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三 手取川
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石山本願寺の補給を担う瀬戸内の制海権は、未だ毛利にある。しかし、九鬼水軍には対応を促しその方向にあった。
「こちらの戦力を割くこともやむなし」
信長は決断した。
援軍が到着次第、ただちに能登へ進発することを越前北ノ庄の柴田勝家に命じた。既に与力として前田利家・佐々成政・不和光治という猛者がいるものの、上杉謙信相手では、それでも不足だった。援軍は滝川左近将監一益・丹羽五郎左衛門尉長秀・羽柴筑前守秀吉をはじめ若狭衆を加えた大軍だ。信長は、現時点で動かせる最大限の戦力を、ここへ投入した。
八月八日、援軍は安土を発した。このなかに宗顒の姿もあった。北ノ庄城に入った援軍は、そこで隊列を編成し、加賀に向けて進発した。八月半ばのことである。この動きに一向宗徒は反応した。柴田勢は小競り合いを重ねたため、進軍の速度は遅れた。
その頃。
温井景隆・三宅長盛は、遊佐続光から内応のきっかけをどうすべきか密談していた。上杉には優れた忍び組織である〈軒猿衆〉がいる。これをして城外との連絡を密にしていた遊佐続光は、上杉謙信が
「こちらで事を起こしてくれることを待っている」
ことを語った。
「そうは云うけどよ」
三宅長盛には、具体的にどうすればいいか、わからない。
「実は、ここだけのことだが」
遊佐続光は声をひそめた。
「織田が、援軍をこちらへ差し向けた」
軒猿の情報だ。
「このこと、対馬守は」
「まだ知らぬ」
織田からの報せは、今のところ軒猿に狩られて七尾城に届いていない。
「備後守が知らぬということは、そういうことじゃ。阿呆」
温井景隆は冷静に呟いた。とにかく、このことを知られれば、城内の士気は高まるだろう。長父子の仕掛ける小競り合いは、微力ながら成果を出す。そのため城内には諦める想いがない。
厄介なことだ。
絶望が見出せなければ、誰も上杉に降ろうとは考えないのである。長一族がいる限り、七尾城は諦めようとしない。
「考えがある」
温井景隆は呟いた。暗い瞳で、遊佐続光をみた。遊佐続光も頷いた。考えていることは、同じだった。
九月に入っても、織田勢は七尾城まで至っていない。加賀の一向一揆は、想像以上に手強かった。かつて一向宗は内部分裂した。その隙に、信長は加賀の一部まで侵攻した。柴田勝家はこのことから、一向宗を軽視したようだ。
下間頼純という男がいる。同族の頼龍は顕如の軍師のような存在で、この者も極めて才覚者だ。加賀の一向一揆は、これまでの主導者である七里頼周と門徒が仲違いをしていた。下間頼純は頼周が更迭されたのちの加賀の宗徒たちの立て直しを図った。
こういう男は、したたかで、しなやかな発想を持つ。
「敵が強すぎればこそ」
という策を用いる。直情的な柴田勝家を翻弄し、努めて成果を急がずにその脚力を遅くした。
一向一揆とは、所詮烏合の衆だ。ひとつの信仰だけが結束の縁であり、他人のために尽くす義理も責務もない。それをまとめるのは、目に見えて納得のさせられる力であり、それを拠り所とする信頼だけだった。それさえあれば民衆は比類なき兵と化し、極楽浄土のためならば死兵にもなるのだ。
「下間様のいうとおりにすれば勝てる」
これが、加賀一向一揆の現在だった。
先に進めぬ柴田勝家は、一向宗に手こずりながらも、小松・安宅等に放火した。武力に臨めば負けることのない織田勢は、下間頼純の掴み処のない戦術に苦慮した。
下間頼純は金沢御堂より出で、御幸塚に砦を築いて織田勢に対した。しかし、数で勝る織田の軍勢は、じりじりと前進していった。
「じれってえな」
その焦せる想いに、宗顒は歯噛みした。
「どうか、ご辛抱を」
近くの前田の家来が言葉をかける。
(そうなんだけどさあ)
能登までは、もう少しなのだ。手が届くところまで来た。もう少しで、到着すきる場所にいるのだ。一向一揆を噛み破って走り出したい衝動で、身が震えた。
こうした日数の無駄が、七尾城の命運を左右した。
九月一三日。
遊佐続光からの密書が上杉謙信に届いた。
「主戦派を討つのだそうだ」
上杉謙信は気乗りのしない笑みで、河田長親に呟いた。城攻めの常套策とはいえ、美しくない戦い方だ。
「織田勢が迫っています。七尾城は早く下さねばなりますまい。手段は選べませぬ」
「わかっている」
上杉謙信は強い武士が好きだ。もののふの価値は、戦さで左右される。しかし、七尾城の勇者たちは、己に尾を振る走狗によって、裏切られて殺されるのだ。
「哀れだな」
長続連という男とは、敵として出会いたくなかった。戦場で酒を酌み交わす仲で出会いたかったものだ。
上杉謙信の本音だった。
霜滿軍營秋氣淸
數行過雁月三更
越山得能州景
遮莫家郷憶遠征
上杉謙信作とされる『九月十三夜陣中作』は、厳密には、後世の他者による説が多い。が、遊佐続光の書状を読んだとき、上杉謙信は七尾城の結末を思わずには居られない心情になった。としたら、こういう詩を詠んだかも知れない。
九月一五日。中空には月が輝いていた。
「頑張れ、援軍はすぐそこまで来ているぞ」
城代として励ます長綱連の声には、まだ覇気が漲っている。この声に励まされて、畠山守護家がいなくとも兵たちは頑張ってきたのだ。
「十五夜だな」
誰云うともなく、空をみた。籠城の凄惨さを知らぬように、月は青々と照らす。神々しく、清浄の光が、七尾城の中空にあった。
「九郎左衛門尉殿、よろしいか」
大手赤坂口で兵を励ましていた長綱連を、遊佐続光が呼び止めた。
「大事な話がある」
険しい表情の遊佐続光に、綱連は応じた。
「さて、如何されたか」
「うむ」
いざとなれば迷うのが、人だ。遊佐続光も人の子である。が、乾いた声で
「上杉に降伏するつもりだ」
遊佐続光の言葉に、長綱連は耳を疑った。
「裏切りですぞ」
「そうだ」
長綱連が刀へ手を伸ばした。
「御免」
陣幕がふわりと上がり、槍を手にした遊佐の兵たちが、どっとなだれ込んできた。あっという間の出来事だ。息をつく間もなく、長綱連は無数の槍に刺し貫かれて絶命した。
「御級を」
綱連の首を挙げたのは、続光の子・四郎右衛門尉盛光だった。
「あとは、温井がやるだけだ」
後味悪い気分だ。
月を見上げた。何も知らぬ無垢な輝きに、なぜか、遊佐続光の目に涙が溢れていた。後悔はないのに、不思議なことだった。
七尾城蹴落口の城門が開かれた。
上杉勢が潮の如く流れ込んだ。その勢いに、西の丸も調度丸も、たちまち血の海となった。
「敵襲!」
大手口の長続連は、信じられないと、血相を変えて二の丸へ走った。城代である綱連が遊佐続光と話し合っていると聞き、慌てて西の丸へ向かうと、そこは上杉勢で溢れていた。
「九郎左はいずこか」
叫びながら、続連は上杉勢を斬り進んだ。
「対馬殿」
温井景隆が呼び止めた。
「城代を知らぬか?」
その問いに
「もはや世になし」
「なんと」
「遊佐美作の手に掛かり」
遊佐続光が裏切ったというのか。続連は蒼褪めながらも、気を保ち
「敵を追い払わねば」
そう云いかけた時である。脇に、刃が突き立てられていた。
「ここを落として、上杉に付く。済まぬな」
温井景隆は笑った。
「恥をしれ、備中!」
「織田は来ぬ。来る前に、ここが落ちるのだ」
崩れ落ちた続連の御級を掻き落とし、家来に長の一党を討ち果たせと号令した。
七尾城内は阿鼻地獄と化した。長の一族、家来、賛同する者、ことごとくが討ち取られた。上杉勢にもよるが、多くは温井・三宅・遊佐の兵による。
上杉謙信は石動山大宮坊の本陣に陣を構え、月を見上げていた。
「申し上げます」
河田長親が傅いた。
「うむ」
「七尾城、開城の報せが」
「……そうか」
遊佐続光・温井景隆・三宅長盛・平綱知といった寝返り者たちは助命され、上杉氏の国衆家臣団に許された。
「首実検の用意が出来ています」
うむと、上杉謙信は立ち上がった。首実検の場は、石動山本陣の前に用意されていた。遊佐続光・温井景隆・三宅長盛とその一族が、神妙に控えていた。
「遊佐美作守」
「は」
「早くから上杉を頼りにしてくれたこと、大義である」
遊佐続光は平伏した。
首台は俄か作りである。礼を逸することだなと、上杉謙信は顔をしかめた。並んでいるのは、長続連と長綱連、綱連の弟・長則直や綱連の子・竹松丸と弥九郎だ。主だった長一族は討ち取られたことになる。
「哀れな」
上杉謙信は低く呟いた。
化粧を施された長一族の顔は綺麗であった。乱戦に及ぶことなく、近接で刺されたゆえのことだろう。
ひとしきり作法が済むと
「盃を」
上杉謙信は近習にかわらけを用意させ、首の数だけ前に並べた。上杉謙信は自らの盃を干した。
「お前らとは、生きて敵味方の区別なく酒を飲みたかったぞ」
上杉謙信とは、こういう男だった。
槍ひとつに絶対の正義があり、曲げぬ信念のもとで戦場を駆け抜ける強者がことなく好きであった。最後まで城で戦い、正攻法ならば今なお踏み止まったであろう長という一族の男たち。
「美酒なり」
生きて飲み交わしたかったことだけが、残念だった。こうした勇者は、長生きできぬ。それが戦国なのかも知れない。
「首は捨てますか」
河田長親の問いに、上杉謙信は首を横に振った。
「勇者の御級である。粗略には出来ぬ。さりとて今は戦さ場にて寺へ渡すことも出来ぬものなり。御級は倉部浜に晒すべし。織田勢に七尾落城を知らしむること、肝要」
獄門台に御級が晒され、すべてに首札がつけられた。討った者の名も記された。遊佐続光……温井景隆……目を覆いたくなる手柄者であった。
「領民、供物があれば許す。七日ののちに手厚く供養すべし」
上杉謙信はそういって瞑目した。
七尾城は一年近くも謙信を手こずらせた名城だ。そういう意味でいえば、長一族の武功は語るまでもなく明瞭といえる。
上杉謙信は遊佐続光らを一瞥した。
「その方ら、七尾城を修築するべし。即日用いること、申し付ける」
上杉謙信は厳しい口調で命じた。
二
七尾城が落城したという報せが織田勢に届いたのは、一八日のことだった。その前日、末森城が完全に上杉制圧下となり、その報せとほぼ同時だった。
柴田勝家は気拙かった。織田信長の命令を果たせなかったこともあるが、同陣する七尾城の使いにそれを話さねばならない。とても隠すことは出来なかった。
「辛い話があるのだ」
宗顒は勝家の言葉に、耳を疑った。
七尾城が落ちたということは、一族は勿論、城内の皆がどうなったか。その謎も、程なくして、報せが届いた。
「城内で謀叛があったそうだ」
長一族はことごとく討たれたという。
「くそ、間に合わなかった」
宗顒は大声で泣いた。吠えるように、狂ったように、泣き叫んだ。無理もない。むざむざ目の前で殺されたようなものだ。それも、裏切りという殺され方で。
無念というより、他なし。
死んだ者以外は、すべて裏切り者だ。
「しかしな、いい話もある」
「は?」
「城代の末子は乳母に抱かれて逃げ果せたそうだぞ」
勝家の言葉に、宗顒は顔を上げた。
たしか、菊末丸だ。そうか、子供がひとり逃げおおせたか。それだけが、救いだ。
「御級は、倉部浜に晒されておる」
「倉部浜といえば」
この日、柴田勝家率いる織田勢が布陣したのは、手取川を越えた箇所だ。ここから倉部浜は、近い。
「柴田様」
「いうと思った」
「されば」
「いまは軍を動かしている最中である」
が、城が落ちた以上、進退のことは信長の判断が求められる。すぐにはここから動くことはない。
「ならば、よろしいですね。行ってみてもよろしいか」
本来なら陣中で勝手は許されない。しかし、救援に間に合わず、情報収集でしばらくは動けない。
「という、建前だ」
苦り切った表情で、柴田勝家は指を三本立てた。
「三日だけだ。三日経てば、ここから動く。それまでには戻ってこい」
「かたじけない!」
「間違えるな。これは、命令だ」
十数名の供を付け、必ず戻ることを条件に、柴田勝家は宗顒の自由を許した。そうこうしている間に、着々と上杉の動向や能登の状況が報じられる。勝家は多忙だった。
倉部浜へ走った宗顒は、そこに並ぶ一四の御級を目の当たりにした。父が、兄が、叔父が、甥が……。
「なんということだ」
供する者たちは、皆で啜り泣いた。
「間に合いませなんだ」
長の一族は戦って死んだのではない。その無念が、表情に滲み出ている。こんなものは、武士の死に方ではない。変わり果てたその姿に、宗顒は号泣した。
「あれ、孝恩寺殿。生きておいでか」
声を掛けたのは、穴水の名主だ。
「お前たちは城にいたのでは?」
「戦さの始まる前に、城を抜け出したんです。戦さの前に逃れたおかげで、我らは虐殺を逃れたました。長の殿様や皆様は、まことに気の毒のことを」
「他に逃れた者は?」
「案外とおりますよ。長様あってのことで、温井や遊佐の云う事なんて聞きたいモンは殆どいやしません。孝恩寺殿が無事で、本当によかった」
「そうか、父上たちのことを」
「はい。長様たちが哀れでならんので、上杉入道様も同じ気持ちになってくらたんでしょう。七日後に、こちらの首を供養していいと承っています。貰い受ける前に、嫌がらせされたら敵いませんから、こうして順番で、首の番をしていたんです」
宗顒は心から感謝した。そのうえで、真相が知りたかった。
「聞かせてくれ、裏切りは、まことか」
名主は辛い事実を語った。遊佐続光が手引きし、温井と三宅が同調した。背信者は今では上杉の家臣だという。七尾城から乳母に抱かれて脱出した菊末丸は、まんまと逃れて野に潜んだらしい。
宗顒は倉部浜に二日留まり、名主から落城の様子を聞いた。人伝手で曖昧であるが、はっきりしていることは、長一族だけが最後まで初心貫徹し、裏切りに応じず奮戦したということだ。遊佐続光・温井景隆・三宅長盛、この者たちは、宗顒にとって終生ン汲むべき仇ということになる。
「怨みは晴れぬ。あいつらを殺さぬ限りは、晴れぬ!」
一四人の御級の前で、宗顒は誓った。裏切り者を、必ずこの手で……。
「名主殿、どうか皆を供養してくれ。本当なら儂がやるところだが、これから織田の陣営に帰らなければいかん。しかしきっと、奴らを殺す」
「お任せあれ、孝恩寺殿」
「その孝恩寺も終いだ。儂は還俗して、仇討ちのために修羅へ落ちるだろう」
本当は、そうしたくはない。父が云っていたではないか。
「還俗しましょうか」
「いや、坊主でおれ」
その約束は、守れそうにない。
「で、孝恩寺殿は、いつかは能登へ」
「そんな目先のことよりも、先ずは仇を討つことだよ。そうでなければ、なんで能登には戻れようか。奴らをぶっ殺して……いつか、大願成就のあかつきには」
「そのときを、我らは楽しみにしております」
「その日まで、さらばだ。首供養、しっかりとな」
そういって、宗顒は涙を拭うことなく、柴田勝家の陣所へ引き上げていった。
その頃、柴田勝家の陣では騒ぎが生じていた。
「筑前殿、謝りなされよ!」
「帰れというのは修理殿にて、儂は従うまで」
「上様の不興を被ればただでは済みませぬぞ!」
この陣で与力を務める羽柴秀吉。出自も含めて、日頃から柴田勝家とは不仲であったが、この陣中、些細なことで口論となった。カッとなった勝家が
「サルの助けはいらぬ」
と、売り文句に買い言葉で収まりがつかなくなったのが実情だ。
こんなことが信長の耳に入れば、なんとする。両人だけのことではない、陣中の誰もが巻き添えで叱られる。それだけならいい、切腹、もしくは手討ち。最悪なことだけは、いくらでも想像できた。
既に秀吉は撤収をしてしまった。
「あんな奴など、放っておけ!」
そうはいうが、他の与力は生きた心地もない。
いま、現実として、上杉謙信の軍勢が松任城にいる。
「野戦で上杉とは戦えぬ。機会はきっとある、今は撤退するぞ」
勝家の言葉には、力及ばぬ無念が籠っていた。
これ以上、無理は云えるものではない。上杉の強さは、誰よりも宗顒が承知している。
「仰せに従います」
宗顒は頷いた。
柴田勢は周囲を警戒しながら、徐々に後退していった。
二二日になると、天候は完全に崩れてきた。視界も怪しくなってきた。手取川はもともと石川という。どうして手取川になったか、一説には、木曾義仲の逸話がある。義仲が北陸路より上洛する際に渡ったこの川は流れもきつく
「渡河中は危ないので、みなで手をつなぐべし」
というところから、いつしか手取川に変じたとされる。この雨で増水した手取川は、暴れ龍のような勢いだった。
一向宗と和睦している上杉謙信のもとへは、たかが二里少々のところに織田信長の精鋭が撤退行動中である報せが入る。
「ほう」
上杉謙信はほくそ笑んだ。
義に厚い男ならば
「逃げる敵など意味はない」
と見過ごしただろう。しかし、そのような宣伝は、上っ面だけのものだ。謙信の脳裏には、かつて武田信玄が三方ヶ原で徳川家康に完勝した出来事が過っていた。
(信玄は徳川に圧勝した。儂ならどうするか)
誘惑だ。
勝てる相手に、勝ち方の美学を求めている。儂なら、どう勝ち戦さに華を添えるか。
(戦わずして威圧することもよいな)
手取川は増水して渡河も容易ではない。そこへ、越後の精鋭が押し迫れば、どうなるというだろうか。混乱した織田勢は、氾濫する川へ飛び込むか、窮鼠猫を噛むの例えで自滅の突貫を選ぶか。
(見たいものだな)
上杉謙信は河田長親を呼ぶと
「織田の軍勢がいる」
そう質した。
河田長親は困った顔を浮かべた。戦うのは容易だ。十分に勝てる見込みもある。聞いたところによると、柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益といった名のある大将級だ。討ち取れば手柄である。
(それだけに、抵抗されると無傷で済むまい)
河田長親はもう一度、じっと謙信をみた。
謙信は、やる気だ。
尋ねているのは、戦さの有無ではない。どうやれば完全勝利かという、手法を問うているのである。
「三方ヶ原がいけないのですな」
河田長親の苦笑に、謙信は微笑で答えた。それが答えだ。宿敵であった武田信玄が、完全なる手本のような勝利を得た三方ヶ原合戦。上杉謙信としては、それ以上の最高の知略秘術を駆使し、後世に語り継がれる戦さぶりを示さねばならぬ。
「信玄入道は、そのあと死にました」
「儂はまだ死ぬつもりもない」
「ならば」
「しかし、これ以上とない相手であること、二度と機はない」
観念して、河田長親は背筋を伸ばした。
「鶴翼の陣備えのまま、敵へ迫るのです。上流と下流も兵を配り、包囲しましょう。敵は必ず濁流へ逃れます」
「それでよいのか」
「兵を損なわず勝利することこそ、完全勝利に候や」
「あいわかった」
陣触れが松任城内に響いた。
「申し上げます」
斥候の報告に、柴田勝家は血相を変えた。上杉謙信がこちらへ向かっているという。もう一度、主だった者を集めて、勝家は戦うことが是か非かを質した。
「もしもここで全滅などしたら、上様のこののちに障りが生じる」
丹羽長秀は言葉を続けた。こののちとは、本願寺との戦さも含む。兵の損耗は劣勢に繋がる。そのことは必定だ。ここで逃げたところで、誰が笑う。ここは未だ敵地であり、奪ったものも守るものも、ましてや失うものなど何もない。
「退こう、権六!」
その言葉が、躊躇う柴田勝家の背中を押した。
「ありがとう、五郎左」
「その言葉は、無事にこの川を渡り切ってから聞く。簡単なことではねえら」
濁流の川幅はかなりのものだ。渡り切るとき、相当下流へ流されることだろう。
「渡ることが出来たら、火を焚くべし。士卒も下郎もねえ、渡った奴は必ず火を点せ。どんどん燃やせ。それが川を渡る者の希望になる」
そう叫ぶと、柴田勝家は甲冑を脱ぎ捨てることを命じた。重い鎧をつけていては体力を奪われ、泳ぐことも出来ないだろう。褌と脇差一本あれば十分だ。
織田勢は丸裸も同然で、手取川へ飛び込んだ。
手取川の合戦について、その記述がある史料は『歴代古安』と『北越軍記』のみである。本願寺側には記述がない。また、『信長公記』によると
北国、賀州表へ差し遣はされたる御人数、国中の耕作薙ぎ拾て、御幸塚、
御普請丈夫に拵へ、佐久間玄蕃を入れ置く。
大正寺、是れ又、普請申しつけ、何れも、柴田修理亮人数入れらる。
という撤退の事実が記されるのみだ。
後世、この戦いは上杉側の捏造という説がある。捏造して、加賀能登に対する利があるのは、上杉謙信ただ一人だった。この撤退に対する信長の逆鱗の記述があるのは、秀吉の無断離反のみである。あとは御咎めの痕跡は、一切ない。
能登の最後の戦いは、奥能登松波城攻防戦だった。
畠山分家の常陸介義親は七尾城が落ちるときに脱し、神保周防長親・河野肥前・熊木兵部ら兵三〇〇は、松波城で再起を図った。この残存勢力に長沢筑前光国ら兵一千が押し寄せた。
「こんな城では、何も出来ぬ」
九月二五日、義親は無念を幾度も口に出し、自刃した。家来には逃げよと伝えたが、彼らは包囲を抜けることが出来なかった。ほぼ全滅という形で、松浜は落城した。
翌日、上杉謙信は七尾城に帰陣した。修築普請されている七尾城に、あらためて登城して、謙信は感嘆した、
「ほう」
その眺望、まさに天下の名城に恥じぬものであった。
「かの地、加賀・能登・越中の扇の要にあり、要害は海と一体となっていて、島々のありさまは絵に写すことの出来ない景色なり」
謙信は絶賛した。
後世、七尾城は〈日本五大山城〉のひとつとされた。残りは小谷城・観音寺城・月山富田城、そして上杉謙信の居城である春日山城だ。畠山家の内情がどうあれ、この堅固な名城のおかげで、能登はこのときまで戦国乱世から独立を果たし得た。この城があったからこそ、信玄亡きいま、日本最強と囁かれる上杉謙信を相手に、長一族は一年近くも戦えたのだ。
以て瞑すべし。
日本語は美しく、的確な表現をする。この言葉は、長一族に相応しいものだ。ここまでやってのけた弱小守護の一武将に過ぎぬ男は、死んでその名を歴史に残した。一方で、この言葉もある。
死んで花実が咲くものか。
日本語の、残酷な一手だ。後世だからこそ云えるが、当時にはない概念かも知れない。が、死んでしまえば、もうそれきりだ。本人が満足しても、残された者は微塵も浮かばれることはない。
孝恩寺宗顒がそうだった。
いっそ皆を追って腹を切れたら、どんなにか気が楽だろう。一族根絶やしの怨みだけが、彼を辛うじて生かしていた。復讐の意思があるからこそ、涙を呑んで、柴田勝家とともに屈辱にまみれて退いた。
そして、安土へと赴き
「父祖の仇を討つため、北陸勢に加え給え」
と直訴した。
「聞き届けた」
と、織田信長はこれを了承した。
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生き延びた者たちの記録である。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。
独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす
【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す
【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す
【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
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