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74話

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 そろそろ年越しの時間である。

 年越しを知らせる係の者、恐らくは可哀想にじゃん拳に負けた見張り係の物だが、カーンカーンと、危険を知らせる物とは別の波長で音を鳴らす。
 その音が春岳と伊吹にも聞こえた。

「明けましておめでとう御座います殿。今年も宜しくお願いします」
「此方こそ宜しく頼みますよ伊吹。さて、先ずは新年ですし、姫初めと行きますか?」
「姫初め?」

 純粋な伊吹は、姫初めを知らない様子だ。

「新年初めての交わりをそう呼ぶようです」
 
 そう教えれば、伊吹は顔を真っ赤に染める。

「さっき、抱かせてくれると言いましたよね?」

 売り言葉に買い言葉であっただろうが、言った事は言った。

「それは言葉の誤でした」

 視線を逸らす伊吹。

「駄目ですか。伊吹は嫌?」

 狡い言い方をしていると、自分でも思う。
 ただ伊吹の本心が知りたかった。

「嫌では無いです。私だって出来れば殿と繋がり、気持ちよくして差し上げたい」
「じゃあ……」
「でも、殿のモノを受け入れられる準備をしていませんし、このままですと、殿も痛いでしょうし……」

 伊吹は困った様に、俯いてしまう。

 少し意地悪な言い方だった。
 ただ、自分とそういう事をするのも吝かでは無いと伊吹の口から聞きたかっただけだ。
 まだ無理だと知っている。
 そんな無茶は俺だってしたくは無い。

「伊吹、愛しています。これから先、何年も、死ぬでずっと一緒に年を越しましょう」
「……はい」
「嬉しくない? 伊吹は嫌?」
 
 伊吹は不安そうな面持ちだった。
 ハッキリと話したことは無かった。
 でも、伊吹は自分を愛してくれているのでは無いかと感じた事は一度だけじゃない。
 でも、それは自惚れだったのだろうか。
 そう春岳も不安になる。
 伊吹は主に求められ、仕方なく合わせてくれていただけなのだろうか。

「伊吹には結局の所、これは一時的な火遊びでしかなくて、いつかは女の人を選ぶのかな?」

 思わずそんな事を口にしてしまう。

 寂しい。辛い。嫌だ。

 俺を捨て女を選ぶだなんて許さない。

「春岳様……」
「俺は本気で伊吹だけなのに。伊吹だけが好きなのに。伊吹は遊びなんだな……」   

 こんな事を言うつもりじゃ無かった。

 言わない積もりだった。

 それなのに伊吹が不安そうな顔をするから……

 俺だってずっと不安だ。
 伊吹に捨てられたら、俺はもうどうしたら良いのか解らなくなる。

 本当は、ずっと不安だった。
 気付かない振りをしていただけ。


「春岳様、泣かないで下さい」

 親指で優しく涙を拭ってくれる伊吹。

「ハッキリ言ってくれ。俺がお前の主だから閨に来るのか?」

 自分で仕掛けた事だと言うのに、それでも良い。側に居て欲しいと思ったのは自分だと言うのに。
 やはり、それだけでは我慢出来なくなってしまう。
 伊吹の心が欲しい。

「違います。私は春岳様を愛しています。この気持ちに偽りは有りません」
「本当に? じゃあ……」
 
 何でそんな不安そうな表情をするのだ。

「私が欲しがり過ぎてしまっていて、怖くなってしまったんです。こんなに春岳様から愛されて、良くして貰えているのに、今が幸せ過ぎて怖くなってしまうのです」

 困った様に笑う伊吹。

「何を怖がると言うんだ」

 溢れ出す涙が止まらず、伊吹は手ぬぐいで春岳の顔を拭く。

 これでは捨てないでと駄々をこねる面倒くさくい男の様だ。
 伊吹は優しいからこんな事されたら嫌でも離れられない。

 それでも良いか。

 持てる武器を全部使ってでも伊吹を側に縛り付けたい。

 それでは伊吹が辛くなるだけ。
 伊吹の幸せを願いたい。 

 そんな矛盾した心がせめぎ合う。

「春岳様は今までも色々な方を相手されていたのでしょう?」
「え?」

 忍務としての相手ならした事はあるが……
 そう言う話だろうか?

「私がいつ貴方の過去になってしまうのかと、それを思うと怖いのです。こんなに愛されてしまって、私はもう、春岳様から離れられ無いのに……」

 ギュッとシーツを握る伊吹。
 辛そうな表情に、目には涙が浮かんでいる。

「え? え??」

 何だって??
 もしかし、何か凄い誤解されている!?

 何でそんな誤解を!?

「伊吹、俺は伊吹が初めてなんだ。初めて愛して、初めて接吻なんてしたし、初めて欲しいと思った。全部、伊吹が初めてだ」
「え?」

 春岳は思わず伊吹の肩を強く掴んで大きな声で言ってしまう。
 驚く伊吹。
 それからムッとした表情になった。

「嘘をおっしゃいますな! 初めての人があんな…… 有理の見てましたからね! 初めてじゃありませんでした!」

 初めての行為にあんな事になる訳ないじゃないか!
 と、怒る伊吹。

 伊吹には、まだトラウマである。
 有理、白目向いてた!

「初めてだって本人が言ってるだろ! 本当にあれは隣で喘いでいる伊吹に興奮したんだ。大体、他人相手に勃起した事も無いからヤろうにもヤれなかったんだ!」

 何度もそう言った気がするのだが。
 変な誤解をされ、春岳も腹が立つ。

「嘘だぁ!」
「嘘じゃない!」
「嘘!!」
「嘘じゃないんだよ!!」

 嘘だぁ嘘じゃないを大声で良い合う春岳と伊吹。

 困ったな。
 どうしたら伊吹は信じてくれるんだ。

「もう、本当に伊吹だけなんだよ。信じてくれないか?」

 春岳は眉間に皺を寄せ、ギュっと伊吹の握りしめる。
 解って欲しい。

「……解りましたそこまで言うなら信じます」
「え!?」

 そんな急に信じてくれるの!?

 ビックリして伊吹を見ればフワッと綺麗に笑って見せた。

「春岳様を愛しているので信じる事にしました。例え春岳様に捨てられようとも、私は勝手に死ぬまで春岳様のお側に居させて頂きますね」
「え、じゃあ俺も伊吹に捨てらたら勝手に座敷牢に監禁するね!」

 伊吹の言葉にニコリと可愛く笑いながら、飛んでも無い事を言う春岳だった。
 伊吹は、よく解らない様子だ。
 やはり、二人は若干酔が抜けていない様子である。

「じゃぁ先ず、新年初めての接吻をしよう」

 そう言って伊吹に優しく口吻する春岳であった。
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