五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

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第319話:王の提案と、王女の涙

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 聖域の朝。
 その日は、いつもの穏やかな一日の始まりとは少し違っていた。新・中央館の空気はどこか張り詰め、誰もがこれから始まる歴史的な瞬間の重要性を肌で感じていた。
 朝食を終えた後、アキオ、シルヴィア、凛、そして二人の王は、館の最上階にある円卓の会議室へとその歩みを進めた。アキオの一歩一歩は、まるで見えざる重圧と戦っているかのように慎重だった。
(…やれやれ。俺は、ただ静かに物作りがしていたいだけなんだがなあ…)
 そんな内心のぼやきとは裏腹に、彼のたたずまいは既に一つの勢力の長としての風格を漂わせていた。
 円卓に着席する五人。
 アキオは、凛とシルヴィアが昨夜練り上げた交渉のシナリオを頭の中で反芻しながら、静かに口火を切った。
「メイプルウッド国王陛下、クリストフ陛下。昨日は俺の力の本質をご覧いただき、それを受け入れ、契約を交わしてくださったこと、改めて感謝いたします。今日からは、その力を前提として、我々三国がどう手を取り合っていくべきか。未来のためのお話をいたしましょう」
 その言葉を受けて、最初に動いたのは老練なメイプルウッド国王だった。彼は鷹揚に頷くと、まるで慈悲深い賢者のような口調で語り始めた。
「うむ。アキオ殿のその神にも等しいお力。そして、この聖域の豊かさ。しかと見届けた。貴殿はまさしく新しい時代の中心となるべきお方だ。…だが、アキオ殿。そのあまりに偉大な力は諸刃の剣でもある。我らのような旧来の国家から見れば、それは時に理解不能な『脅威』と映りかねん」
 国王はそこで一度言葉を切り、抗いがたいほど魅力的な提案を提示した。
「そこで、だ。我らメイプルウッド王国が、貴殿のその偉大な力の『正統性』を大陸全土に保証しよう。我が王家と正式な同盟を結び、イザベラを妻として迎えることで、貴殿の聖域は我が王家がその後ろ盾となる公的な国家として認知される。もはや誰も貴殿を脅威とは呼べなくなるだろう。我々が貴殿の『権威という名の鎧』となるのだ」
 さらに国王は畳み掛ける。
「そして、我が国の広大な交易網を使えば、聖域の素晴らしい産物を大陸中に流通させ、莫大な富を築くことができる。我々が貴殿の『富を産む手足』となり、大陸中に張り巡らせた情報網で、貴殿に仇なす者をいち早く察知する『目と耳』となろう。…どうかな、アキオ殿。これこそが最も現実的で、双方にとって実りの多い関係だと思わんかね?」
 その圧倒的な実利の提案。アキオが息を飲むのを感じながら、今度は若きエルドリア国王クリストフが、静かに、しかし凛とした声で口を開いた。
「メイプルウッド国王陛下のご提案、実に素晴らしい。アキオ義兄上とその聖域にとって、これ以上ないほどの実利をもたらすものでありましょう。その点、我が国も全くの同意見です」
 彼は老王の提案を全面的に肯定してみせた。そして次の瞬間、その若々しい瞳に情熱の炎を宿して、こう続けたのだ。
「ですが、陛下。そして義兄上。我々が今、築こうとしているのは、ただの実利に基づいた同盟なのでしょうか?」
 クリストフは立ち上がると、アキオを真っ直ぐに見つめた。
「我々エルドリアが義兄上に差し出せるものは、今の国力や富ではありません。ですが我々には、メイプルウッド王国が決して持てないものがあります。それは『家族』として共に血を流し、涙を流し、そして未来を夢見てきた時間と実績です! 我が姉、セレスティーナとレオノーラが義兄上の子を6人も産んでいる。これこそが何よりの揺るぎない絆の証!」
 さらに彼は地図を指し示した。
「そして我が国は、アキオ連邦の南の『盾』となり、経済の『回廊』となる。何よりも我々エルドリアこそが、義兄上の理想を体現する最初の『成功モデル』なのです! 我々が提案するのは現在の実利ではありません。共に手を取り合い、理想の未来をゼロから創造していくという、魂のパートナーシップなのです!」
 実利のメイプルウッド。理想のエルドリア。
 二人の王が提示した、全く質の違う、しかしどちらも魅力的な提案。会議室は再び重い沈黙に包まれた。アキオは、ただじっとその二つの提案の重みを受け止めることしかできなかった。

 その日の夜。
 昼間の激しい議論で疲れ果てたアキオが、一人月明かりのバルコニーで夜風に当たっていると、背後から静かな足音が近づいてきた。イザベラだった。
 彼女は昼間の会談を別室で聞いていたのだ。王たちの壮大な国家論。そしてその中心にいるアキオ。そのあまりの世界の大きさに、彼女は自分の無力さを痛感していた。
「アキオ様…」
「おお、イザベラか。どうした、こんな夜更けに」
 イザベラはアキオの前に立つと、その光を取り戻した美しい瞳を潤ませ、震える声で訴えかけた。
「…昼間のお話、伺っておりました。わたくし、何もできずに…ただ、お父様の言う通りに嫁ごうとしているだけ。お恥ずかしい限りです。ですが…ですが、アキオ様! わたくしの国では、15を過ぎればもうれっきとした成人なのです! いつまでもわたくしを、ただの守られるだけの子供として扱わないでくださいまし…!」
 その悲痛なほどの叫び。アキオは彼女のその真剣な瞳に、かつて自らの妻となる覚悟を決めたアヤネの面影を重ねていた。
 彼はイザベラの小さな肩を優しく掴んだ。
「…お前の気持ちは分かった。お前がもう子供ではない、ということもな。立派な一人の女性だ」
 アキオはそう言うと、彼女のその白い額に慈しむように、そっと唇を寄せた。
「…! アキオ様…」
「だが、俺の決めたルールは変えられない。それはお前を守るための、俺の覚悟でもあるんだ。…だが、一つだけ約束しよう」
 アキオは彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「今夜は、お前の部屋で、ただ隣で眠るだけだ。添い寝だけなら許してやる。それぐらいなら俺も理性を保てるだろうからな」
 それはアキオなりの最大限の譲歩であり、そして彼女を一人の女性として認めた証だった。
 イザベラは、その不器用で、しかし誰よりも誠実なアキオの優しさに、もはや言葉もなく、ただ嬉し涙をぽろぽろとこぼすことしかできなかった。
 この夜、彼女は生まれて初めて男性の温かいぬくもりの中で、安心して眠りにつくことになる。
 聖域の長い一日は、こうして静かに更けていった。
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