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第7話 皇太子
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シオンの皇族教育は終わりを迎えようとしていた。
皇宮にやってきて約一ヶ月。基本的な礼儀作法や勉学など、みっちりと叩き込まれたそれはシオンの身にしっかりと染みついていた。シオンは学ぶことが好きだった。そもそも魔術を学ぶものは、好奇心が強く、知識欲が有り余っていると言われているらしい。
リヴィエール伯爵夫人の授業が終わると、今後は専門的な講義をしてくれる教師が来てくれるという。夫人と気軽に会えなくなるのは寂しいが、まだまだ学べることがあるのだと思うと、シオンはわくわくが抑えられなかった。
時間に余裕が出てきたシオンは、皇宮の中を見て回っていた。
広大な皇宮のどこに何があるのかできるだけ把握したいと思っていたのだが、いかんせん規模が大きいこともあり、短い時間では散策の足は本宮の一部分に留まっていた。
「今日はどこを見て回ろうかな」
いざ時間ができるとあれもしたい、これもしたいという欲が出てきてしまう。気まぐれに本宮を歩き回るか、どこか目的地を決めようか。先日の盗難事件以降、シオンに不遜な態度を取る使用人はいなかった。本宮内を大腕振って歩いても風当たりは悪くなかった。それどころか、ある者は尊敬の眼差しを送り、ある者は畏まるようになっていた。
ふと、机の上に置いていた本が目に入る。貧民街の家から持ってきた魔術の本だった。手に取るとずっしりと重みがあり、擦り切れた表紙からは年季を感じる。
「よくその本をお読みになっていますよね」
軽食を運んできたシャーリーンが言う。彼女は少々世話焼きなところもあるが気遣いのできる良い子だった。齢が近いということもあり、主従関係ではあるがシオンは彼女と比較的気楽に接することができていた。子爵家の末娘ということで教養はあるが、魔術に関する知識はなかった。だか、年頃の女の子ということもあり、まじない事には興味があるようで時折シオンの話に耳を傾けていた。
「うん。母が遺してくれたものなんだ。内容はほとんど覚えてるけど、手放すことができなくて持ってきたの。けど、さすがに違う魔術書も読みたいかな」
色あせた頁を撫でながら、シオンは思った。皇宮《ここ》に来てから魔術の勉強が疎かになっていたな──と。
皇宮へやって来たのは、皇女になるためだけではない。後宮の呪いを解き明かし、母親の無実を証明するためでもある。そのためには魔術の鍛錬を怠ってはいけない。しかし、今はどうしても皇族としての学びが優先されてしまっていた。
「それなら皇宮図書館に行ってみるのはどうでしょう」
そう提案したのはハンナだった。彼女は侍女長を兼任しているため四六時中一緒にいるわけではないが、グラデシアと顔見知りということもあり、シオンはすぐに打ち解けることができた。
「あそこなら様々な書物が揃っています。皇女様の興味をひく本も見つかるかと」
「皇宮図書館には一度行ってみたいと思っていたから、いい機会かも」
ハンナはシオンの考えを汲んで、それを叶えるられるものがどこにあるのか的確に教えてくれた。さすがは侍女長だ、とシオンは感心する。
皇宮図書館には大陸中からさまざまな書物が集められており、大陸の叡智が集まる場所とも言われている。軽食を摂ってから、ハンナの案内でシオンは皇宮図書館に向かった。
「これは、思っていた以上に凄い!」
図書館に足を踏み入れたシオンは感嘆の声を漏らした。所狭しと並んだ本があちらにも、こちらにも。リヴィエール伯爵夫人がこの場にいればきっと、落ち着きがないと指導が入ったことだろう。それくらいシオンははしゃいでいた。
「それでは、のちほどお迎えにあがります」
侍女長の仕事に向かうハンナを見送り、さて、とシオンは気合を入れた。
司書から図書館の配置を教えてもらい、それを確認するように図書館内を歩きながら魔法魔術関連の本が置いてある場所へと向かう。あまり利用する人がいないのか図書館の中でも奥まった場所に位置していたが、その量は他のジャンルの本に引けを取らない。魔術の系統ごとに分けられ、魔術師の教科書として使われてるような歴史ある魔術書から最新の研究について綴られた論文まで収められていた。
シオンは思わずスキップしたくなった。人の気配がないとはいえ、さすがにそれはまずいだろうと押し留まるが、心なしか足取りは軽い。とりあえず気になるタイトルの本を数冊手に取ると、読書スペースに置かれた長椅子に腰を下ろした。
本を開くとシオンは集中し、あっという間に内容に没頭した。
母親はきっと優秀な宮廷魔術師だったのだろう、と頭の片隅で思う。貧民街での呪術師としての仕事ぶりをみれば明らかである。そして彼女はシオンにもそれを教え学ばせた。しかし、まだ知らないことがたくさんあるのだとシオンは思い知らされた。読み進めれば、読み進めるほどそれが判る。
右側に置いていた本を手に取り、読み終えると左に置く。気がつくと、持ってきた本の山は右から左へとすっかり移動していた。ハンナが迎えに来るまではまだ幾分か時間があったので、二、三冊借りていこうと本棚に向かった。
どれにしようか、と本棚の上から下に目を凝らしながら気になった本を手に取る。進んでいくと、奥のほうにも長椅子が置かれているのに気づく。そこには誰かが座っていた。
「あっ!」
シオンは思わず声をあげた。
そこでは金髪の男が居眠りしていた。秀麗な顔立ちはまるで彫刻のような美しさで、座っている姿からもすらりとした長身であることが判る。
シオンは一瞬、リチャードかと思った。しかし、彼はリチャードよりもずっと若い。
彼の瞼がピクリと動く。開かれたそこからは、空と海の交わる紺碧が覗いた。
「………………」
顔を上げた彼と目が合う。やっぱりリチャードとそっくりだとシオンは思った。
「あ……えっと」
「…………そうか、お前がオラシオンか」
不機嫌そうな声だった。
「は、はい。お初にお目にかかります──皇太子殿下」
リチャードにそっくりな人物といったら、この人しかいない。シオンは慌てて頭を下げた。せっかく伯爵夫人からお墨付きをもらったというのに、その礼はたどたどしくなってしまった。
──まさかこんなところで遭遇するとは思わないでしょ!
シオンは心の中で叫ぶ。
皇太子クロード。皇后との間に生まれたリチャードの第一子である。父親譲りの才色兼備で次期皇帝として期待されているだけでなく、皇族の魔力を色濃く受け継いだ魔術師としても名高いという。
クロードは頭を下げるシオンのことを、黙ったままじっと見つめていた。居た堪れなくなって、シオンはちらりと彼を見遣る。
「もっとよく顔を見せてみろ」
寝起きということを差し引いても、少々乱暴な口調である。そこはリチャードとは違った。促されて、シオンは頭を上げる。クロードはまたもや黙ってシオンのことを見る。
胸の鼓動がうるさく感じる。シオンは皇子や皇女たちに会うときは万全の準備を整えていようと決めていた。”後宮の呪い”のせいで、シオンに対して善い印象を抱いているとは限らないからである。だから、どんな態度を取られてもいいように心構えをしておきたかったのだが……。
──それなのに、まさか皇太子に遭遇しちゃうなんて。
シオンが考えを巡らせていると、ようやくクロードが口を開いた。
「やっぱりグラデシア様に似てるな」
シオンは目を丸くする。彼は敬称を付けて母の名前を呼んだ。罪人のレッテルが貼られた相手をそんな風に呼ぶとは思わなかったため、ついクロードを凝視してしまう。
そんなシオンに、クロードはふっと微笑んだ。
──あ、陛下と似てる。
「俺にとって、あの人は母親代わりだった」
「え?」
今度は素直に驚きの声が出る。
「幼くして母親を失った俺に、グラデシア様は寄り添ってくれた。魔術の基礎を教えてくれたのも彼女だった」
「そう、だったんですか……」
意外な話に、シオンは驚きを隠せなかった。皇宮にはグラデシアのことを知る者たちがいるだろう。しかし、その口からは一体どんな話が語られるのか。シオンは少し怖かった。そのため彼女のことをよく知るリチャードやハンナにですら、自分から話を訊くことができないでいた。いつも、話の途中で出てきたときに、ついでに聞かせてもらう感じだった。
「俺は、彼女が母や他の妃たちを死に追いやったとは思っていない。あの人はそんなことをする人じゃない」
「あ……」
じわりと胸の奥が温かくなる。皇宮には敵が多いと思い込んでいたこともあり、シオンは不意を突かれた気分だった。
緊張して強張っていた身体から、ふっと力が抜ける。
「ありがとうございます」
シオンはふわりと笑みを浮かべた。それを見て、クロードは頬を掻きながら視線を外した。照れているのだろうか。
もっと話がしたい。シオンはそう思ったが、向こうから誰かがやって来る気配がした。
「またこんなところにいらしたのですか!」
一人の青年が駆け寄ってきた。背格好はクロードと似ている。長い黒髪を一つにまとめた美丈夫だった。
「うるさいぞ、アレク」
アレクと呼ばれた青年はまったくと額を押さえるが、すぐにシオンに気づく。
「クロード様、こちらは──」
「俺の妹だ」
その言葉に、シオンの胸は高鳴った。急にクロードとの距離が縮まったような気がした。
青年はすぐに言葉の意味を理解して、姿勢を正した。
「お初にお目にかかります。クロード様の従者を務めております。アレクセイ・モンクレールと申します」
硬派な印象だが、信用できそうな雰囲気である。
シオンが挨拶を返すと、アレクセイは自らの主のほうに身体を向けた。
「本日の公務がまだ残っております。すみやかにお部屋へお戻りください」
クロードはやれやれと溜め息を吐いて、重い腰を上げた。
仕事の途中だったのか、とシオンはもっと話がしたいという思いをぐっと抑えた。
「じゃあな」
そう言って、クロードはシオンに背を向ける。シオンはそのまま見送ろうとしたが、ひとつだけ訊いておきたいことがあった。
「あ、あの……!」
シオンは叫んだ。しんとしていた図書室に声が響く。クロードは少し驚いたように振り返った。
「お……お兄様と、お呼びしてもいいですか?」
いきなりこんなことを言って、厚かましいだろうか。シオンは持っていた本を、ぎゅっと抱きしめる。
これまで母一人子一人で生きてきたこともあり、兄妹の存在に憧れを抱いていた。けれども、皇宮にいる兄妹たちは果たしてシオンのことを家族として認めてくれるのだろうか。そんな不安があった。
しかし、クロードは会ったばかりのシオンのことを妹だと言ってくれた。だからシオンも、彼のことを気兼ねなく兄と呼びたかった。
シオンとクロードの視線が交わる。
「好きにすればいい」
それだけ言うと、クロードは行ってしまった。アレクセイはもっと他に言うことはないのかというような素振りを見せるが、シオンにはそれだけで十分だった。
皇宮にやってきて約一ヶ月。基本的な礼儀作法や勉学など、みっちりと叩き込まれたそれはシオンの身にしっかりと染みついていた。シオンは学ぶことが好きだった。そもそも魔術を学ぶものは、好奇心が強く、知識欲が有り余っていると言われているらしい。
リヴィエール伯爵夫人の授業が終わると、今後は専門的な講義をしてくれる教師が来てくれるという。夫人と気軽に会えなくなるのは寂しいが、まだまだ学べることがあるのだと思うと、シオンはわくわくが抑えられなかった。
時間に余裕が出てきたシオンは、皇宮の中を見て回っていた。
広大な皇宮のどこに何があるのかできるだけ把握したいと思っていたのだが、いかんせん規模が大きいこともあり、短い時間では散策の足は本宮の一部分に留まっていた。
「今日はどこを見て回ろうかな」
いざ時間ができるとあれもしたい、これもしたいという欲が出てきてしまう。気まぐれに本宮を歩き回るか、どこか目的地を決めようか。先日の盗難事件以降、シオンに不遜な態度を取る使用人はいなかった。本宮内を大腕振って歩いても風当たりは悪くなかった。それどころか、ある者は尊敬の眼差しを送り、ある者は畏まるようになっていた。
ふと、机の上に置いていた本が目に入る。貧民街の家から持ってきた魔術の本だった。手に取るとずっしりと重みがあり、擦り切れた表紙からは年季を感じる。
「よくその本をお読みになっていますよね」
軽食を運んできたシャーリーンが言う。彼女は少々世話焼きなところもあるが気遣いのできる良い子だった。齢が近いということもあり、主従関係ではあるがシオンは彼女と比較的気楽に接することができていた。子爵家の末娘ということで教養はあるが、魔術に関する知識はなかった。だか、年頃の女の子ということもあり、まじない事には興味があるようで時折シオンの話に耳を傾けていた。
「うん。母が遺してくれたものなんだ。内容はほとんど覚えてるけど、手放すことができなくて持ってきたの。けど、さすがに違う魔術書も読みたいかな」
色あせた頁を撫でながら、シオンは思った。皇宮《ここ》に来てから魔術の勉強が疎かになっていたな──と。
皇宮へやって来たのは、皇女になるためだけではない。後宮の呪いを解き明かし、母親の無実を証明するためでもある。そのためには魔術の鍛錬を怠ってはいけない。しかし、今はどうしても皇族としての学びが優先されてしまっていた。
「それなら皇宮図書館に行ってみるのはどうでしょう」
そう提案したのはハンナだった。彼女は侍女長を兼任しているため四六時中一緒にいるわけではないが、グラデシアと顔見知りということもあり、シオンはすぐに打ち解けることができた。
「あそこなら様々な書物が揃っています。皇女様の興味をひく本も見つかるかと」
「皇宮図書館には一度行ってみたいと思っていたから、いい機会かも」
ハンナはシオンの考えを汲んで、それを叶えるられるものがどこにあるのか的確に教えてくれた。さすがは侍女長だ、とシオンは感心する。
皇宮図書館には大陸中からさまざまな書物が集められており、大陸の叡智が集まる場所とも言われている。軽食を摂ってから、ハンナの案内でシオンは皇宮図書館に向かった。
「これは、思っていた以上に凄い!」
図書館に足を踏み入れたシオンは感嘆の声を漏らした。所狭しと並んだ本があちらにも、こちらにも。リヴィエール伯爵夫人がこの場にいればきっと、落ち着きがないと指導が入ったことだろう。それくらいシオンははしゃいでいた。
「それでは、のちほどお迎えにあがります」
侍女長の仕事に向かうハンナを見送り、さて、とシオンは気合を入れた。
司書から図書館の配置を教えてもらい、それを確認するように図書館内を歩きながら魔法魔術関連の本が置いてある場所へと向かう。あまり利用する人がいないのか図書館の中でも奥まった場所に位置していたが、その量は他のジャンルの本に引けを取らない。魔術の系統ごとに分けられ、魔術師の教科書として使われてるような歴史ある魔術書から最新の研究について綴られた論文まで収められていた。
シオンは思わずスキップしたくなった。人の気配がないとはいえ、さすがにそれはまずいだろうと押し留まるが、心なしか足取りは軽い。とりあえず気になるタイトルの本を数冊手に取ると、読書スペースに置かれた長椅子に腰を下ろした。
本を開くとシオンは集中し、あっという間に内容に没頭した。
母親はきっと優秀な宮廷魔術師だったのだろう、と頭の片隅で思う。貧民街での呪術師としての仕事ぶりをみれば明らかである。そして彼女はシオンにもそれを教え学ばせた。しかし、まだ知らないことがたくさんあるのだとシオンは思い知らされた。読み進めれば、読み進めるほどそれが判る。
右側に置いていた本を手に取り、読み終えると左に置く。気がつくと、持ってきた本の山は右から左へとすっかり移動していた。ハンナが迎えに来るまではまだ幾分か時間があったので、二、三冊借りていこうと本棚に向かった。
どれにしようか、と本棚の上から下に目を凝らしながら気になった本を手に取る。進んでいくと、奥のほうにも長椅子が置かれているのに気づく。そこには誰かが座っていた。
「あっ!」
シオンは思わず声をあげた。
そこでは金髪の男が居眠りしていた。秀麗な顔立ちはまるで彫刻のような美しさで、座っている姿からもすらりとした長身であることが判る。
シオンは一瞬、リチャードかと思った。しかし、彼はリチャードよりもずっと若い。
彼の瞼がピクリと動く。開かれたそこからは、空と海の交わる紺碧が覗いた。
「………………」
顔を上げた彼と目が合う。やっぱりリチャードとそっくりだとシオンは思った。
「あ……えっと」
「…………そうか、お前がオラシオンか」
不機嫌そうな声だった。
「は、はい。お初にお目にかかります──皇太子殿下」
リチャードにそっくりな人物といったら、この人しかいない。シオンは慌てて頭を下げた。せっかく伯爵夫人からお墨付きをもらったというのに、その礼はたどたどしくなってしまった。
──まさかこんなところで遭遇するとは思わないでしょ!
シオンは心の中で叫ぶ。
皇太子クロード。皇后との間に生まれたリチャードの第一子である。父親譲りの才色兼備で次期皇帝として期待されているだけでなく、皇族の魔力を色濃く受け継いだ魔術師としても名高いという。
クロードは頭を下げるシオンのことを、黙ったままじっと見つめていた。居た堪れなくなって、シオンはちらりと彼を見遣る。
「もっとよく顔を見せてみろ」
寝起きということを差し引いても、少々乱暴な口調である。そこはリチャードとは違った。促されて、シオンは頭を上げる。クロードはまたもや黙ってシオンのことを見る。
胸の鼓動がうるさく感じる。シオンは皇子や皇女たちに会うときは万全の準備を整えていようと決めていた。”後宮の呪い”のせいで、シオンに対して善い印象を抱いているとは限らないからである。だから、どんな態度を取られてもいいように心構えをしておきたかったのだが……。
──それなのに、まさか皇太子に遭遇しちゃうなんて。
シオンが考えを巡らせていると、ようやくクロードが口を開いた。
「やっぱりグラデシア様に似てるな」
シオンは目を丸くする。彼は敬称を付けて母の名前を呼んだ。罪人のレッテルが貼られた相手をそんな風に呼ぶとは思わなかったため、ついクロードを凝視してしまう。
そんなシオンに、クロードはふっと微笑んだ。
──あ、陛下と似てる。
「俺にとって、あの人は母親代わりだった」
「え?」
今度は素直に驚きの声が出る。
「幼くして母親を失った俺に、グラデシア様は寄り添ってくれた。魔術の基礎を教えてくれたのも彼女だった」
「そう、だったんですか……」
意外な話に、シオンは驚きを隠せなかった。皇宮にはグラデシアのことを知る者たちがいるだろう。しかし、その口からは一体どんな話が語られるのか。シオンは少し怖かった。そのため彼女のことをよく知るリチャードやハンナにですら、自分から話を訊くことができないでいた。いつも、話の途中で出てきたときに、ついでに聞かせてもらう感じだった。
「俺は、彼女が母や他の妃たちを死に追いやったとは思っていない。あの人はそんなことをする人じゃない」
「あ……」
じわりと胸の奥が温かくなる。皇宮には敵が多いと思い込んでいたこともあり、シオンは不意を突かれた気分だった。
緊張して強張っていた身体から、ふっと力が抜ける。
「ありがとうございます」
シオンはふわりと笑みを浮かべた。それを見て、クロードは頬を掻きながら視線を外した。照れているのだろうか。
もっと話がしたい。シオンはそう思ったが、向こうから誰かがやって来る気配がした。
「またこんなところにいらしたのですか!」
一人の青年が駆け寄ってきた。背格好はクロードと似ている。長い黒髪を一つにまとめた美丈夫だった。
「うるさいぞ、アレク」
アレクと呼ばれた青年はまったくと額を押さえるが、すぐにシオンに気づく。
「クロード様、こちらは──」
「俺の妹だ」
その言葉に、シオンの胸は高鳴った。急にクロードとの距離が縮まったような気がした。
青年はすぐに言葉の意味を理解して、姿勢を正した。
「お初にお目にかかります。クロード様の従者を務めております。アレクセイ・モンクレールと申します」
硬派な印象だが、信用できそうな雰囲気である。
シオンが挨拶を返すと、アレクセイは自らの主のほうに身体を向けた。
「本日の公務がまだ残っております。すみやかにお部屋へお戻りください」
クロードはやれやれと溜め息を吐いて、重い腰を上げた。
仕事の途中だったのか、とシオンはもっと話がしたいという思いをぐっと抑えた。
「じゃあな」
そう言って、クロードはシオンに背を向ける。シオンはそのまま見送ろうとしたが、ひとつだけ訊いておきたいことがあった。
「あ、あの……!」
シオンは叫んだ。しんとしていた図書室に声が響く。クロードは少し驚いたように振り返った。
「お……お兄様と、お呼びしてもいいですか?」
いきなりこんなことを言って、厚かましいだろうか。シオンは持っていた本を、ぎゅっと抱きしめる。
これまで母一人子一人で生きてきたこともあり、兄妹の存在に憧れを抱いていた。けれども、皇宮にいる兄妹たちは果たしてシオンのことを家族として認めてくれるのだろうか。そんな不安があった。
しかし、クロードは会ったばかりのシオンのことを妹だと言ってくれた。だからシオンも、彼のことを気兼ねなく兄と呼びたかった。
シオンとクロードの視線が交わる。
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それだけ言うと、クロードは行ってしまった。アレクセイはもっと他に言うことはないのかというような素振りを見せるが、シオンにはそれだけで十分だった。
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