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34 壊れた砦 - le Fort détruit -
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「聞いてる?シルヴァン。有り得ないと思わない?」
イオネの「聞いてる?」はこれで二十八回目だ。シルヴァンは「聞いてるよ」とだけ答えて、七杯目のワインをレモン水が入ったグラスと取り替えた。
「まだ十日よ。それなのにもう次がいるなんて、見下げ果てた放蕩者だわ。深入りする前でよかった。とんでもない屈辱よ。あんな人に会いに行ったなんて…」
傷付いている自分に気付くことも嫌だった。最悪だ。
イオネは目の奥が熱くなるのを堪え、奥歯を噛み締めた。
「君って失恋すると酒で忘れようとする質だったんだな。ちょっと意外だ」
シルヴァンは半ば揶揄うような調子で言い、鈍い青の色が美しいカップに口を付けた。カップには、甘党のシルヴァンが好む蜂蜜入りの熱い紅茶が入っている。酒席でのシルヴァンは概ね聞き役に回ることが多いが、相手がイオネというのが珍しい。
「違うわ!始まってもいないものを失ったなんて、矛盾してるもの。失恋なんかじゃない。ただ、あの人の身勝手さに腹が立ってるのよ」
「イオネ、傷付いてる自分を否定しなくてもいいんだよ」
イオネは手元のグラスの中のものをぐび、と飲み干した。中身がレモン水にすり替わっていることには気付いていない。
「そうよ。わたし、傷付いてるの」
声に出して初めて、この事実に気が付いた。
「自分が愚かな行動を取ってしまったことに、傷付いてる。一番信頼していた人間に裏切られた気分よ。自分にね」
「頑固だなぁ。認めちゃえば少しは気が楽になるだろうに」
「何のことよ」
俯いたイオネの顔を、シルヴァンが頬杖をついて覗き込んだ。
「…なあ、イオネ。今こういうことを言うのはあんまり気が進まないんだけど、君も知っておくべきだと思うんだ」
「何?はっきり言って」
シルヴァンが口を開いた。唇に錘でも付いているように、重たげだ。
「君の家探し、ずっと見つからないって言ってたろ。君が家を探し始めてから近隣の空き家に立て続けに買い手がつくなんて、ちょっと変だと思って調べてみたんだ。そしたら、買い手は全部同じ人だったんだよ」
胃が急激に縮んだ。その後に続く言葉が、この一瞬の間で分かってしまったのだ。
「コルネールさんだよ」
シルヴァンの目が、ひどく心配そうにこちらの様子を窺っているのが分かる。取り繕った無表情の奥で、足が泥沼にゆっくりと沈んでいくように、気分が落ち込んだ。
「彼が君の家探しを邪魔してたんだ。君の仕事の腕が必要だったのかもしれないけど、理由が何であってもこんなやり方するなんて、僕はあの人のことを信用できない。距離を置いたのは、結果的によかったんじゃないかな」
イオネは席を立った。
「もういい」
これ以上は少しだってあの男のことを考えていたくない。遊びのつもりにしても、行き過ぎだ。理由を疑問に思うことさえ、今は苦しい。
同じ夜。コルネール邸では、イオネに扮した囮役の兵士が襲撃者を庭園で制圧し、マルクが男をユルクスの軍施設へ連行して、尋問を始めていた。
囮役の兵士はまだ十七歳の華奢な体付きの少年で、ナヴァレとしての初仕事がイオネの身代わりだった。上官のマルクに命じられた「重大任務」とは言え、エリート将校を目指しての入隊だから、不本意ながら何日も女性役をさせられた鬱憤が溜まっている。その矛先は、諸悪の根源である襲撃者に向けられた。
アルヴィーゼの目論見は、見事に当たった。
「根性のないやつだ。もう吐いたのか」
アルヴィーゼは冷笑した。執務室の大きな窓の外では無数の針のように雨が地上へ向かって落ち、ユルクスの石畳を冷たく濡らしている。
「お前のアリアーヌ教授を付け狙っていた他の二人と潜伏場所、雇い主の名前と、その他違法売買の詳細までな。簡単だったぞぉ。まあ、うちの部下がそれだけ優秀ってことだけどな」
執務室のソファに我が物顔で腰を沈めたマルクが軽快に言った。
「ジャシント・カスピオはユルクスの警察隊に拘束されたよ。これで野放しになることはまずないだろう。父親の議員が息子の罪状を伏せるよう訴えてはいるが」
「それで手を打つ」
「いいのか?お前らしくないな」
普段のアルヴィーゼなら、危害を加えようとした相手の罪状を詳らかにし、完膚なきまでに相手の地位も名誉までも叩きのめすだろうに、今回ばかりはそれを曖昧にして、早々にこの国から遠ざけることを優先しようとしている。
「神域には塵一つ残すべきじゃない」
暗い怒りが、その声に満ちている。
マルクは内心の驚きを隠さず、「ああ」と眉を開いた。察するところ、アルヴィーゼの言う「神域」の指すものは、イオネにとっての学問の世界だ。
彼女の信仰の対象とも言えるその領域にカスピオという不愉快極まりない害悪が存在し、尚且つ実害をもたらそうとした事実を彼女が知れば、「神域」はイオネにとって絶対的安全圏ではなくなってしまう。
アルヴィーゼの最優先事項は、イオネが恐怖や危険を知る前に、それらを徹底的に排除することなのだ。
「お前って案外、過保護な男だったんだな。人間らしくなっちゃって」
「過保護?」
アルヴィーゼは唇を歪に吊り上げた。
(そんなに生温いものかよ)
これは、違う。庇護欲や、恋情などという言葉では片付けられないほどの、もっと根深く、暗く、激しい欲求だ。
陶酔と安らぎを与え、あらゆる害悪から守護する存在でありながら、最大で唯一の害悪でも在りたいと思っていることを、あの女は知らない。
イオネを煩わせる存在は、自分だけでいい。そのためには、他の害悪は早々に排除してしまわなければならない。
そして、アルヴィーゼ・コルネールは、そのための手段を選ばない。
その後の処理は、簡単なものだった。
カスピオ議員は公的な書類に署名し、息子と絶縁する形で家名と自らの経歴を守り、ジャシント・カスピオは船で七日かかる離島へ追放され、違法売買の罪に問われた複数人の男たちは投獄された。
庭園で男を拘束してから、僅か三日のうちにこれらの法的な手続きが全て終了し、追放の船が出港した。恐るべき速さで事が済んだのは、全てアルヴィーゼがその人脈と権力で事を進めたからだ。この男の影響力は、じわじわとルメオ共和国の政治にまでその根を伸ばしている。
ところがひとつ、誤算があった。
イオネがノンノ・ヴェッキオと呼んで親しくしているヴィクトル・フラヴァリ老公に、どうやら嫌われたらしいということだ。その息子で現在バイロヌス領主となっているブルーノとは良好な関係を築いているから、随分前に政治の世界から引退し、今は学者として余生を楽しんでいるヴィクトル老公との利害関係などはない。あるとすれば、老公が孫のように可愛がっているイオネのことだ。
アルヴィーゼは諸々の処理が済んだ後、イオネに会うためフラヴァリ邸を訪問したものの、ヴィクトル老公自らが門の外へ出てきて馬前のアルヴィーゼに型通りの挨拶をしたあと、こう言った。
「残念だが、イオネは君に会いたがっていない。会いたくなれば本人から行くだろうから、待つことだね。公爵が見えたことは、報せておくよ」
年配者らしく慇懃な物言いだったが、淡い色の目がアルヴィーゼをよく思っていないことは明らかだった。まるで娘に言い寄る悪い虫を追い払う父親のようだ。
「なるほど。また来ます」
「譲らんね、君も」
アルヴィーゼはヴィクトル老公に向かって唇の片側だけ吊り上げて見せ、そのまま辞去した。無表情を装ったが、内心では苛立っていた。
イオネは数日前からコルネール家の馬車を拒否し、新しい家が決まった様子もないのに、フラヴァリ家の使用人をコルネール邸へ派遣して、残りの荷物を全て移動させている。何がきっかけとなったかは判然としないが、突然アルヴィーゼの縄張りから自分の痕跡を消し去ろうとしているようだった。
(許すわけがない)
アルヴィーゼはフラヴァリ邸の無人の窓を見上げ、馬の腹を蹴った。
このまま逃げられると思ったら、大間違いだ。
ここ最近のイオネは、他の一切を考えることを放棄したように、早朝から夜遅くまで論文や翻訳の仕事に明け暮れ、大学にいる時間も長くなった。この数日バシルがフラヴァリ邸ではなく大学の図書館に通うようになったのも、そういう理由からだ。
「ずっとあの調子じゃ、本当に倒れちゃうよ。シルヴァンさん何とか言ってやってよ」
と、とうとうバシルが泣きついてきたのは、金曜日のことだ。
正直なところ、シルヴァンも同じことを考えていた。つい前日に同じことをヴィクトル老公に言ったばかりだ。が、ヴィクトル老公は外から何を言ったところで解決にならないと言い、放任することを決めたらしかった。そのかわり、食事だけは厳しく監視してしっかりと摂らせている。
ユルクスのフラヴァリ邸へ意外な来客があったのは、そういう折だった。
「これは、お久しぶりですな」
ヴィクトル老公は目尻の皺を深くして、クロッカス色のドレスを纏ったその貴婦人を歓迎した。
「ごきげんよう、ヴィクトル・フラヴァリ閣下。突然の訪問を快く受け入れてくださって、感謝申し上げますわ」
独特のハスキーな声だ。背がスラリと高く、柔らかな栗色の髪をシニョンに結ったその女は、優美にヴィクトル老公とシルヴァンに笑いかけた。
「とんでもない。姪御のことでいらっしゃったのでしょう。ラヴィニア・クレテ夫人」
「ええ。姪と、あなたがたにとっても悪くない提案をしに参りました」
ラヴィニア・クレテ領主夫人が、切れ長の目を細めた。
イオネの「聞いてる?」はこれで二十八回目だ。シルヴァンは「聞いてるよ」とだけ答えて、七杯目のワインをレモン水が入ったグラスと取り替えた。
「まだ十日よ。それなのにもう次がいるなんて、見下げ果てた放蕩者だわ。深入りする前でよかった。とんでもない屈辱よ。あんな人に会いに行ったなんて…」
傷付いている自分に気付くことも嫌だった。最悪だ。
イオネは目の奥が熱くなるのを堪え、奥歯を噛み締めた。
「君って失恋すると酒で忘れようとする質だったんだな。ちょっと意外だ」
シルヴァンは半ば揶揄うような調子で言い、鈍い青の色が美しいカップに口を付けた。カップには、甘党のシルヴァンが好む蜂蜜入りの熱い紅茶が入っている。酒席でのシルヴァンは概ね聞き役に回ることが多いが、相手がイオネというのが珍しい。
「違うわ!始まってもいないものを失ったなんて、矛盾してるもの。失恋なんかじゃない。ただ、あの人の身勝手さに腹が立ってるのよ」
「イオネ、傷付いてる自分を否定しなくてもいいんだよ」
イオネは手元のグラスの中のものをぐび、と飲み干した。中身がレモン水にすり替わっていることには気付いていない。
「そうよ。わたし、傷付いてるの」
声に出して初めて、この事実に気が付いた。
「自分が愚かな行動を取ってしまったことに、傷付いてる。一番信頼していた人間に裏切られた気分よ。自分にね」
「頑固だなぁ。認めちゃえば少しは気が楽になるだろうに」
「何のことよ」
俯いたイオネの顔を、シルヴァンが頬杖をついて覗き込んだ。
「…なあ、イオネ。今こういうことを言うのはあんまり気が進まないんだけど、君も知っておくべきだと思うんだ」
「何?はっきり言って」
シルヴァンが口を開いた。唇に錘でも付いているように、重たげだ。
「君の家探し、ずっと見つからないって言ってたろ。君が家を探し始めてから近隣の空き家に立て続けに買い手がつくなんて、ちょっと変だと思って調べてみたんだ。そしたら、買い手は全部同じ人だったんだよ」
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「コルネールさんだよ」
シルヴァンの目が、ひどく心配そうにこちらの様子を窺っているのが分かる。取り繕った無表情の奥で、足が泥沼にゆっくりと沈んでいくように、気分が落ち込んだ。
「彼が君の家探しを邪魔してたんだ。君の仕事の腕が必要だったのかもしれないけど、理由が何であってもこんなやり方するなんて、僕はあの人のことを信用できない。距離を置いたのは、結果的によかったんじゃないかな」
イオネは席を立った。
「もういい」
これ以上は少しだってあの男のことを考えていたくない。遊びのつもりにしても、行き過ぎだ。理由を疑問に思うことさえ、今は苦しい。
同じ夜。コルネール邸では、イオネに扮した囮役の兵士が襲撃者を庭園で制圧し、マルクが男をユルクスの軍施設へ連行して、尋問を始めていた。
囮役の兵士はまだ十七歳の華奢な体付きの少年で、ナヴァレとしての初仕事がイオネの身代わりだった。上官のマルクに命じられた「重大任務」とは言え、エリート将校を目指しての入隊だから、不本意ながら何日も女性役をさせられた鬱憤が溜まっている。その矛先は、諸悪の根源である襲撃者に向けられた。
アルヴィーゼの目論見は、見事に当たった。
「根性のないやつだ。もう吐いたのか」
アルヴィーゼは冷笑した。執務室の大きな窓の外では無数の針のように雨が地上へ向かって落ち、ユルクスの石畳を冷たく濡らしている。
「お前のアリアーヌ教授を付け狙っていた他の二人と潜伏場所、雇い主の名前と、その他違法売買の詳細までな。簡単だったぞぉ。まあ、うちの部下がそれだけ優秀ってことだけどな」
執務室のソファに我が物顔で腰を沈めたマルクが軽快に言った。
「ジャシント・カスピオはユルクスの警察隊に拘束されたよ。これで野放しになることはまずないだろう。父親の議員が息子の罪状を伏せるよう訴えてはいるが」
「それで手を打つ」
「いいのか?お前らしくないな」
普段のアルヴィーゼなら、危害を加えようとした相手の罪状を詳らかにし、完膚なきまでに相手の地位も名誉までも叩きのめすだろうに、今回ばかりはそれを曖昧にして、早々にこの国から遠ざけることを優先しようとしている。
「神域には塵一つ残すべきじゃない」
暗い怒りが、その声に満ちている。
マルクは内心の驚きを隠さず、「ああ」と眉を開いた。察するところ、アルヴィーゼの言う「神域」の指すものは、イオネにとっての学問の世界だ。
彼女の信仰の対象とも言えるその領域にカスピオという不愉快極まりない害悪が存在し、尚且つ実害をもたらそうとした事実を彼女が知れば、「神域」はイオネにとって絶対的安全圏ではなくなってしまう。
アルヴィーゼの最優先事項は、イオネが恐怖や危険を知る前に、それらを徹底的に排除することなのだ。
「お前って案外、過保護な男だったんだな。人間らしくなっちゃって」
「過保護?」
アルヴィーゼは唇を歪に吊り上げた。
(そんなに生温いものかよ)
これは、違う。庇護欲や、恋情などという言葉では片付けられないほどの、もっと根深く、暗く、激しい欲求だ。
陶酔と安らぎを与え、あらゆる害悪から守護する存在でありながら、最大で唯一の害悪でも在りたいと思っていることを、あの女は知らない。
イオネを煩わせる存在は、自分だけでいい。そのためには、他の害悪は早々に排除してしまわなければならない。
そして、アルヴィーゼ・コルネールは、そのための手段を選ばない。
その後の処理は、簡単なものだった。
カスピオ議員は公的な書類に署名し、息子と絶縁する形で家名と自らの経歴を守り、ジャシント・カスピオは船で七日かかる離島へ追放され、違法売買の罪に問われた複数人の男たちは投獄された。
庭園で男を拘束してから、僅か三日のうちにこれらの法的な手続きが全て終了し、追放の船が出港した。恐るべき速さで事が済んだのは、全てアルヴィーゼがその人脈と権力で事を進めたからだ。この男の影響力は、じわじわとルメオ共和国の政治にまでその根を伸ばしている。
ところがひとつ、誤算があった。
イオネがノンノ・ヴェッキオと呼んで親しくしているヴィクトル・フラヴァリ老公に、どうやら嫌われたらしいということだ。その息子で現在バイロヌス領主となっているブルーノとは良好な関係を築いているから、随分前に政治の世界から引退し、今は学者として余生を楽しんでいるヴィクトル老公との利害関係などはない。あるとすれば、老公が孫のように可愛がっているイオネのことだ。
アルヴィーゼは諸々の処理が済んだ後、イオネに会うためフラヴァリ邸を訪問したものの、ヴィクトル老公自らが門の外へ出てきて馬前のアルヴィーゼに型通りの挨拶をしたあと、こう言った。
「残念だが、イオネは君に会いたがっていない。会いたくなれば本人から行くだろうから、待つことだね。公爵が見えたことは、報せておくよ」
年配者らしく慇懃な物言いだったが、淡い色の目がアルヴィーゼをよく思っていないことは明らかだった。まるで娘に言い寄る悪い虫を追い払う父親のようだ。
「なるほど。また来ます」
「譲らんね、君も」
アルヴィーゼはヴィクトル老公に向かって唇の片側だけ吊り上げて見せ、そのまま辞去した。無表情を装ったが、内心では苛立っていた。
イオネは数日前からコルネール家の馬車を拒否し、新しい家が決まった様子もないのに、フラヴァリ家の使用人をコルネール邸へ派遣して、残りの荷物を全て移動させている。何がきっかけとなったかは判然としないが、突然アルヴィーゼの縄張りから自分の痕跡を消し去ろうとしているようだった。
(許すわけがない)
アルヴィーゼはフラヴァリ邸の無人の窓を見上げ、馬の腹を蹴った。
このまま逃げられると思ったら、大間違いだ。
ここ最近のイオネは、他の一切を考えることを放棄したように、早朝から夜遅くまで論文や翻訳の仕事に明け暮れ、大学にいる時間も長くなった。この数日バシルがフラヴァリ邸ではなく大学の図書館に通うようになったのも、そういう理由からだ。
「ずっとあの調子じゃ、本当に倒れちゃうよ。シルヴァンさん何とか言ってやってよ」
と、とうとうバシルが泣きついてきたのは、金曜日のことだ。
正直なところ、シルヴァンも同じことを考えていた。つい前日に同じことをヴィクトル老公に言ったばかりだ。が、ヴィクトル老公は外から何を言ったところで解決にならないと言い、放任することを決めたらしかった。そのかわり、食事だけは厳しく監視してしっかりと摂らせている。
ユルクスのフラヴァリ邸へ意外な来客があったのは、そういう折だった。
「これは、お久しぶりですな」
ヴィクトル老公は目尻の皺を深くして、クロッカス色のドレスを纏ったその貴婦人を歓迎した。
「ごきげんよう、ヴィクトル・フラヴァリ閣下。突然の訪問を快く受け入れてくださって、感謝申し上げますわ」
独特のハスキーな声だ。背がスラリと高く、柔らかな栗色の髪をシニョンに結ったその女は、優美にヴィクトル老公とシルヴァンに笑いかけた。
「とんでもない。姪御のことでいらっしゃったのでしょう。ラヴィニア・クレテ夫人」
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