五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

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第270話:留守を預かる者たち、そして母の采配

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 アキオたちが乗る二台の魔導車が、丘の向こうへと見えなくなってから、数時間が過ぎた。聖域は、その絶対的な指導者を失い、一瞬、静寂に包まれたかのように見えた。だが、それはすぐに、新しいリーダーたちによる、力強い鼓動へと変わっていった。

 町の運営は、筆頭夫人であるアヤネを中心に、驚くほど円滑に進んでいた。彼女の元には、アルト、カイ、ケンタ、ミコ、サラ、ユメといった、アキオが信頼して後を託した、次代を担う若きリーダーたちが集う。
「聖域街道の建設予定地へ、こちらから送る資材の第一便は、明日の早朝に出発させます。アルトさん、準備はよろしいですね?」
「はい、アヤネ様。完璧です」
「ミコさん、新しい仲間たちの健康診断、ありがとうございます。栄養状態が特に悪い方々への、追加の食事メニューを考えましたので、後で確認をお願いします」
「はい、お姉ちゃん!」
 アヤネは、もはやただの優しい妻ではない。アキオからこの巨大な家族の全てを託された、「聖域の母」として、その柔らかな物腰の中に、揺るぎない覚悟と、的確な判断力を宿していた。

 しかし、その平穏は、長くは続かなかった。事件は、元「荒くれ共」たちのための、新しい居住区画の建設現場で起こった。
 ザックやゴルドーといった、先に更生を果たした「第一陣」の男たちが、現場のリーダーとして、後から来た「第二陣」の男たちに、アキオから教わった木組みの技術を指導していた。だが、第二陣の男たちの心には、まだ、帝国兵としての無駄なプライドと、同胞への嫉妬が渦巻いていた。
「へっ、なんだよ、ザック。すっかり、ここの家畜になりやがって。俺たちに指図するたあ、いい身分になったもんだな」
 第二陣のリーダー格であるブルクが、ザックに向かって、嘲るような言葉を吐き捨てた。その一言が、引き金だった。
「んだと、てめえ!」
「もう一度言ってみやがれ!」
 第一陣と第二陣、双方の男たちが、一触即発の雰囲気で睨み合う。カイとケンタが、慌ててその間に割って入るが、一度火のついた男たちの闘争心は、簡単には収まらない。

 その、険悪な空気を切り裂いたのは、凛とした、しかしどこまでも穏やかな声だった。
「——あなたたち」
 そこに立っていたのは、アヤネだった。彼女は、護衛もつけず、ただ一人、その場に静かに佇んでいた。その、あまりにも場違いな、しかし、誰もが逆らうことのできない、絶対的な母性のオーラ。
「アキオ様は、この町を、そして、あなたたち全員の未来を、わたくしたちに残された者へと、託してくださいました。その信頼に、泥を塗るおつもりですか?」
 アヤネは、ブルクと、そして第一陣の男たちを、その慈愛に満ちた瞳で、真っ直ぐに見つめた。
「あなたたちの有り余る力、よく分かります。ですが、その力を、仲間同士でぶつけ合うのは、あまりにも、もったいないことではありませんか?」
 彼女は、ふわりと、聖母のように微笑んだ。
「ですから、競争なさい」
「…競争?」
「はい。こちらの居住区画を、第一陣の皆さんのチームと、ブルクさんたち第二陣のチーム、二つに分けます。そして、どちらが、アキオ様が帰還されるまでに、より美しく、そして頑丈な家を建てられるか…競い合うのです」
 アヤネは、そこで一度言葉を切り、そして、最高の笑顔で言った。
「もちろん、勝利したチームには、わたくしから、特別なご褒美がありますわ。一週間、毎晩の食事に、特製の猪肉のシチューと、ドルガン親方秘蔵のエールをお付けしましょう」

 その、あまりにも意外な提案。そして、「ご褒美」という、子供をあやすような、しかし、男たちの心を的確にくすぐる言葉。
 ブルクたちは、一瞬、呆気に取られたが、やがて、その顔に、不敵な笑みが浮かんだ。
「…へっ、面白い。いいだろう、その勝負、乗ってやるぜ。俺たち元帝国兵の、本当の土木技術を、見せてやる!」
「何を! 先にこの町の技術を学んだ、俺たちが負けるわけねえだろ!」
 先ほどまでの殺伐とした雰囲気は、嘘のように消え去っていた。そこにあったのは、健全で、そして建設的な、職人としてのライバル意識。カイも、ケンタも、アヤネのその見事な采配に、ただただ舌を巻くばかりだった。

 その日の夜。アヤネは、新・中央館の、アキオと共有するはずだった広い寝室で、一人、窓の外に広がる町の灯りを見つめていた。
 夫の不在は、寂しい。だが、彼から託された、この大切な家族と、町を守るという、大きな責任と、誇り。そして、自分を支えてくれる、頼もしい仲間たち。
(あなた。わたくしたちなら、大丈夫ですわ)
 彼女は、そっと、自らのお腹に手を当てた。そこには、まだ、新しい命の兆候はない。だが、いつか、この町を、そして夫との愛を守り抜いた先に、再び、その喜びが訪れることを、彼女は、確信していた。
 聖域の母は、その静かな決意を胸に、町の、長い長い一日を終えるのだった。
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