京に忍んで

犬野花子

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第一章

内大臣の娘の女房

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 内大臣の住まう邸は、多くの貴族の屋敷が奪いあうかのように連なる左京の二条にあった。

 公卿くぎょうの屋敷だけあって大きな敷地に庭や橋もあり、正殿を中心に対屋たいのやがいくつも延びていて、タキが女房としてつく娘はそのひとつの東対ひがしのたいに住んでいる。

 タキはその屋敷のきらびやかな世界に溶け込むように、ひっそりと控えていた。
 里で暮らしていた時はもちろん自分の身を写すような鏡など高価なものはなく、川面に映り込む顔しか見たことがなかったが、京に入って鏡を覗きこんだ時に、意外にもしっくりと高価な衣が似合っていたのには驚いた。だが重い。

 里での軽装に慣れてしまっている体には女房装束の何重にも重ねられた衣は、まるで里の子供を背に負って子守りをし続けているようなものだ。
 さらにタキの髪の毛は明らかに短い。貴族の世界では長ければ長いほど美しいと言われているようだ。肩をようやっと覆うほどの長さでは、他の女房達に『まるで童ね』と皮肉に笑われるのだ。
 タキはその言葉通り受け取ってしまっているが、女房達の嫉妬から来るものであるのは間違いようもないほど、彼女の姿は美しく凛としていた。

 そしてその姿を気に入ったタキの主人である内大臣の一ノ姫文子は、常にタキを側にはべらせる。それも他の女房達は気に入らないのだろう。

「小滝《おたき》、もっとこっちに寄りなさい?」
 文子は、控えめに奥手に座るタキに向け扇子を揺らした。言われた通りにしずしずと膝を進めると文子は微笑んだ。
「ねえ、この間のお話の続きをお願いできるかしら?」
「はい」

 タキ改め小滝は、文子の母方の縁戚という身分を村長によって与えられている。地方で暮らしていたという設定の話と自身の里での実際の暮らしを交えた作り話に、文子は大いに興味を持ち楽しんでいた。雅な世界しか知らない文子には、タキの語る世界こそ夢物語のように美化されているようだ。

 ちなみに特に気に入っているのは、タキが勝手に風太郎を貴族にして里のおなご達を姫ぎみとした、男女の恋模様話だ。もちろん作り話に、少しの真実を混ぜている。
 そしてタキのことはともかく、女房達も『持風様』の恋模様話はお気に入りで真面目に聞き入るのだ。

「はあ、なんて素敵なのでしょう持風様……」
 文子はうっとりと溜息をついた。ちなみに持風とは風太郎のことだ。
「そうでしょうか? たくさんの女性を惑わせているのですよ?」
 タキがそう言うと、別の女房が「そこが良いのです」と、これまたうっとりとした面持ちで言う。
「そうよ。それだけ魅力的な方なのですわ」
 文子は力強く頷く。

 思わずタキは笑ってしまった。
 最初は貴族の娘と言うから身構えていた所があるのだが、実際のところこの文子は裳着もぎを済ませたばかりの若い箱入り娘で、まだ幼さの残る言動がなんとも可愛らしいのだ。

「小滝は美しいわね」
 なぜか急に呟く文子にタキは頬を染めた。
「恐れ多いことです」
「そうやっていつも笑顔でいなさいな。また文が増えることでしょう」
 クスリと扇子で口元を隠しながら笑う。

 タキはまだこの屋敷に来て日が浅いのだが、すでにどこかで嗅ぎ付けた貴族からの恋文が毎日届く。
 ひょっとしたら間者よりも、彼らはそういう情報網に関しては長けているのではないかと驚いたものだ。いや、もしくは同業者が動いてるのかもしれないが。

「そうだわ。今度お父上の宴があるでしょう? 小滝はそれが初めての宴になるわね。楽しみだわあ」
「文子様、お楽しみなさる所がちごうございます」
「そうでございますよ。今度の宴は文子様のお披露目の場となるのですよ?」
 口々に女房達が咎める。
「たくさんの殿上人でんじょうびとをご招待なされるとか」
「きっとたくさんの殿方とご縁がありましょう。そしてゆくゆくは契りを交わすのですわ」
 しかし文子は首を傾げる。
「わたくしにはまだ結婚は早いですわ。それよりもまだ物語の中で恋をしていたいのです」

 それまでずっと黙っていたタキは初めて口を開いた。
「文子様、そして皆様。もっと先を、視野を広げてみましょう。内大臣様は違うことをお望みです」
 文子を含め女房達は一堂にタキを見やった。文子は「どういうことかしら?」と問う。
 タキは真正面に文子を見つめてさらに膝を詰める。
「文子様をいずれ、東宮様の元へ、入内《じゅだい》していただくことがご希望ではないのかと思うのです」
 女房達は一気に色めきたった。口々に「まあ!」と囁く。だが誰も否定はしない。

 文子の身分からすれば十二分にも足りるのだ。なんの不自然なこともない。そして、父親の内大臣としても一番に望むのはそこであろう。娘に東宮の子を儲けさせ、東宮が帝になれば次は自分の孫がその位置につける。外戚として自分の揺るがない地位を築き、政治的実権を握ることも不可能ではないのだ。

 そしてタキは村長の言葉を思い出す。
 東宮に近づく、ということはつまりこのことなのではないのかと。
 内裏《だいり》に入ることはさすがに村長の数多なるツテを使っても無理であろう。しかし、高貴な身分の姫ぎみに仕えれば、共に入内して出会える機会が生まれるのだ。

 興奮した面持ちで女房達は口を開いた。
「今東宮様は最近お決まりになりましたわよね。親王様はお二方いらっしゃいましたものね」
「確か弘徽殿女御こきでんのにょうご様と麗景殿女御れいけいでんのにょうご様との間におひとりずつ。その弘徽殿女御様の第二皇子様が、この度東宮となられたとか」
「慶時《よしとき》親王様ですわ」

 タキはじっと聞き入っていた。高貴な場所に仕える女房達の情報網の広さにも感服する。ここにいれば欲しい情報は勝手に入ってくるのだ。さすが村長だと、そちらにも感心する。

「ですけど噂では麗景殿女御様の皇子様のほうがお兄様ですわよね? なぜ慶時親王様に決まりましたの?」
「それはやはり女御様の家力の差ではないかしら? 右大臣家と大納言家の」
「そういうものですか」
「ではやはり、文子様は東宮妃としてなるべきお方ではないですか」
 まあ、おほほ、と女御達は喜ぶ。
 しかし当の本人である文子はいまいちピンと来ていないらしい。
「わたくしは、持風様がようございます……」

 そう頬を膨らませる主を、タキを含め女房達は微笑ましく見つめるのだった。

 しかし、この穏やかな日々はすぐに変化をもたらした。



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