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第三部 序章
第三部 序章 誰が世界を創ったか
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この世界には予知夢を視るものがいた。
【世界の運命を読む力】
そう表現する者もいる。決して変えられぬ運命。変えられぬ筋書き。
現在この世界でその能力を持つ者は数人。
故郷を失い放浪している青年。彼は自身にとって重大なことが起こる時、その夢を見る。
初代聖女の末裔達と共に生きる老婆。彼女は遥か昔に祖先が行った契約を果たすため、その夢を見る。
そして五年前、エルディア王国に嫁いできたシャーロット。彼女は自分の死を知るために、その夢を見る。
「変えられぬなら何故このような力があるというの」
エルディア王国の王妃シャーロットは寝室のベッドの中で打ちひしがれていた。
彼女は視てしまったのだ。恐ろしい未来を。
(あの龍王は私……)
黒髪の美しい令嬢と共に王城の上で飛龍に襲われる人々を見下ろしていた。恐ろしい憎悪を向けながら。隣に立つ令嬢も恐ろしく冷たい炎で燃えているような瞳をしていた。
黄金の瞳を持つ王妃シャーロットはエルディア王国から少し離れたセフィラ王国の王女だった。この国の王ランベールがまだ王太子だった頃の外遊中、二人はあたたかな恋に落ちそして結ばれた。
彼女は王女にしては非常に珍しく、自分で自分が食べるものを調理をした。主に自分好みのおやつを食べるために。二人の思い出の中にはたくさんの甘いお菓子が出てくる。彼女の故郷セフィラ王国は広大な土地を持つ農業大国でもあった。
愛らしい見た目とその背後にいる古い歴史を持つ大国のおかげで、シャーロットはエルディア王国の家臣や国民から人気があった。
だが五年経っても跡継ぎに恵まれない。すると家臣達の中から、王へ側妃を娶るべきだという声が上がり始めたのだ。
恐ろしい予知夢を視たのはその噂を聞いた晩のこと。
彼女が生涯で予知夢を視るのはただの一度きり。それはセフィラの王族の血を強く引く者の宿命でもあった。
愛する王は数年後空に現れるという箒星に、国民が混乱しないよう家臣達と対策を進めていた。ここ数日は顔も合わせていない。
ランベールはこの国をとても大切に思っている。本当は国のあっちこっちへ王妃を連れて行きたいのだと、ワクワクと、しかし少し残念そうに話すことがよくあった。
『王太子のうちにもっと一緒に周ればよかったな』
『ふふ。陛下はお忙しいでしょうが、私はそこまでないので勝手に周らせていただこうかしら』
そう言って笑いあいながら甘いお菓子を何度一緒に食べたことか。
ほんのわずかに幸せな思い出に浸った後、シャーロットは顔を上げた。
(成すべきことを成さなければ)
彼女は涙を拭い、真夜中にもかかわらず手紙を書き始めた。故郷への手紙だ。
間もなく自分は死んでしまうこと。しかし姿を変えて再び現れること。エルディア王国になにがあってもどうか支援をしてもらいたいこと。家族と故郷を愛していること。
(妖精は多彩な魔法を使うというわ……この国は幸い妖精にゆかりが深い……あそこにならきっとなにか方法が!)
そこにはエルディア王国で最も多くの知識が保存さえれている。
「まあ王妃様! このような早い時間からどうされたのですか!?」
「教会の図書室へ」
「しかしあそこは……!」
「相応の対価が必要なのでしょう? 聖女リリー・フローレス様に至急謁見を申し入れて」
いつもは柔らかな笑顔の王妃が、覚悟を決めたような真剣な瞳で遠くを見ているのに気付いた侍女は、これは本気なのだと心の奥がゾワリと震えた。
◇◇◇
「……今のお話は本当ですの?」
「聖女様ならご存知では? セフィラ王家の最期を」
聖女リリーは一瞬口に出すのを躊躇ったが、そうも言っていられないことを悟り呟くように声を発した。
「自分の死にまつわる全てを知ることができる……」
それは聖女から聖女へ代々引き継がれている各国の重要な情報の一つ。
「ええ。王族でも一部の者ですけれど……選ばれし者ということですわね」
自嘲気味に笑うシャーロットを見て、聖女は悲し気にうつむいた。
「ただ、ここまで大規模な夢を見るのは長い歴史の中でも私くらいなものでしょう」
王妃シャーロットは一週間後に一度死ぬ。その後彼女の身体と魂は龍王の復活の礎となり、厄災の令嬢と共に王都を襲撃するも、初代聖女の末裔である少女と愛する夫の息子により撃退されてしまう。
そうして最期は厄災の令嬢は封印され、自身は二度目の死を迎えるのだ。愛する者を道ずれにして。
(全ては私の死がきっかけとなる)
最初の死から二度目の死まで、長い夢だった。
聖女がまず口にしたのは家族のこと。
「黒髪黒目の令嬢……サーシャとロイの……姉夫婦の子供のことを仰っているのですね」
「この国の貴族であそこまで美しい黒を持つのは聖女様の義理のお兄様以外いらっしゃいません。なによりとても姿が似ていましたの」
リリーは震えそうになる手にギュッと力を込める。自分よりも目の前の女性の方がよっぽど恐怖を感じているはずなのに、彼女は全てを覚悟し落ち着いている。
「この件、陛下には?」
「話す気はありません。その方がフローレス家にとってもいいでしょう」
「しかし……!」
「聖女様からご家族へ話していただく分はかまいません。ただ、ランベールには……陛下には黙っていてください。彼を悲しませたくないので」
愛しそうに夫の名前を口にする。
「聖女様が誰にどう話しても未来を変えられることはないのです。ならば余計な心配をする人は少ない方がいいわ」
「変えられぬ未来などあるものですか!」
先ほどまでの儚げな雰囲気が聖女から消えた。確固たる意志を持って王妃と向き合っている。
(これがフローレス家……)
以前王が話していた、この家の苛烈なほどの意志の強さが今は心強い。王は敵に回すと恐ろしいと少し大袈裟に言っていたが、それは未来を視た彼女はよく知っている。
「私の、私達のこの力は正確に言うと大まかな『筋書き』を視る能力なのです」
「筋書き?」
「今回の件でいえば、私が二度死ぬということ。それがこの世界の筋書き」
王妃は嘆くでもなく語り始める。これまでも運命に、筋書き逆らおうとした先祖達がいたことを。だが誰一人として『結末』を変えることができなかった。
「自分の死は変えられませんでしたが、そこに至る経緯は変えることができました」
「そんな……」
悔しそうな顔をした聖女を見て王妃は内心驚く。これは彼女にとっては朗報なはずだ。愛する家族の運命は変えることができるのだから。
「……ただし、無理やり未来を変えようとすれば歪んだ『道』が作られるということもわかっています」
そしてそれは結末に続く道筋が短ければ短いほど、変えた内容が大きければ大きいほど、よりいびつな道になると。
「王族が一人死ねばすむはずが、国民千人を道ずれにしたこともありました」
「だから諦めると仰るの」
聖女は目が据わっていた。そんなことは許さないとばかりに。
「一度目は。そうです」
しっかりと王妃はその目を見つめ返す。一度目は一週間後。不用意にあがけば愛する王にまでよからぬことが起こるかもしれない。そんなことよりもすべきことが今の彼女にはあった。
「しかし二度目はそうはいきません」
二度目の死を迎えるまでにはまだ時間がある。
「簡単に死んでやるものですか」
精一杯の虚勢で不敵に笑って見せる。目の前の聖女は王妃にとって一番の友人でもあった。彼女の記憶に残る自分が、めそめそと運命を嘆く悲劇の女でありたくはない。
「時間があれば二度目の死に至る道筋を緩やかなものにできるかもしれませんしね」
未来が変わったことにより全ての人が幸せになるとは限らない。だが彼女が選んだのは愛する人と、その彼が守るこの国が穏やかな繁栄を続けることだ。
「不用意に運命を変えるな、ということ? ……そんなことは気にせずとも。誰しも目の前にある自分の運命に必死になるでしょう」
「だからこそ運命を変えるのは容易ではないのです」
友人が罪悪感を抱く必要はないと庇ってくれたことが嬉しくて、シャーロットは緊張の糸が切れてしまわないよう強い口調になった。
「だけどこれだけは変えてみせます。ですが、私は間もなく死んでしまう。どうしても協力者が必要なのです。力のある協力者が」
それはこの国の聖女以外考えられない。魔力、権力、影響力。なにより王家にも容易に近づける存在だ。
「お願いできますか」
「ええ。もちろん」
そっと王妃の手を握る。聖女は静かに受け入れた。親友の一度目の死を。
「……シャーロット様、一度目の死はどのようにして……」
「リリ―様にはそれを聞く覚悟がおありでして?」
肝心なことを王妃は話していなかった。そんな彼女は小さく笑いながらとぼけるような返答をする。
「まあ! 今更そんなことを仰るの?」
こちらも同じようにおどけるような声だ。できるだけ、これから死にゆく友人が穏やかにいられるように。
「マリー・ナヴァールとルーベル家には気を付けて」
マリー・ナヴァール。シャーロットとの婚約前、一番王妃の座に近いと言われていた人物だ。ルーベル家はフローレス家、カルヴィナ家と並ぶ治癒師の名家でもある。
「それ以上は教えてくれないのですね」
「だって教えたら最後、リリー様ったらマリー様を磔にして、ルーベル家の屋敷を燃やすことくらいしそうですもの」
「あらあら。全てご存知なのね。それも予知夢で視たのかしら」
王妃は全てを伝えることはなかった。淡々とこれから起こる事件とその流れだけを聖女へ知らせた。解決策を除いて。運命の道筋が変わったかこれでわかる。
「ああ! それから聖女の末裔が暮らす村への入り方もお伝えしておかないと!」
「ライアス領……そういえば大昔の本に妖精の村の入り口があると書かれていたのを読みましたわ」
「……リリー様には苦しい思いをさせてしまいますね」
「シャーロット様がそれを仰いますか?」
そうして二人で小さく微笑んだ。
それから五日間。二人は教会の図書室で必死になって調べ上げた。魂の探し方を。異世界への渡り方を。魂の記憶の呼び起こし方を。
この未来の重要人物はわかっている。黒髪の令嬢リディアナと、聖女の末裔アイリス。そして愛する夫の息子レオハルトとその従者達。夢の中で特に印象に残った彼らは間違いなく未来を変えるためにも重要だと王妃は確信していた。
「リディアナとアイリスの魂は今はまだ同じ世界にいますわね」
「この二人だけでいいのですか?」
「ええ。多くても少なくてもよくはないでしょう。なによりこの二人が大きなカギを握っていますし」
王妃と聖女の前には光る球体が浮かんでいた。リディアナとアイリスの魂がある世界の姿だ。
「異世界を渡るのは魂のみ、というのは朗報ですわね。ちょうど予定がありますの」
「異世界へは私がきっちり送り出して差し上げますわ」
【妖精の秘石】を前に、二人はそっと手を取り合った。
最期の一日、シャーロットは珍しく我儘を言って夫を独り占めにした。彼が褒めてくれたお菓子を焼き、久しぶりに一緒にお茶を楽しんだ。
「伝統菓子もいいが、やはりシャーロットが作ったものがなにより美味しいよ」
「ふふ。今の言葉、忘れないでくださいませ」
「もちろんだ。ああ、この国でもいつかこういう菓子が流行る日がくるだろうか」
「……間違いなく来ますわ。そうしたら殿下、その菓子を広めた者をキッチリ褒めてあげなければいけませんよ」
「はは! シャーロットがそうなるからか?」
その言葉にシャーロットは曖昧に笑って答えた。そうしてそっと温かな夫と手を重ねる。
「ああ。それから、側妃のお話、進めてくださいな」
「何を言っている!!」
突然のことに目を丸くして、ランベールは怒ったような声色になっていた。
「私が一番であればそれでいいのです」
そうしてこの話はおしまい、とまた新たなクリームたっぷりのお菓子をテーブルの上に並べ始める。
「いつだってシャーロットが一番だ」
「まあ嬉しい!」
王妃は満面の笑みで愛おしそうに夫を見つめた。
翌朝、王妃シャーロットはベッドの中で亡くなっていた。
心機能の低下による突然死だと公表されたが、側妃の話が出ていたこともあり、いらぬ噂も広まっていた。
王は王らしく気丈に振舞っていたが、家臣達は聞いていた。あのランベールが王妃と共にお茶を楽しんだ温室で一人むせび泣いていたのを。彼女が書き記したレシピ帳を抱え、小さく震えていたのを。
国を挙げた葬儀の中、彼女の身体は教会の王と聖女のみ入ることが許された聖なる間に安置された。
「貴女がこの国を守るというのなら、貴女の願いは私が守るわ」
聖女リリーはそう言ってそっとシャーロットの冷たい頬を撫でた。
【世界の運命を読む力】
そう表現する者もいる。決して変えられぬ運命。変えられぬ筋書き。
現在この世界でその能力を持つ者は数人。
故郷を失い放浪している青年。彼は自身にとって重大なことが起こる時、その夢を見る。
初代聖女の末裔達と共に生きる老婆。彼女は遥か昔に祖先が行った契約を果たすため、その夢を見る。
そして五年前、エルディア王国に嫁いできたシャーロット。彼女は自分の死を知るために、その夢を見る。
「変えられぬなら何故このような力があるというの」
エルディア王国の王妃シャーロットは寝室のベッドの中で打ちひしがれていた。
彼女は視てしまったのだ。恐ろしい未来を。
(あの龍王は私……)
黒髪の美しい令嬢と共に王城の上で飛龍に襲われる人々を見下ろしていた。恐ろしい憎悪を向けながら。隣に立つ令嬢も恐ろしく冷たい炎で燃えているような瞳をしていた。
黄金の瞳を持つ王妃シャーロットはエルディア王国から少し離れたセフィラ王国の王女だった。この国の王ランベールがまだ王太子だった頃の外遊中、二人はあたたかな恋に落ちそして結ばれた。
彼女は王女にしては非常に珍しく、自分で自分が食べるものを調理をした。主に自分好みのおやつを食べるために。二人の思い出の中にはたくさんの甘いお菓子が出てくる。彼女の故郷セフィラ王国は広大な土地を持つ農業大国でもあった。
愛らしい見た目とその背後にいる古い歴史を持つ大国のおかげで、シャーロットはエルディア王国の家臣や国民から人気があった。
だが五年経っても跡継ぎに恵まれない。すると家臣達の中から、王へ側妃を娶るべきだという声が上がり始めたのだ。
恐ろしい予知夢を視たのはその噂を聞いた晩のこと。
彼女が生涯で予知夢を視るのはただの一度きり。それはセフィラの王族の血を強く引く者の宿命でもあった。
愛する王は数年後空に現れるという箒星に、国民が混乱しないよう家臣達と対策を進めていた。ここ数日は顔も合わせていない。
ランベールはこの国をとても大切に思っている。本当は国のあっちこっちへ王妃を連れて行きたいのだと、ワクワクと、しかし少し残念そうに話すことがよくあった。
『王太子のうちにもっと一緒に周ればよかったな』
『ふふ。陛下はお忙しいでしょうが、私はそこまでないので勝手に周らせていただこうかしら』
そう言って笑いあいながら甘いお菓子を何度一緒に食べたことか。
ほんのわずかに幸せな思い出に浸った後、シャーロットは顔を上げた。
(成すべきことを成さなければ)
彼女は涙を拭い、真夜中にもかかわらず手紙を書き始めた。故郷への手紙だ。
間もなく自分は死んでしまうこと。しかし姿を変えて再び現れること。エルディア王国になにがあってもどうか支援をしてもらいたいこと。家族と故郷を愛していること。
(妖精は多彩な魔法を使うというわ……この国は幸い妖精にゆかりが深い……あそこにならきっとなにか方法が!)
そこにはエルディア王国で最も多くの知識が保存さえれている。
「まあ王妃様! このような早い時間からどうされたのですか!?」
「教会の図書室へ」
「しかしあそこは……!」
「相応の対価が必要なのでしょう? 聖女リリー・フローレス様に至急謁見を申し入れて」
いつもは柔らかな笑顔の王妃が、覚悟を決めたような真剣な瞳で遠くを見ているのに気付いた侍女は、これは本気なのだと心の奥がゾワリと震えた。
◇◇◇
「……今のお話は本当ですの?」
「聖女様ならご存知では? セフィラ王家の最期を」
聖女リリーは一瞬口に出すのを躊躇ったが、そうも言っていられないことを悟り呟くように声を発した。
「自分の死にまつわる全てを知ることができる……」
それは聖女から聖女へ代々引き継がれている各国の重要な情報の一つ。
「ええ。王族でも一部の者ですけれど……選ばれし者ということですわね」
自嘲気味に笑うシャーロットを見て、聖女は悲し気にうつむいた。
「ただ、ここまで大規模な夢を見るのは長い歴史の中でも私くらいなものでしょう」
王妃シャーロットは一週間後に一度死ぬ。その後彼女の身体と魂は龍王の復活の礎となり、厄災の令嬢と共に王都を襲撃するも、初代聖女の末裔である少女と愛する夫の息子により撃退されてしまう。
そうして最期は厄災の令嬢は封印され、自身は二度目の死を迎えるのだ。愛する者を道ずれにして。
(全ては私の死がきっかけとなる)
最初の死から二度目の死まで、長い夢だった。
聖女がまず口にしたのは家族のこと。
「黒髪黒目の令嬢……サーシャとロイの……姉夫婦の子供のことを仰っているのですね」
「この国の貴族であそこまで美しい黒を持つのは聖女様の義理のお兄様以外いらっしゃいません。なによりとても姿が似ていましたの」
リリーは震えそうになる手にギュッと力を込める。自分よりも目の前の女性の方がよっぽど恐怖を感じているはずなのに、彼女は全てを覚悟し落ち着いている。
「この件、陛下には?」
「話す気はありません。その方がフローレス家にとってもいいでしょう」
「しかし……!」
「聖女様からご家族へ話していただく分はかまいません。ただ、ランベールには……陛下には黙っていてください。彼を悲しませたくないので」
愛しそうに夫の名前を口にする。
「聖女様が誰にどう話しても未来を変えられることはないのです。ならば余計な心配をする人は少ない方がいいわ」
「変えられぬ未来などあるものですか!」
先ほどまでの儚げな雰囲気が聖女から消えた。確固たる意志を持って王妃と向き合っている。
(これがフローレス家……)
以前王が話していた、この家の苛烈なほどの意志の強さが今は心強い。王は敵に回すと恐ろしいと少し大袈裟に言っていたが、それは未来を視た彼女はよく知っている。
「私の、私達のこの力は正確に言うと大まかな『筋書き』を視る能力なのです」
「筋書き?」
「今回の件でいえば、私が二度死ぬということ。それがこの世界の筋書き」
王妃は嘆くでもなく語り始める。これまでも運命に、筋書き逆らおうとした先祖達がいたことを。だが誰一人として『結末』を変えることができなかった。
「自分の死は変えられませんでしたが、そこに至る経緯は変えることができました」
「そんな……」
悔しそうな顔をした聖女を見て王妃は内心驚く。これは彼女にとっては朗報なはずだ。愛する家族の運命は変えることができるのだから。
「……ただし、無理やり未来を変えようとすれば歪んだ『道』が作られるということもわかっています」
そしてそれは結末に続く道筋が短ければ短いほど、変えた内容が大きければ大きいほど、よりいびつな道になると。
「王族が一人死ねばすむはずが、国民千人を道ずれにしたこともありました」
「だから諦めると仰るの」
聖女は目が据わっていた。そんなことは許さないとばかりに。
「一度目は。そうです」
しっかりと王妃はその目を見つめ返す。一度目は一週間後。不用意にあがけば愛する王にまでよからぬことが起こるかもしれない。そんなことよりもすべきことが今の彼女にはあった。
「しかし二度目はそうはいきません」
二度目の死を迎えるまでにはまだ時間がある。
「簡単に死んでやるものですか」
精一杯の虚勢で不敵に笑って見せる。目の前の聖女は王妃にとって一番の友人でもあった。彼女の記憶に残る自分が、めそめそと運命を嘆く悲劇の女でありたくはない。
「時間があれば二度目の死に至る道筋を緩やかなものにできるかもしれませんしね」
未来が変わったことにより全ての人が幸せになるとは限らない。だが彼女が選んだのは愛する人と、その彼が守るこの国が穏やかな繁栄を続けることだ。
「不用意に運命を変えるな、ということ? ……そんなことは気にせずとも。誰しも目の前にある自分の運命に必死になるでしょう」
「だからこそ運命を変えるのは容易ではないのです」
友人が罪悪感を抱く必要はないと庇ってくれたことが嬉しくて、シャーロットは緊張の糸が切れてしまわないよう強い口調になった。
「だけどこれだけは変えてみせます。ですが、私は間もなく死んでしまう。どうしても協力者が必要なのです。力のある協力者が」
それはこの国の聖女以外考えられない。魔力、権力、影響力。なにより王家にも容易に近づける存在だ。
「お願いできますか」
「ええ。もちろん」
そっと王妃の手を握る。聖女は静かに受け入れた。親友の一度目の死を。
「……シャーロット様、一度目の死はどのようにして……」
「リリ―様にはそれを聞く覚悟がおありでして?」
肝心なことを王妃は話していなかった。そんな彼女は小さく笑いながらとぼけるような返答をする。
「まあ! 今更そんなことを仰るの?」
こちらも同じようにおどけるような声だ。できるだけ、これから死にゆく友人が穏やかにいられるように。
「マリー・ナヴァールとルーベル家には気を付けて」
マリー・ナヴァール。シャーロットとの婚約前、一番王妃の座に近いと言われていた人物だ。ルーベル家はフローレス家、カルヴィナ家と並ぶ治癒師の名家でもある。
「それ以上は教えてくれないのですね」
「だって教えたら最後、リリー様ったらマリー様を磔にして、ルーベル家の屋敷を燃やすことくらいしそうですもの」
「あらあら。全てご存知なのね。それも予知夢で視たのかしら」
王妃は全てを伝えることはなかった。淡々とこれから起こる事件とその流れだけを聖女へ知らせた。解決策を除いて。運命の道筋が変わったかこれでわかる。
「ああ! それから聖女の末裔が暮らす村への入り方もお伝えしておかないと!」
「ライアス領……そういえば大昔の本に妖精の村の入り口があると書かれていたのを読みましたわ」
「……リリー様には苦しい思いをさせてしまいますね」
「シャーロット様がそれを仰いますか?」
そうして二人で小さく微笑んだ。
それから五日間。二人は教会の図書室で必死になって調べ上げた。魂の探し方を。異世界への渡り方を。魂の記憶の呼び起こし方を。
この未来の重要人物はわかっている。黒髪の令嬢リディアナと、聖女の末裔アイリス。そして愛する夫の息子レオハルトとその従者達。夢の中で特に印象に残った彼らは間違いなく未来を変えるためにも重要だと王妃は確信していた。
「リディアナとアイリスの魂は今はまだ同じ世界にいますわね」
「この二人だけでいいのですか?」
「ええ。多くても少なくてもよくはないでしょう。なによりこの二人が大きなカギを握っていますし」
王妃と聖女の前には光る球体が浮かんでいた。リディアナとアイリスの魂がある世界の姿だ。
「異世界を渡るのは魂のみ、というのは朗報ですわね。ちょうど予定がありますの」
「異世界へは私がきっちり送り出して差し上げますわ」
【妖精の秘石】を前に、二人はそっと手を取り合った。
最期の一日、シャーロットは珍しく我儘を言って夫を独り占めにした。彼が褒めてくれたお菓子を焼き、久しぶりに一緒にお茶を楽しんだ。
「伝統菓子もいいが、やはりシャーロットが作ったものがなにより美味しいよ」
「ふふ。今の言葉、忘れないでくださいませ」
「もちろんだ。ああ、この国でもいつかこういう菓子が流行る日がくるだろうか」
「……間違いなく来ますわ。そうしたら殿下、その菓子を広めた者をキッチリ褒めてあげなければいけませんよ」
「はは! シャーロットがそうなるからか?」
その言葉にシャーロットは曖昧に笑って答えた。そうしてそっと温かな夫と手を重ねる。
「ああ。それから、側妃のお話、進めてくださいな」
「何を言っている!!」
突然のことに目を丸くして、ランベールは怒ったような声色になっていた。
「私が一番であればそれでいいのです」
そうしてこの話はおしまい、とまた新たなクリームたっぷりのお菓子をテーブルの上に並べ始める。
「いつだってシャーロットが一番だ」
「まあ嬉しい!」
王妃は満面の笑みで愛おしそうに夫を見つめた。
翌朝、王妃シャーロットはベッドの中で亡くなっていた。
心機能の低下による突然死だと公表されたが、側妃の話が出ていたこともあり、いらぬ噂も広まっていた。
王は王らしく気丈に振舞っていたが、家臣達は聞いていた。あのランベールが王妃と共にお茶を楽しんだ温室で一人むせび泣いていたのを。彼女が書き記したレシピ帳を抱え、小さく震えていたのを。
国を挙げた葬儀の中、彼女の身体は教会の王と聖女のみ入ることが許された聖なる間に安置された。
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