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02 手応えがない
しおりを挟む翌日、アルマンは昼近くになって目を覚ました。
深夜まで酒を食らい、恋人のエロディーとベッドで盛り上がり過ぎた。
酷使した腰が若干軋む。最高だったから後悔はない。
男爵家の小さなタウンハウスに着いた後、手荷物になる雑嚢を自室に置いてすぐに出掛けるつもりだった。
しかし自分の部屋にエロディーがいるという滾るシチュエーションに我慢出来ず「一発だけ」と言って彼女をベッドに押し倒した。若さは時に弾ける。
結局ディナーを挟んでもエロディーとベッドでギシギシしていた。
そんな訳で、百貨店はおろかポレットのもとにもまだ足を運んでいなかった。
だらだらとベッドを抜け出たアルマンは、一階の食堂に向かった。
昨日と言い、学生の弟とは鉢合わせていない。こちらが気付かない内に登下校したのだろう。
使用人が用意した遅い朝食にあり付いていると、エロディーも起きてきた。
「んもう。アルマンがやらしい所為で百貨店に行けなかったしい」
「悪い悪い」
「今日こそ連れてってよねえ」
「あんまり高い物は買えないぞ」
「国からいっぱいお金貰えたんじゃないのお?」
「給付は来月だ」
「お役所仕事っておっそお」
朝食を終え、やっと出掛ける支度にかかる。
ふと目が合った使用人が口を開きかけたけれど、アルマンは気付かなかった事にした。どうせ小言だ。「あんなにギシギシしたら床が抜けます!」とか。
鬱な事は後回しにしない方が良い。
アルマンは、まずはポレットの勤め先に向かった。
エロディーが頻りに百貨店に行きたがったので、閉店時間までには余裕で終わると言って宥めた。
ポレットの勤め先は、高級店だけが軒を連ねる区画にあった。
何度立ち入っても慣れない。少ない通行人達は平民貴族問わず皆金持ちで、各店舗ごとには厳重警備が成されている。
傍若無人というか無頓着なエロディーは、高級店のショーウィンドウに目を輝かせている。
アルマンは嘆息した。どう見ても場違い――。
セクシーで可愛いエロディーだが、陽の下で見ると安っぽい。田舎の景色でなければ輝けないのだ。
アルマンも新品ではないジャケットを羽織っている。人の事は言えない。
――学生時代は気楽で良かったよな。
制服があった。
鬱が増す、その時。
二軒先の老舗のガラス扉が開かれ、ポレットが表に出てきた。
店舗内を振り返り、中にいる誰かに一礼している。
所作と言い上品に揺れるロングスカートと言い、彼女は変わらず洗練されていた。
怖気付きそうになりながらもアルマンは、己を奮い立たせる。告げるべき事を彼女に告げねばならない。
――俺は、一年前とは違う。
入隊し、男になって帰って来た。男爵家の長男であり、将来安泰の身だ。今に高級店にだって堂々と入って見せる。
自分達の立ち位置とは逆方向に歩き出したポレットの背中を、アルマンは大袈裟な声量で呼び止めた。
「ポレット――!」
声に振り返った白い顔が、アルマンを認める。
驚き顔は、すぐに冷めたものに変わった。
何か苦情を言われる前に、アルマンはポレットに向かいながら早口で捲し立てた。
「待っててくれたのに悪いんだけどな、君との結婚は無理になったから別れを言いに来た。見ての通り君より若くて可愛い彼女が出来た。俺ら幸せにやってるから。悪いな、恨むなよ」
アルマンに引っ立てられるようにして肩を並べたエロディーが、慌てて笑みを浮かべて言い添えた。
「はあい、アタシ達幸せにやってまあす。年上の元カノさん、ホントにごめんなさあい」
能天気な声が通りに響き、どこからともなく白けた風が吹き抜けた。
ポレットは白い無表情の中にある碧い瞳でアルマンを見た。
「そうですか。おめでとうございます」
「お、おう。祝ってくれるって事は、潔く身を引いてくれるんだな? 俺を恨んでいないんだな?」
「未練も何も無い方を恨む理由がありません。謝罪なんて結構でしたのにわざわざご苦労様です」
「お、おう……。――未練無い、のか?」
ついアルマンは、踵を返すところのポレットの横顔に問うた。
艶やかな金色の髪をさらりと流して、ポレットはアルマンに背を向けた。
「微塵も。今お会いするまで存在を忘れていました。ご機嫌よう、男爵令息様」
軽やかなヒールの音が遠ざかって行く。
アルマンは惚け、「お、おう……?」と言うのがやっとだった。
呆気ない別れだった。
もっと色々と面倒なシーンを想像していたアルマンは気が抜けた。
捨てた筈なのに捨てられたような気がしてきた。
「……違う。ふったのは俺の方だ」
ふった手応えがないのは、ポレットが言い縋って来なかった所為だ。
「捨てないで」とか「絶対別れないから」とか「私には貴方だけなのよ」とか。
「その女を選ぶっていうなら死んでやる!」とか、密かに期待していた。
「なんだよ、くそ。冷たい女だな」
つまらない気分で言い捨てたアルマンの腕を、エロディーが引いた。
「ねえやる事やったし行こう。なんか警備の人が凄い睨んでるう」
周囲を見回したアルマンは、各店舗から注がれる冷めた目に気付いてぎょっとなった。彼らは皆、元軍人か軍隊での訓練経験を持つ猛者ばかりだ。
「し、失礼しました」
そそくさと高級店の通りを抜ける。
大通りに出てハタとした。なんで男爵令息であるこの自分が、高が警備員どもに謝らなければならない。
「なんか教官に雰囲気が似てたから、うっかり言っちまった……」
あんな不愛想だから軍人という輩は世間から疎まれるのだ。
よく軍人どもの中で三ヶ月もの間、厳しい訓練に耐えられたと思う。
「俺じゃなければ持たなかったな」
アルマンは自己採点がいつも甘い。
周囲への認識も甘い。昔からやらかす性質だったけれど、貴族の子供で学生でしかもハンサムなので大目に見てもらえた。
しかし学校を出た今、甘さはもう通用しない。
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