49 / 52
第48話 再読【夫】
しおりを挟む
待ちに待った――のような、恐怖のような、そんなDNA鑑定の結果が届いた。
結論からいうと、俺と娘の親子関係は99%以上だそうだ。
つまり俺はごく高い確率で娘の父親ということだ。
結果次第では、「おじさん」の方も何とかしてもらう可能性があったのかもしれないが、その必要は一切なくなった。
というか、妻の言い分を信じれば、もし俺と娘の親子関係が否定されたら(この場合は0%というすっきりした数字になるわしい)、父親は今は亡き「おじさん」ということになる。
変な話、ほっとしたとか、うれしいとかいうよりも、拍子抜けしてしまった。
何しろ俺があの手紙の存在を知らずにいたら、そもそも鑑定に出すという発想すら出なかったのだ。
妻は神妙な顔で通知を丁寧に見て、「お世話様でした」とぺこっとした。
「で、どうする?」
「どうする、って…」
「これはこれとして、私自身がよその男性と不貞関係にあったことは認めたのよ」
「そうだけど…」
「あなたはそれを理由に、私との離婚を請求できるけど」
確かにそうなんだ。
俺はケジメをつけたいとしか考えていなかったが、妻への不信感とか、知っちゃった以上は「なかったこと」にできない問題は、いまだ残ったままだ。
「…正直に言ってもいいか?」
「もちろん」
「俺はさ、君のこともあの子のことも、かわいくて仕様がないんだ」
「うん」
「多分だけど…親子関係が否定されたとしても、やっぱり一緒にいたいと思ったと思う」
「それは…」
「分かってるよ。君の言葉をかりれば、所詮は“後付け”だ。あの子が俺の子じゃないって分かったら、めちゃくちゃ怒り狂ったかもしれない」
「うん…だよね…」
妻はあくまでも感情を抑え込んだような、しかし大真面目な顔で俺の言葉に耳を傾ける。
もうこれで十分だ。
やっぱり妻として、愛娘の母親としてそばにいてほしいのは、この女だけだ――と思う。
たとえ妻が、俺に対して「失いたくない家族」程度の(いや、それはそれでデカイけど)感情しかなかったとしても構わない。
「君こそどうなんだ?」
「え?」
「知っているんだろう?俺が昔、社内の女と浮気をしたこと」
「うん…」
「なぜ、あのとき俺を一言も責めなかった?俺は君に随分冷たくしていたのに」
しかも、「どうせ俺なんかいなくたって、こいつにはほかに男はいくらでもいるだろう」とか、大分いじけたことを考えていたっけなあ…。
「だって――あなたは私の初めての恋人だもの」
「え?」
「恥ずかしそうな顔で私に“付き合ってくれ”って言ってくれて、旅行のために頑張ってバイトしたり、マラソン大会で5人抜きして得意げな顔を見せてくれたり、いつだって一生懸命で、とても優しかったじゃない」
そこで妻が口角を少し上げ、目じりを下げた。
もともと童顔だから、30半ばに差し掛かった今でも年齢よりは若く見えるけれど、とがり気味だったあごの線はマイルドになっているし、油断すると二重になることさえある。
でも、このズルい笑顔はあの頃のままだ。
俺の大好きだったあの子のは、確かにまだここにいる。
かわいくて、優しくて、ちょっと――いや、かなりずるくて。
俺の歓心を買うために、これくらいの「うれしいこと」は、口から出まかせで易々と言ってのける、そんな油断のならない女。
それならそれで構わない。
何だかいろんなことが、一気にどうでもよくなったような気分だった。
もちろんそれは、否定的な意味ではない。
俺は妻を胸元に抱き寄せて言った(顔を見られるのが恥ずかしかったからね)。
「ありがとう。俺と結婚して――家族になってくれて」
「ふふ、どういたしまして」
◇◇◇
俺はある日、仕事の合間に妻にメッセージを送った。
「『俺の女神』って寝室の本棚にあったっけ?ベッドサイドのすぐ分かるところに置いておいてくれると助かる」
妻は「了解」とだけ返信をよこし、その日の夜にはちゃんと本が置かれていた。
「何に使うの?」
「読むんだよ。本だからね」
「そりゃそうか…」
普段は雑誌程度しか読まないし、小説は新聞の連載小説なんかでも、途中で飽きてしまう。
しかし今回は、1ページ目からあとがきまで、一字一句しっかり読むつもりだ。
毎日ベッドの中で腹ばいになってこつこつと、妻が貸してくれたしおりも使い、1週間くらいかかった。
ものすごく読み進む日もあれば、5ページが限界の日もある。
そんなに字がみっしりと詰まっているわけではないので、読める日は2章ぐらいぶっ続けで読めた。
妻は最初、不思議そうな顔をしていたが、次第に自分も好きな本や雑誌を読んだり、先に寝たりするようになった。
仕事・家事・育児の三本立てで頑張っている妻の寝顔は、若い頃より疲れて見えることも多い。
俺が本を読むのをやめ「そろそろ寝るか…」と思って見る寝顔に、時に独特のムラムラを誘われることもあったけれど、ぐっと我慢して、ほほに軽くキスだけしてライトを消した。
最後は悲劇で終わるこの小説。
以前妻に「メリーバッドエンドっていう言葉があるんだよ」と教えてもらったことがある。
この作品は確かに、解釈によってはいい終わり方なのかなと思える部分もある。
全部読み終えたとき、俺はヒロインの「ありさ」に気持ちが寄り過ぎていたようで、少し涙が出た。
「おじさん」は、幼かった妻に邪な気持ちを抱いたアブない男だが、妻を女として磨き、開発し、そしてここまで魅力的なヒロインとして書いてくれたのだ。
その才能というか才覚っていうか、悔しいけど認めざるを得ない。
思うところはいろいろあったけれど、読了した俺には(正直最初はエロそうな部分を拾い読みしていたので)、妻を一晩中抱きたい、愛したいという気持ちだけが芽生えた。
結論からいうと、俺と娘の親子関係は99%以上だそうだ。
つまり俺はごく高い確率で娘の父親ということだ。
結果次第では、「おじさん」の方も何とかしてもらう可能性があったのかもしれないが、その必要は一切なくなった。
というか、妻の言い分を信じれば、もし俺と娘の親子関係が否定されたら(この場合は0%というすっきりした数字になるわしい)、父親は今は亡き「おじさん」ということになる。
変な話、ほっとしたとか、うれしいとかいうよりも、拍子抜けしてしまった。
何しろ俺があの手紙の存在を知らずにいたら、そもそも鑑定に出すという発想すら出なかったのだ。
妻は神妙な顔で通知を丁寧に見て、「お世話様でした」とぺこっとした。
「で、どうする?」
「どうする、って…」
「これはこれとして、私自身がよその男性と不貞関係にあったことは認めたのよ」
「そうだけど…」
「あなたはそれを理由に、私との離婚を請求できるけど」
確かにそうなんだ。
俺はケジメをつけたいとしか考えていなかったが、妻への不信感とか、知っちゃった以上は「なかったこと」にできない問題は、いまだ残ったままだ。
「…正直に言ってもいいか?」
「もちろん」
「俺はさ、君のこともあの子のことも、かわいくて仕様がないんだ」
「うん」
「多分だけど…親子関係が否定されたとしても、やっぱり一緒にいたいと思ったと思う」
「それは…」
「分かってるよ。君の言葉をかりれば、所詮は“後付け”だ。あの子が俺の子じゃないって分かったら、めちゃくちゃ怒り狂ったかもしれない」
「うん…だよね…」
妻はあくまでも感情を抑え込んだような、しかし大真面目な顔で俺の言葉に耳を傾ける。
もうこれで十分だ。
やっぱり妻として、愛娘の母親としてそばにいてほしいのは、この女だけだ――と思う。
たとえ妻が、俺に対して「失いたくない家族」程度の(いや、それはそれでデカイけど)感情しかなかったとしても構わない。
「君こそどうなんだ?」
「え?」
「知っているんだろう?俺が昔、社内の女と浮気をしたこと」
「うん…」
「なぜ、あのとき俺を一言も責めなかった?俺は君に随分冷たくしていたのに」
しかも、「どうせ俺なんかいなくたって、こいつにはほかに男はいくらでもいるだろう」とか、大分いじけたことを考えていたっけなあ…。
「だって――あなたは私の初めての恋人だもの」
「え?」
「恥ずかしそうな顔で私に“付き合ってくれ”って言ってくれて、旅行のために頑張ってバイトしたり、マラソン大会で5人抜きして得意げな顔を見せてくれたり、いつだって一生懸命で、とても優しかったじゃない」
そこで妻が口角を少し上げ、目じりを下げた。
もともと童顔だから、30半ばに差し掛かった今でも年齢よりは若く見えるけれど、とがり気味だったあごの線はマイルドになっているし、油断すると二重になることさえある。
でも、このズルい笑顔はあの頃のままだ。
俺の大好きだったあの子のは、確かにまだここにいる。
かわいくて、優しくて、ちょっと――いや、かなりずるくて。
俺の歓心を買うために、これくらいの「うれしいこと」は、口から出まかせで易々と言ってのける、そんな油断のならない女。
それならそれで構わない。
何だかいろんなことが、一気にどうでもよくなったような気分だった。
もちろんそれは、否定的な意味ではない。
俺は妻を胸元に抱き寄せて言った(顔を見られるのが恥ずかしかったからね)。
「ありがとう。俺と結婚して――家族になってくれて」
「ふふ、どういたしまして」
◇◇◇
俺はある日、仕事の合間に妻にメッセージを送った。
「『俺の女神』って寝室の本棚にあったっけ?ベッドサイドのすぐ分かるところに置いておいてくれると助かる」
妻は「了解」とだけ返信をよこし、その日の夜にはちゃんと本が置かれていた。
「何に使うの?」
「読むんだよ。本だからね」
「そりゃそうか…」
普段は雑誌程度しか読まないし、小説は新聞の連載小説なんかでも、途中で飽きてしまう。
しかし今回は、1ページ目からあとがきまで、一字一句しっかり読むつもりだ。
毎日ベッドの中で腹ばいになってこつこつと、妻が貸してくれたしおりも使い、1週間くらいかかった。
ものすごく読み進む日もあれば、5ページが限界の日もある。
そんなに字がみっしりと詰まっているわけではないので、読める日は2章ぐらいぶっ続けで読めた。
妻は最初、不思議そうな顔をしていたが、次第に自分も好きな本や雑誌を読んだり、先に寝たりするようになった。
仕事・家事・育児の三本立てで頑張っている妻の寝顔は、若い頃より疲れて見えることも多い。
俺が本を読むのをやめ「そろそろ寝るか…」と思って見る寝顔に、時に独特のムラムラを誘われることもあったけれど、ぐっと我慢して、ほほに軽くキスだけしてライトを消した。
最後は悲劇で終わるこの小説。
以前妻に「メリーバッドエンドっていう言葉があるんだよ」と教えてもらったことがある。
この作品は確かに、解釈によってはいい終わり方なのかなと思える部分もある。
全部読み終えたとき、俺はヒロインの「ありさ」に気持ちが寄り過ぎていたようで、少し涙が出た。
「おじさん」は、幼かった妻に邪な気持ちを抱いたアブない男だが、妻を女として磨き、開発し、そしてここまで魅力的なヒロインとして書いてくれたのだ。
その才能というか才覚っていうか、悔しいけど認めざるを得ない。
思うところはいろいろあったけれど、読了した俺には(正直最初はエロそうな部分を拾い読みしていたので)、妻を一晩中抱きたい、愛したいという気持ちだけが芽生えた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる