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第四章
【3月】郁三の手で。
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先日。
朝のベッドの中で「誕生日に欲しいもの」を聞かれ、甘えたことを口走ってしまった。
「郁三さま、これからも執事としてここに住まわせていただく契約が欲しいです」
郁三さまはうれしそうな顔で頷いたけれど、そろそろこんな寄生生活も潮時だと分かっている。
寄生することで、俺は、家賃も生活費も浮かして暮らしてきた。
むしろ、よく一年近く、誰からも文句を言われずこの生活を続けてこれたものだ。
郁三さまに具体的な話を切り出しはしなかったが、少しずつ自室を片付け始めた。
たった一年の間に、資料などの紙類が山積みになっている。
処分したり、翻訳の仕事で編集部に借りていた書籍を全て送り返したり、データ化してノートパソコンに取り込んだり。
いざとなったら、身軽に出ていけるように準備は進んでいる。
ただ、一番厄介なのは自分の心だ。
一彦との恋は、互いに報われないと充分に承知した上で、成り立っていた。
そんな恋だからこそ、俺は自暴自棄になれたし、その状態に酔っていたと今ならば分かる。
それに比べ、郁三さまはどうだろう。
体調不良を直してあげるからと、純真無垢な少年を手懐けるように色々な行為をした俺に、つきあい続けてくれた。
更には愛情まで俺に向けてくれたのだから、もう無碍にはできない。
いや、はっきり言って可愛くて堪らない。
でも可愛く思うからこそ、このままでは良くないと悩むのだ。
今後郁三さまと、もっとドライに接することができるのならば、体調不良を改善するための自慰を手伝い続けることは、やぶさかでないのだが……。
—
「今日、河津くんや丸井くんたちが、全部で五人遊びにいるんだけど、いい?」
朝食の席で、郁三さまが問いかけてくる。
「もちろんです。ここは郁三さまの家なのですから、どうぞ私にはお構いなく」
「うるさくするかもだけど、よろしくお願いします」
彼はペコリと頭を下げた。
昼過ぎに訪れた郁三さまの友達たちは、リビングで飽きもせず、対戦ゲームを繰り広げている。
そして日が暮れると、いつものようにピザを買いに店舗まで行くという。
毎度気を使って、俺にも声を掛けてくれるのだが、たまにはその誘いに乗ってみることにした。
「じゃ、俺にもマルゲリータのМピザを一枚買ってきてもらおうかな」
河津くんがうれしそうに「任せておいてください」と返事を寄越す。
郁三さまは留守番で、このまま部屋に残るようだ。
「丸井くんもピザ屋に行くの?もし良ければちょっと話たいことがあるんだけど」
「雪矢さんが俺に?いいですよ。じゃ、俺も残るね」
「了解!いってきまーす」
俺、郁三さま、丸井くんの三人を残して、玄関のドアが閉まった。
「ちょっと取材の続きなんだけど、いいかな?」
郁三さまにも聴こえるよう大きな声で話しかけ、丸井くんを自室へと招き入れる。
「それで?何の御用ですが、雪矢さん」
ドアを閉めると、敏い丸井くんは俺を睨みつけてきた。
座ってもらうような椅子もなく、俺たちは部屋の真ん中に立ったまま向き合う。
「この部屋、妙に片付いていますね。まるで引っ越しでもするみたいだ」
「うーん。まだ何も決めてないんだけどね……」
「それで?まさか、俺に郁三くんとの幸せな日々でも、語って聞かせようとしました?」
やはり彼は鋭い。
人を観察する力に長けているのだろう。
俺は気まずい気持ちになって、視線を反らした。
「俺に聞かせて、郁三くんを好きだっていう幸せに満ちた気持ちを吸い取らせ、彼の傍を離れようとしたんでしょ?」
丸井くんは爪が食い込むほど拳を握りしめ、声は怒気で震えていた。
その意外な反応に俺は顔をあげ、真っ直ぐに彼を見据える。
「人の気も知らないで……。そんなことに俺を、俺を、使うな!」
丸井くんは、込み上げてきた怒りを爆発させぬためなのか、部屋の隅に畳まれていた俺の布団を力いっぱい蹴り上げた。
「俺は、俺は、好きでこんな性質になったんじゃないんだ。雪矢さんに分かりますか?母親、父親、姉が俺に幸せな話を聞かせてくれる度に、俺はその幸せを吸い取ってしまう。だから彼らの顔色は悲し気に曇っていく。幼い頃から、いつもいつもそうだった。俺の周りでは、幸せが持続しない」
郁三さまは、悲しみを吸い取ることで、自分の体調を悪くするが、周囲は幸せになる。
しかし、丸井くんは、幸せを吸い取ってしまうから、本人はニコニコしていても、周りから幸せが消えてしまう。
分かっているつもりだった。
ライフワークなどと称し、色々な性質の人に話を聞いて回っているのだから。
いや、俺こそが分かってやらなければ、いけなかった。
「すまない。君の言う通りだ」
俺は丸井くんに対して、頭を下げることしかできない。
彼は大きく深呼吸をして、自分を落ち着かせてから、俺の部屋を出ていった。
ドアの向こうから、丸井くんと郁三さまの声が聴こえる。
「郁三くん、やっぱり俺もコンビニ行ってくるよ」
「そうなの?河津くんたちと入れ違いにならないといいけど」
「うん、きっと大丈夫」
丸井くんは、怒りに任せ、そのまま一人で家に帰ってしまうことだってできただろう。
でも、気持ちを抑え、友達たちの輪へ戻ろうとしている。
俺が感じているより、丸井くんにとって郁三さま達は大切な友人なのだろう。
自分が丸井くんにしたことを、本当に申し訳なく思い深く反省した。
丸井くんの性質に頼らなければ、この想いを消せないと俺が考え試みたことこそが、全てなのだ。
郁三さまを愛する気持ちは、どうやらもう受け入れるしかないらしい。
マルゲリータを食べながら、そう覚悟を決めた。
—
「おめでとう」
「おめでとうございます」
「わー、近くで見ると、もっと綺麗ね」
「お似合いですわ」
「ほんと、素敵な二人」
俺はブラックスーツを着て、郁三さまの隣に座っている。
式場に入場してきた一彦と花嫁は、ホテルの大広間のテーブルの間をぬって、一歩一歩こちらへ近づいてくる。
近年ではめずらしい程、大人数の招待客だ。
さすが、八木家長男の披露宴である。
一彦と花嫁が、客たちに「ありがとう」「ありがとうございます」と挨拶しながら、俺のすぐ横を通った。
一彦が俺を見た。
俺はニッコリ笑って「いちひこ、おめでとう」と心からの祝福を伝える。
「雪矢、ありがとう」
一彦も口角を上げ、笑ってくれた。
郁三さまは、俺たちが対峙することに少し緊張していたようだが、和やかな場面を見て、ふわっと微笑む。
「一彦兄さん、おめでとう。幸せにね」
「あぁ、もちろんだ」
一彦は花嫁と繋いでいない方の手を伸ばし、郁三さまの頭をクシャクシャと撫でた。
せっかくセットしてもらった髪がクシャクシャになったと拗ねる郁三さまが、可愛い。
愛に溢れ、派手な割に下品ではなく、料理も美味い、とてもいい結婚式だった。
今回はレンタカーではなく、新幹線で彼らの地元の街までやってきた。
「今、春休みなのでしょう?ご実家でゆっくりしたらいいじゃないですか?」
そう伝えたのに、俺が日帰りで帰ると知ると、郁三さまは一緒に帰ると言い張った。
「僕もね、この春からバイトを始めようと思って。いつまでも親の脛ばかり齧ってたら恥ずかしいでしょ。少しずつ自立しなきゃ」
そんな計画があるとは、知らなかった。
結局、結婚式が行われたその日のうちに二人で東京のマンションへと戻った。
—
今どきとは思えぬほど、大きな引き出物を渡され、二人して大荷物を引きずるように、玄関へ辿りつく。
「流石に日帰り旅は疲れましたね」
「疲れたー。着なれないスーツのせいかな。吉野は普段がタキシードだから、スーツはむしろ楽なんじゃないの?」
「そんなことは無いですよ。着替えたら、引き出物にもらったバームクーヘンを切りましょうか?夜食になっちゃいますけど、なんだか小腹が空きました」
「うん!」
俺たちは着替えのため、それぞれの部屋へ入ってゆく。
部屋の中には、いつものタキシードがハンガーに掛かって、ぶら下がっていた。
ブラックスーツを脱いで、下着一枚になってから、それを着るべきかどうか、急に迷いが生じてしまう。
春からはバイトをして自立したいという郁三さまに、果たして執事は必要なのだろうか。
そう気が付いてしまったのだ。
俺の本業である翻訳の仕事も、このところ軌道に乗っている。
もう郁三さまに寄生しなくても、金銭的にやっていけるはずだ。
そもそも、一彦が忘れていった何着ものレンタルタキシードを嫌味のように有効活用しようと思いつき始めた、タキシードという執事の制服。
そんな嫌味を続ける理由も、もうない。
考えれば考えるほど、タキシードに腕を通す気が失せてゆく。
下着一枚の姿で、どれくらい立ち尽くしていたのだろう。
部屋をノックする音で、我に返った。
「吉野?どうしたの?大丈夫?」
着替えに時間が掛かり過ぎて、郁三さまに心配かけてしまったようだ。
「吉野、開けるね」
遠慮気味にドアが開き、部屋着に着替えた郁三さまの視界に、下着姿の俺が入る。
「……着替えないの?」
彼の視線がハンガーにぶら下がるタキシードへと移った。
「もう必要ないかと思いまして」
「タキシードが?」
「いいえ、郁三さまの執事が」
俺の中に、引き止めてほしいという気持ちがあったのは確かだ。
けれど……。
「そうだね。僕もそう思う。吉野はもう執事じゃなくてもいいんじゃないかな」
笑い出してしまいそうだった。
庇護者気取りで「俺がいなくては」と思っていたくせに、郁三さまはもう自立への道を歩み始めていたのだから。
「吉野……」
自虐的な思考に飲み込まれそうになっていた俺は、その声色に驚く。
郁三さまは、熱っぽい眼差しで、俺の名を呼ぶ。
そして目が合うと、首を振って訂正してきた。
「ううん。雪矢さん……」
「郁三さま?」
「もう「さま」はいらないよ。ねぇ、そんな関係はダメ?」
「そんな関係……」
郁三さまは体当たりでもするように、ドンと俺に抱きついてきた。
そして、少しだけ背伸びをして、俺に下手くそなキスをする。
「ねぇ、雪矢さん。僕じゃダメ?一彦兄さんじゃなくて、僕じゃダメ?僕だって、僕だって……」
彼は俺の返事など待たず、目の前にしゃがみ込んだ。
そして、俺の下着へと手をかける。
繰り広げられることに驚き、抵抗もできない。
下着をずらした郁三さまは、俺の中心を大事そうに握り、たどたどしくしごこうとする。
触られている部位よりも、その視覚的な刺激は強く、股間が反応を示してしまう。
俺のものが硬く大きくなり始めれば、郁三さまは安堵したように微笑み、更なる大胆な行動に出る。
けして大きくはない口に、いきなり俺のものを頬張り、むせそうになった。
あぁ、なんと可愛らしい人だろう。
「まずは、先端を舐めてみてください。そう、あぁ、いい。上手ですよ」
俺は一彦が弟にしたように、郁三さまの頭を撫でてやる。
「今度は、裏も。……舌を使って。そう、んっ、いい、とっても」
上目遣いで俺を見てくる視線が、くすぐったい。
「ゆっくり咥えてくれますか?無理に、奥まで、挿れなくても、いいですから。そう、あっ、郁三さまのお口、あたたかい……」
このまま流されるのも、いいかもしれない……。
そんな気分にさせられる、初々しくも、愛おしい口淫だった。
郁三さまの口から硬くなったものを抜き取ると、悲しそうな顔になってしまう。
「ちょっと、待っていてください」
「ど、どこにいくの?」
「ローションを取りに、洗面所へ行くだけですから」
「僕が取ってくるから!」
やたらと積極的な郁三さまが、廊下を駆けてゆく。
俺は中途半端に脱がされていた下着を脱ぎ去り、部屋の隅に畳まれている布団を敷き、そこに真っ裸で大の字に寝転んだ。
すごい勢いで戻ってきた郁三さまは俺のそんな姿を見て、ぎょっとした顔をする。
「してくれるのでしょう?」
コクリコクリと頷く。
「では、郁三さまも脱いでください」
「「さま」は要らないよ、雪矢さん」
「そうでしたね。郁三、脱いで」
こういう場面になると、自分の少し意地悪な気質が顔を出してしまう。
「ローションを左手に出して」
「僕の?」
「そう。そして中指に絡めて」
「僕の?」
「えぇ、もちろん。では、ご自分でほぐしてみせてください」
何か反論しようとした郁三はその言葉をグッと飲み込み、四つん這いになって窄まりへと手を伸ばす。
俺になんらかのテストをされていると、思い込んでいるのかもしれない。
「ほら、指を増やして」
クチュクチュと音を立てながら、必死にそこを柔らかくしようとする郁三は、とても愛らしく、手を貸したくなるけれど、我慢してその姿を眺める。
「あっ、あっ」
「自分で触って、そんな声が出てしまうなんて、イヤらしいですね」
「い、意地悪、言わないで」
「失礼。つい……」
素直に反省し、お詫びとばかりに胸の突起を触ってやれば、「い、いじわる」と睨みつけられた。
「では、私の上に腰を降ろしてください」
「僕が?」
「えぇ、私のものを飲み込んでくれるのでしょう?」
郁三は勇気を振り絞るように、俺に跨る。
そして俺の硬く上を向いたものを、ゆっくりゆっくりと、自身の身体に沈めてゆく。
「あっ、あっ、あっ」
俺の胸板に手をついて、目には涙を溜めて、メリメリと体重をかけて。
時間がかかったけれど、郁三はやり遂げた。
「は、入った……」
「あぁ、とってもいい。郁三の中、熱く締め付けてきますよ。さぁ腰を振って」
もう「僕が?」とは聞き返されなかった。
一生懸命、左右に腰を振り、俺に快楽をもたらしてくれようとする。
「うん、いい、すごく、いい。あぁ、郁三、合格ですよ」
郁三さまの目からハラハラと涙が零れ落ちた。
「よ、よかった……」
やはり、これは彼なりに何かの試験のつもりだったようだ。
そこからは、俺が腰を使い、彼の奥へ奥へと突き上げる。
「ゆ、ゆきや、さん。あっ、あっ、だ、だめ、あっ」
ブルブルと揺れている郁三の中心も、手でしごいてやれば、彼の嬌声は甲高くなっていく。
「も、もう、で、でちゃう、でちゃうから」
達っする顔を見逃すまいと、俺は凝視する。
郁三の白濁が俺の胸板に飛び散り、中に入っているものをきつくきつく締めあげてきた。
俺はスピードを上げて腰を振り、彼の奥深くへと吐精した。
---
まだ気持ち良さを引きずっている顔をして、俺の腕の中にいる郁三が言う。
「雪矢さん、俺を恋人にしてくれますか?」
「いいアイデアだね、郁三。では、これからは俺も生活費をちゃんと払おう」
「え?そんなつもりじゃ」
「いや、そしたら晴れて、俺と郁三の同棲生活の始まりだ」
「フフフ」
嬉しそうに顔を埋めてきた。
「雪矢さん、本当は自分のこと「俺」って言うんだ」
そんなことでも喜んでくれるのかと、愛おしい恋人を強く抱きしめた。
---
翌日は、春を感じる暖かい風が吹いていた。
ベージュのスプリングコートに、グレーのチノパンを履いて、クリーニング屋へ行く。
郁三のスーツ、俺のスーツとタキシードを持ち込む。
クリーニング屋の受付のおばさんが確認してくれたとき、タキシードの内ポケットから、正月に郁三にもらったお守りが出てくる。
「あら、洗濯しちゃったら大変だったわ」
そう言って返してくれた。
「家内安全」
お守りの効果というのは、どれくらい続くのだろう。
一年?それとも永遠に?
例え執事じゃなくなったとしても、あのマンションの部屋が、彼にとっての安心安全な場所となるよう、色々してやりたいと思うのだ。
朝のベッドの中で「誕生日に欲しいもの」を聞かれ、甘えたことを口走ってしまった。
「郁三さま、これからも執事としてここに住まわせていただく契約が欲しいです」
郁三さまはうれしそうな顔で頷いたけれど、そろそろこんな寄生生活も潮時だと分かっている。
寄生することで、俺は、家賃も生活費も浮かして暮らしてきた。
むしろ、よく一年近く、誰からも文句を言われずこの生活を続けてこれたものだ。
郁三さまに具体的な話を切り出しはしなかったが、少しずつ自室を片付け始めた。
たった一年の間に、資料などの紙類が山積みになっている。
処分したり、翻訳の仕事で編集部に借りていた書籍を全て送り返したり、データ化してノートパソコンに取り込んだり。
いざとなったら、身軽に出ていけるように準備は進んでいる。
ただ、一番厄介なのは自分の心だ。
一彦との恋は、互いに報われないと充分に承知した上で、成り立っていた。
そんな恋だからこそ、俺は自暴自棄になれたし、その状態に酔っていたと今ならば分かる。
それに比べ、郁三さまはどうだろう。
体調不良を直してあげるからと、純真無垢な少年を手懐けるように色々な行為をした俺に、つきあい続けてくれた。
更には愛情まで俺に向けてくれたのだから、もう無碍にはできない。
いや、はっきり言って可愛くて堪らない。
でも可愛く思うからこそ、このままでは良くないと悩むのだ。
今後郁三さまと、もっとドライに接することができるのならば、体調不良を改善するための自慰を手伝い続けることは、やぶさかでないのだが……。
—
「今日、河津くんや丸井くんたちが、全部で五人遊びにいるんだけど、いい?」
朝食の席で、郁三さまが問いかけてくる。
「もちろんです。ここは郁三さまの家なのですから、どうぞ私にはお構いなく」
「うるさくするかもだけど、よろしくお願いします」
彼はペコリと頭を下げた。
昼過ぎに訪れた郁三さまの友達たちは、リビングで飽きもせず、対戦ゲームを繰り広げている。
そして日が暮れると、いつものようにピザを買いに店舗まで行くという。
毎度気を使って、俺にも声を掛けてくれるのだが、たまにはその誘いに乗ってみることにした。
「じゃ、俺にもマルゲリータのМピザを一枚買ってきてもらおうかな」
河津くんがうれしそうに「任せておいてください」と返事を寄越す。
郁三さまは留守番で、このまま部屋に残るようだ。
「丸井くんもピザ屋に行くの?もし良ければちょっと話たいことがあるんだけど」
「雪矢さんが俺に?いいですよ。じゃ、俺も残るね」
「了解!いってきまーす」
俺、郁三さま、丸井くんの三人を残して、玄関のドアが閉まった。
「ちょっと取材の続きなんだけど、いいかな?」
郁三さまにも聴こえるよう大きな声で話しかけ、丸井くんを自室へと招き入れる。
「それで?何の御用ですが、雪矢さん」
ドアを閉めると、敏い丸井くんは俺を睨みつけてきた。
座ってもらうような椅子もなく、俺たちは部屋の真ん中に立ったまま向き合う。
「この部屋、妙に片付いていますね。まるで引っ越しでもするみたいだ」
「うーん。まだ何も決めてないんだけどね……」
「それで?まさか、俺に郁三くんとの幸せな日々でも、語って聞かせようとしました?」
やはり彼は鋭い。
人を観察する力に長けているのだろう。
俺は気まずい気持ちになって、視線を反らした。
「俺に聞かせて、郁三くんを好きだっていう幸せに満ちた気持ちを吸い取らせ、彼の傍を離れようとしたんでしょ?」
丸井くんは爪が食い込むほど拳を握りしめ、声は怒気で震えていた。
その意外な反応に俺は顔をあげ、真っ直ぐに彼を見据える。
「人の気も知らないで……。そんなことに俺を、俺を、使うな!」
丸井くんは、込み上げてきた怒りを爆発させぬためなのか、部屋の隅に畳まれていた俺の布団を力いっぱい蹴り上げた。
「俺は、俺は、好きでこんな性質になったんじゃないんだ。雪矢さんに分かりますか?母親、父親、姉が俺に幸せな話を聞かせてくれる度に、俺はその幸せを吸い取ってしまう。だから彼らの顔色は悲し気に曇っていく。幼い頃から、いつもいつもそうだった。俺の周りでは、幸せが持続しない」
郁三さまは、悲しみを吸い取ることで、自分の体調を悪くするが、周囲は幸せになる。
しかし、丸井くんは、幸せを吸い取ってしまうから、本人はニコニコしていても、周りから幸せが消えてしまう。
分かっているつもりだった。
ライフワークなどと称し、色々な性質の人に話を聞いて回っているのだから。
いや、俺こそが分かってやらなければ、いけなかった。
「すまない。君の言う通りだ」
俺は丸井くんに対して、頭を下げることしかできない。
彼は大きく深呼吸をして、自分を落ち着かせてから、俺の部屋を出ていった。
ドアの向こうから、丸井くんと郁三さまの声が聴こえる。
「郁三くん、やっぱり俺もコンビニ行ってくるよ」
「そうなの?河津くんたちと入れ違いにならないといいけど」
「うん、きっと大丈夫」
丸井くんは、怒りに任せ、そのまま一人で家に帰ってしまうことだってできただろう。
でも、気持ちを抑え、友達たちの輪へ戻ろうとしている。
俺が感じているより、丸井くんにとって郁三さま達は大切な友人なのだろう。
自分が丸井くんにしたことを、本当に申し訳なく思い深く反省した。
丸井くんの性質に頼らなければ、この想いを消せないと俺が考え試みたことこそが、全てなのだ。
郁三さまを愛する気持ちは、どうやらもう受け入れるしかないらしい。
マルゲリータを食べながら、そう覚悟を決めた。
—
「おめでとう」
「おめでとうございます」
「わー、近くで見ると、もっと綺麗ね」
「お似合いですわ」
「ほんと、素敵な二人」
俺はブラックスーツを着て、郁三さまの隣に座っている。
式場に入場してきた一彦と花嫁は、ホテルの大広間のテーブルの間をぬって、一歩一歩こちらへ近づいてくる。
近年ではめずらしい程、大人数の招待客だ。
さすが、八木家長男の披露宴である。
一彦と花嫁が、客たちに「ありがとう」「ありがとうございます」と挨拶しながら、俺のすぐ横を通った。
一彦が俺を見た。
俺はニッコリ笑って「いちひこ、おめでとう」と心からの祝福を伝える。
「雪矢、ありがとう」
一彦も口角を上げ、笑ってくれた。
郁三さまは、俺たちが対峙することに少し緊張していたようだが、和やかな場面を見て、ふわっと微笑む。
「一彦兄さん、おめでとう。幸せにね」
「あぁ、もちろんだ」
一彦は花嫁と繋いでいない方の手を伸ばし、郁三さまの頭をクシャクシャと撫でた。
せっかくセットしてもらった髪がクシャクシャになったと拗ねる郁三さまが、可愛い。
愛に溢れ、派手な割に下品ではなく、料理も美味い、とてもいい結婚式だった。
今回はレンタカーではなく、新幹線で彼らの地元の街までやってきた。
「今、春休みなのでしょう?ご実家でゆっくりしたらいいじゃないですか?」
そう伝えたのに、俺が日帰りで帰ると知ると、郁三さまは一緒に帰ると言い張った。
「僕もね、この春からバイトを始めようと思って。いつまでも親の脛ばかり齧ってたら恥ずかしいでしょ。少しずつ自立しなきゃ」
そんな計画があるとは、知らなかった。
結局、結婚式が行われたその日のうちに二人で東京のマンションへと戻った。
—
今どきとは思えぬほど、大きな引き出物を渡され、二人して大荷物を引きずるように、玄関へ辿りつく。
「流石に日帰り旅は疲れましたね」
「疲れたー。着なれないスーツのせいかな。吉野は普段がタキシードだから、スーツはむしろ楽なんじゃないの?」
「そんなことは無いですよ。着替えたら、引き出物にもらったバームクーヘンを切りましょうか?夜食になっちゃいますけど、なんだか小腹が空きました」
「うん!」
俺たちは着替えのため、それぞれの部屋へ入ってゆく。
部屋の中には、いつものタキシードがハンガーに掛かって、ぶら下がっていた。
ブラックスーツを脱いで、下着一枚になってから、それを着るべきかどうか、急に迷いが生じてしまう。
春からはバイトをして自立したいという郁三さまに、果たして執事は必要なのだろうか。
そう気が付いてしまったのだ。
俺の本業である翻訳の仕事も、このところ軌道に乗っている。
もう郁三さまに寄生しなくても、金銭的にやっていけるはずだ。
そもそも、一彦が忘れていった何着ものレンタルタキシードを嫌味のように有効活用しようと思いつき始めた、タキシードという執事の制服。
そんな嫌味を続ける理由も、もうない。
考えれば考えるほど、タキシードに腕を通す気が失せてゆく。
下着一枚の姿で、どれくらい立ち尽くしていたのだろう。
部屋をノックする音で、我に返った。
「吉野?どうしたの?大丈夫?」
着替えに時間が掛かり過ぎて、郁三さまに心配かけてしまったようだ。
「吉野、開けるね」
遠慮気味にドアが開き、部屋着に着替えた郁三さまの視界に、下着姿の俺が入る。
「……着替えないの?」
彼の視線がハンガーにぶら下がるタキシードへと移った。
「もう必要ないかと思いまして」
「タキシードが?」
「いいえ、郁三さまの執事が」
俺の中に、引き止めてほしいという気持ちがあったのは確かだ。
けれど……。
「そうだね。僕もそう思う。吉野はもう執事じゃなくてもいいんじゃないかな」
笑い出してしまいそうだった。
庇護者気取りで「俺がいなくては」と思っていたくせに、郁三さまはもう自立への道を歩み始めていたのだから。
「吉野……」
自虐的な思考に飲み込まれそうになっていた俺は、その声色に驚く。
郁三さまは、熱っぽい眼差しで、俺の名を呼ぶ。
そして目が合うと、首を振って訂正してきた。
「ううん。雪矢さん……」
「郁三さま?」
「もう「さま」はいらないよ。ねぇ、そんな関係はダメ?」
「そんな関係……」
郁三さまは体当たりでもするように、ドンと俺に抱きついてきた。
そして、少しだけ背伸びをして、俺に下手くそなキスをする。
「ねぇ、雪矢さん。僕じゃダメ?一彦兄さんじゃなくて、僕じゃダメ?僕だって、僕だって……」
彼は俺の返事など待たず、目の前にしゃがみ込んだ。
そして、俺の下着へと手をかける。
繰り広げられることに驚き、抵抗もできない。
下着をずらした郁三さまは、俺の中心を大事そうに握り、たどたどしくしごこうとする。
触られている部位よりも、その視覚的な刺激は強く、股間が反応を示してしまう。
俺のものが硬く大きくなり始めれば、郁三さまは安堵したように微笑み、更なる大胆な行動に出る。
けして大きくはない口に、いきなり俺のものを頬張り、むせそうになった。
あぁ、なんと可愛らしい人だろう。
「まずは、先端を舐めてみてください。そう、あぁ、いい。上手ですよ」
俺は一彦が弟にしたように、郁三さまの頭を撫でてやる。
「今度は、裏も。……舌を使って。そう、んっ、いい、とっても」
上目遣いで俺を見てくる視線が、くすぐったい。
「ゆっくり咥えてくれますか?無理に、奥まで、挿れなくても、いいですから。そう、あっ、郁三さまのお口、あたたかい……」
このまま流されるのも、いいかもしれない……。
そんな気分にさせられる、初々しくも、愛おしい口淫だった。
郁三さまの口から硬くなったものを抜き取ると、悲しそうな顔になってしまう。
「ちょっと、待っていてください」
「ど、どこにいくの?」
「ローションを取りに、洗面所へ行くだけですから」
「僕が取ってくるから!」
やたらと積極的な郁三さまが、廊下を駆けてゆく。
俺は中途半端に脱がされていた下着を脱ぎ去り、部屋の隅に畳まれている布団を敷き、そこに真っ裸で大の字に寝転んだ。
すごい勢いで戻ってきた郁三さまは俺のそんな姿を見て、ぎょっとした顔をする。
「してくれるのでしょう?」
コクリコクリと頷く。
「では、郁三さまも脱いでください」
「「さま」は要らないよ、雪矢さん」
「そうでしたね。郁三、脱いで」
こういう場面になると、自分の少し意地悪な気質が顔を出してしまう。
「ローションを左手に出して」
「僕の?」
「そう。そして中指に絡めて」
「僕の?」
「えぇ、もちろん。では、ご自分でほぐしてみせてください」
何か反論しようとした郁三はその言葉をグッと飲み込み、四つん這いになって窄まりへと手を伸ばす。
俺になんらかのテストをされていると、思い込んでいるのかもしれない。
「ほら、指を増やして」
クチュクチュと音を立てながら、必死にそこを柔らかくしようとする郁三は、とても愛らしく、手を貸したくなるけれど、我慢してその姿を眺める。
「あっ、あっ」
「自分で触って、そんな声が出てしまうなんて、イヤらしいですね」
「い、意地悪、言わないで」
「失礼。つい……」
素直に反省し、お詫びとばかりに胸の突起を触ってやれば、「い、いじわる」と睨みつけられた。
「では、私の上に腰を降ろしてください」
「僕が?」
「えぇ、私のものを飲み込んでくれるのでしょう?」
郁三は勇気を振り絞るように、俺に跨る。
そして俺の硬く上を向いたものを、ゆっくりゆっくりと、自身の身体に沈めてゆく。
「あっ、あっ、あっ」
俺の胸板に手をついて、目には涙を溜めて、メリメリと体重をかけて。
時間がかかったけれど、郁三はやり遂げた。
「は、入った……」
「あぁ、とってもいい。郁三の中、熱く締め付けてきますよ。さぁ腰を振って」
もう「僕が?」とは聞き返されなかった。
一生懸命、左右に腰を振り、俺に快楽をもたらしてくれようとする。
「うん、いい、すごく、いい。あぁ、郁三、合格ですよ」
郁三さまの目からハラハラと涙が零れ落ちた。
「よ、よかった……」
やはり、これは彼なりに何かの試験のつもりだったようだ。
そこからは、俺が腰を使い、彼の奥へ奥へと突き上げる。
「ゆ、ゆきや、さん。あっ、あっ、だ、だめ、あっ」
ブルブルと揺れている郁三の中心も、手でしごいてやれば、彼の嬌声は甲高くなっていく。
「も、もう、で、でちゃう、でちゃうから」
達っする顔を見逃すまいと、俺は凝視する。
郁三の白濁が俺の胸板に飛び散り、中に入っているものをきつくきつく締めあげてきた。
俺はスピードを上げて腰を振り、彼の奥深くへと吐精した。
---
まだ気持ち良さを引きずっている顔をして、俺の腕の中にいる郁三が言う。
「雪矢さん、俺を恋人にしてくれますか?」
「いいアイデアだね、郁三。では、これからは俺も生活費をちゃんと払おう」
「え?そんなつもりじゃ」
「いや、そしたら晴れて、俺と郁三の同棲生活の始まりだ」
「フフフ」
嬉しそうに顔を埋めてきた。
「雪矢さん、本当は自分のこと「俺」って言うんだ」
そんなことでも喜んでくれるのかと、愛おしい恋人を強く抱きしめた。
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翌日は、春を感じる暖かい風が吹いていた。
ベージュのスプリングコートに、グレーのチノパンを履いて、クリーニング屋へ行く。
郁三のスーツ、俺のスーツとタキシードを持ち込む。
クリーニング屋の受付のおばさんが確認してくれたとき、タキシードの内ポケットから、正月に郁三にもらったお守りが出てくる。
「あら、洗濯しちゃったら大変だったわ」
そう言って返してくれた。
「家内安全」
お守りの効果というのは、どれくらい続くのだろう。
一年?それとも永遠に?
例え執事じゃなくなったとしても、あのマンションの部屋が、彼にとっての安心安全な場所となるよう、色々してやりたいと思うのだ。
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