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良相帖
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五
病平癒ののち、藤原良相は内裏で小野篁と顔を合わせる機会がなかった。職が異なるのだから無理もない。しかし小野篁が内裏にいない理由は、すぐに判明した。正月明けから小野篁は床に伏していたのだ。
藤原良相は病気見舞いと称して、小野篁の屋敷へ赴いた。
「身分卑しき者へ足を運ぶとは浅ましき振舞い」
と、右大臣良房は激昂したが、良相は聞く耳すら持たなかった。余りにもしつこいので
「かつての御同輩を見舞うことの何処に非やあらん」
そう公言し、藤原良相は牛車に揺られるのであった。小野郷は小野妹子以来の小野一族の土地である。そこに寂れた屋敷を設けて小野篁は養生していた。
「おや、中納言殿かい」
突然の藤原良相の来訪に小野篁は目を丸くして驚いた。多くの見舞いの品に加えて心の籠った口上は、現世で老いた小野篁に深く染み入った。実に痛み入ると、小野篁も慇懃に頭を下げた。
「ところで……」
閻魔庁での出来事を藤原良相は小声で囁いた。
あのときの口添えがあって、今こうして現世にいることを感謝したうえで
「しかし貴方様があのような処に……驚きました」
「噂は聞いたことがあるでしょう?」
「いえ……噂は所詮、噂だからと、気にもしてませんでした」
「気にしないで頂きたい。以前、あなたには助けて貰った。いつか恩返しをしたいと思っていた」
藤原良相はすっかり忘れていた。かつての遣唐使問題の一件を。あのとき、小野篁は京復帰の折に恩返しを口にしていた。それがこのことだったのかと、ようやく藤原良相も思い出した。
「でも、あなたが藤原一族として権力の魔物に堕ちていたら、今度のことはなかったでしょう。どうか良き政を行なう大臣になってくだされ」
小野篁の言葉に、藤原良相は何度も大きく頷いた。
そして小野篁は小声で
「この篁の正体は広言しないでくれると有難い。せめて現世から去るまでは、変り者の公卿で居させてくだされ」
と囁いた。ふたりは身分も現世年齢も超えて、この日は夜が更けるまで随分と話をした。小野郷は僻地なので夜の帰宅は危険だからと、小野篁は従者に至るまで良相のために便宜を図った。
「これでは見舞いにきたのか邪魔しにきたのか」
藤原良相は苦笑を溢した。
明くる夜、閻魔庁に足を運んだ小野篁は
「現世の生命が今年限り」
であると知った。やはり藤原良相の事は、犯してはならない一線であった。
しかし後悔はなかった。
汚れた現世で僅かな清涼があることを知っただけでも、嬉しかったのである。
「大王には感謝している」
この言葉は、小野篁の本心であった。
病平癒ののち、藤原良相は内裏で小野篁と顔を合わせる機会がなかった。職が異なるのだから無理もない。しかし小野篁が内裏にいない理由は、すぐに判明した。正月明けから小野篁は床に伏していたのだ。
藤原良相は病気見舞いと称して、小野篁の屋敷へ赴いた。
「身分卑しき者へ足を運ぶとは浅ましき振舞い」
と、右大臣良房は激昂したが、良相は聞く耳すら持たなかった。余りにもしつこいので
「かつての御同輩を見舞うことの何処に非やあらん」
そう公言し、藤原良相は牛車に揺られるのであった。小野郷は小野妹子以来の小野一族の土地である。そこに寂れた屋敷を設けて小野篁は養生していた。
「おや、中納言殿かい」
突然の藤原良相の来訪に小野篁は目を丸くして驚いた。多くの見舞いの品に加えて心の籠った口上は、現世で老いた小野篁に深く染み入った。実に痛み入ると、小野篁も慇懃に頭を下げた。
「ところで……」
閻魔庁での出来事を藤原良相は小声で囁いた。
あのときの口添えがあって、今こうして現世にいることを感謝したうえで
「しかし貴方様があのような処に……驚きました」
「噂は聞いたことがあるでしょう?」
「いえ……噂は所詮、噂だからと、気にもしてませんでした」
「気にしないで頂きたい。以前、あなたには助けて貰った。いつか恩返しをしたいと思っていた」
藤原良相はすっかり忘れていた。かつての遣唐使問題の一件を。あのとき、小野篁は京復帰の折に恩返しを口にしていた。それがこのことだったのかと、ようやく藤原良相も思い出した。
「でも、あなたが藤原一族として権力の魔物に堕ちていたら、今度のことはなかったでしょう。どうか良き政を行なう大臣になってくだされ」
小野篁の言葉に、藤原良相は何度も大きく頷いた。
そして小野篁は小声で
「この篁の正体は広言しないでくれると有難い。せめて現世から去るまでは、変り者の公卿で居させてくだされ」
と囁いた。ふたりは身分も現世年齢も超えて、この日は夜が更けるまで随分と話をした。小野郷は僻地なので夜の帰宅は危険だからと、小野篁は従者に至るまで良相のために便宜を図った。
「これでは見舞いにきたのか邪魔しにきたのか」
藤原良相は苦笑を溢した。
明くる夜、閻魔庁に足を運んだ小野篁は
「現世の生命が今年限り」
であると知った。やはり藤原良相の事は、犯してはならない一線であった。
しかし後悔はなかった。
汚れた現世で僅かな清涼があることを知っただけでも、嬉しかったのである。
「大王には感謝している」
この言葉は、小野篁の本心であった。
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