【R15】母と俺 介護未満

あおみなみ

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マドレーヌ(2)

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 いつものように自転車を押して歩く俺の後ろに、少女Aがついてくるのを感じる。
 彼女が部屋に入るとすぐ、「朝飯は食ったか?」と尋ねた。

「炊き込みご飯のおにぎりあるけど、食うか?あとゆで卵…」
「わー、食べたい!お腹ペコペコ!」

 少女Aはそう言って、母に食べさせるはずだった小さなおにぎり2個をぺろっと平らげ、ゆで卵をテーブルにぶつけて割った。

「まだあるけど、もっと食うか?」
「…んぐ…マレーヌ、べるから…」
「あ、あれか」

 少女Aはうまそうに物を食べる。うまく言えないが、性格の良さがにじみ出るような食べ方だ。

「マドレーヌには紅茶だよね。もらっていい?」
「ああ、どうぞ」

 さっきまで麦茶を飲んでいたコップを洗わず、そのままアイスティーを注ぎ、マドレーヌを少しずつかじった。

「ここのが一番おいしい。レモン風味のお菓子、大好き」
「最近のマドレーヌは、そういうレモン味のが多いな」
「え?マドレーヌってそういうもんじゃないの?」
「うちの母がつくったやつは違ったな」
「お母さん、マドレーヌつくれるの?すごいね」
「昔の話だけどな」

 昔も昔。最後に食べたのは多分、40年近く前か。
 電気オーブンやオーブンレンジではなく、ガスコンロに載せて使う天火てんぴで焼いていた。
 まだ小学生だった弟は、食べ過ぎて飯が入らなくなって怒られるほどだった。
 兄は――カノジョと食べるとかぬかして、2個だけ持っていったっけな。

 父はまだ病気が見つからず、ぼーっと会社に行って、晩酌しながら俺とバカ話をしていた。
 母は単なる気まぐれにそういうことをしただけだし、兄は嫌みで、弟は生意気だったが、今思えばあの頃は楽しかったな。

 あのマドレーヌは好きだったが、店で売っているものは買ったことがない。いや、一度だけ何か食べて、「コレジャナイ」と感じたんだったか。

◇◇◇

「おじさん、どうしたの?どこか痛いの?」

 少女Aはびっくりしたような声でそう言った。
 まるで男子幼稚園児に話しかけるような内容ではないか。

「え…ああ、違うよ」

 俺は全く無意識だったが、涙が出ていたようだ。


「きっとおじさん、何か辛いことがあるんだね?初めて見かけたときもそうだった」
「初めて見たって…。そういえばさっきの、“公園で見てた”っていうのは…」
「うん、私ね…」

 少女Aは夏休みになってから、朝の5時台に起き、コンビニ脇の小さな公園で本を読んだりゲームをしたりして時間をつぶして――というか過ごしていた。
 なぜそんなことをしていたかを想像するが、詳しく聞いてはいけないような気がした。
 入りびたりだという「ママの恋人」とやらと関係がありそうだ。

 そしてお腹がすくと、公園の目の前にある冷蔵庫コンビニで買い物をしていたが、そんな中で、「月・木のおじさん」である俺の存在に気づいた。

 店の前で、いつもレモンティーを飲んでいる。
 一口だけのこともあるし、一気飲みの場合も場合もある。そして自転車にまたがる前に、必ず肩を上げ下げして、時々は「しゃっ」っと小さくこぶしを握ることもある。
 フィナンシェを大あわてで食べてせき込んだあのとき、思わず笑ってしまったので、ついでに声をかけてみた、ということだった。

「そうか。そういうことだったのか」
「何かさあ、目で追いたくなっちゃう人なんだよ、おじさん」
「初めて言われたな…」
「ねえ、さっき何で泣いたの?」
「え?」
「おじさんの話、聞きたいな。いつも私ばっかりしゃべっているもん」

◇◇◇

 俺はまず、母のマドレーヌの話をした。

 そして芋づる式に、亡くなった父のこと、兄弟のこと、妻のこと、娘のこと、話のネタがネタを呼ぶ形で、とりとめもなく話した。
 一番話題が厚目なのは、やはり現況、母の手助けをしていることだ。
 特に意識せず、格好もつけずに話したせいか、話題が自分自身のさ、つらさの愚痴ばかりになっていた気がする。

「おじさんが言ってた“朝の仕事”って、お母さんの介護のことだったんだ?」
「介護なんて呼べるレベルじゃないよ。せいぜい手助け、介護未満だ」

 恥ずかしいことに、涙声が抑えられない。それでも話さずにいられなかった。

 それをただただ黙って聞いていた少女Aは、たった一言こう言った。

「おじさんは我慢してる人なんだね。“自分は我慢してる”って口にできないくらい我慢してる人」
「あ、ああ――そうかもな。というか、我慢してる自覚もなかったんだが…」
「でもいっぱい話してくれてうれしい。今は愚痴を我慢してないってことだもんね」
「な…」

 少女Aは、小さな体で俺をぎゅっと抱き締め、「おじさん、頑張ってる。偉いよ」と言った。彼女も涙声だった。
 俺は俺で、がくっと両手を床についたまま、彼女のされるがままになっていた。
 情けないな。自分の3分の1にも満たない年齢の子に、「いい子いい子」してもらって泣いているのだから。
 体勢も辛いし、頭のあたりに少女Aの小さなふくらみが当たって気まずい。

 そのとき、施錠していなかったドアを開き、「アポなし突撃~」という若い女の声がした。

「お父さん…?」

 玄関に立っていたのは娘だった。すぐ後ろには妻もいて、軽く口を開き、目を見開いていた。

「あ、違うんだ、これは…」

 なんだよ、この浮気現場を押さえられたときの常套句は。
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