まごころを呉れたあなたと

天海月

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第1話:偽りの夜会の幕開け

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今夜、この華やかな夜会で、私はまた一つの偽りを演じなければならない。

ローゼンクランツ家は、かつて、この帝都でも指折りの名家であった。その名を聞けば、誰もが敬意を表し、父の事業は順風満帆に見えた。だが、それは過去の栄光に過ぎない。父の投機的な事業の失敗により、我が家は瞬く間に没落の危機に瀕した。領地は抵当に入れられ、使用人の数は減り、母は毎夜、隠れて涙を流している。

この現状を打開するため、父が持ち出した唯一の「解決策」が、今夜の主役だ。
「リーゼロッテ、これも全て、お前のため、そしてローゼンクランツ家のためだ。必ずや、彼を懐柔し、我が家に再び光をもたらすのだ」
父の言葉は、私に重い鎖をかけた。

私は、一張羅になってしまった深紅のドレスの裾を摘み、控えめに微笑む。優雅な挨拶を交わし、グラスを傾ける。誰もが私を、没落などしていない、名家の高貴な令嬢として扱う。その視線が、私の胸を締め付ける。この偽りの笑顔も、張りぼての衣装も、全ては、この夜会の主賓、レオナルド・シュヴァルツ氏を捕えるための罠に過ぎない。

彼が、夜会の中心に姿を現した瞬間、場内の空気が変わった。
人々は、囁きながら、しかし好奇の眼差しで彼を見つめる。
「あれが、噂のシュヴァルツ男爵か」
「男爵とは名ばかりの、成り上がり者だ」
「どうせ、どこぞの貴族に金を積んで、爵位を買い取ったのだろう」

噂は、彼の背後にいる取り巻きたちによってかき消されるが、その悪意は、毒のように夜会の空気に満ちていた。
レオナルド・シュヴァルツ。
孤児から身を起こし、一代で巨万の富を築いた、希代の豪商。
だが、その振る舞いは、貴族のそれとは程遠い。
彼は、平気で大きな声で笑い、グラスを持つ手つきもどこか不器用だ。
そして、彼の纏う衣装は、あまりにも派手だった。
夜会の参加者の誰もが、控えめな色合いのスーツやドレスを選ぶ中で、彼は、金の刺繍が施された、場違いでけばけばしい上着を着ている。

それは、まるで、自分の財力を誇示しているかのようだ。
貴族社会の繊細な美意識など、彼には理解できないのだろう。
彼は、まるで、金糸を纏った下等な鳥だ。
美しい羽を持つが、その内面は、世俗的な欲望に満ちているにちがいない。

そして、今夜、私の手元に唯一残されている、下品に高価さだけを主張するような、けばけばしい深紅のドレスは、皮肉にも、その『下等な鳥』に相応しいように思えた。

父に促され、私はシュヴァルツ氏の元へと向かった。
「シュヴァルツ男爵、初めまして。ローゼンクランツ伯爵家の一人娘、リーゼロッテと申します」
私は、貴族社会仕込みの、完璧な笑顔と優雅なカーテシーを披露する。
彼の顔が、私の姿を捉えた瞬間、彼の瞳に、一瞬の驚きが宿った。
しかし、その驚きはすぐに消え去り、彼の顔には、底知れない、しかしどこか見慣れない優しさが浮かんだ。

「ローゼンクランツ伯爵令嬢。お会いできて光栄だ」

彼の声は、低く、しかし穏やかだった。
彼の目は、私の顔だけでなく、私の纏うドレスや、私の髪飾りにまで、細かく視線を巡らせる。
その視線に、私は少しの居心地の悪さを感じた。
それは、まるで、私が、彼の財力によって買われるべき「商品」であるかのように扱われているかのようだ。

だが、私は、この取引に応じなければならない。
私は、彼の財力に惹かれたのではなく、我が家の没落を救うためだ。
この夜会で、私は彼と正式な婚約を交わし、彼の援助を取り付けなくてはならないのだ。
そして、それこそが、私に課された使命なのだ。

私は、微笑みを深くし、彼に話しかける。
「シュヴァルツ男爵は、素晴らしい資産をお持ちだと伺っておりますわ。ぜひ、わたくしの父の事業にも、ご協力いただければと存じます」
私は少し直接的過ぎるのではないかと感じてもいたが、没落してからの父が、何度も私に繰り返させてきた言葉だ。
父の頭の中は、資金繰りの事しかなかった。

シュヴァルツ氏は、一瞬、私の言葉に固まった。

そして、彼は、私の顔をじっと見つめた。
その視線は、先ほどとは違い、私の心の奥底を見透かすかのような、鋭いものだった。
私は、彼の視線から逃れるように、目を逸らす。

「もちろん、ローゼンクランツ伯爵には、全面的に協力させていただく所存です。お嬢様も、これから、どうぞよろしくお願い申し上げます」
彼の声は、穏やかだったが、その言葉には、どこか冷たい響きがあった。

私は、彼の言葉に安堵しつつも、胸の奥底に、得体の知れない不安が渦巻くのを感じていた。
はっきりとは口にしていないが、機嫌を損ねてしまったかもしれない…。


夜会が終わり、自室に戻った私は、すぐさま、机に向かい、日記を開いた。
今日の出来事を、書き記す。
「偽りの笑顔を張り付け、偽りの夜会で、私は一つの取引を成立させることに成功しました。彼の名は、レオナルド・シュヴァルツ。金糸を纏った下等な鳥です。その羽は、私の家の没落を救うための、唯一の救いとなるはずです。私は家を救うために、対価として差し出される可哀そうな生贄です…」

私は、ペンを置き、窓の外の月を見つめる。
月の光は、私の心を照らすが、その光は、私の未来を照らすことはない。
私は、この婚約が、我が家の没落を救うための、唯一の手段だと信じている。
だが、その代償として、私は、私の心の一部を、彼に売り渡さなければならないのかもしれない。

偽りの夜会の幕は、今、静かに下りた。
しかし、私の心の葛藤の物語は、今、始まったばかりなのだった。
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