエットが浮かび上がった。
全身に漲る膨大な魔力が陽炎のように立ち昇り、周囲の景色を歪めている。
フェリクは自分を上回る魔力量を感知した。魔力量が上だからといって必ずしも戦闘力が上という事にはならない。戦いはセンスを要する。

「――しかしこれは、来るな」

ラクロから発せられた魔力が中空で結晶化していく。発光と共に収斂が始まり、実体を形成する。
光の殻が破られ、紅い装甲を纏ったドラゴンが地上に出現した。
ラクロのテンペストだ。造形は老王の記憶から継承された。
またフェリクは「おお」で、呪術師は木の根元にひっくり返ったまま「来たー」と快哉を叫んだ。

「待ってました我が王よ。手始めにこのにっくき帝国皇子をプチっと踏みつぶしてやってください」

フェリクは岩場から立ち上がり、両の拳を突き合わせた。

「よし来いラクロ。本当にこの私をプチっと出来るかどうか見極めてくれる」

紅いドラゴンはフェリクを無視して巨大な片腕をぐわっと振り上げた。
木の瘤を薙いでいっぺんに毟り取ると、手中に発した業火で炭に変える。
呪術師は「あれ?」という顔をした。自分の方にどしんどしんと歩いてくるドラゴンを逆さまの景色の中で見る。

「我が王、ですよね?」

ドラゴンは答えず、巨大な牙の隙間に炎を燻らせた。
何かとんでもないものを吐き出そうとしている。
恨みの炎だ。
初夜を邪魔された恨み。封印は呪術師の所業じゃない――けど関係ない。

怒れるドラゴンの背後では「やるのか。やってしまうのか」とフェリクが首を伸ばし固唾を呑んで成り行きを見守っている。もうただの野次馬だ。

呪術師は予感し、蒼褪めた。焼かれる。多分八つ当たりで殺される。
ドラゴンの首が息を吸う様に僅かに後ろに倒れ、刹那静止し、勢いよく前に戻ってきた。
巨大な顎が開かれ、血のような火炎が大気に噴射され――る寸前に涼やかな声が飛んできた。

「いけません」

ドラゴンの動きが止まり、それを操るラクロも我に返った。
つい観戦に夢中になって接近に気付くのが遅れたフェリクは「お」という顔を上空に向けた。
黄金色に輝く巨大な鳥が木々の上を旋回し、下降してくる。
鳥の背中からひょこっとシロールが小さな顔を覗かせた。

「そこのドラゴンの方。どこのどなたか存じませんが人様の森を放火するなんて許されない事ですよ」

気の抜けた笑みを浮かべ、フェリクはドラゴンに説教中のシロールにひらりと手を振った。

「とりあえず降りて来い、シロールよ。これはラクロのペットだ」
「え?」

前触れなく巨大な鳥が霧散した。
突然宙に放り出されたシロールは、わわ、と体勢を崩した。ひっくり返った姿勢でひゅーと落下する。
フェリクが救うまでもない。地面を蹴って高く跳躍したラクロは、空中で軽々とシロールをキャッチすると脚のバネを利かせて柔らかく着地した。
ラクロの腕の中に収まったシロールは、ぽかんとして彼を仰ぎ見た。
思いの外夫婦は早い再会を果たした。

「ええとラクロ様。二日ぶりです」

ラクロは横抱きにしたシロールを強く抱き締めた。
銀色の垂髪に鼻先を埋めて彼女の香りを嗅ぐ。

「君のお陰で私は帰って来られた」
「え? 出掛けていたの私ですよね」

ぎゅうぎゅうと押し付けられる分厚い体にシロールは困惑した。

出現したは良いが放置されドラゴンはちょっと途方に暮れている。呪術師は王の復活が失敗した事を悟り逆さまのまま悔し涙を零している。

一帯の惨状を見回してフェリクは「うむ」と頷いた。
無理やり言う。

「これにて一件落着」

森のあちこちから「あれえ」、「ここどこお」と寝惚けた声が聞こえてきた。
吹っ飛ばされていた兵士らが目を覚ました。



盗人だの呪術師だのが連行され、一先ず北の山地は平穏を取り戻した。

呪術師の責任問題の在り処がややこしいとフェリクがぼやいた。
既にない国に対して責任を問えない。
ラクロは申し出た。

「こちらで封印を施した上で帝国の監獄に移送します」
「そなたにやれるのか」
「やれます。それから――」

調査やら何やらでフェリクに面倒を掛けたし、今後も呪術師の管理を押し付ける事になるので賠償すると言う。

「旧ゴルダナ平原先の岩山に王家の隠し財産があります」

老王の記憶が齎した数少ないお役立ち情報だ。

「半分、殿下に差し上げます」
「残り半分は自分の懐に入れる気だな」
「復興に使います。世界中の富豪どもに売り払われた略奪品も買い戻します」

復興とは無論ラクロの出身地たるゴルダナ王国の事、ではない。
フェリクは肩を上下させた。

「愛妻家だな、そなたは」

シロールが贋作と見破った画家の絵もまた公国からの略奪品だった。
本物が行方不明になっている。ラ・ルベル商会に事情聴取して入手ルートを聞き出す必要があった。本物無しに贋作は描けない。

話が一つ纏まったところでフェリクは邸宅の庭先に巨大鳥のテンペストを出現させた。今回の件を帝国中枢に持ち帰る為、とんぼ返りする。
鳥に乗り込む寸前「なあ、おい」とラクロを振り返った。

「そなた、王にならんでよいのか」

ラクロはいつものように姿勢を正した。

「私はいち辺境伯です。今後も帝国への恩を返し、忠義を尽くします」
「……そうか」

頷いたフェリクはラクロの隣に立つシロールに目をやった。

「そなたも王妃でならんでよいのだな」
「私はこちらに来た時から辺境伯夫人です」
「無欲な奴らよ」

笑い飛ばしたフェリクを乗せて、黄金色の鳥は空高く飛び立って行った。

ラクロは目線を上から横に移す。
庭の隅に巨大な紅いドラゴンが座り込み、そわそわと創造主を見ていた。
帰宅するラクロを追ってこの邸宅まで飛んでついて来た。
きちんと前足を揃え、きちんと翼を折り畳んでいるその姿は躾がなっている犬のようだ。
特に用は無い。忘れていただけだ。ラクロは簡単に言った。

「消すか」
「お待ちください」

シロールはラクロの服の袖を掴んだ。

「ラクロ様、本当にまた魔力を半分にされるのですか」
「別に要らんからな。殿下にも約束した」

巨大な力は必ずしも良い作用を齎さない。それでなくてもラクロは亡国の王子と判明したばかりで立場が際どい。封印は帝国への忠誠の証でもあるのだ。
実際無くても困らなかった。半分で充分戦力は足りる。

シロールは庭先のドラゴンを振り返る。
今は主人と同じ紅い瞳が若干潤んでいる。半分の魔力になってはテンペストを成すには足りない。
半分を封じるという事はドラゴンに「ずっと寝ててね」と言うのと同じだ。
折角この世に出てきたのに、とても切ない。

「あのドラゴンの方にお仕事をお願いしたいのですが」
「火を吐くだけの大型動物に使い道など無いだろう。巨大なキャンプファイヤーでも作らせる気か」
「それも楽しそうですが、運輸面でご協力頂ければと考えています」

傷物にされた巨匠の名画が想起され、ラクロは眉根を寄せる。
デリケートな荷物の陸送にはリスクが伴う。
シロールは説得を重ねた。

「飛べる方のご協力は有難いのです。それにほら、ゴルダナ方面から隠し財産も運ばないといけませんよね」

シロールの言葉にラクロの意思が揺らぎ始めた。
シロールとドラゴンが見守る中ラクロは思案し、ふうと嘆息した。

「殿下に相談した上で検討しよう」

シロールとドラゴンの顔がぱあっと輝いた。
ラクロの紅い瞳には妻の顔しか映っていなかった。





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