彼を待っていたものは、

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01 憂鬱

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若きアルマンは、戦地から帰還した。
凡そ一年ぶりの王都だ。
新兵として、辺境にある「フォレノワール(黒い森)」への出撃を命じられていた。魔物の巣食う危険地帯だが、陸軍部隊が無事に大物を仕留めた。これで近隣の農村に平和が訪れた事だろう。
生きて帰ってくるつもりだったとはいえ、こうして無事に戻ってこられたのはやはり幸運だったとアルマンは思う。

なのに憂鬱、である。

――あーあ。ポレットの奴、何て言うかな……。

一つ上で今年二十一歳になるポレットとは、三年前に出会った。
美人で都会的で社会人として自立している彼女に、まだ学生だったアルマンはすぐに夢中になった。
何度もアタックしてやっと恋人にしてもらい、結婚の約束もした。男爵領の家にも連れて行って家族に彼女を紹介した。
年上で平民であるにも拘わらず両親はポレットをいたく気に入り、手放しで彼女を誉めそやした。

「なんとも綺麗で出来たお嬢さんだ。アルマンにはちと勿体ないなあ」
「本当にねえ。アルマンは抜けたところがあるから、しっかりと支えてくれるお嫁さんが来てくれるのは頼もしいわあ」

子供の頃から両親や教師からあまり褒められた事の無いアルマンは、我が事のように胸を張った。

「俺の魅力があれば、彼女を落とすのは簡単だったさ」

これに、ポレットは苦笑していた。
これに、弟のロマンは皮肉気な笑みを浮かべた。

「あんま調子に乗らない方がいいぜ、兄貴」
「なんだ、ロマン。自分に彼女がいないからって嫉妬か」
「馬鹿だろ。――すみません、ポレットさん。兄貴、こんなだからウザいでしょ。俺いつでも相談に乗るんで遠慮なく言ってくださいね」

これにも、ポレットは苦笑していた。
アルマンはムスッとした。

「ロマン、俺の目の前でポレットに言い寄るな、図々しい」
「兄貴には魅力があるんだろ? ならもっと寛容になれよ」
「なんだとお前え」

掴み合う兄弟に両親は「いつもの事」と呆れていた。
こうなっても、ポレットは苦笑していた。
アルマンは密かにポレットの態度に不満を募らせた。「私はアルマン一筋だから、ごめんなさい」と弟をきっぱりと突っぱねて欲しかった。
それで帰りの馬車内で、彼女にぐちぐちと文句を言った。
ポレットは「それはごめんなさい」と微笑むばかりで、アルマンは余計苛立った。

「詫びる気があるならさ、ポレットからキスしてくれよ」
「はいはい」

彼女はアルマンの頬に掠めるようなキスをした。
やはりアルマンはムスッとした。

「ガキじゃないんだぜ」

ポレットはかなりお堅くてアルマンに肌は勿論、唇も許してくれなかった。
「結婚式まではダメ」と言われ、アルマンは少々欲求不満になっていた。
力尽くで事に及ばなかったのは、強要すれば彼女が離れて行くと分かっていたからだった。
そんな惜しい真似は出来なかった。
彼女よりも素晴らしい女性に、アルマンは出会った事がなかった。
十六歳で田舎の男爵領を出て王都学園に入学して二年が経ち、奇跡のような出会いをした。
詐欺に引っ掛かりそうだったアルマンを彼女が助けてくれたのだ。
ポレットは当時から洗練されていて、老舗のハイジュエラーに勤めていた。
お洒落な筈だな、とアルマンは納得した。
アルマンと同じく地方の出身らしいが、貴族では無いので王都学園の生徒ではなかった。
むしろ学校の女子達よりも彼女の方が遥かに知的で品があり、処世術に長け、美しいとすらアルマンは思っていた。

低い身分とお堅い性格を除けば、ポレットは完璧な恋人だった。両親や弟が言う通り過ぎた恋人なのはアルマン自身が痛感していた。
不満はあったけれど、優しく大人な彼女を繋ぎ止めておけるのならば我慢出来ない事はなかった。

ポレットとの結婚を心から望んでいた。
だからこそ卒業から間もなく、軍功を求めて戦場に向かった。
全てはポレットと結婚する為だった。
なのに当のポレットは、アルマンの入隊を猛反対した。これまでに見た事がない剣幕でアルマンを止めようとした。

「自分から戦場になんて行っちゃダメ! 死んじゃうわよ!」

王国に徴兵制は無い。出征は「志願」だった。
しかしアルマンは彼女の反対を押し切る形で軍隊に入った。
彼女の心配が大袈裟と思えた。アルマンを見縊り過ぎている。
「ようし見てろよ」と意地になっていた。見返してやりたかった。
そして陸軍での三ヶ月もの訓練期間を経て一兵卒として小隊に配置され、いよいよ戦場へと向かったのだった。

ポレットの心配とは裏腹にアルマンは生還した。
しかも、想定外の「手土産」を片腕にぶら下げて街中を歩いている。行き先は男爵家の小さなタウンハウスだ。まだ学生の弟が住んでいるが、アルマンの部屋もあるので荷物を置いて身軽になりたい。

――ポレットに会うのは、その後で。

考えただけで憂鬱だ。
不意に、「ねえ、アルマン」と手土産ことエロディーが、アルマンの腕を前後に揺さぶった。戦場傍の村落で出会った同い年の娘だ。

「元カノさん、アタシを見たら激怒するじゃなーい?」
「……激怒、はない。多分。そういうキャラじゃない」
「でもお、こーんなにセクシーで可愛いアタシに嫉妬するんじゃないかなあ元カノさん。アタシだったら嫉妬するなあ、アタシみたいな子を紹介されたらさあ。女として負けたーって一生落ち込んじゃうよお」

エロディーの巨大な胸がアルマンの腕にぐにぐにと押し当てられる。肉の間に自分の腕が埋もれている様にアルマンの目は釘付けになった。下半身が疼く。今夜は一段と盛り上がりそうだ。
こういう魅力も、ポレットには欠けていた。
ポレットに自分が相応しくないと劣等感すら抱いていたアルマンだが、今なら違うと言い切れる。
単に合わなかったのだ。

「きちんと別れを告げないとな……」

一年前、ポレットに黙って王都を後にした。
出立時に顔を合わせていないので当然、彼女には何の約束もしていない。
「待っててくれ」とか「必ず帰るよ」とか「戻って来たら結婚しよう」とか。

「ひょっとして俺、別に疚しい事はしていないのかも?」

ポレットの事だから律儀にアルマンを待っている。
でもそれはポレットが勝手にした事でありアルマンは頼んでいない。

「ならこれ浮気じゃないよな……うん」

一人頷くアルマンの隣で、エロディーは「歩き疲れたあ」と不満を垂れた。

「ねえアルマン、早いとこやる事やって王都百貨店に連れてってよねえ」
「ああ、分かった分かった」

田舎娘は王都に来たら必ず百貨店に入りたがる。
やれやれ、とアルマンは呆れた。

自分とて、王都に来た当初は名所を見ては一々大興奮していた事など、もうすっかり忘れている。





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