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エレインとルイスは、幼馴染であると同時に、親の決めた婚約者同士でもある。
ルイスはおおらかな性格で、人と競うことを好まない。それは美点ではあるのだが、領地経営にはまるで向いていない。
自分がしっかりしなければと、エレインは幼い頃から暇さえあれば本を開き、家庭教師に教えを請う生活を続けている。
そんなふうだから、次にルイスの家を訪れたのは一ヶ月も経ってからのことだった。
いつもは玄関まで迎えに出てくれるはずのルイスが、今日はいない。済まなそうにする執事に案内されたのは、屋敷の前庭を望むテラスだった。
エレインが到着すると同時に扉が開き、ルイスの母と姉が中から出てきた。
二人とも美形だが、今はその美しい面にどこか嫌悪にも似た感情を乗せている。
エレインに気づくと、二人は少しだけ表情を緩めた。
「あら、エレインじゃない」
エレインは将来義母義姉となる二人に頭を下げた。
「こんにちは、ミリアリア様、カミラ様」
「こんにちは、エレイン。ごめんなさいね、ルイスったら、出迎えもせずに」
「いえ・・・」
ドアの隙間から、美しいヴァイオリンの音色が流れてきていた。
「どなたか演奏を?」
「ええ。よかったら聴いていって。男二人が中にいるけど、あんな人たち気にしなくていいわ」
それだけ言うと、二人は廊下を去っていってしまった。エレインは迷いつつ、半開きになったままのドアを押し開けた。途端に明瞭になる、ヴァイオリンの音色。1年前、気鋭の作曲家が生誕祭のために作曲したものだとすぐに気づいた。
一度だけ、母に連れられて行った劇場で演奏しているのを聴いたことがある。その時はオーケストラだった。たった1人が奏でるそれは、やはり少し趣が違う。
エレインは部屋に入ると、静かに扉を閉めた。
ルイスは椅子座りに、こちらに背を向けている。伯爵は、ソファで紅茶のカップを片手にくつろいでいるようだった。
エレインは少し迷った末、挨拶は後回しにしてルイスの横に座ることにした。
歩き出した気配に釣られたのか、窓を背にしていた演奏者が顔を上げる。目が合った瞬間、エレインは金縛りにあったように動けなくなった。
なんて美しい少年だろう。
烏の濡羽のように艶めく黒髪。白磁の肌にはシミ一つなく、ヴァイオリンを操る指は細く長い。体も同じく細身で、華奢ではない程度に筋肉がついている。
それに、なんといってもその瞳。紫を基調とはしているが、その色は光の加減により幾重にも重なっているように見える。
これほど美しい人を、エレインは初めて見た。
どのくらいそうして立ち竦んでいたのだろう。ルイスが立ち上がる気配に、ようやくエレインは我に返った。演奏も終わったようで、少年に駆け寄ったルイスは、まるで従者のように恭しい手つきで少年からヴァイオリンを受け取った。
「すごくよかった、エリィ」
声が上ずっている。
エレインの幼馴染は酷く興奮しているようだった。対する少年の方は軽く頷いただけ。そんな薄い反応も、ルイスは気にならないようだった。身ぶり手ぶりを交えて、いかに少年の演奏が素晴らしかったかを語る。
そんな、どこまでも続きそうな賛辞を遮ったのは、彼の父親だった。
「ルイス、エレインが来ている」
「え?」
そこで初めてエレインの存在に気づいたように、ルイスは目を瞠る。
どこか居心地が悪いまま、エレインは形式通りの礼をした。
「それじゃ、エレイン。ルイスを頼んだよ」
伯爵はそう言うと、少年を促し退出していった。
ルイスはその細い背中をぼうっと眺め、扉が閉まってからようやくエレインに視線を向けてきた。
「ええと、お茶でも飲む?」
「・・・ええ」
メイド達がテラスにお茶の用意をする。その間も、ルイスは心ここにあらずといったふうだった。
エレインは用意された紅茶を一口飲んでから切り出した。
「あの方、どこかで見たことがある気がするけど」
「あの方?」
ルイスはぱちくりと目を瞬かせる。この察しの悪さは、わざとではない。いつものことだった。
普段はそれを鷹揚に許せるのに、今日は妙に癪に障った。
「さっきの、ヴァイオリンを弾いていた方よ」
「エリィのこと?」
「私は名前は知らないわ。名乗ってもらってないもの」
エレインが発する棘にも気づかず、ルイスは呑気に笑う。
「そうだっけ?でも、うん。エレインも見たことはあるはずだよ。去年の建国祭にも来てた」
建国祭には国中の貴族が招かれ参上する。もちろん祭には平民も多く参加するけれど、来ていたと明言するなら、自分たちの目に留まるような位置にいたということだ。
「貴族なの?」
「うん・・・ その、グランデュール公爵家だよ」
「え」
エレインは思わず言葉を失った。記憶のなかで、ピースがカチリとはまっていく。建国祭。王家の方々の真横に控えていた、グランデュール公爵、そして小公爵であるエリオール・グランデュール。
『エリィ』
「・・・」
グランデュール公爵家はもうない。二月ほど前のことだ。他国との違法取引があったことを暴かれ、公爵は獄中であっけなく死んだ。
王家に多大な影響を与え続けた公爵家は、解体され、乗っ取られ、食い物にされたと聞く。そして残されたグランデュール公爵夫人と小公爵エリオールは爵位を剥奪され、市井に消えた。消えたとされている。少なくとも表向きは。
そんな人がなぜ、ルイスの家でヴァイオリンを弾いているのか。
エレインの疑問に、ルイスはなんでもないうように答える。
「エリィは芸術家なんだ」
「芸術家?」
「そう。父上が支援すると決めて連れてきた。ファリス協定だよ」
ファリス協定。それは、芸術家を育て、守るために制定されたものだった。
過去、我が国は戦火に見舞われた。その際、過去の芸術家達が作り上げた素晴らしい遺産の大半は失われてしまった。
それを憂いた当時の国王が制定したのがファリス協定だ。
国民、特に貴族は芸術家を育て、支援すること、と。
賛同した貴族たちは、こぞって芸術家を家に招き、芸術を鑑賞するためのパーティーを催した。
それ自体は素晴らしいが、結果、腕も熱意もない芸術家もどきを大量に生み出すことになった。
そんな紆余曲折を経たことで、今はファリス協定自体が下火になってしまっている。
現在も、熱心にファリス協定を推し進める動きは起きていない。
しかし、全くなくなったというわけでもない。
事実、エレインの家も画家を何人か支援している。
だから、伯爵家が若いヴァイオリニストを支援し、お抱えにすること自体はなにも可笑しなことではない。
でも、相手は元がつくとはいえ小公爵だ。
田舎伯爵の当主なんて、まともに声もかけてもらえないような身分だった人なのだ。
そんな人を、伯爵はどういうつもりで連れてきたのだろう。
「お母様はどうされてるのかしら」
「郊外に借りた家で暮らしてるんだって。エリィはここで暮らしてるけど、時々様子を見に行ってる」
「ふぅん」
エレインは大きく息を吐くことで、自分の中に生まれたよくない感情を消そうとした。
実際、エレインは戸惑ってもいた。
このもやもやする感情がどこからやってきたのか、自分でもよく分からなかったからだ。
エリオールは男だ。
彼が公女だったならば、たとえ弟のようにしか思えない相手だったとしても、婚約者の身として面白くないと感じるのは分かるのだが。
あるいは、婚約者が初めて見せた興奮ぶりが自分に向いていなかったことが面白くなかったのかもしれない。
結局この日は話も弾まず、そのままお開きとなった。
ルイスはおおらかな性格で、人と競うことを好まない。それは美点ではあるのだが、領地経営にはまるで向いていない。
自分がしっかりしなければと、エレインは幼い頃から暇さえあれば本を開き、家庭教師に教えを請う生活を続けている。
そんなふうだから、次にルイスの家を訪れたのは一ヶ月も経ってからのことだった。
いつもは玄関まで迎えに出てくれるはずのルイスが、今日はいない。済まなそうにする執事に案内されたのは、屋敷の前庭を望むテラスだった。
エレインが到着すると同時に扉が開き、ルイスの母と姉が中から出てきた。
二人とも美形だが、今はその美しい面にどこか嫌悪にも似た感情を乗せている。
エレインに気づくと、二人は少しだけ表情を緩めた。
「あら、エレインじゃない」
エレインは将来義母義姉となる二人に頭を下げた。
「こんにちは、ミリアリア様、カミラ様」
「こんにちは、エレイン。ごめんなさいね、ルイスったら、出迎えもせずに」
「いえ・・・」
ドアの隙間から、美しいヴァイオリンの音色が流れてきていた。
「どなたか演奏を?」
「ええ。よかったら聴いていって。男二人が中にいるけど、あんな人たち気にしなくていいわ」
それだけ言うと、二人は廊下を去っていってしまった。エレインは迷いつつ、半開きになったままのドアを押し開けた。途端に明瞭になる、ヴァイオリンの音色。1年前、気鋭の作曲家が生誕祭のために作曲したものだとすぐに気づいた。
一度だけ、母に連れられて行った劇場で演奏しているのを聴いたことがある。その時はオーケストラだった。たった1人が奏でるそれは、やはり少し趣が違う。
エレインは部屋に入ると、静かに扉を閉めた。
ルイスは椅子座りに、こちらに背を向けている。伯爵は、ソファで紅茶のカップを片手にくつろいでいるようだった。
エレインは少し迷った末、挨拶は後回しにしてルイスの横に座ることにした。
歩き出した気配に釣られたのか、窓を背にしていた演奏者が顔を上げる。目が合った瞬間、エレインは金縛りにあったように動けなくなった。
なんて美しい少年だろう。
烏の濡羽のように艶めく黒髪。白磁の肌にはシミ一つなく、ヴァイオリンを操る指は細く長い。体も同じく細身で、華奢ではない程度に筋肉がついている。
それに、なんといってもその瞳。紫を基調とはしているが、その色は光の加減により幾重にも重なっているように見える。
これほど美しい人を、エレインは初めて見た。
どのくらいそうして立ち竦んでいたのだろう。ルイスが立ち上がる気配に、ようやくエレインは我に返った。演奏も終わったようで、少年に駆け寄ったルイスは、まるで従者のように恭しい手つきで少年からヴァイオリンを受け取った。
「すごくよかった、エリィ」
声が上ずっている。
エレインの幼馴染は酷く興奮しているようだった。対する少年の方は軽く頷いただけ。そんな薄い反応も、ルイスは気にならないようだった。身ぶり手ぶりを交えて、いかに少年の演奏が素晴らしかったかを語る。
そんな、どこまでも続きそうな賛辞を遮ったのは、彼の父親だった。
「ルイス、エレインが来ている」
「え?」
そこで初めてエレインの存在に気づいたように、ルイスは目を瞠る。
どこか居心地が悪いまま、エレインは形式通りの礼をした。
「それじゃ、エレイン。ルイスを頼んだよ」
伯爵はそう言うと、少年を促し退出していった。
ルイスはその細い背中をぼうっと眺め、扉が閉まってからようやくエレインに視線を向けてきた。
「ええと、お茶でも飲む?」
「・・・ええ」
メイド達がテラスにお茶の用意をする。その間も、ルイスは心ここにあらずといったふうだった。
エレインは用意された紅茶を一口飲んでから切り出した。
「あの方、どこかで見たことがある気がするけど」
「あの方?」
ルイスはぱちくりと目を瞬かせる。この察しの悪さは、わざとではない。いつものことだった。
普段はそれを鷹揚に許せるのに、今日は妙に癪に障った。
「さっきの、ヴァイオリンを弾いていた方よ」
「エリィのこと?」
「私は名前は知らないわ。名乗ってもらってないもの」
エレインが発する棘にも気づかず、ルイスは呑気に笑う。
「そうだっけ?でも、うん。エレインも見たことはあるはずだよ。去年の建国祭にも来てた」
建国祭には国中の貴族が招かれ参上する。もちろん祭には平民も多く参加するけれど、来ていたと明言するなら、自分たちの目に留まるような位置にいたということだ。
「貴族なの?」
「うん・・・ その、グランデュール公爵家だよ」
「え」
エレインは思わず言葉を失った。記憶のなかで、ピースがカチリとはまっていく。建国祭。王家の方々の真横に控えていた、グランデュール公爵、そして小公爵であるエリオール・グランデュール。
『エリィ』
「・・・」
グランデュール公爵家はもうない。二月ほど前のことだ。他国との違法取引があったことを暴かれ、公爵は獄中であっけなく死んだ。
王家に多大な影響を与え続けた公爵家は、解体され、乗っ取られ、食い物にされたと聞く。そして残されたグランデュール公爵夫人と小公爵エリオールは爵位を剥奪され、市井に消えた。消えたとされている。少なくとも表向きは。
そんな人がなぜ、ルイスの家でヴァイオリンを弾いているのか。
エレインの疑問に、ルイスはなんでもないうように答える。
「エリィは芸術家なんだ」
「芸術家?」
「そう。父上が支援すると決めて連れてきた。ファリス協定だよ」
ファリス協定。それは、芸術家を育て、守るために制定されたものだった。
過去、我が国は戦火に見舞われた。その際、過去の芸術家達が作り上げた素晴らしい遺産の大半は失われてしまった。
それを憂いた当時の国王が制定したのがファリス協定だ。
国民、特に貴族は芸術家を育て、支援すること、と。
賛同した貴族たちは、こぞって芸術家を家に招き、芸術を鑑賞するためのパーティーを催した。
それ自体は素晴らしいが、結果、腕も熱意もない芸術家もどきを大量に生み出すことになった。
そんな紆余曲折を経たことで、今はファリス協定自体が下火になってしまっている。
現在も、熱心にファリス協定を推し進める動きは起きていない。
しかし、全くなくなったというわけでもない。
事実、エレインの家も画家を何人か支援している。
だから、伯爵家が若いヴァイオリニストを支援し、お抱えにすること自体はなにも可笑しなことではない。
でも、相手は元がつくとはいえ小公爵だ。
田舎伯爵の当主なんて、まともに声もかけてもらえないような身分だった人なのだ。
そんな人を、伯爵はどういうつもりで連れてきたのだろう。
「お母様はどうされてるのかしら」
「郊外に借りた家で暮らしてるんだって。エリィはここで暮らしてるけど、時々様子を見に行ってる」
「ふぅん」
エレインは大きく息を吐くことで、自分の中に生まれたよくない感情を消そうとした。
実際、エレインは戸惑ってもいた。
このもやもやする感情がどこからやってきたのか、自分でもよく分からなかったからだ。
エリオールは男だ。
彼が公女だったならば、たとえ弟のようにしか思えない相手だったとしても、婚約者の身として面白くないと感じるのは分かるのだが。
あるいは、婚約者が初めて見せた興奮ぶりが自分に向いていなかったことが面白くなかったのかもしれない。
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