Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生

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第三章

  結月の正義再び

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       1
 

 暗い森を走る。ひたすら走る。
「キリト! サツキ! どこ?」
 夜中の奇妙な鳥の声に怯える。這い出す蛇に飛び上がって毛を逆立てる。暗がりから黒い獣が襲いかかる。ぬめぬめ泥地に足を取られる。大きな翼を持った何かがぼくに掴み掛かる。
「キリト! サツキ! うちに帰りたい」
「星を見て、ジン」
 無我夢中で導かれるまま、信じるまま走って走って……
 
 あれから一年経つのに、未だにあの時の夢を見る。

 
 朔空君は「ばななぐみ」に進級し、友達もしばしば遊びに来るようになっていた。
 家の中に飽きると、庭で追いかけっこをして転げ回り、ぼくもそれに混ざる。隣のコンブが塀の上でだるそうに見ている。
 おやつのオレンジュースを飲み干した友達が、
「おばちゃん、ジュースおかわり」
「君達、わたしはおばちゃんじゃないのよ。『サクラくんのママ』が正しいわ」

 ーおばちゃんだろ

 はっとして目を凝らす。霧人君が居るような気がした。

 結月さんの率直さは子供達の人気になり、結月さんは子供だけの絵画クラブを作った。子供達が集まった日には、ぼくは霧人君のベッドで丸くなって静かな時間を過ごす。
 石鹸の匂い……

 ーごめん、ジン

 霧人君と屋根から初めて見渡した景色が蘇って、思わず窓辺に飛び乗った。
 

 朔空君の一番の仲良し、数真かずま君は、他の友達とは一味違う。
 ふたりの秘密基地は、強いて言えば柊家の居間の一角に在った。秘密などない開けっ広げの秘密基地で繰り広げられるふたりの作業は、あまりにも静かで、ぼくは傍にいても緊張せざるを得なかった。
 色形とりどりの散らばった積木を、きっちり隙間なく正方形の木箱にしまう遊び。少しの誤魔化しも許さない。最近はますます細かいジグソーパズルや、ブロックで正確なピラミッドを組み立てる事に熱中している。ぼくがブロックをひとつ拝借して遊んでいると、無言で取り上げられてしまう。ここにぼくの入る隙がないのは明白、複雑だ。
 結月さん特製プリンは、朔空君以外で食べる事が許されたのは数真君だけだった。ふたりのピンクの頬は、プリンみたいにとろけるのだった。
 数真君は動きも活発で、鉄棒の逆上がりや美しいフォルムで側転が出来たりした。
 朔空君は……全く及ばない。けれど、自然を愛し絵を描いて歌を歌う事は誰にも負けないくらい大好きだった。



       2


 ターコイズの空が、初夏の景色をビビットにしている。百日草もさらに鮮やかになって、二匹の紋白蝶を誘っている。
 ひらひらひらひら花に止まりそうで止まらない、その蝶々達に朔空君とぼくは目を奪われていた。
「おーい、ふたりとも。公園まで散歩するわよ」
 黒髪を頭のてっぺんでまとめ、咲月さんの向日葵柄の日傘を差した結月さんが、玄関からぼく達を呼んだ。
 昔は霧人君のTシャツに包まっていたぼくも、今は朔空君をお守りしながら一緒に歩くのだ。
 
 近くの三角公園は静かだった。
 朔空君は芝生の上に両頬杖をついて、一輪咲き残っている蒲公英たんぽぽに止まる天道虫てんとうむしを観察している。
 ぼくが蒲公英の綿毛にそっと触れると、一部の種がほわほわ風に乗った。朔空君は、
「ちがうよ、ジン。こうやるの」
 と言って頬を目一杯膨らませ、思い切り「フーッ」と吹いた。
 いくつもの蒲公英の綿毛がターコイズの空に舞い上がり、朔空君とぼくは楽しくなって、飛び跳ねたりくるくる回ったりした。
石鹸玉しゃぼんだまやろうか」
 秘密兵器か何かのように、結月さんがショルダーバッグからシュッと石鹸玉セットを取り出した。
 生み出された瞬間から虹色を身にまとった球体になり、るりるりと風に身を任せて弾けて消えていく。儚くて愛おしいそれを、ぼくは何とか捕まえようと必死である。
 ふと、彷徨っていたあの時、石鹸玉と似たものを、家に辿り着くまでに何度か見た記憶が過った。
 さっきまで一緒に追いかけていたはずの朔空君は、石鹸玉を生み出す方に回ったようで、必死に飛び跳ねるぼくを見てけらけら笑っている。
 紋白蝶が二匹、石鹸玉に混ざって飛んでいる。
「あら、見て。さっきの蝶かしら。また二匹飛んでる」
「ちがうよ、ユウキ。『にひき』じゃなくて『』だよ」
「む、生意気、やるな、サク。誰に教わったの?」
「おとうさん」
「ああ、お父さんなら教えそう。ね、ジン」

 ーうふふ

 咲月さんの笑い声が聴こえた気がした。

「おうちにいたちょうちょなの?」
 回りで飛び続けている紋白蝶を目で追いながら、朔空君が訊く。
「きっとそうかもしれないわよ。サクの事が好きで追いかけて来たのかも。結月ママもおうちから駅まで揚羽蝶がついて来た事あったもの、うふふ」

 ーおばちゃんだろ

 霧人君と咲月さんは傍に居る。ぼくは確信した。


 それとは違う、リアルな視線を感じる。
 すらりと背の高い男の人がこちらに近づいて来る。三白眼が特徴の、ぼくの知らない顔だ。
 結月さんを驚いたように凝視している。
 結月さんは怪訝な顔つきでその人を見返すと、はっと気づいたように、
「あ、あの時、玄関ですれ違った方……ですね。父から昔の教え子の方だとしか伺っていなくて。姉と弟のお線香を上げに来て下さったのだとか」
 結月さんは、スケッチブックとクレヨンを取り出して、
「サク、そっちでとびきり素敵な絵を描いてきて。ジン、よろしくね」
 そう言うと立ち上がって、その人に向かい合った。
「わたしの事、姉の咲月だと思ったのではないですか。あなたは香椎隼矢かしいじゅんやさんですね」
 香椎という人は、
「間に合わなかったんです」と、声を詰まらせた。
 朔空君は芝生に転がりながら、無心に絵を描いている。
「姉は子供の父親の名前以外、双子のわたしにも何も教えてくれなかった。でも今確信しました」
「柊先生は何もかも承知でした。今後、僕が何も語らず姿を現さない約束をして許してもらいました。でもいつか……」
「いいのですよ、綺麗事言わなくても。咲月は産みたくて産んだのです。あんなにいい子に育ってるのだもの、別にいいじゃないですか」
「あの子に声をかけてもいいですか」
「それはだめ」
 結月さんは、無垢で前途洋々で未来の塊みたいな朔空君を見て、
「それは、あの子がおとなになったらあの子自身が下す判断です」
 と、きっぱり言った。
「咲月と寸分違わぬ姿だけど、似てないんですね」
「ええ、よく言われます」
「その日傘、いつも咲月が差していたのと同じなんで、それで引き寄せられるように近づいてしまいました」
「はい、これは姉のです。あげませんよ」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「あの子の母親はわたしです。ご安心下さい」
「ありがとう」

 ーありがとう

 誰に向かって言ったのか、風に混じって咲月さんの声がした。

 
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