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第21話 酔った勢い【俺】

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「昨日、練習お休みでしたね」

 朝、休日に寄せられた留守電のメッセージを確認し終えたのを見計らって、事務の女性が背後から声をかけてきた。妻が若い美形の青年と歩いているところを見たと、俺に教えてくれた子だ。

「ああ。君は行ったんだね」
「私、マネジ(ャー)の子と仲いいんで、差し入れとかよく手伝ってるんですけど、知りませんでした?」
「そりゃもちろん知ってた、けど…」

 というよりも、俺に「これ食べませんか?」と真っ先に何か持ってくるのは大体この子だ。
 俺は妻の弁当持参なので、ちょっとしたおかずやデザートをもらう程度だし、そんなに口を利くわけでもないが、さすがに毎回だから覚えている。
 単に部署が一緒で顔見知りだから、俺のところに来やすいのだろうという程度の認識だったが、同僚の一人が、「あの子、お前に気があるんじゃないの?」と、からかい口調で言ってきた。

「タオルだのスポドリだのも、必ずまっさきにお前に差し出してるし」
「いや、たまたま見かけたときの印象が強かっただけじゃないのか?」
「だから、回数多いから印象残ったと思うんだよ。あの子は正式なマネじゃないし、別に私情丸出しでもおかしくないからな」
「そういうもんかね…」

 うちの会社はもともと女子社員がそう多いわけではない。
 俺は新卒入社と結婚が同じタイミングだったし、妻に夢中だったから、同じ会社の女性に全く興味を示さなかったのだが、独身の同僚たちは、「今年は当たり」だの、「今度入った子、ちょっと“お願い”したい」だのと、数少ない若い女子社員をこっそり値踏みしていた。

 その後輩の女性は、地元の短大を出て、親戚の縁故コネで入社したとのことだったから、俺より3歳年下らしい。
 ぱっと目立つタイプではないが、温厚で素直な雰囲気が受け、どちらかというと中年以降の社員にかわいがられているように見えるが、独身若手の中でも、「嫁さんはああいうタイプに限る」と、まるで選ぶ権利はこちらにしかないような傲慢な評価をするやつもいる。

「まあお前にはあの美人妻がいるから、関係ないか」
「そうだよ。俺はどうでもいい」

 そう答えながら、何が「どうでもいい」のか分からない。

***

 妻はもちろん大事だ。というか、俺にとってはかけがえのない存在だ。
 後輩の女性は、別にそういう対象ではないけれど、普段から何かとサポートしてもらい、感謝も信頼もしているが、それ以上の感情はない。
 少なくとも、どちらも『どうでもよくはない』。

 しかし妻のちょっとおぞましい過去、現在進行形かもしれない男性関係を誰にも打ち明けられず(特に前者は)、俺の内心は見た目ほど平常ではなかった。
 どちらも状況証拠だけである、のだが。

 あの写真だって、じっさい妻だという確証はない。
 妻そっくりの知らない女で、あの美形お兄さんが、学生結婚と同時に過去を清算するつもりで、ああいう隠し方をしたのかもしれない。

 それを妻に確認したら?
 仮に妻がシロだったとしても、その写真が実兄の部屋から出てきたものだとしたらショックは受けるだろうし、疑われたことにも傷つくだろう。
クロだった場合――妻は多分、『私が悪うございました』と下手したでに出つつ、俺のもとを(多分特に苦しまずに)去っていくのではないか。

 そして『クロ』だった場合の方が、どう考えても俺のダメージが大きいし、『シロ』だとしても、妻を傷つけるのはやっぱり不本意だ。
 となると、何とか隠し通さなければという思いを強くする。

 仕事中にもそんなことばかり考えてしまうので、ミスも増えるし、営業車で事故とも言えない『ヒヤリハット』も経験した。
 幸い自社の駐車場内でちょっとぶつけた程度だったし、もちろん人身の被害もなかったが、こんなの運がよかっただけだ。

(このままじゃ、俺は絶対やらかすな…)

 そんなため息をついている背中を、例の後輩の女性に『刺された』(もちろん比喩だ)。

「ねえ、気晴らしに飲みにいきません?私、相談に乗ってもらいたいこともあるし」

◇◇

 その後輩の女性(以下、まどろっこしいのでイニシャルTと呼ぶ)は隣県出身だが、この街にいる親戚宅に下宿して短大に通っていた。就職を機に念願のひとり暮らしを始めたそうだ。

 気の利いたたたずまいのアパートの、いいにおいのする部屋。
 パステルカラーの寝具でまとめられた小さなベッドで、俺は彼女を抱いた後、ピロートークに身の上話を聞いた。

「私、入社したときからずっと好きだったんです…」
「俺も――かわいいって思ってた…」

 こういうときの甘言は、ありきたりで平凡なのが一番だ。

***

 妻以外の女性を抱くのは何年ぶりだったろう。

「あ、あ…ん。もっとぉ、そこぉ…」
「ぐ…俺の指…ちぎれそ…」
「もお…ん、イジワル言わないで…」

 Tの敏感な部分を“上下”問わず、感情任せに刺激した。
 乳首を甘噛みしたりしゃぶったりしながらヴァギナに指を挿入すると、面白いようにぐぐっと締め上げてくる。
 こういうのは――妻と同じだが、Tの方が少し体も大き目で、胸の盛りも上からもしれない(それでいて、乳首の色はかなりきれいだ)。

 不細工ではないが、妻ほどは美しくない。
 俺は妻が自分とシている間、ずっと顔を見続けていたくて、「あんまり見ないでよ」と恥ずかしがらせてしまう(その顔がまたかわいい)ほどなので、正直、Tの顔が快感で変化する表情には、そんなに興味が持てなかった。
 逆に言うと、とにかくその体の交わりだけに溺れることができた。

 都合よく用意されていた避妊具を、節操なく勃起した我が愚息にかぶせ、四つん這いになるように促して、後ろから挿入した。
 掃除が行き届いた部屋といい、この用意周到さといい、ひょっとしたら男の受け入れに慣れているのかもしれないが、ならば、余計に好都合だ。

 後ろから突き上げてみると、そのよがり声がすさまじく、思わず口を押えてしまったほどだが、ここがホテルだったら、「もっと鳴けよ!」なんて、ついぞ言ったことのない台詞で煽ったかもしれない。

 正直言って、かなり気持ちよかったが、すっきりしたわけではない。
 大学時代の一度きりの浮気のときとは事情が違った。
 俺は性欲だけでなく、心の隙間に付け込まれ、Tを抱いたのだ。

***

 その後、Tとのセックスの匂いを消すような気持ちでビールを1杯飲み、日付が変わる前に帰宅した。

 妻はそんなときでも、不機嫌な顔一つしない。
 俺がTと飲みにいき、部屋にしけこんで――なんて考えてもいないだろうし、それを知っていても、この笑顔で迎えてくれるのだろう。

 俺はシャワーも浴びず、『もーっ、お酒臭い!』と明るい声で言う妻を、リビングのカーペットラグの上に組み敷いた。
 俺は下半身だけ裸になった。
 既に寝巻だった妻を全裸にむくのは簡単だった。

 煌々と電気のついた明るい部屋で、妻の“コンディション”を見る余裕もなく、Tとのセックスはむしろ準備運動がわりになったように盛り上がったペニスをぐっと裸の状態で挿入し、自分本位に動いた。
そして妻の制止も聞かず、そのまま中に放出した。

「ちょっと…どうしちゃったの?」

 さすがに妻の表情に戸惑いが浮かんでいる。
 その顔が、俺の癇に障った。

「俺――子供欲しいんだよ。君に産んでほしい」
「私だっていつかは欲しいけど…こんな酔った勢いみたいなのは困るよ…」

 妻の言うことはもっともだが、俺は素直に聞くことができなかった。

「じゃ、一体いつならいいんだよ!」
「え…」
「…怒鳴ったりしてごめん。シャワー浴びてくる」

 酔った勢いで妻を抱いたわけではない。
 全く衝動的だったが、俺は「賭け」に出た。

 もしこれで妊娠したら、俺はもう例の写真を処分し、何もかもなかったことにする。
 Tとの関係も今回限りだ。
 妻はきっと一生懸命俺の子供を守り、産んでくれるだろう。
 これから新しく関係をつくっていけばいいのだ、と。
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