11 / 14
マドレーヌ(2)
しおりを挟むいつものように自転車を押して歩く俺の後ろに、少女Aがついてくるのを感じる。
彼女が部屋に入るとすぐ、「朝飯は食ったか?」と尋ねた。
「炊き込みご飯のおにぎりあるけど、食うか?あとゆで卵…」
「わー、食べたい!お腹ペコペコ!」
少女Aはそう言って、母に食べさせるはずだった小さなおにぎり2個をぺろっと平らげ、ゆで卵をテーブルにぶつけて割った。
「まだあるけど、もっと食うか?」
「…んぐ…マロレーヌ、食べるから…」
「あ、あれか」
少女Aはうまそうに物を食べる。うまく言えないが、性格の良さがにじみ出るような食べ方だ。
「マドレーヌには紅茶だよね。もらっていい?」
「ああ、どうぞ」
さっきまで麦茶を飲んでいたコップを洗わず、そのままアイスティーを注ぎ、マドレーヌを少しずつかじった。
「ここのが一番おいしい。レモン風味のお菓子、大好き」
「最近のマドレーヌは、そういうレモン味のが多いな」
「え?マドレーヌってそういうもんじゃないの?」
「うちの母がつくったやつは違ったな」
「お母さん、マドレーヌつくれるの?すごいね」
「昔の話だけどな」
昔も昔。最後に食べたのは多分、40年近く前か。
電気オーブンやオーブンレンジではなく、ガスコンロに載せて使う天火で焼いていた。
まだ小学生だった弟は、食べ過ぎて飯が入らなくなって怒られるほどだった。
兄は――カノジョと食べるとかぬかして、2個だけ持っていったっけな。
父はまだ病気が見つからず、ぼーっと会社に行って、晩酌しながら俺とバカ話をしていた。
母は単なる気まぐれにそういうことをしただけだし、兄は嫌みで、弟は生意気だったが、今思えばあの頃は楽しかったな。
あのマドレーヌは好きだったが、店で売っているものは買ったことがない。いや、一度だけ何か食べて、「コレジャナイ」と感じたんだったか。
◇◇◇
「おじさん、どうしたの?どこか痛いの?」
少女Aはびっくりしたような声でそう言った。
まるで男子幼稚園児に話しかけるような内容ではないか。
「え…ああ、違うよ」
俺は全く無意識だったが、涙が出ていたようだ。
「きっとおじさん、何か辛いことがあるんだね?初めて見かけたときもそうだった」
「初めて見たって…。そういえばさっきの、“公園で見てた”っていうのは…」
「うん、私ね…」
少女Aは夏休みになってから、朝の5時台に起き、コンビニ脇の小さな公園で本を読んだりゲームをしたりして時間をつぶして――というか過ごしていた。
なぜそんなことをしていたかを想像するが、詳しく聞いてはいけないような気がした。
入り浸りだという「ママの恋人」とやらと関係がありそうだ。
そしてお腹がすくと、公園の目の前にある冷蔵庫で買い物をしていたが、そんな中で、「月・木のおじさん」である俺の存在に気づいた。
店の前で、いつもレモンティーを飲んでいる。
一口だけのこともあるし、一気飲みの場合も場合もある。そして自転車にまたがる前に、必ず肩を上げ下げして、時々は「しゃっ」っと小さくこぶしを握ることもある。
フィナンシェを大あわてで食べてせき込んだあのとき、思わず笑ってしまったので、ついでに声をかけてみた、ということだった。
「そうか。そういうことだったのか」
「何かさあ、目で追いたくなっちゃう人なんだよ、おじさん」
「初めて言われたな…」
「ねえ、さっき何で泣いたの?」
「え?」
「おじさんの話、聞きたいな。いつも私ばっかりしゃべっているもん」
◇◇◇
俺はまず、母のマドレーヌの話をした。
そして芋づる式に、亡くなった父のこと、兄弟のこと、妻のこと、娘のこと、話のネタがネタを呼ぶ形で、とりとめもなく話した。
一番話題が厚目なのは、やはり現況、母の手助けをしていることだ。
特に意識せず、格好もつけずに話したせいか、話題が自分自身の憂さ、つらさの愚痴ばかりになっていた気がする。
「おじさんが言ってた“朝の仕事”って、お母さんの介護のことだったんだ?」
「介護なんて呼べるレベルじゃないよ。せいぜい手助け、介護未満だ」
恥ずかしいことに、涙声が抑えられない。それでも話さずにいられなかった。
それをただただ黙って聞いていた少女Aは、たった一言こう言った。
「おじさんは我慢してる人なんだね。“自分は我慢してる”って口にできないくらい我慢してる人」
「あ、ああ――そうかもな。というか、我慢してる自覚もなかったんだが…」
「でもいっぱい話してくれてうれしい。今は愚痴を我慢してないってことだもんね」
「な…」
少女Aは、小さな体で俺をぎゅっと抱き締め、「おじさん、頑張ってる。偉いよ」と言った。彼女も涙声だった。
俺は俺で、がくっと両手を床についたまま、彼女のされるがままになっていた。
情けないな。自分の3分の1にも満たない年齢の子に、「いい子いい子」してもらって泣いているのだから。
体勢も辛いし、頭のあたりに少女Aの小さなふくらみが当たって気まずい。
そのとき、施錠していなかったドアを開き、「アポなし突撃~」という若い女の声がした。
「お父さん…?」
玄関に立っていたのは娘だった。すぐ後ろには妻もいて、軽く口を開き、目を見開いていた。
「あ、違うんだ、これは…」
なんだよ、この浮気現場を押さえられたときの常套句は。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる