つわもの -長連龍-

夢酔藤山

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二 決戦、七尾城

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                    一


 温井景隆は状況に詰まっていた。一向一揆との繋がりを密としていながら、今の畠山家は本願寺の布教を途絶していた。もしも一向宗徒を受け入れたなら、畠山家を祀り上げ、事実上の国の采配は温井景隆が握ることとなる。
 しかし、今は越後寄りの遊佐側が発言権を握っていた。
「上杉は越中をほぼ併呑している。次は能登に迫るだろう。抗するなら、一向一揆の力が必要なのだ」
 温井景隆は頑固ではない。結果的な実を取るならば、苦渋の変節も辞さぬ男だ。本来、こういう男が戦国に順応するのである。温井景隆は考えた。上杉に付いたふりをして、機をみて一向宗と結ばせる。そのためには、遊佐と手を組むこともありだろう。
 長はどうか。
 上杉と抗し、織田信長と連絡を取り合い先代義綱を擁護すると聞く。味方にすれば頼れる武力だが、敵にすれば厄介極まりない。
 敵とすべきか。
 遊佐とどちらが得か。
 温井景隆は熟慮の果てに、後者を選択した。ただし、まともに戦って勝てる筈がない。少しずつ戦力を削ぎ落す必要がある。風評的に悪しき者と辱める必要もあった。
「先代と組むならば」
 当代を暗殺したところで、どうということはない。どうせ飾り物なのだ。温井景隆が手を回し、長が義慶を殺した。そういう筋書きにすればどうだ。責任はすべて擦り付ければ良い。そうなれば、長の側は孤立する。
「あとは遊佐だけ」
 温井景隆の策謀は、父や祖父以上だった。

 元亀年間は、日本史の大転換期だ。
 京での室町幕府は事実上終了した。終わらせたのは織田信長である。信長の畿内権力は何物に代えがたいものとなっていた。信長を包囲しようとした勢力の要だった武田信玄が病没した。これが信長の運を開いた。越前は信長によって滅ぼされ、加賀と勢力を隣接させた。石山本願寺との軍事衝突はすでに始まっている。従って加賀一向一揆は信長の敵だった。
 能登は信長と結べば、安定となる。長続連・綱連父子は、そのことを畠山義慶へ訴え出た。加賀が平定されてからでは、信長と対等な関係は維持できない。先見の明だ。
が。
「上杉とのこと、無視は出来ぬ。とにかく、上杉だ」
 この強気の源泉は、遊佐と温井の後押しがあるからだ。そのことを、長続連は薄々感じた。押して駄目ならと、この場は辞することにした。とにかく織田信長を知らぬ者が能登には多い。過小評価は禁物だった。
 その夜。
 七尾城は大騒ぎとなった。畠山義慶が暗殺されたのだ。重臣たちは登城し、事実確認を求めた。
 義慶は胸を一突き。即死だった。よほど信頼していた者に刺されたのだろう。
「そういえば、昼間、対馬殿は殿と口論をしていたそうだ」
 温井景隆の何気ない言葉に、一同は長続連をみた。
「冗談ではない」
 綱連が激昂した。
 守護家との意見の食い違いなど、誰でもあることだ。そんなことで、いちいち主君を殺していたら、国など成り立たぬ。
「そうだ。長殿がやったという証拠など、どこにもない。そういうことがあったと、口にしただけだ」
 温井景隆は庇うように、犯行を否定した。それが、却って余人に疑いを醸し出す。わざとやっているとしたら、温井景隆とは、なんと嫌な男だろう。
「詮議するまでなないだろう」
 遊佐続光も呟いた。
 長一族は義慶をよく支えてきた。主家を暗殺する理由がないとも口添えした。そういわれるほど、人は長一族を疑いたくなる。かといって、潔白を証明するものはない。
 何も云えず、悔しさに震えながら、続連も綱連も、この場の空気に堪えた。
「しかし、このままではいかぬな」
 温井景隆は後継者を急いで立てるべきだと主張した。当主不在では、障りがある。義慶の庶兄・伊賀守義隆が畠山の家督を継ぐこととなった。彼は温井景隆の傀儡のような人物だ。能登の流れは、これを機に、親上杉路線に変わった。
 無論、温井景隆は独自で一向宗との繋がりを保持したし、長続連も織田信長との繋がりを維持した。
「このままでは、難し」
 上杉は親しい顔をして、突然牙を剥いてくるだろう。織田信長が一向一揆を下し、能登へ至ることだけが希望だった。
「孝恩寺を呼べ」
 続連は、宗顒を招くと
「安土へ行け」
 最近、織田信長は安土に新しい城を普請しているという。
「能登の窮乏をよくよく訴えよ。嫌がられてもいい、とにかく顔を覚えて貰え」
「父上?」
「儂が動くと目立つ。お前しか適任はいない」
 宗顒は大きく頷いた。

 上杉輝虎が入道し、謙信と号した時期は元亀年間とされる。浸透したのは天正になってからだろう。その上杉謙信が海上交易の利便性を重視したうえで
「能登との講和よりも支配こそ大事」
と方針決定したのは、天正四年の頃だった。奇しくも能登では、当主・畠山義慶が暗殺されていた。
 偶然だろうか。ともあれ、能登は新しい当主を迎えた。発言も決定も儘ならぬ傀儡当主だ。上杉謙信の能登侵攻決定は、この手順ののちである。
 上杉謙信が能登を奪いに攻めてきた。織田への支援要請を公言したのは、長続連だけだった。
「当家だけで、持ち堪えられる」
 遊佐続光の言葉に、素直に頷ける続連ではない。
「上杉は戦さ上手ですぞ」
 続連は、叫んだ。警告にも似た悲鳴だった。上杉謙信の強さを、どれほどの者が、このとき理解していただろうか。長続連さえも自覚はない。その矢先、天正四年(1576)二月、畠山義隆が急逝した。


                   二


 天正四年(1576)二月四日、畠山義隆が急死した。何の兆しもなく、またもや暗殺かと、家中は騒然となった。誰かを当主にしなければならない。上杉の脅威は、すぐ目の前だった。
「上杉の養嗣子となった弥五郎殿をお迎えするのはどうか」
 遊佐続光が提案した。弥五郎は畠山義続の子で義綱の弟にあたる。畠山家中内紛時に上杉との和睦を求めた際、人質として送られた。上杉謙信はこれを人質とせず、養嗣子と遇したのである。これを迎えれば、上杉との講和もまとまるのではないか。
「出来すぎだな」
 温井景隆が呟いた。よもや遊佐続光が暗殺したのではないかと、疑うような口調だった。馬鹿馬鹿しいというものの、遊佐続光は不快な表情を隠せない。
「筋道からいえば、春王様だ」
 長続連が差し挟んだ。春王丸は義隆の子だ。まだ幼いが、当主の子である以上、これが正当であることは納得である。
「火急である、幼い当主では心もとない」
 遊佐続光の正論に、誰もが
(よくもいう)
と、心中で笑った。畠山の当主など、傀儡に過ぎない。成人であろうがなかろうが、飾り物には変わらないのだ。
「筋目が肝要」
 続連の言葉が、この場合は説得力がある。
 そうこうしている間に、上杉謙信から降伏勧告がきた。
「蹴ってよし」
 一同は即断した。
「いや、戦さを避ける最善策だ。弥五郎殿を!」
 遊佐続光は食い下がった。その声は誰にも届かなかった。上杉謙信との戦いは望むものではない。しかし、戦わずして降伏するような真似も御免だ。飾り物でもいい、畠山家を守護として保ちたいのが、家中の願いだった。
 越後勢が進発したという報せが、程なく届いた。

 七尾城。石動山系大小の尾根に砦を配した山城である。七尾とは七つの尾根を指すともいう。松尾・竹尾・梅尾・菊尾・亀尾・虎尾・龍尾、それぞれに拠点がある連立式構造だ。室町三管領家だった能登守護職・畠山満慶により、正長(1429)の頃に築かれたと伝わる。七尾と内海を一望できる場所として、昭和九年に国史跡に指定された。すなわち山城としては堅固な機能を保持する、立派な、戦うための軍事拠点なのだ。惜しむらくは、畠山氏は一枚岩でない。負けたら殺されるという恐怖だけが、辛うじて連帯感を保つ、そのような烏合の衆だったのである。
 一〇月、越中末森城が落ちた。
 その頃、織田信長は武田勝頼を長篠に破り天下布武に向け邁進していた。早くから信長の実力に着目していた長続連を、多くの者が嘲笑ってきた。が、それらの者たちも、さすがに、信長の存在を無視することが出来なくなっていた。
信長に救いをという長続連の言葉に、薄々賛同する者もいる。が、家老たちの考えは統一されていない。
「上杉の襲来を凌げ、堪えろ」
 これだけが口にされた。上杉謙信との協調を口にしてきた遊佐続光も機を逸した以上、戦うしかなかった。一一月二〇日、上杉軍は七尾城下の天神河原に布陣した。
「諸将に申す」
 長続連が叫んだ。
「いまは各々の諸城を捨てよ」
 これに反発する者は多い。が、続連は叫んだ。
「分散しては勝ち目なし。すべての戦力を七尾城に集めるべし。奪われた城は、あとから取り戻せばいい。いまは、七尾城を死守せよ」
 従う者、従わぬ者、反応は芳しくない。真っ先に穴水城の武器兵糧兵員を続連が七尾城へ集めると、ようやく動き出す者もいた。時間の猶予はなかった。もたつく者は、結局、所領の城に出し惜しみで留まらせた。
十一月、上杉勢が襲来した。毘沙門天の一字を染め抜いた馬印が、怒涛の勢いで能登半島を席巻したのである。
 七尾城の守備の采配は、長続連が執った。誰でもよかったのだが、家老たちが積極的に名乗りを上げなかったので、結果的にこうなった。武辺で知られる続連だから、それはそれで適材だった。

   大手赤坂口 長続連
   古府谷   温井景隆・三宅長盛
   蹴落口   遊佐続光 

 大まかな割振りはこうだ。その下に諸将が付いた。一兵たりとも城内に入れてはならない。また、どの口が破られても、戦さは負けになるだろう。誰もが必死だった。人のことよりも、自分が生き残るために、必死だった。
 七尾城の堅固さを感じ取った上杉謙信は、諸将を集めると
「能登の支城を焼き払え」
と下知した。支城がすべて陥落すれば、畠山勢の心を挫くこととなる。士気が下がれば、七尾城攻略など容易いことだ。過去、上杉謙信が困窮した戦さの殆どは、地の利よりも敵の軍配に苦しめられた。武田信玄然り、一向一揆然り。能登には彼らに匹敵する軍配者はいない。
「獅子は全力を以て窮鼠を噛む。手心も油断もあるべからず」
 根切りにするよう、上杉謙信は命じた。
 能登の支城は数多あるが、主なものは熊木城・穴水城・甲山城・正院川尻城・富来城などである。七尾城へ入れという続連に逆らい、甲山城には平楽右衛門尉が留まっていた。楽観視していたのだろう。そこへ、上杉勢が襲来した。平楽右衛門尉は城を出て武連まで逃れたが、そこで討たれた。目立たぬ飯田城は遊佐続光の被官・飯田与三左衛門が籠っていた。このような小城にも、上杉勢は容赦しなかった。
 鬼のような徹底ぶりだ。
 その戦いぶりで震え上がらせ、戦意を削ぐのが、目的だった。ところが、七尾城は堅固に立て籠もり、内通する者も現れなかった。
「遊佐美作守は上杉寄りと聞いていたが、あやつめ、何をしておるのだ」
 上杉謙信は焦れていた。能登の冬は野戦に向かぬ。寒風が駆け抜けていくたびに、苛立ちが込み上げた。上杉軍が七尾城を包囲して、数日後。能登の農民が筵旗を掲げ、上杉勢の後方を襲った。これは一見、一向一揆のようにみえるが、土地の農民たちだ。畑を荒らされたことへの、抗議の徒党である。もっとも、そのように先導したのは、他ならぬ長続連だった。上杉謙信は農民を殺さぬよう追い散らせと、苦い顔で命令した。

 上杉謙信は能登での年越しを覚悟し、長期戦のため七尾城のふもとに石動山城を築かせた。既存の砦を用いたが、上杉謙信が入城したことで、堅固な城塞となったのである。
「繰り返し、降伏勧告を続けよ」
 このような烏合の衆に手こずるなどとは、想定外だった。
 天正五年正月、七尾城は屈する様子はない。上杉謙信は長期戦に臨むつもりだったが、そうはいかぬ事情が発生した。
 この正月、武田勝頼が北条氏政の妹を正室に迎え入れた。武田と北条の同盟により、上野と信濃から、越後へ向けた軍事行動が生じたのだ。これは、尻に火が付いた格好で、都合が悪い。
「このようなときに」
 上杉謙信は不快を表情に表した。
 三月、七尾城包囲の軍勢を残し、上杉謙信は越後へと引き上げた。ここまで耐え忍んだ七尾城の兵糧は、かなり厳しい状況だった。
「よし、謙信入道さえいなくなれば、どうとでもなる。先ずは落された能登の城を襲い、奪い返す。敵の兵糧も分捕ってやろう」
 長続連が強い口調で叫んだ。長続連の能登支城奪回の策には、勢いが必要だった。躊躇したら失敗する。
「もしも謙信入道が戻ってきたら、なんとする」
 温井景隆が声を震わせた。
「七尾城に籠り、謙信入道が退くのを待つ。これを繰り返せば、織田弾正殿からの援軍が必ずくる」
 自信みなぎる言葉だった。
 やるか、やられるか。 極限の選択だ。となれば、やるしかない。七尾の城兵は、全員で腹をくくった。
「各々、先ずは己の城を奪い返すがよろしい」
 長続連の号令は、領地を蹂躙された諸将の内に怒りを焚付け、凶暴な感情と戦意を昂らせた。遊佐続光も温井景隆も、先ずは己の所領ありきという考えがある。
 最初の攻撃は、熊木城と富来城だった。
「敵襲!」
 どっと畠山勢が攻め込んだ。
「逃がすな」
 指揮する長続連の采配は鮮やかだ。城より逃れ、宝憧寺まで転がり込んだ越後勢は討たれた。熊木城は、瞬く間に奪い返された。富来城も同様だ。こちらは杉原和泉を総大将として攻め寄せた。藍浦長門は捕えられ、処刑された。
 戦さとは、勢いだ。
 長続連の云うことは、正しかった。

 畠山勢の反撃という報せを聞いたときは
「まさか」
と、上杉謙信は耳を疑った見縊っていたことを認めるしかなかった。
 だが、軍配者は誰なのだ。
「長対馬守か」
 遊佐続光から聞いたことがある。畠山家中でもっとも戦さ上手である男、たしか長対馬守続連の一族だ。これが、留守中を掻き回していることは想像に易い。
「面を拝んでみたいな」
 上杉謙信は頬が緩んだ。火事場泥棒のような北条と比べれば、長続連の方が骨がありそうだ。こういう者を配下に欲しいとも思った。
「豊前」
「は」
 呼ばれたのは、河田長親。越中への進出を含め、上杉謙信の戦略に欠かせぬ人材である。これに、能登のことを質した。
「敵はじわじわと能登を回復し、最後に石動山城を脅かすこととなるでしょう。これは迅速が勝敗の鍵です。相手に考える暇を与えたら勝ち目はなくなります」
「そうか」
「この軍配者、実によくも考えたものです」
 云ってから、あっと、河田長親は頭を下げた。
「惜しい将だな」
「は?」
「これを采配する者、次の戦さでは御級を頂戴することとなる」
 残念なものだと、上杉謙信は笑った。


                    三


 織田信長に、長続連の書状が届いたのは、六月末のことだった。上杉謙信の居ぬ間に、包囲網を次々と破っている善戦ぶりを強調したものだ。
「寡兵でようやる」
 このとき織田信長は柴田勝家・前田利家を越前へ派遣しているが、直接、能登へ援軍を送れる状況ではない。
「しかし、能登を上杉にくれてやるのは、惜しい」
 米沢の伊達輝宗へ上杉領との国境を脅かすよう、牽制の依頼を発した。時間を稼げるよう、織田信長は十分に支援をしていた。援軍を待つ長続連は、根気よくその日のために、支城を奪回する作戦を指揮していた。
 七月、長続連は居城だった穴水奪還の軍勢を進めた。これまで支城を取り戻してくれた家臣たちは、進んで兵を出してくれると思われたが
「守備で手が回らず」
と及び腰となり、結局、与力の少ない長勢で行うこととなった。
「罰当たりだな」
 宗顒は呟いた。坊主で参じた宗顒も、長い籠城で、頭はざんばら髪になっていた。これでは、まるで野武士であった。
「烏合の衆よりはいい」
 兄の綱連は、むしろ小回りが利く軍だと強がった。穴水城へ間道伝いに近付いた軍勢は、攻め口を分けた。北と南に、穴水の城門がある。南は穴水湾の水軍様に城下の拠点がある。舟は接収されているようだ。
 正院川尻城が穴水からは見える。そこへ向かった別動隊が、城下へ放火する手筈だった。案の定、燃え広がり、穴水城からは南門へ援軍が下りて舟に乗った。長沢筑前が先頭だった。それらが沖に出た頃に
「それ!」
 綱連が率いる手勢が長谷部神社の裏から飛び出して、城門を破った。
「敵襲」
 穴水城が手薄になったのを見計らい南城門から突入した綱連は、たちまち三の丸を占拠した。残る城兵の抵抗は厳しく、苦戦が強いられた。尾根伝いに続連の隊が攻め寄せ、北の門を宗顒が攻めた。
 城攻めは三倍の兵を擁するというだ。苦戦は想定の内である。
 長沢筑前が異変に気付き、舟を戻せと叫んだ。動きを察知した宗顒の手勢は穴水湾の潮流を読みながら、遠弓でこれを寄せ付けなかった。甲山城の平子和泉は異変を察知し、轡田肥後・唐人式部を穴水城救援に差し向けた。乙ヶ崎にて宗顒率いる長勢はこれを迎え撃ち、大勝した。轡田肥後・唐人式部・板倉伝右衛門等は撤退せざるを得なかった。
 やがて、穴水城の本丸に、長と畠山の馬標が立った。城を落としたのだ。白小田善兵衛らは城から撤退し、長勢の勝鬨が能登の空にこだました。
「長対馬が穴水を落としたとのこと」
 七尾城へ報せが届くと、兵たちはどよめいた。さすがは長続連なりと、春王丸が笑みをこぼした。
「御館?」
 三宅長盛が白湯を急いで用意させた。咳込む春王丸の症状は、春から異変を示していた。城を落としたのは気を晴らしたが、病はそれで平癒しない。実のところ、似たような症状の兵が、七尾城には溢れていた。
 能登は回復傾向にあるものと、畠山勢は意気盛んだった。
 しかし。
「申し上げます」
 春王丸のもとへ届いた報せは、上杉謙信が兵八千を率いて能登に再侵入するというものだった。失意が、一瞬で城内に漂った。
「取り戻した城の兵を、呼び戻しましょう」
 長続連は、無念そうに呟いた。小城は勿論、野戦になれば、上杉謙信に勝てる見込みはない。勝てるとしたら、援軍が後方を突いたときだけである。しかし、そのような者はいない。
 このとき、長続連は宗顒を手招きした。
「孝恩寺よ、いま一度、安土へ行ってもらえぬか」
「安土へ?」
 織田信長へ援軍を求めろということだ。以前に一度、信長に面会している宗顒は最適だった。
「一日も早く来て欲しいと訴えよ」
「七尾城は保ちますか」
「わからん。正直なところ、どう守っていいのか、迷っている。だからこそ、援軍だけが唯一の希望だ」
「わかりました」
 上杉謙信に囲まれたら城を出ることもできない。脱するのも迅速を要求された。宗顒は城を抜け、間道へと駆け出した。
「絶対に、援軍を連れて来いよ」
 兄の綱連が叫んだ。
 織田信長だけが頼りだった。返事をしたが、それはもう、言葉ではなく雄叫びだった。滑稽な音にも聞こえた。
「あいつ、馬鹿だな」
 綱連は真顔で呟いた。
 まだ七尾城に入りきらない支城の兵がいた。一人でも多く、戦える者が必要である。続連は城に迎えるための援軍を外へ出した。支城の兵たちは、甲山城の轡田肥後・平子和泉・唐人式部の軍勢に追跡されていた。続連は綱連に采配を任せ、己は小隊を率いて崖地に潜んだ。寡兵の戦い方は、奇襲と伏兵しかない。惣構の城門口は、攻め手も軍勢を細く長くする。その横腹へ、綱連は弓による一斉射を仕掛けた。
「落ち着け、狼狽えるな」
 現場を指揮する者がいると、そこへは鉄砲を撃ち込んだ。とにかく遠くから攻撃する手法に徹し、これはいけないと判断した轡田肥後守は
「退け」
と号令した。撤退する甲山の軍勢に伏兵が襲い掛かったのは、その後のことだ。大軍と見誤った軍勢は走り去り、続連たちは堂々と入城した。
 七尾城内の士気は高まった。その様を、遊佐続光は冷ややかに眺めながら、懐の書状を強く握り締めていた。

 宗顒は海路を経て、越中より安土へ参向した。急ぐ旅だったが、安土へ行くには手順がある。些か刻を擁し、半月も無駄にして、安土城へ入ることが出来た。
「なにとぞ、安土の殿へ、援軍お頼い申し上げたく」
 宗顒は必死の形相で、信長の側近・菅屋九右衛門長頼に訴えた。 
「能登の長、また来たか、あの坊主め」
 信長とて北陸の戦況を気にはしていた。これ以上、上杉謙信に進出されることは好ましいことではない。かつて、武田信玄が進軍したときの恐怖は忘れようもないが、上杉謙信が同様の行動をしたときは
「果たして運が味方するか」
という不安があった。抑える布石が能登にあるならば、いくらでも支援をしておきたい。
「しかし、上様」
 菅屋長頼はじっと信長をみた。現在の軍事行動は手一杯に展開中だ。主力は本願寺方面に割かれている。
「長の坊主の面がみたい」
 信長は宗顒との面会を許した。
「なんだ、坊主。その形は、まるで野武士だな」
 第一声の信長は上機嫌だった。
「身形に気遣う暇もなく」
「謙信入道の囲みを凌いで年越しとは、大義であった」
「謙信帰国ののちは、我が父の采配で支城を奪い返しました。しかし、再び謙信がきたからには七尾城に再び」
「うむ、勝手は理解した」
「なにとぞ」
 信長はじっと考えた。能登を奪われた場合、上杉謙信はどういう経路を辿るだろうか。越後へ退くか。それとも本願寺との和睦が成立している今こそ京へ進撃するか。己ならどうか。無論、後者を選択する。ならば能登の攻防は、かつて徳川家康が煮え湯を飲まされた三方ヶ原の一戦に似た重さがある。
(ここを延命することが、己の利につながるでや)
と判断した。
「九右衛門、急ぎ権六に出陣を促せ」
「では」
「柴田勢を加賀へ向ける。その後の指図は追って出す。急げ」
 信長の沙汰は、越前に赴任している柴田勝家に加賀への進軍準備を致すべし、というものだった。能登へ行くか否かの判断に、信長は迷っていた。能登へ行くためには、一向宗徒を倒さねばならない。これの総本山である石山本願寺と、いまは交戦中なのだ。
「本願寺の出方次第で、能登へ向かう」
 信長はそう明言した。宗顒は安堵した。ただちに帰国し、七尾城兵を安心させなければならない。
「まて、坊主」
 信長が制した。
「当家の忍の者にその任を託す。お前ぁは、わが軍にあって道案内をしろ」
 信長を案内しろというのだ。宗顒は感極まり男泣きした。
「いいか、沙汰があるまで安土で待て」
「は!」
 信長は能登の状況を、このとき楽観視していた。七尾が籠城に徹すれば、十分に勝機があると考えていたのだ。
 籠城が失敗する要因は幾つかある。援軍がないことが最大要因だが、主なものは次のことだ。
  疫病の蔓延による自壊。
  兵糧不足による飢餓。
  内通者によるもの。
 想定外の要因は、最初に挙げた疫病である。これを防ぐために城や砦は厠の整備と糞尿の処理方法を厳守するのだ。七尾城はどうか。設備面では申し分のない天下の堅城である。形としては、しっかりとしていた。しかし、容量を超える事態になれば話は別だ。七尾城は城兵以外に百姓も匿っていた。城の勝手を知らぬ者は所定以外に糞尿をする。肥溜が溢れても知らぬ顔だ。
 春の頃から疫病の兆しが既にあった。城主・春王丸が腹を下し、病を帯びていたのも、そのためだった。このことが、夏の盛りの七尾城に与える影響は想像に易い。
 信長の忍びが戻ってすぐに発した報せは、まさにそのことだった。
「こりゃあ、能登は長くないな」
 信長は、内心焦った。七尾城が落ちるのは時間の問題だ。しかも、自壊していくという、最悪の状態である。
 その頃、七尾城では憂慮すべきことが起きた。当主・畠山春王丸が病没したのである。
「なんてことだ」
 疫病が蔓延する中、これを埋葬することも儘ならない。荼毘にするしかないと、温井景隆は息巻いた。
 このまま戦えるものか。いま、降伏したら許してもらえないか。遊佐続光はずっと考えていた。内奥工作を促す密書は既に受け取っている。当主が死んだ今となっては、このことも仕方ないことではないか。
 まだ全体の総意は
「徹底抗戦」
だった。誰も、降伏するとは口にしていない。城代として指揮をすることになった長綱連も、城内から適任として推されて就任したものだし、十分、士気はあった。
 迷った遊佐続光は、賛同者工作をはじめた。最初に口説いたのは、三宅備後守長盛だった。この者は三宅姓だが、温井景隆の弟である。
「助命嘆願を早く名乗れば、助かる」
 遊佐続光はそう口説いた。三宅長盛はすぐにその気になった。
「いいか、誰にもいうなよ。このことは秘密だ」
 そう囁く遊佐続光は、この小心者が兄に告げ口することを想定していた。互いに政敵だが、この窮地を切り抜けるためには味方が欲しかった。敵は、主戦派の長続連なのである。
 思惑通り、温井景隆もこの企てに賛同した。上杉への内通が三者のなかで決していた。そうとは知らぬ長綱連は、城代としての責務を果たすため、知略軍略の限りを尽くして、窮地を脱する努力を重ねていた。
 鳳至郡小伊勢村番頭・八郎右衛門に連絡をつなぎ、百姓の蜂起をさせて穴水襲わせたのも、その策のひとつだった。生きるための、必死の抵抗だった。
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蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
国を、民を守るために、武田信玄は独裁者を目指す。 独裁国家が民主国家を数で上回っている現代だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 純粋に国を、民を憂う思いが、粛清の嵐を巻き起こす 【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 【第参章 戦争の黒幕】 京の都が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す 【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす 【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

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