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第10話 お茶会
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家族との顔合わせの食事会から一週間が過ぎた。
シオンはプレーゴ宮の自室で一通の招待状を手にしていた。金の装飾が施された便箋に、まだ幼さが残る字。しかし文章の内容からは教養の高さを感じさせる。さすがはレムリアの皇女だな、とシオンは感心した。
差出人はアイシャ皇女。食事会の終わりに約束した通り、お茶会の招待状が送られてきた。届いたのは二日前。シオンはその手紙を手元に置いて、暇さえあれば眺めていた。
「また読んでいらっしゃるのですか?」
お茶会に向かう準備をしながら、シャーリーンは訊ねる。身内で行うお茶会ということもあり、ヘアアレンジはシンプルなハーフアップに仕上げている。
「だって、こんなに綺麗な手紙もらったことないんだもの」
そう言いながらシオンは顔を綻ばせる。
貧民街にいたころは手紙なんてもらったことはなかった。そもそも紙やインクが高価で、簡単に手に入らなかった。読み書きは母親から教わっていたが、それを使うのはいつも仕事のときだけだった。
シオンにとって、その招待状は初めてもらった手紙だった。しかも可愛い妹からの。お茶会も楽しみだが、手紙を眺めているだけでもシオンはわくわくしていた。
「これからはきっとたくさんの手紙をもらうことになりますよ。その返事を書くのに追われて忙しくなってしまうかもしれませんね」
「それは大変。リヴィエール伯爵夫人に手紙の書き方を教わらないと。もしも忙しくなったら、シャーリーンも手伝ってくれる?」
「もちろんですよ、オラシオン様」
髪を結い終え、シャーリーンは出来栄えを確認する。髪飾りには落ち着いたデザインでありながらも、シオンの銀髪を引き立たせる青い宝石があしらわれた小さな花の形をしたものを選んだ。皇帝からこの宮殿とともに贈られたプレゼントの一つでもある。
これなら向こうの従者に見た目で舐められることはないだろう、とシャーリーンは胸を張った。
〇
アイシャ皇女の宮殿であるフェリーソ宮は、もともと彼女の母親である第三皇妃の宮殿として用意されたこともあり東南の雰囲気を感じるエキゾチックな造りが至るところに見られた。
「シオンお姉さま!」
玄関ホールで出迎えてくれたアイシャは白を基調とした淡い色のドレスをまとい、艶やかな黒髪は丁寧に編み込まれていた。
「本日はお招きありがとうございます」
シオンが言うと、アイシャは少しムッとした。
「お姉さま! そんなにかしこまらなくてもいいって言いましたよね?」
「一応、初めてのお茶会だから、少し格好つけてみようかと思って」
照れながら頬を掻くシオンに、そういうことなら、とアイシャは一歩身を引いてドレスの裾を持ち上げながら、可憐に挨拶を返した。
「お越しいただきありがとうございます、お姉さま」
まるで妖精が踊っているかのような軽やかな動きで、シオンは可愛いと抱きしめたくなったが、彼女に後ろに立つ従者の視線が気になり衝動を必死で抑えた。付いてきたシャーリーンも異国の従者に怯えているようだった。
お茶会の会場は庭園の中にあった。白い大理石に彫刻が施された噴水に、蓮の花が咲き誇っている。
「綺麗な蓮の花。けど、レムリアのとは種類が違うみたい」
「それはお母さまの故郷の花で、これからの季節が見ごろなんですよ」
レムリアで蓮の花といえば、リヴィエール伯爵領に咲いているのが有名だが、こちらは水面に浮いているように咲く睡蓮で、インディラの蓮は水の中から茎が伸びてその先に大輪の花を咲かせていた。
「確か、この世で最も美しいもの──でしたよね」
シオンはアイシャの従者に訊いた。インディラの信仰において、泥にまみれながらも美しく咲き誇る蓮の花は、この世で最高に綺麗なものだとされている。花街で働いていたインディラ出身の妓女から聞いたことがあった。
「……ええ。その通りです」
アイシャの従者は落ち着いた態度で答える。齢は三十代後半くらいだろうか。黒い髪に黒い瞳の褐色肌の男である。従者と護衛を兼ねているのか、しなやかな体つきで動きに無駄がない。熟練者のような雰囲気をまとっていた。
「彼はアールシュ。私のお母さまと一緒にレムリアにやって来て、今は私の従者なの」
お茶会の席に着くと、使用人たちがティーセットや茶菓子を運んでくる。プレーゴ宮よりも使用人の数は多い。つい最近やって来た平民あがりの皇女と待遇が違うのは仕方のないことだろう。シオンも気にしてはいない。ただ身近にいる人たちの顔や名前を覚えるのが大変だろうな、と思った。
侍女の一人が皇女たちのカップにお茶を注ぐ。白いカップに注がれた紅茶は輝かんばかりの黄金色だった。春摘みのダージリンで、一口飲むとさわやかな風味が口いっぱいに広がる。
「お姉さまはずっと市井の街で暮らしていたのでしょう。私は街には行ったことがないから、どんな生活をしていたのかとても興味があるの。お父様が言っていたけど、呪術師として働いていたのでしょう? すごいわ」
「そんなに褒められたものじゃないよ。あたしにはそれしかなかったから、かあさ……母のあとを引き継いでなんとかやってきただけ」
「十分すごいです! 私はアールシュやみんながいないと、何もできないもの。呪術師のお仕事はどんなことをするのですか? お姉さまが住んでいたのはどんな場所だったのですか? 教えてください!」
アイシャは興味津々だった。思いのほか食いつきが良かったので、シオンは正直驚いた。幼いがゆえの好奇心なのだろう。
流石にありのままを話すのはためらわれた。帝国は大陸一の栄華を誇っているが、必ずしも皆がその恩恵に与れるわけではない。帝都ですら貧富の差が存在し、生きるために大変な苦労をしている者たちがいる。皇族としてその事実から目を逸らすことは許されないが、それを受け入れることが今はまだ幼い皇女にできるのか。
シオンの存在がそれにつながるかもしれないが、今日の茶会はそのためのものではない。妹が新しくできた姉を歓迎するために用意したものである。ならば、その雰囲気を壊すべきではないな、とシオンは慎重に話題を選んだ。
呪術師としてどんな仕事をしていたか、たまに足を運んでいたカフェ、親切な街の人たちのこと──など。シオンにとっては当たり障りのないことだが、アイシャは目を輝かせて話に聞き入っていた。
話と一緒に、お茶や菓子が進む。カップはあっという間に空になっていた。
先ほどとは別の侍女が注ぐ。色が濃く香りも強めの紅茶だった。以前も紅茶を飲む機会はあったが、毎回茶葉を入れ替えるのはもったいなかった。二、三回は同じ茶葉で入れて、薄くなったお茶を花街の姐さま方や近所の人たちと分け合っていたことをシオンは思い出す。
贅沢だな、とシオンは新たに注がれたお茶を口に含んだ。次の瞬間、シオンは目を見開いた。
「それを飲んじゃ駄目だ!」
声を上げる。しかし、一足遅かった。アイシャはすでに一口飲んでしまっていた。手からカップが滑り落ちる。中身が零れ、白いテーブルクロスに染みが広がった。
激しくせき込みながら、アイシャが倒れる。咄嗟に、傍にいたアールシュが手を伸ばしたおかげで地面に身体を打ち付けることはなかった。しかし、彼女は口から血を吐き出し、苦しそうにもがく。
「毒だ!」
アールシュが叫ぶ。
「さっきお茶を淹れた侍女は?」
言いながらシオンが顔を上げると、侍女の姿はなかった。護衛の騎士がすぐに走っていくのが見えたので後はそちらに任せ、シオンはアイシャに駆け寄った。
「医師と宮廷魔術師を呼べ!」
穏やかだった時間はあっという間に慌ただしくなり、使用人たちが駆け回る。シャーリーンは口元を押さえて明らかに動揺していた。
「診せて」
シオンがアイシャに触れる。一瞬、アールシュはためらうような素振りを見せたが、仕方あるまいとそれを許す。先ほどまでもがいていた身体はすでにぐったりとしている。明らかに即効性のある強い毒のせいだということが判った。
「どうして判ったのですか?」
焦りを見せながらアールシュはシオンに訊いた。
「紅茶がやけに濃かったんです。まるで味やにおいを隠そうとしているかのように。実際、わずかに舌がしびれるような感じがしたから止めようとしたけど……」
遅かった。
呼吸や脈を確認しながら、アイシャの顔を覗き込む。ふいに、シオンの脳裏には母親の死体を見つけたときの光景が過ぎる。
──また何もできず、失うのか?
そんなのは嫌だ! とシオンは頭を振る。最悪は考えない。最善の手段を取るのだ。そう考えながら、アイシャの身体に手をかざした。
「何をするつもりだ」
アールシュの怒気をはらんだ声がする。
「黙って」
シオンは吐き捨てるように言った。
目を瞑り、意識を集中させる。毒は身体中に広がり、内側から彼女を壊死させようとしている。
──どうする? 全身に広がった毒を浄化するには時間が掛かる。
それではアイシャの体力がもたない。
シオンは考える。考えて、考えて、閃いた。
──あたしの魔力なら……? けど、もし上手くいかなかったら?
迷いが生じる。しかし、そうやって考えている間にも、アイシャの呼吸は小さくなっていく。身体も冷たくなっている気がする。
迷っている暇はない、とシオンは覚悟を決めた。
かざした手から自身の魔力を、少しずつアイシャの身体に流し込んでいく。慎重に、それでいて素早く。
「うっ……」
指先がしびれてくる。呼吸が苦しくなってきた。
ポタッと何かが落ちる。気づいて手の甲で鼻を拭うと、鼻血で真っ赤になった。
「オラシオン様!」
様子を見守っていたシャーリーンが狼狽する。
「まだ……まだだ……」
額から汗が流れる。身体が灼けるように熱い。無理にでも呼吸をしなければ、すぐにでも意識が遠のいてしまいそうだった。
魔力を流し込み、毒を浄化していく。ついでに、流し込まれた魔力によって押し出した毒を受け取る。少ない魔力で毒を取り除くことができれば、アイシャへの負担も減るだろうと考えた結果だった。
「……っは」
毒を受け取り切って、自分の魔力が残っていないことを確かめてから、シオンはアイシャから手を放す。
アイシャの呼吸は先ほどよりも安定して、顔色もいくらか良くなったように思う。
「よかった……」
一気に気が抜ける。途端に身体が鉛になったかのように重くなり、そのまま後ろに倒れた。名前を呼ばれている気がするが、返事をするどころか、目を開けることもできない。
シオンは意識を手放した。
シオンはプレーゴ宮の自室で一通の招待状を手にしていた。金の装飾が施された便箋に、まだ幼さが残る字。しかし文章の内容からは教養の高さを感じさせる。さすがはレムリアの皇女だな、とシオンは感心した。
差出人はアイシャ皇女。食事会の終わりに約束した通り、お茶会の招待状が送られてきた。届いたのは二日前。シオンはその手紙を手元に置いて、暇さえあれば眺めていた。
「また読んでいらっしゃるのですか?」
お茶会に向かう準備をしながら、シャーリーンは訊ねる。身内で行うお茶会ということもあり、ヘアアレンジはシンプルなハーフアップに仕上げている。
「だって、こんなに綺麗な手紙もらったことないんだもの」
そう言いながらシオンは顔を綻ばせる。
貧民街にいたころは手紙なんてもらったことはなかった。そもそも紙やインクが高価で、簡単に手に入らなかった。読み書きは母親から教わっていたが、それを使うのはいつも仕事のときだけだった。
シオンにとって、その招待状は初めてもらった手紙だった。しかも可愛い妹からの。お茶会も楽しみだが、手紙を眺めているだけでもシオンはわくわくしていた。
「これからはきっとたくさんの手紙をもらうことになりますよ。その返事を書くのに追われて忙しくなってしまうかもしれませんね」
「それは大変。リヴィエール伯爵夫人に手紙の書き方を教わらないと。もしも忙しくなったら、シャーリーンも手伝ってくれる?」
「もちろんですよ、オラシオン様」
髪を結い終え、シャーリーンは出来栄えを確認する。髪飾りには落ち着いたデザインでありながらも、シオンの銀髪を引き立たせる青い宝石があしらわれた小さな花の形をしたものを選んだ。皇帝からこの宮殿とともに贈られたプレゼントの一つでもある。
これなら向こうの従者に見た目で舐められることはないだろう、とシャーリーンは胸を張った。
〇
アイシャ皇女の宮殿であるフェリーソ宮は、もともと彼女の母親である第三皇妃の宮殿として用意されたこともあり東南の雰囲気を感じるエキゾチックな造りが至るところに見られた。
「シオンお姉さま!」
玄関ホールで出迎えてくれたアイシャは白を基調とした淡い色のドレスをまとい、艶やかな黒髪は丁寧に編み込まれていた。
「本日はお招きありがとうございます」
シオンが言うと、アイシャは少しムッとした。
「お姉さま! そんなにかしこまらなくてもいいって言いましたよね?」
「一応、初めてのお茶会だから、少し格好つけてみようかと思って」
照れながら頬を掻くシオンに、そういうことなら、とアイシャは一歩身を引いてドレスの裾を持ち上げながら、可憐に挨拶を返した。
「お越しいただきありがとうございます、お姉さま」
まるで妖精が踊っているかのような軽やかな動きで、シオンは可愛いと抱きしめたくなったが、彼女に後ろに立つ従者の視線が気になり衝動を必死で抑えた。付いてきたシャーリーンも異国の従者に怯えているようだった。
お茶会の会場は庭園の中にあった。白い大理石に彫刻が施された噴水に、蓮の花が咲き誇っている。
「綺麗な蓮の花。けど、レムリアのとは種類が違うみたい」
「それはお母さまの故郷の花で、これからの季節が見ごろなんですよ」
レムリアで蓮の花といえば、リヴィエール伯爵領に咲いているのが有名だが、こちらは水面に浮いているように咲く睡蓮で、インディラの蓮は水の中から茎が伸びてその先に大輪の花を咲かせていた。
「確か、この世で最も美しいもの──でしたよね」
シオンはアイシャの従者に訊いた。インディラの信仰において、泥にまみれながらも美しく咲き誇る蓮の花は、この世で最高に綺麗なものだとされている。花街で働いていたインディラ出身の妓女から聞いたことがあった。
「……ええ。その通りです」
アイシャの従者は落ち着いた態度で答える。齢は三十代後半くらいだろうか。黒い髪に黒い瞳の褐色肌の男である。従者と護衛を兼ねているのか、しなやかな体つきで動きに無駄がない。熟練者のような雰囲気をまとっていた。
「彼はアールシュ。私のお母さまと一緒にレムリアにやって来て、今は私の従者なの」
お茶会の席に着くと、使用人たちがティーセットや茶菓子を運んでくる。プレーゴ宮よりも使用人の数は多い。つい最近やって来た平民あがりの皇女と待遇が違うのは仕方のないことだろう。シオンも気にしてはいない。ただ身近にいる人たちの顔や名前を覚えるのが大変だろうな、と思った。
侍女の一人が皇女たちのカップにお茶を注ぐ。白いカップに注がれた紅茶は輝かんばかりの黄金色だった。春摘みのダージリンで、一口飲むとさわやかな風味が口いっぱいに広がる。
「お姉さまはずっと市井の街で暮らしていたのでしょう。私は街には行ったことがないから、どんな生活をしていたのかとても興味があるの。お父様が言っていたけど、呪術師として働いていたのでしょう? すごいわ」
「そんなに褒められたものじゃないよ。あたしにはそれしかなかったから、かあさ……母のあとを引き継いでなんとかやってきただけ」
「十分すごいです! 私はアールシュやみんながいないと、何もできないもの。呪術師のお仕事はどんなことをするのですか? お姉さまが住んでいたのはどんな場所だったのですか? 教えてください!」
アイシャは興味津々だった。思いのほか食いつきが良かったので、シオンは正直驚いた。幼いがゆえの好奇心なのだろう。
流石にありのままを話すのはためらわれた。帝国は大陸一の栄華を誇っているが、必ずしも皆がその恩恵に与れるわけではない。帝都ですら貧富の差が存在し、生きるために大変な苦労をしている者たちがいる。皇族としてその事実から目を逸らすことは許されないが、それを受け入れることが今はまだ幼い皇女にできるのか。
シオンの存在がそれにつながるかもしれないが、今日の茶会はそのためのものではない。妹が新しくできた姉を歓迎するために用意したものである。ならば、その雰囲気を壊すべきではないな、とシオンは慎重に話題を選んだ。
呪術師としてどんな仕事をしていたか、たまに足を運んでいたカフェ、親切な街の人たちのこと──など。シオンにとっては当たり障りのないことだが、アイシャは目を輝かせて話に聞き入っていた。
話と一緒に、お茶や菓子が進む。カップはあっという間に空になっていた。
先ほどとは別の侍女が注ぐ。色が濃く香りも強めの紅茶だった。以前も紅茶を飲む機会はあったが、毎回茶葉を入れ替えるのはもったいなかった。二、三回は同じ茶葉で入れて、薄くなったお茶を花街の姐さま方や近所の人たちと分け合っていたことをシオンは思い出す。
贅沢だな、とシオンは新たに注がれたお茶を口に含んだ。次の瞬間、シオンは目を見開いた。
「それを飲んじゃ駄目だ!」
声を上げる。しかし、一足遅かった。アイシャはすでに一口飲んでしまっていた。手からカップが滑り落ちる。中身が零れ、白いテーブルクロスに染みが広がった。
激しくせき込みながら、アイシャが倒れる。咄嗟に、傍にいたアールシュが手を伸ばしたおかげで地面に身体を打ち付けることはなかった。しかし、彼女は口から血を吐き出し、苦しそうにもがく。
「毒だ!」
アールシュが叫ぶ。
「さっきお茶を淹れた侍女は?」
言いながらシオンが顔を上げると、侍女の姿はなかった。護衛の騎士がすぐに走っていくのが見えたので後はそちらに任せ、シオンはアイシャに駆け寄った。
「医師と宮廷魔術師を呼べ!」
穏やかだった時間はあっという間に慌ただしくなり、使用人たちが駆け回る。シャーリーンは口元を押さえて明らかに動揺していた。
「診せて」
シオンがアイシャに触れる。一瞬、アールシュはためらうような素振りを見せたが、仕方あるまいとそれを許す。先ほどまでもがいていた身体はすでにぐったりとしている。明らかに即効性のある強い毒のせいだということが判った。
「どうして判ったのですか?」
焦りを見せながらアールシュはシオンに訊いた。
「紅茶がやけに濃かったんです。まるで味やにおいを隠そうとしているかのように。実際、わずかに舌がしびれるような感じがしたから止めようとしたけど……」
遅かった。
呼吸や脈を確認しながら、アイシャの顔を覗き込む。ふいに、シオンの脳裏には母親の死体を見つけたときの光景が過ぎる。
──また何もできず、失うのか?
そんなのは嫌だ! とシオンは頭を振る。最悪は考えない。最善の手段を取るのだ。そう考えながら、アイシャの身体に手をかざした。
「何をするつもりだ」
アールシュの怒気をはらんだ声がする。
「黙って」
シオンは吐き捨てるように言った。
目を瞑り、意識を集中させる。毒は身体中に広がり、内側から彼女を壊死させようとしている。
──どうする? 全身に広がった毒を浄化するには時間が掛かる。
それではアイシャの体力がもたない。
シオンは考える。考えて、考えて、閃いた。
──あたしの魔力なら……? けど、もし上手くいかなかったら?
迷いが生じる。しかし、そうやって考えている間にも、アイシャの呼吸は小さくなっていく。身体も冷たくなっている気がする。
迷っている暇はない、とシオンは覚悟を決めた。
かざした手から自身の魔力を、少しずつアイシャの身体に流し込んでいく。慎重に、それでいて素早く。
「うっ……」
指先がしびれてくる。呼吸が苦しくなってきた。
ポタッと何かが落ちる。気づいて手の甲で鼻を拭うと、鼻血で真っ赤になった。
「オラシオン様!」
様子を見守っていたシャーリーンが狼狽する。
「まだ……まだだ……」
額から汗が流れる。身体が灼けるように熱い。無理にでも呼吸をしなければ、すぐにでも意識が遠のいてしまいそうだった。
魔力を流し込み、毒を浄化していく。ついでに、流し込まれた魔力によって押し出した毒を受け取る。少ない魔力で毒を取り除くことができれば、アイシャへの負担も減るだろうと考えた結果だった。
「……っは」
毒を受け取り切って、自分の魔力が残っていないことを確かめてから、シオンはアイシャから手を放す。
アイシャの呼吸は先ほどよりも安定して、顔色もいくらか良くなったように思う。
「よかった……」
一気に気が抜ける。途端に身体が鉛になったかのように重くなり、そのまま後ろに倒れた。名前を呼ばれている気がするが、返事をするどころか、目を開けることもできない。
シオンは意識を手放した。
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