7 / 7
7話
しおりを挟む
数日後。
国境を跨ぐ大きな橋の上に、数台の馬車と騎士団の列があった。
アルトリアは慣れ親しんだ自国の騎士服を脱ぎ、ジークフリートが用意させた、機能美と気品を兼ね備えた黒銀の軽装鎧に身を包んでいる。
「……本当に、いいのか。私のような無愛想な女を連れ帰って。貴公の国には、もっと若くて可憐な令嬢がいくらでもいるだろう」
馬に跨り、隣を歩むジークフリートにアルトリアは問いかけた。自由を手に入れたとはいえ、長年刷り込まれた自己評価は、そう簡単には拭い去れない。
「まだそんなことを言っているんですか」
ジークフリートは馬を寄せると、アルトリアの手綱を握る手を上から重ねた。
「貴女のその凛とした立ち振る舞い、戦場で向けられた鋭い眼差し。……それこそが俺の心を奪ったんです。俺の国では、貴女は『宿敵の英雄を射止めた女神』として歓迎される予定ですよ」
「女神……っ、よせ。柄にもない」
アルトリアが頬を赤らめて顔を背けると、後ろの馬車から賑やかな声が響いた。
「いいじゃない、アルトリア! 照れてる顔も素敵よ」
馬車の窓から身を乗り出しているのは、ルイス王子と睦まじく寄り添うリリー姫だ。
リリーはアルトリアが最も案じていた「民の安全」のために、惜しみない尽力を注いでくれた。自ら父王へ進言し、侯爵家の実質的な運営者がアルトリア一人であったこと、そして夫のエドワードが愛人を囲い散財に耽る無能であることを暴いてくれたのだ。
精緻に記された帳簿の筆跡や、アルトリアを慕う民たちの証言は決定打となった。エドワードは侯爵の座を追われて平民へと身分を落とし、後釜には国王が信頼を寄せる優秀な人物が据えられた。アルトリア自身もその人物と面会し、信頼に足る者だと確信した上で、滞りなく引き継ぎを済ませることができたのだ。
「リリー様……。ご恩は一生忘れません」
「ふふ、お礼ならジークフリート様をたっぷり愛してあげることで返してね」
リリーの茶化すような言葉に、ジークフリートが満足げに頷く。
「聞き入れられましたか、アルトリア。……それと、一つ言っておきますが、俺が肩代わりした貴女の実家の負債、決して安くはありませんよ」
ジークフリートが真剣な、それでいてどこか楽しげな表情で彼女を見つめる。
「一生をかけて、傍で返していただきます」
その言葉は、もはや契約でも命令でもなかった。
アルトリアは、初めて自分のために、柔らかく微笑んだ。
「……ああ。貴公が後悔するほど、長く、しつこく、隣にいてやろう」
国境の橋を越えた先には、見たこともないほど澄み渡った青空が広がっていた。
かつて帳簿とにらめっこし、愛のない寝室で絶望していた女騎士は、もうどこにもいない。
彼女の手に残っているのは、重い責任の鎖ではなく、自分を心から必要としてくれる男の、温かくて大きな手の感触だった。
国境を跨ぐ大きな橋の上に、数台の馬車と騎士団の列があった。
アルトリアは慣れ親しんだ自国の騎士服を脱ぎ、ジークフリートが用意させた、機能美と気品を兼ね備えた黒銀の軽装鎧に身を包んでいる。
「……本当に、いいのか。私のような無愛想な女を連れ帰って。貴公の国には、もっと若くて可憐な令嬢がいくらでもいるだろう」
馬に跨り、隣を歩むジークフリートにアルトリアは問いかけた。自由を手に入れたとはいえ、長年刷り込まれた自己評価は、そう簡単には拭い去れない。
「まだそんなことを言っているんですか」
ジークフリートは馬を寄せると、アルトリアの手綱を握る手を上から重ねた。
「貴女のその凛とした立ち振る舞い、戦場で向けられた鋭い眼差し。……それこそが俺の心を奪ったんです。俺の国では、貴女は『宿敵の英雄を射止めた女神』として歓迎される予定ですよ」
「女神……っ、よせ。柄にもない」
アルトリアが頬を赤らめて顔を背けると、後ろの馬車から賑やかな声が響いた。
「いいじゃない、アルトリア! 照れてる顔も素敵よ」
馬車の窓から身を乗り出しているのは、ルイス王子と睦まじく寄り添うリリー姫だ。
リリーはアルトリアが最も案じていた「民の安全」のために、惜しみない尽力を注いでくれた。自ら父王へ進言し、侯爵家の実質的な運営者がアルトリア一人であったこと、そして夫のエドワードが愛人を囲い散財に耽る無能であることを暴いてくれたのだ。
精緻に記された帳簿の筆跡や、アルトリアを慕う民たちの証言は決定打となった。エドワードは侯爵の座を追われて平民へと身分を落とし、後釜には国王が信頼を寄せる優秀な人物が据えられた。アルトリア自身もその人物と面会し、信頼に足る者だと確信した上で、滞りなく引き継ぎを済ませることができたのだ。
「リリー様……。ご恩は一生忘れません」
「ふふ、お礼ならジークフリート様をたっぷり愛してあげることで返してね」
リリーの茶化すような言葉に、ジークフリートが満足げに頷く。
「聞き入れられましたか、アルトリア。……それと、一つ言っておきますが、俺が肩代わりした貴女の実家の負債、決して安くはありませんよ」
ジークフリートが真剣な、それでいてどこか楽しげな表情で彼女を見つめる。
「一生をかけて、傍で返していただきます」
その言葉は、もはや契約でも命令でもなかった。
アルトリアは、初めて自分のために、柔らかく微笑んだ。
「……ああ。貴公が後悔するほど、長く、しつこく、隣にいてやろう」
国境の橋を越えた先には、見たこともないほど澄み渡った青空が広がっていた。
かつて帳簿とにらめっこし、愛のない寝室で絶望していた女騎士は、もうどこにもいない。
彼女の手に残っているのは、重い責任の鎖ではなく、自分を心から必要としてくれる男の、温かくて大きな手の感触だった。
17
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
離婚を望む悪女は、冷酷夫の執愛から逃げられない
柴田はつみ
恋愛
目が覚めた瞬間、そこは自分が読み終えたばかりの恋愛小説の世界だった——しかも転生したのは、後に夫カルロスに殺される悪女・アイリス。
バッドエンドを避けるため、アイリスは結婚早々に離婚を申し出る。だが、冷たく突き放すカルロスの真意は読めず、街では彼と寄り添う美貌の令嬢カミラの姿が頻繁に目撃され、噂は瞬く間に広まる。
カミラは男心を弄ぶ意地悪な女。わざと二人の関係を深い仲であるかのように吹聴し、アイリスの心をかき乱す。
そんな中、幼馴染クリスが現れ、アイリスを庇い続ける。だがその優しさは、カルロスの嫉妬と誤解を一層深めていき……。
愛しているのに素直になれない夫と、彼を信じられない妻。三角関係が燃え上がる中、アイリスは自分の運命を書き換えるため、最後の選択を迫られる。
旦那様の愛が重い
おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。
毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。
他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。
甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。
本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。
冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件
水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」
結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。
出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。
愛を期待されないのなら、失望させることもない。
契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。
ただ「役に立ちたい」という一心だった。
――その瞬間。
冷酷騎士の情緒が崩壊した。
「君は、自分の価値を分かっていない」
開始一分で愛さない宣言は撤回。
無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。
以後、
寝室は強制統合
常時抱っこ移動
一秒ごとに更新される溺愛
妻を傷つける者には容赦なし宣言
甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。
さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――?
自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。
溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
真面目な王子様と私の話
谷絵 ちぐり
恋愛
婚約者として王子と顔合わせをした時に自分が小説の世界に転生したと気づいたエレーナ。
小説の中での自分の役どころは、婚約解消されてしまう台詞がたった一言の令嬢だった。
真面目で堅物と評される王子に小説通り婚約解消されることを信じて可もなく不可もなくな関係をエレーナは築こうとするが…。
※Rシーンはあっさりです。
※別サイトにも掲載しています。
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる