子犬は泣かない

佐治尚実

文字の大きさ
3 / 4

3

しおりを挟む
 改めてスマホに視線を戻し、電話帳に自分だけの番号があることに満足する。真白に新規契約させたスマホは、未だに壁紙とアプリが初期設定のままだ。それで己の機嫌を取ろうとした。

 今回の自分は中々最悪な彼氏だ。その自覚こそあった。なぜなら、あの朝日の電話番号まで削除しろと命令したのだから、真白に狭量な彼氏として思われたとしても反論できない。茜佑は相当の覚悟を持って真白に電話番号を変えさせた。

 朝日という男の存在に囚われた、か弱き真白を救済するための、分別のある判断であった。

 しかし、真白に束縛が強くて別れたいだなんて言われたら、自分が自分でなくなってしまいそうで、指先から血の気が失せていく。

「……朝日くんの番号は消したくなかったな」

 真白の高くて細い声が心なしか沈んでいて、茜佑は思わず目をつぶった。後ろめたさから空いた手で自分の頭を掻く。

「悪い……」

 茜佑は気を取り直そうと、指に付いたワックスで髪を整える。

 昨日の朝、久しぶりに、正確に言えば五十四日ぶりに真白の口から朝日の名が漏れた。真白は、茜佑が朝日に嫉妬していることを知っている。真白の言動に制限を持たせる真似だけはしたくなかったのに、朝ご飯を食べながら、

 ――あっ、今日は朝日くんの誕生日だ。

 と、真白が当然の顔で言った。

 俺以外の男の誕生日を祝って何が面白い、と茜佑は怒りに駆られた。手当たり次第、目についた箸を折ったり食器を割ったりの大暴れをした。真白が焼いた卵焼きが床でひしゃげ、白飯も味噌汁が掛かってびしょびしょになった。真白からスマホを取り上げ、今すぐ朝日の連絡先を消せと詰め寄ったら、真白が奪い返そうとするので、反射的に壁に投げつけてしまう。そのあと、茜佑は床を拭き、割れた皿を捨てながら掌の小さな切り傷がひりついた。己の情けなさに悔し涙を零した。

「昨日は暴力を振るって悪かった」
「怪我をしていないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃない」
「……そうだね」

 真白は続けた。

「これで最後にするから、朝日くんの話を聞いてよ」
「ああ、最後にしてくれ、そうでないと、俺さ、マジでもう、スマホを壊したくないから」
「うん、そうする」

 茜佑が朝日の話を聞きたくないから、真白は同情心で従ったまでだ。真白の思考や記憶から朝日が消えることはない。自分にそんな芸当はできない。可能であるなら真白が自分だけを見るように洗脳したい。朝日の名を懐かしそうに呼ぶその口を糸で縫いたかった。

 しかし、茜佑は首を横に振った。

「真白はあいつより俺を選んだんだし、もう好きにしろよ、あるよな、そういう気の間違いって」

 ネチネチとうるさい。自分でも嫌になる。真白が自分以外の誰かに意識が向くといつもこうだ。真白の中にやましい思いがないと分かっていても、一度でも疑うと、下のほうに、ずっと底へと沈んでいってしまう。早く真白のいる地上へと戻りたかった。

 ホームにアナウンスが鳴り響く。もうすぐ電車が到着するようだ。

「同期に新聞社と同じ名字の子がいたのは知っていたんだ」

 茜佑はスマホを握り締めた。真白が茜佑以外の男、それも自分の次に信頼を寄せた朝日の話を始める。

「研修のディスカッションで新聞社の名を上げていきましょうって話になって、その子、朝日くんは困った顔をしていたのを僕は見ていたのに、深く考えずに第一声でその子の地雷を踏んだ」

 真白は百貨店で接客の仕事をしている。それでも、研修の話は初耳だった。

「そんなの回避は無理だ、相変わらず真白は真面目ちゃんだな」
「でもさ、相手を平気で傷つけてしまう自分にムカつくんだ、失望って言うのかな」

 天井の吹出口から涼しい風が流れてくる。普段から真白の声は細い。そのくせ真白はこちらを向いて話さない。いつも目を合わせるのを恥ずかしがる。人の目に疲れているのとは違う。こちらを意識しての視線の反らし方だ。

「……真白って、そういうところあるよな、悪い意味でさ、自分が何でもできると思ってる」
「悪い意味で、そうか、治したほうがいい?」
「勝手に失望してろよ、そういうのが真白らしいだろう、ほらっ」

 手汗に濡れたスマホを真白に返す。

「ありがとう」

 真白は受け取ったスマホを革製のショルダーバッグにしまう。昨年の冬、真白の誕生日に茜佑がプレゼントした茶色のバッグを変わらず使い続けてくれている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

だって、君は210日のポラリス

大庭和香
BL
モテ属性過多男 × モブ要素しかない俺 モテ属性過多の理央は、地味で凡庸な俺を平然と「恋人」と呼ぶ。大学の履修登録も丸かぶりで、いつも一緒。 一方、平凡な小市民の俺は、旅行先で両親が事故死したという連絡を受け、 突然人生の岐路に立たされた。 ――立春から210日、夏休みの終わる頃。 それでも理央は、変わらず俺のそばにいてくれて―― 📌別サイトで読み切りの形で投稿した作品を、連載形式に切り替えて投稿しています。  エピローグまで公開いたしました。14,000字程度になりました。読み切りの形のときより短くなりました……1000文字ぐらい書き足したのになぁ。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

王様の恋

うりぼう
BL
「惚れ薬は手に入るか?」 突然王に言われた一言。 王は惚れ薬を使ってでも手に入れたい人間がいるらしい。 ずっと王を見つめてきた幼馴染の側近と王の話。 ※エセ王国 ※エセファンタジー ※惚れ薬 ※異世界トリップ表現が少しあります

処理中です...