閻魔の庁

夢酔藤山

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因果帖

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               二



 ところで位階の低いひとりの若い公家が、この頃に小野篁の噂を聞きつけ
「麿も冥府を旅したい」
などと、図々しく小野郷まで押し掛けるようになっていた。名前も名乗ったようだが、気にも留めない小野篁はすっかり覚えてはいない。この公家は満米上人が地獄で地蔵から米の溢れる箱を貰ったことや、宮中で密かに噂される小野篁の正体を知り、強欲にもその恩恵に預かりたいと考えていたようである。
「浅ましい考えは捨てよ。地獄へ行くぞ」
 小野篁はこんこんと諭したが、公家は聞く耳を持たない。
 とうとう根負けした小野篁は
「今宵灯も供もなく、たった一人で六道珍皇寺に来られたら、連れていってやろう」
 たぶん怯えて来はすまい。そう考えたうえでの小野篁の言葉であったが、なんとこの公家は尻込みしながらも、子刻には六道珍皇寺境内にやってきたのである。
 好奇心も、ここまでくれば大したものだ。
 仕方がないと、約束通り小野篁は若公家を連れて閻魔庁へ赴いた。そして大王にこの男を六道巡り連れていく許しを求めた。自在に現世の人間が冥府へ来るのを快く思わぬ閻魔大王だったが、他でもない小野篁の申し出なら是非もない。
「ただし手続きが要る。暫し待て」
 閻魔大王の裁く死者の行き先は地獄ばかりではない。罪の重さによっては異なる世界へ裁かれる。最下層の地獄界・次いで餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界そして天上界。六道巡りをするからには、それぞれの世界の出入自在が出来るよう、門番や獄卒に周知させねばならない。しかも現世の人間の肉体でも耐えられるよう、呪を掛けねばならないのだ。
 若い公家はじっと待った。待っている間、ふと目を移すと、淫奔な目をした女が男を誘ってきた。ついふらふらとそちらへ誘われた公家は、そのまま女に絡め取られて愛欲地獄へ堕ちてしまった。
 それに気付いた閻魔大王は
「捨て置け、篁。あれはどのみち良くない人間である、自業自得じゃ」
 確かに道理だ。
 このとき小野篁は公家を見捨てた。
 翌日、六道珍皇寺の境内に、頭を割って死んでいる公家の姿があった。ところが、その日のうちに、その公家の両親が小野篁に助けを求めてきた。若い公家は冥府巡りのことを親に話していたようである。
「なんとか、あの世から呼び戻してくだされ」
 泣き縋る両親の心は、息子のそれとは似つかぬ程に善良であることが読めた。元来なら聞かぬところだが、この両親の願いはどうにも断り切れなかった。
「あなたの息子は畜生道に堕ちた女に現を抜かし、蘇りそこねてしまった。それはひとつの罪、自業自得、閻魔大王も許してはくれぬ破廉恥極まる振舞い。なれど、そなたたちの真心に免じて、救う術だけを教えよう。失敗したら閻魔の赦しがないものと諦めなされ」
「なんでもやります。教えてくりゃれ!」
「実はその誘い女は畜生道よりとっくに転生し、五条大橋下に猫として暮らしている。その猫は明早朝五匹の子猫を産むだろう。そのなかの一匹を拾って、死者の耳元で鳴かせよ。さすればその者は生き返るであろう」
 両親は言われるままに猫を探し回った。そして五匹の子猫を抱える親猫をようやく捜し当てた。一匹を拾い上げ、若い公家の耳元で鳴かせてみた。
 ニャー。
 すると公家は、なんと蘇ったのである。両親は息子のふしだらさを恥じ、こののち親子で仏門に入り、修業三昧に没頭した。閻魔大王もこの両親の心を汲んで公家を許してやったのだろう。
 しかしこの淫奔な罪は、閻魔帳に刻まれて消えない。
 それを埋め償うだけの善行を積まないかぎり、若い公家の死後は、決して明るいものではない筈だった。
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