ダークヒーロー志願ー蠍の紋章ー

bon

文字の大きさ
3 / 5

第2章 The Origin(起源)

しおりを挟む


ー虫は、泣く。
声にならない波で、世界と会話している。
俺には、それが――聞こえた。

子供の頃から、俺はずっとボッチだった。
転校が多く、居場所を作る前に次の土地へ移る。
そんな俺の孤独を慰めてくれたのは、大抵いつも虫たちだった。

ノートの余白には、昆虫の脚や羽のスケッチが並んでいた。
人間の顔よりも、節足動物の構造のほうが、よほど理に適って見えた。



まだ幼い頃、俺と母は“地下鉄毒ガステロ”に巻き込まれた。
それをきっかけに、父は自ら志願し、
海上保安庁のキャリア技官から
**対テロ特殊部隊《SST》(日本版ネイビーシールズ)**へジョブチェンジした。

まるでダース・ベイダーが闇落ちしたみたいだった。
父が特殊部隊の隊長だなんて、日本の小学生にはまずいない。
いや、いたとしても――普通には生きられないだろう。



マレーシアに移ったのは、小学六年の春、十一歳のとき。
父は現地沿岸警備隊の対テロ部隊の立ち上げに参加していた。

意外に思うかもしれないが、海上保安庁という組織は、
警察機能と準軍事機関の両面を持ち、
日本で唯一、公式に実戦経験を持つ特殊部隊を抱えている。
“海猿”のようなレスキューの顔とは別に、
対テロ特殊部隊であるSSTは――さしずめ“海サソリ”と言ったところだ。

海外では、父のようなクラスは**“キャプテン”**と呼ばれていた。
南シナ海の合同訓練では、米海軍SEALや英SBSと連携し、
“Captain Mao”――それが現地でのコールサインだった。



クアラルンプール郊外の住宅地。
昼は太陽が地面を焼き、夜は蛙と虫の声で空気が震えた。
遠くでアザーン(礼拝の呼び声)が響くたび、
世界の輪郭がわずかに波打つように感じられた。

その頃、母――リンダは、庭で蘭を育てながら、
不思議な生き物を飼っていた。
黒曜石のような甲殻、ゆるやかに動く八本の脚と一対の鋏。
――蠍だった。

「名前をつけてあげなさい。」
俺が迷っていると、母は微笑んだ。
「セルケト――呼吸と毒を司る女神。
 古代エジプトでは“死者を守る蠍”として崇められていたのよ。」

子供の俺には、その蠍が途轍もなくカッコよく見えた。
それは今でも変わらない。
以来、マレーシアでの三年間、俺は“蠍オタク”と呼べるほど夢中で研究した。



やがて、父に勧められて《シラット》の道場に通うようになった。
宗教と舞踊と戦闘が溶け合う、奇妙な武術だ。

ある日、師匠が言った。
「蠍カラジャンの動きを見たことがあるか?
 地を這い、尻尾で弧を描く――あれが“生と死の間”の構えだ。」

シラットの型には、蠍の動きを模したものがあった。
低い姿勢から跳ね上がるような打撃。
周囲と比べて運動神経はイマイチな俺だったが、
どういうわけか、その型だけは異様な速さで体得していった。



語学も得意だった。
家では日本語、ポルトガル語、英語、イタリア語が飛び交っていた。
言葉は“知識”ではなく“道具”。
リズムを掴めば、身体が勝手に覚える。
マレー訛りの英語も、日常会話レベルのマレー語も、自然と身についた。



母のリンダは、トラウマで地下鉄に乗れなかった。
あの日の“毒の霧”が、いまも彼女の中で封じられたままだ。

その代わり、心を落ち着けるため、
身の回りのすべてを**紫パープル**で統一していた。
服も家具も、食器も――家中が紫。
俺や父のスーツまで紫で、唯一の自由は靴下と下着くらい。

――皮肉なことに、蠍の名を持つ女、リンダ・デ・スカルピアが、
毒によって身体を蝕まれたのだ。

移動手段は“地下鉄”ではなく“足”。
ランチア・デルタ HF インテグラーレ・エボルツィオーネII《Viola Pianeta》――
惑星の紫。
限定モデルのその車体は、夜の街灯を浴びるたびに色を変えた。
黒にも見え、青にも見える、深い紫。
リンダはそれを、まるで自分の延長のように操った。

まるで――スピードの向こう側を、すでに知っているかのように。

通常はエンジンを降ろして作業するしかない――
その“タイミングベルト”を、
俺は載せたまま交換できるほど、この車の構造を知り尽くしていた。



十八歳になり、念願の大型バイクを手に入れた。
ドイツ製 MZ スコーピオン 660。
ヤマハ製660cc単気筒、ドライサンプ。
これまでの250ccとは根本的にパワーが違った。
アクセルをひねるたび、鉄が共鳴し、血の中の鉄分まで震えた。

俺もまた、このマシンで“スピードの向こう側”を見たいと思った。

ヘルメットはクラシックな BELL MOTO-3。
そして、空気圧で頬のフィットを変える SCORPION EXO-1000。
まるで蠍の呼吸器官が開閉するようだった。
レザージャケットはパープルのパンチングレザーを特注。
フラクタルボディによって体温が異常に高くなった俺には、通気性が必須だった。

タンクには、母の一族、デ・スカルピア家の紋章。
紫の盾に三匹の黒い蠍。
古代ローマ親衛隊から続く、蠍の血脈。
走るたび、月光がその紋章を撫でて光った。



夜の舗装路。
湿った風が頬を撫で、エンジンの鼓動が皮膚の下で共鳴する。
街の灯がその甲殻を照らすたび、俺は思った。

――世界は波でできている。

音も、光も、毒も、祈りも。
すべてが周波数であり、振動であり、呼吸だ。

そして、あの夜。
給油で立ち寄ったスタンドで、
俺は中学の同級生と再会した。

その瞬間、鼓動がわずかに速くなった。
静かなはずの夜に、何かが“音を立てて”動き始めた気がした。

――そう、あれは悪夢の続きじゃない。
“現実”の、最初の胎動だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

あべこべな世界

廣瀬純七
ファンタジー
男女の立場が入れ替わったあべこべな世界で想像を越える不思議な日常を体験した健太の話

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

処理中です...