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3話

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 伊吹に残る春岳の記憶は少ないものだった。
 乳兄弟として育ったと言え、幼少の頃は家事のお手伝いやお稽古等していてそうそう会えるような関係では無かった。
 たまに見かける春岳は若様と言うよりは姫様と言う感じに見えた。
 将来、彼を支える事が自分の仕事だと母から言われ、その為に勉強や稽古事もした。
 だが、伊吹にとっては春岳はまるで遠くの世界の人であった。
 

 春岳が寺に預けられたのは七歳の頃だ。
 春岳は次男であり、本妻ではなく側室の息子であった。
 その為、城ではなく、離で暮らしていた。
 だが、春岳は幼くして聡明であった為に本妻に妬まれ、危惧されてしまった。
 目を付けられたのだ。
 本妻の息子である長男は少し体の弱い所が有ったから尚更だろう。

 本来ならば伊吹も春岳に着いて寺に行かなければならなかったのだろうが、春岳は密かに連れて行かれ、どこの寺に預けられたかも内密のものとされてしまった。
 伊吹には知る手立ても無く、次第に春岳の事は記憶から薄れてしまっていった。



 伊吹が十三歳で元服し、その後、城に仕える様になった。
 そして、その二年後には城主が亡くなり、春岳の兄が新しく城主になった。
 既に本妻も隠居の身となり別邸に身を置いていた。
 春岳の兄は病弱では有ったが心優しい人であった。

「伊吹、春はどうしているだろうね。元気にしているなら良いのだけど……」

 そう、いつも春岳を気にしていた。
 伊吹も気になり調べたが、既に彼が預けられたと思われる寺は廃屋となっており、行方もようとして知れなかった。
 春岳の兄は結局子供を成すことも無く、城主となって三年後には流行病で亡くなる事となった。

 伊吹は直ぐに家臣達を集めて春岳を探させた。
 近隣に寺の事を聞いて周り、近くの城にも手紙を書いて情報を集めた。
 そうして、やっと見つけた。
『春岳様は、どうやら忍びの里で保護されている様です』
 そう報告を受けたのは城主が亡くなってから一年も経っていた。
 もう既に亡くなって居られるかも知れないと半ば諦めかけていた所で見つかった春岳に、伊吹は本当に喜んだ。


 そして帰ってきた春岳に伊吹は膝をついて深々と頭を下げ、挨拶した。

「お帰りなさいませ殿。私は伊吹と申します。殿の乳兄弟に当たります。今日から私が殿のお世話をさせて頂きますゆえ」

 きっと覚えておいででは無いだろう。

「伊吹さん、顔を上げてください。私、堅苦しいのは好みません」

 春岳は伊吹の肩を優しく掴む。
 随分、男らしい低くて艶やかな声だと思った。
 聞き惚れるいい声だ。

「私の様な者に敬称などおやめ下さい。恐れ多い事ですよ」

 殿はまだ殿としての立場に慣れておいででは無さそうである。

「ならば伊吹も私を呼び捨ててください」
「殿、お戯れを……」

 伊吹は春岳の言葉に困ってしまう。

「とにかく挨拶はもう良いですから顔を上げなさい」

 春岳に命じられ、顔を上げる伊吹。
 久しぶりに見た春岳の顔は相変わらず綺麗であった。
 声は男らしいが、やっぱり殿と言うよりは姫様だと思う伊吹である。
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