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「もう、話はいいのか」
「まだだよ……研修が終わってそれぞれの店舗に配属されてから、同期と顔を合わせることがなくなって、みんな頑張っていた、僕も新しい店に馴染もうと精一杯だったから、朝日くんが店に来てくれたときは驚いて、その日の夜、一緒に店から近い回転寿司屋に入ったんだ」
「もういい、なんか、もう、話をやめないか」
真白はむやみやたらに茜佑を嫉妬させてどうしたいのだ。
「そもそも最初に知りたいって言ったのは茜佑だよ、ここで僕が喋るのを中断させて、これからも朝日くんの話を黙らせていても、またいつか茜佑は気になって聞き出すに決まってる」
「分かってる、でも、そいつとは何もなかったんだろう、それでいいじゃないか」
いつになく弱気な自分の声に、茜佑は動揺した。
「……それでいいの?」
ひと呼吸おいて、茜佑は答えた。
「だって、その男はもうこの世にいないんだろ」
一人でこの世から消えていった男を思い悩むくらいなら、もっと俺を見てくれ。
勝手に電話帳を開いても、今までの付き合いを絶てと命令しても、真白は怒らなかった。その余裕は、ただ単に仕事用のスマホを持っているからだろうか。過去に同僚を亡くした喪失感で自暴自棄にでもなっているのかもしれない。
真白はいつだって茜佑との約束を最優先に置いてくれて、こちらの言動を全肯定してくれた。共通の友人は今でも真白を茜佑の子犬と呼んでからかう。
その友人達も、昨日から真白と連絡を取れないと茜佑に苦情を入れてくる。真白は茜佑にだけ奉仕に励めばいい。それなのに、友人達の指摘が強ち間違いではないから、茜佑は困惑した。真白がもっと卑怯だったら、自分勝手だったら、茜佑みたいにぐずぐずした男を選ばなかったはずだ。同期の朝日に誘われたら関係を持ったかもしれない。
「そうだね」
人ひとりの死に真白は取りつかれている。
墓参りに行って気が晴れるわけでもない。ただ、『あれは恋だったかもしれない』という悲しい横顔を見せるだけの真白を、茜佑は黙って見つめていた。死人への思いを自覚させるなんて、愚かな真似だけはしたくない。
「なんで俺が泣かなきゃいけないんだ」
目尻ににじんだ涙を乱暴に拭う。
「ありがとう、茜佑はやさしいね」
僕はまだ泣けないんだ。と、真白は笑い声を上げた。
散々、真白の口から朝日の人物像を聞いてきた。茜佑と趣味が同じで、人となりも似ていた。どこのドッペルゲンガーだと末恐ろしくなるくらいに、朝日は茜佑に通じるものが多かった。
「知るか」
茜佑がぐすっと鼻をすすると、真白は楽しそうに喋り続けた。
「朝日くんは光り物が好きだった、あの夜しか食事をしたことがなかったのに、今でも覚えてる、僕が卵焼きばかり食べたら『ガキ臭い』って馬鹿にしてきて、あの時の朝日くんは茜佑とよく似ていたな、茜佑とそっくりだったから僕は覚えているのかも」
真白は口を閉じない。
「翌日、あの夜に朝日くんが車にひかれたと知ったとき、真っ先に思い浮かんだのは――茜佑の顔だった、僕は茜佑の心配をした、僕って酷いやつだなって考えるだけで怖くなって」
「なんだよ、それ、そんなの聞いてない」
「話したら駄目だと思っていたから、茜佑に嫌われそうで……」
「そんなんで嫌うなら、お前の小っさい性格に付き合ってられない、なんで、なんでそれを話した」
真白の顔が涙で見えない。
「最後だから、朝日くんの携帯番号が入ったスマホを変えられて安心したのかも、これで朝日くんにさようならを言える」
互いに名乗らず、どこに住んでどんな仕事をしているのかも知らない通り過ぎの人よりも、朝日は身近に感じられた。逆にそれら全てを把握しているだけの知人と、顔と名前が一致して、真白と茜佑がどんな暮らしをしているのかを共有できる友人と比べたら、朝日はずっと遠くにいた。言葉を選ばずに話し合える家族にさえ、真白は朝日との思い出をさらけ出せないでいる。それがどうしてなのかは、真白自身でさえたどり着けないそうだ。
――それはお前が誰よりも言葉にすることを怖がっているからだ。
真白は故人への思いを風化するのを嫌っていた。
そのどこまでも澄んだ、残酷な思いに触れるだけで窒息しそうだ。
誰とも摩擦を起こさず、その場その場を漂うための言葉で、自分にとって、他者にとっても都合の良い顔で笑ってみせる。向こうがこちらの弱さを引き出したそうに見えたら、許容範囲に自分を受け渡す。真白はいつもそうだ。そういう男だ。
ホームに電車が入ってきて、ブレーキ音を立てた。
「あっ、電車が来た」
帰ろう、と真白は音を立てないで立ち上がり、茜佑の手を取った。
「そんなんで気持ちに区切りをつけられるのかよっ」
茜佑の声がホームに鳴り響いた。車両から降りてきた客があからさまに避け、人によっては去り際に冷やかしを入れてくる。
真白は不思議そうな顔をした。
「朝日くんは茜佑じゃない……それが薄情でもいい、でもね、これだけは最初から変わらないんだ」
茜佑は真白に手を引かれたまま、車両に乗り込んだ。それほど混み合っていない車内でも、茜佑は真白の手を振り解こうとした。手を繋いでいて恥ずかしいとかではない。周囲の好奇な視線から真白を守りたかった。真白が笑われるのが怖かった。そのときに自分はどこまで強くあれるか、自制できるか不安だった。
「僕は茜佑が大好きだよ」
真白が軽快に言う。最悪なタイミングで、発車メロディが鳴る。それでも、今度こそ真白の言葉を聞き取れた。
「馬鹿野郎、俺もだよ」
茜佑は、真白に目を合わせて唇を噛んだ。
日頃から透き通った池の水でストレスなく泳ぎ、自分の思いに対して鈍感になっていた。身の内の深さに気付かされたとき、必死になって淀んだ水から顔を出す。他者に自分をさらけ出す行為の労力と言ったら、もう疲れる。それでも、真白が相手だったら、まあ悪くない。
真白は珍しく、真っ正面から茜佑を見つめていた。
「最初の話に戻るけどさ、俺の好きな色は白だ、お前なんかよりも、俺のほうがよっぽどお前のことを好きなんだよ、分かったか」
数秒の間、沈黙が起きた。それが、はっと、真白が声を立てて笑い出した。
「うん、分かった」
こういうときだけ真白の声はよく通った。
繋いだ指が汗でほどけないのをいいことに、茜佑は自宅まで真白の手を離さなかった。
「まだだよ……研修が終わってそれぞれの店舗に配属されてから、同期と顔を合わせることがなくなって、みんな頑張っていた、僕も新しい店に馴染もうと精一杯だったから、朝日くんが店に来てくれたときは驚いて、その日の夜、一緒に店から近い回転寿司屋に入ったんだ」
「もういい、なんか、もう、話をやめないか」
真白はむやみやたらに茜佑を嫉妬させてどうしたいのだ。
「そもそも最初に知りたいって言ったのは茜佑だよ、ここで僕が喋るのを中断させて、これからも朝日くんの話を黙らせていても、またいつか茜佑は気になって聞き出すに決まってる」
「分かってる、でも、そいつとは何もなかったんだろう、それでいいじゃないか」
いつになく弱気な自分の声に、茜佑は動揺した。
「……それでいいの?」
ひと呼吸おいて、茜佑は答えた。
「だって、その男はもうこの世にいないんだろ」
一人でこの世から消えていった男を思い悩むくらいなら、もっと俺を見てくれ。
勝手に電話帳を開いても、今までの付き合いを絶てと命令しても、真白は怒らなかった。その余裕は、ただ単に仕事用のスマホを持っているからだろうか。過去に同僚を亡くした喪失感で自暴自棄にでもなっているのかもしれない。
真白はいつだって茜佑との約束を最優先に置いてくれて、こちらの言動を全肯定してくれた。共通の友人は今でも真白を茜佑の子犬と呼んでからかう。
その友人達も、昨日から真白と連絡を取れないと茜佑に苦情を入れてくる。真白は茜佑にだけ奉仕に励めばいい。それなのに、友人達の指摘が強ち間違いではないから、茜佑は困惑した。真白がもっと卑怯だったら、自分勝手だったら、茜佑みたいにぐずぐずした男を選ばなかったはずだ。同期の朝日に誘われたら関係を持ったかもしれない。
「そうだね」
人ひとりの死に真白は取りつかれている。
墓参りに行って気が晴れるわけでもない。ただ、『あれは恋だったかもしれない』という悲しい横顔を見せるだけの真白を、茜佑は黙って見つめていた。死人への思いを自覚させるなんて、愚かな真似だけはしたくない。
「なんで俺が泣かなきゃいけないんだ」
目尻ににじんだ涙を乱暴に拭う。
「ありがとう、茜佑はやさしいね」
僕はまだ泣けないんだ。と、真白は笑い声を上げた。
散々、真白の口から朝日の人物像を聞いてきた。茜佑と趣味が同じで、人となりも似ていた。どこのドッペルゲンガーだと末恐ろしくなるくらいに、朝日は茜佑に通じるものが多かった。
「知るか」
茜佑がぐすっと鼻をすすると、真白は楽しそうに喋り続けた。
「朝日くんは光り物が好きだった、あの夜しか食事をしたことがなかったのに、今でも覚えてる、僕が卵焼きばかり食べたら『ガキ臭い』って馬鹿にしてきて、あの時の朝日くんは茜佑とよく似ていたな、茜佑とそっくりだったから僕は覚えているのかも」
真白は口を閉じない。
「翌日、あの夜に朝日くんが車にひかれたと知ったとき、真っ先に思い浮かんだのは――茜佑の顔だった、僕は茜佑の心配をした、僕って酷いやつだなって考えるだけで怖くなって」
「なんだよ、それ、そんなの聞いてない」
「話したら駄目だと思っていたから、茜佑に嫌われそうで……」
「そんなんで嫌うなら、お前の小っさい性格に付き合ってられない、なんで、なんでそれを話した」
真白の顔が涙で見えない。
「最後だから、朝日くんの携帯番号が入ったスマホを変えられて安心したのかも、これで朝日くんにさようならを言える」
互いに名乗らず、どこに住んでどんな仕事をしているのかも知らない通り過ぎの人よりも、朝日は身近に感じられた。逆にそれら全てを把握しているだけの知人と、顔と名前が一致して、真白と茜佑がどんな暮らしをしているのかを共有できる友人と比べたら、朝日はずっと遠くにいた。言葉を選ばずに話し合える家族にさえ、真白は朝日との思い出をさらけ出せないでいる。それがどうしてなのかは、真白自身でさえたどり着けないそうだ。
――それはお前が誰よりも言葉にすることを怖がっているからだ。
真白は故人への思いを風化するのを嫌っていた。
そのどこまでも澄んだ、残酷な思いに触れるだけで窒息しそうだ。
誰とも摩擦を起こさず、その場その場を漂うための言葉で、自分にとって、他者にとっても都合の良い顔で笑ってみせる。向こうがこちらの弱さを引き出したそうに見えたら、許容範囲に自分を受け渡す。真白はいつもそうだ。そういう男だ。
ホームに電車が入ってきて、ブレーキ音を立てた。
「あっ、電車が来た」
帰ろう、と真白は音を立てないで立ち上がり、茜佑の手を取った。
「そんなんで気持ちに区切りをつけられるのかよっ」
茜佑の声がホームに鳴り響いた。車両から降りてきた客があからさまに避け、人によっては去り際に冷やかしを入れてくる。
真白は不思議そうな顔をした。
「朝日くんは茜佑じゃない……それが薄情でもいい、でもね、これだけは最初から変わらないんだ」
茜佑は真白に手を引かれたまま、車両に乗り込んだ。それほど混み合っていない車内でも、茜佑は真白の手を振り解こうとした。手を繋いでいて恥ずかしいとかではない。周囲の好奇な視線から真白を守りたかった。真白が笑われるのが怖かった。そのときに自分はどこまで強くあれるか、自制できるか不安だった。
「僕は茜佑が大好きだよ」
真白が軽快に言う。最悪なタイミングで、発車メロディが鳴る。それでも、今度こそ真白の言葉を聞き取れた。
「馬鹿野郎、俺もだよ」
茜佑は、真白に目を合わせて唇を噛んだ。
日頃から透き通った池の水でストレスなく泳ぎ、自分の思いに対して鈍感になっていた。身の内の深さに気付かされたとき、必死になって淀んだ水から顔を出す。他者に自分をさらけ出す行為の労力と言ったら、もう疲れる。それでも、真白が相手だったら、まあ悪くない。
真白は珍しく、真っ正面から茜佑を見つめていた。
「最初の話に戻るけどさ、俺の好きな色は白だ、お前なんかよりも、俺のほうがよっぽどお前のことを好きなんだよ、分かったか」
数秒の間、沈黙が起きた。それが、はっと、真白が声を立てて笑い出した。
「うん、分かった」
こういうときだけ真白の声はよく通った。
繋いだ指が汗でほどけないのをいいことに、茜佑は自宅まで真白の手を離さなかった。
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