雪原脳花

帽子屋

文字の大きさ
49 / 109
第一楽章

48

しおりを挟む
 会場搬入路の入口付近では機材搬入車に混じりフルスモークの車が数台、お目当ての入り待ちをしているファンの前を通過して騒ぎを大きくしていた。エリックはファンの歓声が起こるたびにソワソワと落ち着かないフレッドをなかば引きずるようにメイン・エリアへと向かっていた。
 正面ゲートの近くでタクシーからTシャツにジーンズ姿のどこにでもいるような二人の男が降りた。あとから車を降りたひょろりと背が高い方を見て、あ。とエリックは思った。さっきファンの前をこれみよがしに通過したのはデコイなんだ。
 “The Dark Side of the Moonダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン” 彼らは彼らの創り上げた世界を現実の世に投影している。現実リアル仮想現実ヴァーチャルの狭間、2.5次元バンドなどとも称される彼らは、その世界観と設定で構成されたキャラクターを完璧に演じることで現実世界を巻き込む影響力を持った月の裏側の存在。地球にいる限り彼らの真の姿は見えず、ステージやカメラを通さずには地球こちら側の姿が決して見えないよう彼らは素の姿をひた隠しにしている。こうやってスタッフか一般人としてやってきても誰も気に留めないほど彼らは完璧に月世界の彼らを創り上げ、現実世界の姿を、いるのに見えない存在へとフィルターをかけて不可視化してしまった。
 エリックはしばらくそのメンバー二人の後姿を眺めていたが、長躯の男が眩しそうに空を見上げ、額にかざした右手を緩く広げて降り注ぐ光でも掴んだように握るとそのまま拳を額にあてた。隣でその動きを見ていた男は、おもむろに振り返るとなぜだか行き交う人々の中からエリックに目を留めたように思えた。エリックは思わずキャップのつばを引き下げてその視線から逃れた。
 相手はもしかしたら笑っていたかもしれない。なんで僕が……無意識に見られたと感じて取ってしまった行動に悔恨に似た気持ちが沸き起こったが、その隣で飛び跳ねる思考の波を感じ今にもサインをねだりに駆け出しそうな弟に『ダメ』と先手を打ってその手をぎゅっと握った。
「エリック。まだ何もしてないよ、僕」
「サインもらいに行こうとしてるでしょ」
「だって欲しいもん。イリヤのサイン。それに隣にいるのって」
「ベースのカンダ」
「やっぱり!! じゃ、二人のサインもらおうよ!」
「ダメ。顔を覚えられたら困るでしょ」
「なんで? 僕、顔覚えて欲しいな」
「フレッド。僕たち幽霊なんだよ。見えちゃいけない存在」
「わかってるもん。だけどイリヤたちだって裏側の存在じゃん。それに幽霊だって顔ぐらい覚えておいてほしいな。どうせ、いないんだから。このお仕事終わったら全部消えちゃうんだもん。だったら好きな人間の記憶にぐらい残りたくないの? エリックは」
「僕はお前の中にいられればそれでいい」
 きっぱりと言い切ったエリックの顔を見たフレッドは、思いがけず見てしまったその瞳の強さに言葉を続けることが出来ず口をつぐんでしまった。
「フレッド。命令オーダーが来たからには、獲物ターゲットに絶対気付かれるわけにいかないでしょ」
 エリックが見る先にはタクシーを降りた二人が数人の人間たちと合流し挨拶を交わしている。その中にタケシ・ヤングの姿もあった。
「おはようございます」
「おはよ~」
「入谷さん、神田さん、無防備過ぎませんか? タクシーで正面玄関からって。どう思います? タケシさん」
「バレなきゃ関係ないだろ」
「そうそう。俺ら全然気付かれないから。普通にスーパーでもコンビ二でも買い物できちゃうから。神田なんて練習中にフラッと電車乗って楽器屋まで遊びに行っちゃっても大丈夫だ」
「遊びには行ってないよ~」
 入谷にからかわれたことなど涼しい顔で神田は続ける。
「でも、気付かれることあるかもね~ 入谷さんの~ 身長や動作や態度や素行や絡まれ体質のせいで~」
「身長はわかる。他4点はなんだ。せいってなんだ、せいって」
「知らないのはご本人だけってなんだよね~」
「どういう意味だ」
 入谷と神田はタケシたちスタッフたちと連れ立ってメイン・ステージへと向かって行った。
 
 
 リハーサル前の会場ではすでに多くの人間が忙しく作業に取り掛かっていた。万遍無く「おはようございます」と挨拶しながら入谷はステージを眺める小柄な金髪を見つけその隣まで行くと同じくステージを見ながら声をかけた。
「葉山、早いな」
「おお。入谷さん、おはようございます。なんだか興奮して早くに起きてしまった」
 童顔のボーカリストは高揚した顔で入谷を見上げる。
「おいおい。ちゃんと寝たのか? 遠足前の子どもじゃあるまいし」
「いやもう。このステージで演れるんだって思ったら興奮して。ようやくここまでこれた感慨と言うかなんと言うか」
 感動なのか武者震いなのかその両方か、震えるボーカルを見て入谷は遠足に出かける子どもと変わらんな、と思いながら「リハ終わったら仮眠しとけよ」と身震いしている頭に手を置いた。
「ウヲ! また頭に手を置いたな! 私は子どもではないぞ! 身長が高いからって! 足が長いからって!!」
「ハイハイ。葉山ぼっちゃん。皇帝陛下。足の長さは関係ないかと存じますよ」
 ますます早口言葉のごとくマシンガンクレームを撃ち始めた葉山だったが、当の入谷はハイハイとあしらって煙草を取り出した。
「ウヲイッ! ここ禁煙!! 何考えてんだ、あんた!!」
「冗談よ、冗談」
 葉山が生真面目に騒ぐのが面白くてついつい、いつものやり取りルーチンを始めてしまい葉山がゼーゼーと肩で息をし始めた頃、神田が遠海とうみを連れてやってきた。
「おはよ~ 葉山く~ん あれ~? 藤くんは~?」
「あいつが時間通りに来たためしあるか?! 誰か連絡してるんだろうな?!」
 半分八つ当たりの葉山は近くを通りかかったスタッフに声を荒らげたが、機材搬入出を請け負う会社の男は無愛想に無言で “知らん” と、葉山よりだいぶ高いところにある視線で応えてきた。童顔に似合わず喧嘩っ早い葉山が、その視線にお門違いの闘志を燃やした行動を起こす前に、危機回避能力の高い遠海が素早く間に入った。
「すみません。ちょっとこの方こじらせ気味で」
 遠海が謝罪すると男は何事もなかったように去って行った。
「葉山さん、落ち着きましょう。クロさんが連絡してるはずですよ」
「そのクロはどこだ?」
「ん~ 食事中かな~ じゃなかったら~ 精神統一中だよ~」
 ベースの神田はモバイルを取り出すとリズム隊の相方、ドラムのクロイツァーことクロに電話をかけた。
「僕だよ~ あそう。うん。は~い」
 手短に通話を終えると「控えで食事終わったとこだって~ クロくん通常運転~」とモバイルをポケットにしまった。
「通常運転は神田、お前だ。きっと世界滅亡の瞬間まで通常運転だ。だいたいな。こういうことになるから、あいつにだけ1時間早めに入り時間伝えとけって言ったろ。なんなら2時間巻きでもいいぞ」
「入谷先輩、さすがに2時間は早すぎじゃないでしょうか」
「待たせときゃいいんだ。あの遅刻魔は」
「そうだ! 今どこだ遅刻魔藤!」
「葉山。遠海の言うとおりだぞ。少し落ち着け」
「落ち着いてなどいられるか!!!」
 振り上げた拳のやりどころがないまま怒りの熱を増す葉山の肩を入谷はつかむと「葉山君」にっこりと「落ち着きましょうね」と笑った。その笑顔に葉山の熱は瞬時に消し飛んだ。
『すごいよね~ 入谷スマイル~』『恐ろしいです……』ヒソヒソと囁きあう神田と遠海に「なにか?」と入谷が笑顔のまま振り向くと、遠海はもげそうなほど左右に激しく首を振った。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜

まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、 専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活   現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。   しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。   彼は大陸一の富を誇る名門貴族―― ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。   カイルに与えられたのは ・世界一とも言える圧倒的な財力 ・財力に比例して増大する規格外の魔力   そして何より彼を驚かせたのは――   彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。   献身的なエルフのメイド長リリア。 護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。   さらに個性豊かな巨乳メイドたち。   カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。   すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――   「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」   領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、 時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、   最強の御曹司カイルは 世界一幸せなハーレムを築いていく。 最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...