雪原脳花

帽子屋

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間奏曲

lamentazione(9)

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 グレンは伸ばされた手の落ちたそのなかを恐る恐るのぞき見た光景に悲鳴とも奇声ともつかない音をもらしそうになった口を慌てて両手で押さえる。足に力が入らず崩れるようになる体を壁に背をおしつけなんとか腰を床につける。ガタガタと震えが止まらない。
 クソッ!震えるな!止まれ!あいつらに見つかっちまう!
 足の震えを止めようと両手に力をこめる。リッキーたちの気配が食堂から消えたのを感じながらも、グレンは指のさきが白くなるほど力をこめたままその場で体を固くしてうずくまった。自分が本当に物影に隠れた、人間に、全てに怯える虫のように思えた。ふと見れば廊下へと伸ばされた、自分がつかもうとした小さな手の下に赤い液体がじわじわと広がりながらこちらへ漂ってってくるのが見え、吐き気とともに恐怖が込み上げる。
 ここにいたら俺も……俺も殺される。
 今すぐに逃げ出したいの体は言うことをきかない。ほどくようにして広げた手のしたの足には力が入らず立ち上がることができない。音を立てないように、よつんばいになって這うようにしてずるずると移動する姿は本当に虫のようだった。
 虫ケラはいつだって人間に殺される。文句も言えない。俺には文句すら言えない。
 俺は……人間じゃない、虫だ。虫ケラだ。いつ踏み潰されたっておかしくないんだ。
 いつもなら腹を空かせて走る薄暗い廊下の出口はとても遠くに感じられた。背後に恐怖が、すぐそばに人間たちが、笑みを顔に張り付かせたリッキーが今にも現れる気がした。
 ようやく見えた出口、背後から迫る罵声も銃弾もないことにグレンが小さく息を吐いて手をのばしたとき、はきふるした靴の先がのぞいた。
「グレン……」
「ヒッ」
 名を呼ぶ突然の声にはいずっていた体を強張らせる。
「ころ、ころ、ころさないでくれ……」
 床に尻をつき頭をかかえるようにして、靴とその足にガタガタと命乞いをする。
「グレン」
 どこかひきつれるような男の声はグレンのすぐそばにしゃがみこむと肩に手をかけた。
「グレン、大丈夫だ。私だ」
「あ、あ、あんた、い、い、生きてたのか」
「ああ。私は大丈夫だ。仕事から帰ってきたばかりで……君は怪我はないかい?」
 いつか奇跡がやってきたと講堂で話した男が目の前にしゃがみこみ、心配そうに自分を見ているが、しわのよったシャツには赤黒いしみが出来ていた。
「そ、そ、それ……う、う、撃たれたのか?」
「ああ、これは……大丈夫。ここへ来る途中で怪我をした人を運んだときについたんだよ」
「怪我……」
 リッキーたちは自分を殴り倒したときに、誰かのことを笑いながら話していたような気がする。その誰かを目の前の男は助けたのだろうか。そしてこの男は自分を助けに来たのだろうか。
「あんた、この先に行っちゃダメだ。あんたも殺される、早く逃げよう。みんな、あいつらに殺されちまった。踏み潰されちまったんだよ!俺たちも見つかれば殺される。俺たちは虫ケラなんだ!見つかったら殺されちまうんだよ!」
 グレンは自分に伸ばされた男の腕をつかみ、音を噛み殺して訴えた。
「……グレン、君も私も虫ケラなどではないよ」
「なに言ってんだよ!あんたも殺されかけただろ?あいつらに、あのコンクリートの瓦礫の中で笑いながら踏み潰されただろ?あんたが言ってた奇跡なんて俺には聴こえてこねぇし、ここの連中だって……ちょっと前に天使の声が聴こえたって言ってた連中だって、簡単に殺されたよ!奇跡なんて嘘だ!奇跡なんて起きない!俺たちは虫ケラのまんまだよ!」
 男の言葉におさえきれないもどかしさと苛立ちが込み上げる。叫びたい衝動を上回った恐怖がなんとか声を潜めさせたが、激しく込み上げた思いにボロボロと溢れ出る涙を止めることはできなかった。
「いつだって笑ってるのは人間だ。笑って虫を殺す。だってそうだろ、そこら辺を飛んでる蝿や這い回ってる虫ケラは笑ったりできない」
 男は伸ばされた腕に自分の手を重ね静かに「奇跡はやってくる」と答えた。
「君にはまだ聴こえていないだけだ。いずれ必ずそれはおとずれる。だから君はここから早く逃げなさい。この教会から、いや、この土地から離れるんだ。今はハンドラーがいない。私ではきっと彼らをおさえきれない」
「逃げるって……あんたは、あんたはどうすんだよ」
「私は……行かなくては。声がそう言っている。力を示せと」
「力?なに言ってるんだよ、おかしくなっちまったのか?力なんてあんたにないだろ?あんたも俺と同じ虫ケラだよ。人間相手に何もできやしねぇ。な、俺と一緒にこっから今すぐ逃げよう」
 懇願するグレンに男は、独りが怖い、独りにしないでくれと暗に叫ぶ声を聞き、優しく言い聞かせるように肩に手を置き真っ直ぐにグレンを見た。
「いいかい、こう考えて。私は彼らをここでくいとめる、君がここから逃げだせるように。だから一緒にはいけない。だが大丈夫だ。君はもう独りじゃない。必ず声が聴こえてくる。君の天使が語りかけてくるよ」
 グレンは混乱の中で、男の言っていることが妄想なのかそれとも真実なのか、もうそれを疑う気すらおきず、ただ男のひとことひとことに呼応するように瞳の中で淡く発光する光が次第に輝きを増していく様子に目をそらすことも出来ず見つめていた。
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