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第6話 盗難事件
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リヴィエール伯爵夫人の授業を受け始めてから、三週間が経った。
最初の一週間は丸一日授業に充てられて、礼儀作法をみっちり教え込まれた。母親から教わったことを応用すればいいこともあって、所作や言葉遣いなどはすぐに覚えることができたのだが、慣れない服装で姿勢に気を遣わなければならないところに苦戦し、部屋に戻るとそのままベッドにダイブする日が続いた。
なんとか伯爵夫人からの合格をもらうと、続いて皇族としての知識を身に着ける勉学の授業が始まった。帝国の歴史や近隣諸国の文化などを学ぶのは楽しかったが、政治などの難しい話になると急に眠気に襲われたりした。
怒涛の生活サイクルに翻弄されながらも、皇族にふさわしい人間になろうと努力する日が続いていた。
「ない……」
シオンは眉間に皺を寄せて、険しい表情をしていた。
本宮に用意された仮住まいの部屋で、シオンはテーブルに貴金属を広げていた。色とりどりの宝石や、金や銀に輝くアクセサリーたち。以前は、どれも他人が身に着けているのを傍から見る程度でしかなかったのだが、ここにあるのはすべて皇帝陛下直々に贈られたシオンの物だった。
せっかくの贈り物なのだから、大切に扱いたいと思うのと同時に、こんなにも高価なものに触れるのは畏れ多いという思いでいっぱいだったシオンは、それらを部屋に備え付けられているキャビネットに仕舞い込んでいた。
「やっぱり足りない」
シオンは核心を持って言う。
それを聞いて、顔が青ざめた人物がいた。シャーリーンである。
「も……申し訳ありません!」
そう声を上げながら、シャーリーンは深く頭を下げて謝罪した。
「落ち着いて。まずは状況を確認しよう」
頭を下げたまま動かないシャーリーンに、シオンは言った。
事の起こりは、朝食から戻ってきた後のことだった。
今日は授業が休みであったので、シオンは勉強の復習をしながら、久しぶりにのんびりできる時間を楽しんでいた。
「皇女様。陛下からの贈り物です」
ハンナがプレゼントの箱を抱えてやって来た。
「えっ、また?」
シオンは口をぽかんとさせる。驚いているというよりは、呆れているというほうが正しいかもしれない。
今日に至るまで、父親であるリチャードから数多くの宝石やアクセサリーが贈られてきていた。まるで、これまで贈ることができなかった数々の祝いの品を一気に寄越してきているようだった。
──この部屋にあるものだけで、一体どれだけの人が不自由なく暮らすことができるんだろう。
つい貧民街での暮らしを思い出してしまう。事実、ハンナが持ってきてくれた箱の中にあるイヤリングだけで、あの地区に暮らす子ども十人は当分の間、食うに困ることはないだろう。贈り物はどれも素晴らしく、陛下からの厚意も有難い。だか、同時に後ろめたさを感じてしまっていた。
「シャーリーン。これも他のと一緒に仕舞っておいてくれる?」
小ぶりで上品なデザインのイヤリングだった。ひとしきり眺めてから、シオンはシャーリーンにイヤリングが入った箱を渡した。
「このままいくと、しまう場所がなくなってしまいそうですね」
そんな冗談を言いながら、シャーリーンはキャビネットの扉を開く。彼女の言う通り、仮住まいの部屋だというのにシオンが暮らし始めてからというもの、だいぶ物が増えたような気がする。
「……あれ?」
シャーリーンが声を上げる。
「どうしたの?」
シオンが訊くと、シャーリーンは青い顔をして振り返った。
「あ……あの……」
明らかに狼狽えていた。どうしたのですか、とハンナも声をかける。
「なくなっているんです……」
「なくなってるって、陛下からの贈り物が?」
こくり、とシャーリーンが頷く。
そんな彼女の様子を見て、シオンとハンナは一度キャビネットの中身を検めることにした。そうして、宝石やアクセサリーがいくつかなくなっていることに気づいたのである。
「最後に確認したのはいつ?」
「三日ほど前です」
シオンの問いかけに、シャーリーンが答える。
「その間、この部屋に入ったのは?」
「私たちの他には、掃除をしにやって来た侍女たちだけです」
そう答えたのはハンナだった。シオンも若い侍女たちが何人か出入りしているのを目にしているが、大抵のことは側仕えのハンナとシャーリーンがやってくれていたので、あまり気に留めたことはなかった。
「侍女たちを疑っているのですか?」
「他に思い当たる人物がいないとなると、そうなるかな」
顎に手を当てながら、シオンは言う。それを聞いて、シャーリーンは部屋から出ていこうとした。
「す、すぐに陛下にお知らせしないと──」
しかし、シオンはそれに待ったをかけた。
「駄目だよ」
「なぜですか?」
目を丸くするシャーリーン。ハンナも首を傾げている。
「ただ陛下に言いつけても、何の解決にもならないからだよ」
シオンの私物が盗まれたこと。それは許しがたいことではある。
しかし、問題はそれだけではない。重要なのは、皇宮に仕える使用人がシオンのことを舐めているということだった。そうでなければ、皇族である彼女の物を盗むなんてことはしないはずである。
陛下に言いつければ、盗みを働いた侍女たちは捕らえられて罰を受けることになる。しかし、それではシオンに対する使用人の認識は変わらないだろう。貧しい育ちの、自分では何もできない子どもというレッテルを取り除かなければならない。
「そういうことなら、こっちだって黙ってはいられないなぁ」
シオンは、にやりと口の端を持ち上げる。
きっとリヴィエール夫人に見られたら、淑女としてふさわしくない笑い方だと叱られるだろう。だがしかし、このときばかりは、皇女としてではなく貧民街にいた呪術師のシオンとして、彼女は笑みを浮かべていた。
〇
三日後、授業が終わったあとで、シオンはリヴィエール伯爵夫人をお茶に誘った。日頃の感謝としてささやかなティータイムを、と。
準備があるからと先に部屋を出たシオンは、シャーリーンを連れて仮住まいしている部屋のそばにある応接室へと向かった。そこでハンナが待っている。少し歩いていると、シオンは見覚えのある人物を見つけた。
「アグリシェント卿──」
「皇女様。お久しぶりです」
陛下の護衛騎士であるグレン・アグリシェントがこちらに歩いているところだった。シオンの前で立ち止まった彼は、胸に手を当てながら長身を折り曲げて礼をした。その体格は立派だが、立ち振る舞いはとても優雅だった。
「お部屋にお戻りですか?」
「ええ。これから夫人とお茶をするの」
アグリシェント卿とは貧民街の家で会ってから、話をする機会がなかったため、彼の人柄についてはまだあまり知らなかった。しかし、陛下のそばに立っていた彼の姿から、とても信頼のおける人だということだけは判っていた。
なんて良いタイミングなのだろう、とシオンは思った。
「よかったら、部屋まで送ってくださらない?」
シオンは笑みを浮かべながら言った。
アグリシェント卿は一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を正して、畏まりましたと再び頭を下げた。
道すがら、シオンはアグリシェント卿と話しをした。陛下とは乳兄弟で、幼い頃からの付き合いであること。そのため、シオンの母とも顔なじみであること──などなど。なかなか興味深い話を聞くことができた。
シャンシャンシャン──!
部屋が近くなったところで突然、音が響いた。けたたましいベルのような音だった。廊下を伝ってかなり広い範囲にまで聞こえる。
「なんだ!」
アグリシェント卿は、シオンを庇うように前に出た。
「皇女様のお部屋のほうからです」
シャーリーンが言った。それを聞いたアグリシェント卿はこの場に留まるように言うと、音がしたほうへ走った。
響き渡るその音に驚いた使用人たちが廊下に出てくる。
「オラシオン様……」
シャーリーンが心配そうにシオンのことを見ると、大丈夫だよ、とシオンは笑ってみせた。
「何があったのですか?」
音を聞きつけたリヴィエール伯爵夫人もやって来た。部屋で何かがあったようだと伝えると、シオンはゆったりとした足取りで現場に向かった。
部屋の前にはアグリシェント卿の他に、数人の騎士や使用人たちがいた。その中にはハンナもいる。少し離れたところでは、弥次馬が様子を見ていた。
近づくと、その場にいた者たちがシオンに目を向ける。
「何があったのかしら」
シオンは訊ねた。
「この者たちが皇女殿下のお部屋を掃除していると、突然大きな音が鳴ったと申しています」
アグリシェント卿は、部屋にいた三人の侍女たちから聞いたことを報告する。
「なぜ、音が鳴ったのか心当たりはないの?」
シオンは侍女たちのことを見て訊いた。
「い、いえ……。まったく……」
「私たちは掃除をしていただけで……」
彼女たちは目を合わせようとしない。
「そう。──じゃあ、どうしてあたしのイヤリングがポケットに入っているのかしら?」
その言葉を聞いた瞬間、彼女たちはなぜ判ったのだと言わんばかりにハッとした表情を見せた。そして、咄嗟にポケットを押さえた。
それを見ていたアグリシェント卿は、侍女を取り押さえた。ポケットの中からは三日前に陛下から贈られた、小ぶりで上品なデザインのイヤリングと同じものが出てきた。
「これはどういうことだ」
アグリシェント卿が問い詰める。取り押さえられている侍女は、口をパクパクとさせている。後ろの二人はすっかり青ざめた表情だった。
この場には陛下の護衛騎士と侍女長、そして皇女の教育係の伯爵夫人。さらには多くの目撃者たちがいる。言い逃れはできない状況だった。
「こ……これは」
取り押さえられた侍女の口から、ようやく言葉が出てくる。
「これは、私のです!」
彼女はそう言い放った。その場にいる者たちは目を丸くした。これには、さすがにシオンも驚いた。そんな言い分は誰も信じないだろう。
プライドの高い人間なのだろう、とシオンは侍女を見て思った。
「これはあなたのものなの?」
再びシオンが訊ねる。
「そうです! これは私が家族からもらったもので、つい嬉しくて持ち歩いていたのです。それなのに皇女様は、私が皇女様のものを盗んだと──?」
そう語る彼女はまるで悲劇のヒロインのようだった。
よくもまあ、ここまでできるものだとシオンは感心する。花街のお姉さま方でも、ここまで見苦しいことはしないというのに。そこまでして、彼女はシオンのことを認めたくないのか。あげくの果てに、貶めようとまでするとは。
──だったら、遠慮はしない。
「そう、これはあなたのものなの」
シオンは侍女と目を合わせる。紺碧の瞳が、侍女の醜悪な表情を捉えた。
「でも、残念。これ、あたしの魔力で作った魔宝石を加工して作った模造品なの」
「…………え?」
侍女は何を言っているのか理解できなかったようだった。
ニコリと笑ってみせると、シオンはパチンと指を鳴らした。するとアグリシェント卿の手にあったイヤリングが溶け出したかと思うと、鮮やかな光となってシオンの身体に吸い込まれていった。
その場にいた者たちは皆、呆然とその様子を眺めていた。
魔宝石とは、魔力の籠った宝石のような石のことである。魔力を動力源とする道具を作ったり動かしたりするのに使われることが多いのだが、形のない魔力を固形化するというのはかなり難しいことで、魔術を学ぶ者でもなかなか作ることができない代物であった。
彼女がイヤリングを持っていると見抜くことができたのは、シオンが自らの魔力で作り出したものだからに他ならなかった。
「どうして、あたしの魔力で作ったものを、あなたが持っていたのかしら?」
シオンは止めを刺す。
侍女は身体から力が抜け、膝をついた。
「素直に認めてくれたら、刑を軽くしてもらえるように掛け合ったのに。さっきの言葉は悪手だったね。あれは、あなたが大勢の前であたしのことを軽んじていると宣言したようなもの。減刑どころか、侮辱罪が課されることになるでしょう」
シオンは侍女の耳元で言った。
「あたしは貧しい育ちではあるけど、決して馬鹿ではないのよ」
それを聞いて、侍女はもう何も言えなかった。シオンは顔を上げると、震えあがっている他の侍女たちのほうを見た。
「そっちの二人への聴取はお任せしてもいいですか?」
「お任せください」
シオンが言うと、アグリシェント卿は頭を下げて敬意を表した。
〇
その後、侍女たちは取り調べを受け、彼女たちの部屋からはキャビネットから消えた貴金属が出てきた。そもそもシオンは、万が一紛失したときのために、陛下から贈られた品のすべてに追跡呪文をかけていたので、それらが見つかるのは時間の問題であった。
リヴィエール伯爵夫人とは、後日改めてお茶会をすることになった。
夫人は、シオンが今回の件の証人にするために自分を誘ったのだということに気づいていた。受けていた仕打ちや、それをどのように解決したのかということを、ある程度の身分を持った人に見てもらい、それを広めてもらう必要があった。そうすることで、自分に対する周囲の認識を改めさせようとシオンは考えていた。
利用しようとしていたことを詫びるとリヴィエール伯爵夫人は、グラデシアもきっと同じことをしただろう、と快く許してくれた。
実際には陛下の護衛騎士であるアグリシェント卿がその場で、オラシオンは敬意を表するのにふさわしい皇女であるいうことを証明してくれたために、シオンのイメージアップ戦略は思っていたよりも効果絶大であった。
ただ、思っていたよりも大きな騒ぎになってしまったことで、リチャードからはちょっとしたお叱りを受けた。だだ、それ以上に自らの資質を周囲に証明してみせたことを褒められた。そして、褒美としてまた贈り物をしようとするので、頼みごとを聞いてもらえる権利としてとっておいてほしいと父親を落ち着かせたのであった。
これで贈り物をしまう場所には困らなくて済むと、シオンは胸を撫で下ろした。
最初の一週間は丸一日授業に充てられて、礼儀作法をみっちり教え込まれた。母親から教わったことを応用すればいいこともあって、所作や言葉遣いなどはすぐに覚えることができたのだが、慣れない服装で姿勢に気を遣わなければならないところに苦戦し、部屋に戻るとそのままベッドにダイブする日が続いた。
なんとか伯爵夫人からの合格をもらうと、続いて皇族としての知識を身に着ける勉学の授業が始まった。帝国の歴史や近隣諸国の文化などを学ぶのは楽しかったが、政治などの難しい話になると急に眠気に襲われたりした。
怒涛の生活サイクルに翻弄されながらも、皇族にふさわしい人間になろうと努力する日が続いていた。
「ない……」
シオンは眉間に皺を寄せて、険しい表情をしていた。
本宮に用意された仮住まいの部屋で、シオンはテーブルに貴金属を広げていた。色とりどりの宝石や、金や銀に輝くアクセサリーたち。以前は、どれも他人が身に着けているのを傍から見る程度でしかなかったのだが、ここにあるのはすべて皇帝陛下直々に贈られたシオンの物だった。
せっかくの贈り物なのだから、大切に扱いたいと思うのと同時に、こんなにも高価なものに触れるのは畏れ多いという思いでいっぱいだったシオンは、それらを部屋に備え付けられているキャビネットに仕舞い込んでいた。
「やっぱり足りない」
シオンは核心を持って言う。
それを聞いて、顔が青ざめた人物がいた。シャーリーンである。
「も……申し訳ありません!」
そう声を上げながら、シャーリーンは深く頭を下げて謝罪した。
「落ち着いて。まずは状況を確認しよう」
頭を下げたまま動かないシャーリーンに、シオンは言った。
事の起こりは、朝食から戻ってきた後のことだった。
今日は授業が休みであったので、シオンは勉強の復習をしながら、久しぶりにのんびりできる時間を楽しんでいた。
「皇女様。陛下からの贈り物です」
ハンナがプレゼントの箱を抱えてやって来た。
「えっ、また?」
シオンは口をぽかんとさせる。驚いているというよりは、呆れているというほうが正しいかもしれない。
今日に至るまで、父親であるリチャードから数多くの宝石やアクセサリーが贈られてきていた。まるで、これまで贈ることができなかった数々の祝いの品を一気に寄越してきているようだった。
──この部屋にあるものだけで、一体どれだけの人が不自由なく暮らすことができるんだろう。
つい貧民街での暮らしを思い出してしまう。事実、ハンナが持ってきてくれた箱の中にあるイヤリングだけで、あの地区に暮らす子ども十人は当分の間、食うに困ることはないだろう。贈り物はどれも素晴らしく、陛下からの厚意も有難い。だか、同時に後ろめたさを感じてしまっていた。
「シャーリーン。これも他のと一緒に仕舞っておいてくれる?」
小ぶりで上品なデザインのイヤリングだった。ひとしきり眺めてから、シオンはシャーリーンにイヤリングが入った箱を渡した。
「このままいくと、しまう場所がなくなってしまいそうですね」
そんな冗談を言いながら、シャーリーンはキャビネットの扉を開く。彼女の言う通り、仮住まいの部屋だというのにシオンが暮らし始めてからというもの、だいぶ物が増えたような気がする。
「……あれ?」
シャーリーンが声を上げる。
「どうしたの?」
シオンが訊くと、シャーリーンは青い顔をして振り返った。
「あ……あの……」
明らかに狼狽えていた。どうしたのですか、とハンナも声をかける。
「なくなっているんです……」
「なくなってるって、陛下からの贈り物が?」
こくり、とシャーリーンが頷く。
そんな彼女の様子を見て、シオンとハンナは一度キャビネットの中身を検めることにした。そうして、宝石やアクセサリーがいくつかなくなっていることに気づいたのである。
「最後に確認したのはいつ?」
「三日ほど前です」
シオンの問いかけに、シャーリーンが答える。
「その間、この部屋に入ったのは?」
「私たちの他には、掃除をしにやって来た侍女たちだけです」
そう答えたのはハンナだった。シオンも若い侍女たちが何人か出入りしているのを目にしているが、大抵のことは側仕えのハンナとシャーリーンがやってくれていたので、あまり気に留めたことはなかった。
「侍女たちを疑っているのですか?」
「他に思い当たる人物がいないとなると、そうなるかな」
顎に手を当てながら、シオンは言う。それを聞いて、シャーリーンは部屋から出ていこうとした。
「す、すぐに陛下にお知らせしないと──」
しかし、シオンはそれに待ったをかけた。
「駄目だよ」
「なぜですか?」
目を丸くするシャーリーン。ハンナも首を傾げている。
「ただ陛下に言いつけても、何の解決にもならないからだよ」
シオンの私物が盗まれたこと。それは許しがたいことではある。
しかし、問題はそれだけではない。重要なのは、皇宮に仕える使用人がシオンのことを舐めているということだった。そうでなければ、皇族である彼女の物を盗むなんてことはしないはずである。
陛下に言いつければ、盗みを働いた侍女たちは捕らえられて罰を受けることになる。しかし、それではシオンに対する使用人の認識は変わらないだろう。貧しい育ちの、自分では何もできない子どもというレッテルを取り除かなければならない。
「そういうことなら、こっちだって黙ってはいられないなぁ」
シオンは、にやりと口の端を持ち上げる。
きっとリヴィエール夫人に見られたら、淑女としてふさわしくない笑い方だと叱られるだろう。だがしかし、このときばかりは、皇女としてではなく貧民街にいた呪術師のシオンとして、彼女は笑みを浮かべていた。
〇
三日後、授業が終わったあとで、シオンはリヴィエール伯爵夫人をお茶に誘った。日頃の感謝としてささやかなティータイムを、と。
準備があるからと先に部屋を出たシオンは、シャーリーンを連れて仮住まいしている部屋のそばにある応接室へと向かった。そこでハンナが待っている。少し歩いていると、シオンは見覚えのある人物を見つけた。
「アグリシェント卿──」
「皇女様。お久しぶりです」
陛下の護衛騎士であるグレン・アグリシェントがこちらに歩いているところだった。シオンの前で立ち止まった彼は、胸に手を当てながら長身を折り曲げて礼をした。その体格は立派だが、立ち振る舞いはとても優雅だった。
「お部屋にお戻りですか?」
「ええ。これから夫人とお茶をするの」
アグリシェント卿とは貧民街の家で会ってから、話をする機会がなかったため、彼の人柄についてはまだあまり知らなかった。しかし、陛下のそばに立っていた彼の姿から、とても信頼のおける人だということだけは判っていた。
なんて良いタイミングなのだろう、とシオンは思った。
「よかったら、部屋まで送ってくださらない?」
シオンは笑みを浮かべながら言った。
アグリシェント卿は一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を正して、畏まりましたと再び頭を下げた。
道すがら、シオンはアグリシェント卿と話しをした。陛下とは乳兄弟で、幼い頃からの付き合いであること。そのため、シオンの母とも顔なじみであること──などなど。なかなか興味深い話を聞くことができた。
シャンシャンシャン──!
部屋が近くなったところで突然、音が響いた。けたたましいベルのような音だった。廊下を伝ってかなり広い範囲にまで聞こえる。
「なんだ!」
アグリシェント卿は、シオンを庇うように前に出た。
「皇女様のお部屋のほうからです」
シャーリーンが言った。それを聞いたアグリシェント卿はこの場に留まるように言うと、音がしたほうへ走った。
響き渡るその音に驚いた使用人たちが廊下に出てくる。
「オラシオン様……」
シャーリーンが心配そうにシオンのことを見ると、大丈夫だよ、とシオンは笑ってみせた。
「何があったのですか?」
音を聞きつけたリヴィエール伯爵夫人もやって来た。部屋で何かがあったようだと伝えると、シオンはゆったりとした足取りで現場に向かった。
部屋の前にはアグリシェント卿の他に、数人の騎士や使用人たちがいた。その中にはハンナもいる。少し離れたところでは、弥次馬が様子を見ていた。
近づくと、その場にいた者たちがシオンに目を向ける。
「何があったのかしら」
シオンは訊ねた。
「この者たちが皇女殿下のお部屋を掃除していると、突然大きな音が鳴ったと申しています」
アグリシェント卿は、部屋にいた三人の侍女たちから聞いたことを報告する。
「なぜ、音が鳴ったのか心当たりはないの?」
シオンは侍女たちのことを見て訊いた。
「い、いえ……。まったく……」
「私たちは掃除をしていただけで……」
彼女たちは目を合わせようとしない。
「そう。──じゃあ、どうしてあたしのイヤリングがポケットに入っているのかしら?」
その言葉を聞いた瞬間、彼女たちはなぜ判ったのだと言わんばかりにハッとした表情を見せた。そして、咄嗟にポケットを押さえた。
それを見ていたアグリシェント卿は、侍女を取り押さえた。ポケットの中からは三日前に陛下から贈られた、小ぶりで上品なデザインのイヤリングと同じものが出てきた。
「これはどういうことだ」
アグリシェント卿が問い詰める。取り押さえられている侍女は、口をパクパクとさせている。後ろの二人はすっかり青ざめた表情だった。
この場には陛下の護衛騎士と侍女長、そして皇女の教育係の伯爵夫人。さらには多くの目撃者たちがいる。言い逃れはできない状況だった。
「こ……これは」
取り押さえられた侍女の口から、ようやく言葉が出てくる。
「これは、私のです!」
彼女はそう言い放った。その場にいる者たちは目を丸くした。これには、さすがにシオンも驚いた。そんな言い分は誰も信じないだろう。
プライドの高い人間なのだろう、とシオンは侍女を見て思った。
「これはあなたのものなの?」
再びシオンが訊ねる。
「そうです! これは私が家族からもらったもので、つい嬉しくて持ち歩いていたのです。それなのに皇女様は、私が皇女様のものを盗んだと──?」
そう語る彼女はまるで悲劇のヒロインのようだった。
よくもまあ、ここまでできるものだとシオンは感心する。花街のお姉さま方でも、ここまで見苦しいことはしないというのに。そこまでして、彼女はシオンのことを認めたくないのか。あげくの果てに、貶めようとまでするとは。
──だったら、遠慮はしない。
「そう、これはあなたのものなの」
シオンは侍女と目を合わせる。紺碧の瞳が、侍女の醜悪な表情を捉えた。
「でも、残念。これ、あたしの魔力で作った魔宝石を加工して作った模造品なの」
「…………え?」
侍女は何を言っているのか理解できなかったようだった。
ニコリと笑ってみせると、シオンはパチンと指を鳴らした。するとアグリシェント卿の手にあったイヤリングが溶け出したかと思うと、鮮やかな光となってシオンの身体に吸い込まれていった。
その場にいた者たちは皆、呆然とその様子を眺めていた。
魔宝石とは、魔力の籠った宝石のような石のことである。魔力を動力源とする道具を作ったり動かしたりするのに使われることが多いのだが、形のない魔力を固形化するというのはかなり難しいことで、魔術を学ぶ者でもなかなか作ることができない代物であった。
彼女がイヤリングを持っていると見抜くことができたのは、シオンが自らの魔力で作り出したものだからに他ならなかった。
「どうして、あたしの魔力で作ったものを、あなたが持っていたのかしら?」
シオンは止めを刺す。
侍女は身体から力が抜け、膝をついた。
「素直に認めてくれたら、刑を軽くしてもらえるように掛け合ったのに。さっきの言葉は悪手だったね。あれは、あなたが大勢の前であたしのことを軽んじていると宣言したようなもの。減刑どころか、侮辱罪が課されることになるでしょう」
シオンは侍女の耳元で言った。
「あたしは貧しい育ちではあるけど、決して馬鹿ではないのよ」
それを聞いて、侍女はもう何も言えなかった。シオンは顔を上げると、震えあがっている他の侍女たちのほうを見た。
「そっちの二人への聴取はお任せしてもいいですか?」
「お任せください」
シオンが言うと、アグリシェント卿は頭を下げて敬意を表した。
〇
その後、侍女たちは取り調べを受け、彼女たちの部屋からはキャビネットから消えた貴金属が出てきた。そもそもシオンは、万が一紛失したときのために、陛下から贈られた品のすべてに追跡呪文をかけていたので、それらが見つかるのは時間の問題であった。
リヴィエール伯爵夫人とは、後日改めてお茶会をすることになった。
夫人は、シオンが今回の件の証人にするために自分を誘ったのだということに気づいていた。受けていた仕打ちや、それをどのように解決したのかということを、ある程度の身分を持った人に見てもらい、それを広めてもらう必要があった。そうすることで、自分に対する周囲の認識を改めさせようとシオンは考えていた。
利用しようとしていたことを詫びるとリヴィエール伯爵夫人は、グラデシアもきっと同じことをしただろう、と快く許してくれた。
実際には陛下の護衛騎士であるアグリシェント卿がその場で、オラシオンは敬意を表するのにふさわしい皇女であるいうことを証明してくれたために、シオンのイメージアップ戦略は思っていたよりも効果絶大であった。
ただ、思っていたよりも大きな騒ぎになってしまったことで、リチャードからはちょっとしたお叱りを受けた。だだ、それ以上に自らの資質を周囲に証明してみせたことを褒められた。そして、褒美としてまた贈り物をしようとするので、頼みごとを聞いてもらえる権利としてとっておいてほしいと父親を落ち着かせたのであった。
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