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第2話 皇宮のうわさ
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帝都の一角にある貧民街。そこでは稼ぎが低かったり、病気や怪我、老いなど様々な理由で仕事に就けない者が多く暮らしていた。税を払うこともできず、着るものや食べるものに困る人たちが集まる地区。
そこには腕の良い呪術師がいた。助けを必要とする人がいれば快く手を貸し、手ごろな料金で依頼を受けた。金が払えない相手からは、無理に取り立てることはないという。
〇
花街で起きた賠償金目的の偽装窃盗事件が解決してから数日が経った。
その日の依頼を片付けたシオンは、帝都の街をぶらついていた。道行く人の流れや新しくできた店舗を眺め、顔見知りの大人たちから声をかけられたり、子どもたちと一緒に遊んだり──。
そうしていると、街の様子が自然と把握できた。何がどう変わって、何とつながっているのか。そんなふうに街の変化を観察しながら歩くのが、シオンの日課だった。
「あ、シオン!」
名前を呼ばれたので振り返ると、マーティが手を振りながら駆けてくるところだった。
「買い出し?」
「うん。お姐さまたちに頼まれちゃって。わたし、まだまだ下っ端だし」
えへへ、と笑う彼女の腕には日用品の入った袋が抱えられていた。
「今日はもう仕事終わりなんでしょう。よかったら、お茶していかない? この前のお礼もしたいし」
「いいのに、別に」
マーティが巻き込まれた偽装窃盗の犯人グループは、貧民街と花街を中心に活動している自警団によって全員捕らえられ、帝国騎士団直轄の警備隊に引き渡されたという。当然のことながら、マクラディン男爵家の子息たちが行っていた事業は撤回され、爵位の剥奪や被害にあった娼館への賠償金の返還が行われたという。
「みんな、シオンに感謝してるんだよ。もっと胸を張ってもいいと思うよ?」
「あたしはやるべきことをやっただけだし、彼らに然るべき罰が与えられたのならそれでいいの」
「真面目だなぁ。本当にわたしより年下?」
達観しているシオンに、マーティは感心する。
実際、シオンは世話になっている取引先の被害を食い止めることができただけで満足していた。解決したことで正当な報酬も受け取っている。あの場所で、呪術師として生きていくには、それで十分だった。
それでもどうしてもお礼がしたいというマーティの言葉に折れて、二人は通りにあるカフェに足を運んだ。最近できた洒落た雰囲気の店で、手ごろな価格で美味しい食事やお茶を楽しむことができるということで、若い世代を中心に人気があった。
「本当にいいの? 奢ってもらっちゃって」
「オーナーから、シオンと美味しいものでも食べてきなさいって。特別手当の他に、食事代までくれたんだよ。使わないわけにはいかないでしょう」
「それもそうだね」
おすすめのティーセットを注文すると、苺の季節ということもあり、苺を中心としたベリーが使われた一口サイズのタルトやマカロンといったスイーツたちが運ばれてきた。
苺の甘酸っぱさと、それを引き立てるクリームの控えめな甘みが口に広がり、さらにタルトのサクッとした食感が良いアクセントになっていて、二人は思わずうなり声をあげた。
紅茶はすっきりとした味わいのニルギリで、口の中が甘ったるくならず、次のスイーツへと手が伸びる。
「そういえば、もうすぐ皇妃様の一周忌だよね」
第二皇妃様だっけ? と次のスイーツを選びながらマーティが言った。
「ううん。第一皇妃様だよ」
シオンはすぐに訂正する。
この国では皇帝の正妻を皇后、他の妃を皇妃としている。現在の皇帝には、皇后の他に三人の皇妃がいた。
「珍しいね。マーティが皇族の話をするなんて」
「今朝の新聞に皇妃様の一周忌の予定が載っててね。それで、少し前に相手したお客さんが話してたことを思い出したの」
ちなみに、マーティはあの事件のあとで娼婦を辞めて、お酒の席で客を接待する女給に転身した。
同じ水商売ではあるが、身体を売る売らないでは稼ぎがまるで違う。マーティはお世話になっているペリドットのために娼婦になることを選んだのだが、あんな目に合ってしまい地道で比較的安全な働き方を選んだのである。
幸い、彼女は聞き上手であか抜けない様が娘や孫のようだと、ある程度年配の男性たちから評判がよかった。
「どんな話?」
「お妃様たちが次々に亡くなるのは、”呪い”のせいだって話」
呪い──
シオンはカップを口に運ぶ手を止めた。
「なんでも、前の皇帝のときにお妃様たちの間にいざこざがあって、皇妃様の一人が後宮を追い出されちゃったんだって。その皇妃様が今も皇族を恨んでいるんじゃないかって」
現在、後宮には皇后も皇妃もいなかった。
なぜなら、妃たちは皇帝との子を産むと、その数年後に亡くなっているのである。唯一、第二皇子の母親である第一皇妃は存命であったが、皇子が成人する少し前に亡くなってしまった。それが昨年のことである。
公には産後の肥立ちが悪かったり、病が原因であると発表されたが、相次ぐ妃たちの死を不審に思う者たちは少なくなかった。
そうして囁かれるようになったのが、”後宮の呪い”だという。
──馬鹿馬鹿しい。
シオンはそんな話を信じなかった。
もし前皇帝時代にあった諍いが原因なら、どうして妃たちがその影響を受けなければならないのだろうか。
皇妃たちは皆、同盟国から輿入れした姫君だった。つまり、この国の皇族とは関係のない人たちである。もし皇族を恨むのならば、呪われるべきは皇族の血を引く子どもたちのほうではなかろうか。
──まぁ、妃という存在そのものを恨んでいるっていうのなら、皇妃たちが呪われるというのもありえない話ではないけど。
だとしても、呪いのせいだと言うには根拠が乏しかった。
おそらく、判らないことが多いのだ。曖昧で、はっきりこうだと言えるだけの確かなものがないのだ。だから、説明のできないことを呪いという形で、無理やり納得させようとしているのだろう。
──そう考えると、なんだか意図的な感じもするなぁ。
なんて考えが頭に浮かんだのはいいが、自分には関係のないことだとシオンはそれを頭から振り払おうとした。
「そのお客さん、たぶん貴族だからまるっきり嘘ではないと思うんだよね」
花街において身分なんてものは、あってないようなものだった。
そこにあるのは客と、それをもてなす者。だから、一々相手の素性を気にしたりはしない。特に一見さんなんかはそうだ。
しかし娼婦たちも、ただもてなすだけではない。客に気に入られて贔屓にしてもらえば、新たな道が開けることもある。彼女たちは強かなのだ。特に、身分の高そうな相手のことは、できるだけ観察していた。マーティも新人とはいえ、その観察力は見習いのころから鍛えていた。だから、その話をした客のこともよく視ていたのだろう。
「だとしても、皇族のスキャンダルに関わる話は、安易にするもんじゃないよ」
花街の控室ならともかく、庶民や貴族が闊歩する街中でするような話ではない。どこで誰が聞いているか判らないのだから。下手したら不敬罪で捕まる可能性もあった。
そうだね、とマーティはピンク色のクッキーを頬張った。シオンもこの話は終わりだと言わんばかりに、マカロンを口に放り込んだ。
そこには腕の良い呪術師がいた。助けを必要とする人がいれば快く手を貸し、手ごろな料金で依頼を受けた。金が払えない相手からは、無理に取り立てることはないという。
〇
花街で起きた賠償金目的の偽装窃盗事件が解決してから数日が経った。
その日の依頼を片付けたシオンは、帝都の街をぶらついていた。道行く人の流れや新しくできた店舗を眺め、顔見知りの大人たちから声をかけられたり、子どもたちと一緒に遊んだり──。
そうしていると、街の様子が自然と把握できた。何がどう変わって、何とつながっているのか。そんなふうに街の変化を観察しながら歩くのが、シオンの日課だった。
「あ、シオン!」
名前を呼ばれたので振り返ると、マーティが手を振りながら駆けてくるところだった。
「買い出し?」
「うん。お姐さまたちに頼まれちゃって。わたし、まだまだ下っ端だし」
えへへ、と笑う彼女の腕には日用品の入った袋が抱えられていた。
「今日はもう仕事終わりなんでしょう。よかったら、お茶していかない? この前のお礼もしたいし」
「いいのに、別に」
マーティが巻き込まれた偽装窃盗の犯人グループは、貧民街と花街を中心に活動している自警団によって全員捕らえられ、帝国騎士団直轄の警備隊に引き渡されたという。当然のことながら、マクラディン男爵家の子息たちが行っていた事業は撤回され、爵位の剥奪や被害にあった娼館への賠償金の返還が行われたという。
「みんな、シオンに感謝してるんだよ。もっと胸を張ってもいいと思うよ?」
「あたしはやるべきことをやっただけだし、彼らに然るべき罰が与えられたのならそれでいいの」
「真面目だなぁ。本当にわたしより年下?」
達観しているシオンに、マーティは感心する。
実際、シオンは世話になっている取引先の被害を食い止めることができただけで満足していた。解決したことで正当な報酬も受け取っている。あの場所で、呪術師として生きていくには、それで十分だった。
それでもどうしてもお礼がしたいというマーティの言葉に折れて、二人は通りにあるカフェに足を運んだ。最近できた洒落た雰囲気の店で、手ごろな価格で美味しい食事やお茶を楽しむことができるということで、若い世代を中心に人気があった。
「本当にいいの? 奢ってもらっちゃって」
「オーナーから、シオンと美味しいものでも食べてきなさいって。特別手当の他に、食事代までくれたんだよ。使わないわけにはいかないでしょう」
「それもそうだね」
おすすめのティーセットを注文すると、苺の季節ということもあり、苺を中心としたベリーが使われた一口サイズのタルトやマカロンといったスイーツたちが運ばれてきた。
苺の甘酸っぱさと、それを引き立てるクリームの控えめな甘みが口に広がり、さらにタルトのサクッとした食感が良いアクセントになっていて、二人は思わずうなり声をあげた。
紅茶はすっきりとした味わいのニルギリで、口の中が甘ったるくならず、次のスイーツへと手が伸びる。
「そういえば、もうすぐ皇妃様の一周忌だよね」
第二皇妃様だっけ? と次のスイーツを選びながらマーティが言った。
「ううん。第一皇妃様だよ」
シオンはすぐに訂正する。
この国では皇帝の正妻を皇后、他の妃を皇妃としている。現在の皇帝には、皇后の他に三人の皇妃がいた。
「珍しいね。マーティが皇族の話をするなんて」
「今朝の新聞に皇妃様の一周忌の予定が載っててね。それで、少し前に相手したお客さんが話してたことを思い出したの」
ちなみに、マーティはあの事件のあとで娼婦を辞めて、お酒の席で客を接待する女給に転身した。
同じ水商売ではあるが、身体を売る売らないでは稼ぎがまるで違う。マーティはお世話になっているペリドットのために娼婦になることを選んだのだが、あんな目に合ってしまい地道で比較的安全な働き方を選んだのである。
幸い、彼女は聞き上手であか抜けない様が娘や孫のようだと、ある程度年配の男性たちから評判がよかった。
「どんな話?」
「お妃様たちが次々に亡くなるのは、”呪い”のせいだって話」
呪い──
シオンはカップを口に運ぶ手を止めた。
「なんでも、前の皇帝のときにお妃様たちの間にいざこざがあって、皇妃様の一人が後宮を追い出されちゃったんだって。その皇妃様が今も皇族を恨んでいるんじゃないかって」
現在、後宮には皇后も皇妃もいなかった。
なぜなら、妃たちは皇帝との子を産むと、その数年後に亡くなっているのである。唯一、第二皇子の母親である第一皇妃は存命であったが、皇子が成人する少し前に亡くなってしまった。それが昨年のことである。
公には産後の肥立ちが悪かったり、病が原因であると発表されたが、相次ぐ妃たちの死を不審に思う者たちは少なくなかった。
そうして囁かれるようになったのが、”後宮の呪い”だという。
──馬鹿馬鹿しい。
シオンはそんな話を信じなかった。
もし前皇帝時代にあった諍いが原因なら、どうして妃たちがその影響を受けなければならないのだろうか。
皇妃たちは皆、同盟国から輿入れした姫君だった。つまり、この国の皇族とは関係のない人たちである。もし皇族を恨むのならば、呪われるべきは皇族の血を引く子どもたちのほうではなかろうか。
──まぁ、妃という存在そのものを恨んでいるっていうのなら、皇妃たちが呪われるというのもありえない話ではないけど。
だとしても、呪いのせいだと言うには根拠が乏しかった。
おそらく、判らないことが多いのだ。曖昧で、はっきりこうだと言えるだけの確かなものがないのだ。だから、説明のできないことを呪いという形で、無理やり納得させようとしているのだろう。
──そう考えると、なんだか意図的な感じもするなぁ。
なんて考えが頭に浮かんだのはいいが、自分には関係のないことだとシオンはそれを頭から振り払おうとした。
「そのお客さん、たぶん貴族だからまるっきり嘘ではないと思うんだよね」
花街において身分なんてものは、あってないようなものだった。
そこにあるのは客と、それをもてなす者。だから、一々相手の素性を気にしたりはしない。特に一見さんなんかはそうだ。
しかし娼婦たちも、ただもてなすだけではない。客に気に入られて贔屓にしてもらえば、新たな道が開けることもある。彼女たちは強かなのだ。特に、身分の高そうな相手のことは、できるだけ観察していた。マーティも新人とはいえ、その観察力は見習いのころから鍛えていた。だから、その話をした客のこともよく視ていたのだろう。
「だとしても、皇族のスキャンダルに関わる話は、安易にするもんじゃないよ」
花街の控室ならともかく、庶民や貴族が闊歩する街中でするような話ではない。どこで誰が聞いているか判らないのだから。下手したら不敬罪で捕まる可能性もあった。
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