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第三章

ベッドで。

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 ここ最近の僕はとても優秀で、人の悲しみを連れ帰っていない。大学での人間関係が落ち着き、周りが知り合いばかりになったことと、僕の防衛が上手くなったことが理由だ。そして、正月に盗み聞きしてしまった一彦兄さんと吉野の行為の衝撃で、吉野に触ってもらうハードルが上がり、回避しようとしているせいもある。

「郁三さま、頼み事があります」
 吉野が僕を頼ってくれるなんて初めてかもしれない。
「なになに、なんでも言って!」
「以前、ここにも遊びに来たことのある丸井くんとは、今でも交流がありますか?」
「丸井くん?うん、共通で選択している講義があるから、週に何度か顔を合わせるよ」
「彼を紹介してもらえますか?ちょっと話を聞きたいのです」
 理由が全く予想できず戸惑ったが、二日後に大学近くのカフェで会えるようセッティングした。
 丸井くんと吉野が会った日、僕はソワソワと過ごした。以前、僕自身が丸井くんと話しをした後、酷く落ち込んでしまった経験があるから、彼のことを警戒しているのだ。急いで帰り支度をして大学を出ると「やぁ、郁三くん」と声を掛けられる。
「あっ、丸井くん!今日は雪矢さんに会ってくれてありがとう。もう話しは終わったんだね」
「うん、さっきカフェで別れたよ。郁三くんは、雪矢さんが僕にどんな話しを聞きに来たか知ってる?」
「さぁ、僕は何も聞いてないよ」
「あのさ、ちょっと時間いい?郁三くんには話しておいたほうがいいと思うんだ」
 外は寒かったから、さっきまで吉野と丸井くんが会っていたカフェに入った。
「それで、どんな話だったの?」
 丸井くん曰く、人の幸せを吸い取る性質のことを、吉野が取材したいと申し出たらしい。了承した丸井くんは訊かれるままに、子どもの頃の話や、性質を自覚したきっかけなどを話したという。
「郁三くんにもさ、悲しみを吸い取る性質があるよね?」
「えっ、雪矢さんが言ったの?」
「違うよ。僕自身が郁三くんを見ていて気が付いたんだ」
 吉野以外の他人に気づかれているとは、思いもしなかった。
「僕は自分がこんなだからさ、他にも色々な性質の人がいるって前提で人間を見てる。だから色々と気がつくよ」
「そっか」
「それでね、雪矢さんは物書きみたいな仕事をしてるでしょ?」
「そうなの?全然詳しいことは知らなくて」
「イトコなのに?」
「いや、うん」
「まぁいいや。雪矢さん、郁三くんのことを取材対象として見てるんじゃないかと心配になって。イトコっていうもの嘘だよね?」
「え?」
「だって全然そういう雰囲気じゃないもの。ねぇ、何か騙されてるんじゃない?秘密を握られているとか?根掘り葉掘り本にされないよう気をつけたほうがいいよ」
 吉野が執事としてよくしてくれる理由が「僕が取材対象」というのは考えもしなかった。
「普段、雪矢さんとはどんな風に過ごしているの?親切にしてくれる?結構冷たい人なんじゃない?」
 反論しようとした。吉野は僕を大切にしてくれて、困っていたらすぐに助けてくれる。僕は吉野と暮らせて幸せだと、そう口にしようとした時、丸井くんがニヤリと笑った気がして、彼の前で言ってはダメだ、と気がつく。だから「そんな訳ないよ」と笑ってその場をやり過ごした。
「ただいま」と帰宅をするといつもと変わらないタキシード姿の吉野が「おかえりなさい」と出迎えてくれ、僕は安堵する。夕食どき、吉野が作ってくれたおでんを食べながら、話しをした。
「あのね、丸井くんが吉野に取材されたって言ってた」
「あぁ、お会いになったのですね。えぇ、取材しました。私のワイフワークなんです」
「本を出すの?」
「いえ、そんな予定は全くないですけど、誰がそんなことを?」
「丸井くんが言ってた。吉野は僕のことも取材対象だと思っているんじゃないかって」
「あの子は自分の周りにわざと波風を立てるのが趣味みたいですね。やはりあまり関わらないほうがいい」
「取材をしたのは、何故?」
「郁三さまのように、何らかの性質も持っている人は一定数いるのです。学校で言ったら学年に一人くらいの割合ですね。自覚している人もいるし、していない人もいる」
「そうなんだ。知らなかった」
「何故か私には、幼い頃から気の流れが見えるんです。線香の煙が漂うように、動いたり淀んだり、人から人に移動したりするのが目で見える。性質のある人の周りでは気の流れが渦を巻くので、子どもの頃はそれが怖かった。けれど高校生の頃、知らないから怖いのだ、知れば怖くなくなるはずと気づき、積極的に話を聞いて歩くようになりました。取材をしては自分の記録として文書に纏めています。誰かに見せる予定はありません」
 僕は吉野のことを、何も知らないのだと改めて思った。
「僕には、取材をしないの?」
「してほしいですか?」
 ブルブルと首を横に振る。
「私が今まで得た知識から、郁三さまの不調は吐精すれば回復できる、と分かりました。だから貴方にそれを適用した。ちゃんと効果がありお役に立てたことは、私としてもこのライフワークの意味が見出せたようで嬉しかったです」
 取材対象ではなく、実験台だったのかと一瞬、表情を硬くしてしまった。吉野はすかさず、それに気づき笑う。
「私は今、この生活を気に入ってますよ」
 吉野はフフフと美しく笑って席を立ち、僕の頬にキスをしてくれた。そしてそのまま夕食の片付けを始めてしまう。
「僕ね、最近は悲恋の話を聞かないようちゃんと回避しているよ。今日も丸井くんの性質に飲み込まれそうになるのを、避けられたし」
 偉いですね、と褒めて欲しかったのに、吉野は少しだけ残念そうに目を細め、皿を洗い始めた。

 小雪が舞うほど寒い日が続いた。寒さで人恋しいのか、ここ数日眠りにつく時、一彦兄さんと吉野の行為を思い出しては、身体の奥が疼いてしまう……。悲しい気を引きずっていないのだから吐精する必要はないのに。自慰にも挑んではみたけれど、やはり上手くはできない。しかし理由もない吐精を吉野に手伝ってもらう訳にもいかない。すっかり寝不足気味の僕に吉野が「どうかされました?」と聞いてくれたが「なんでもない」としか答えられなかった。吉野の箸を持つ長く綺麗な指を見て、うどんを啜る唇を見て、不埒なことを考えてしまうなんて口にはできない。
 僕なりに考え悩んだ結果、河津くんに誘われた合コンに行くことにした。
「郁三が来てくれるなんて、珍しいわ!今夜は可愛い子いっぱい来るんやで」
 大学の最寄り駅近くにある居酒屋には思ったよりたくさんの人が集まっていた。僕は知らない人たちに囲まれ、皆の話を聞きながら烏龍茶を飲んでいる。皆、アルコールが入るとより饒舌になり、隣の席の知らない女の子が僕を相手に、彼氏に振られた話を始めた。
「郁三くんに聞いてもらったら、凄くスッキリした!ありがとね」
「私の話も聞いて」「私も」「俺も」
 望んでいたような状況に陥り、僕の体調は急降下していく。「二次会行くやろ?」という河津くんの問いかけには「もう帰る」と、予定通り答えた。
「あぁ、そやね。今日、雪矢さんの誕生日やもんな」
「え?」
「前にソファのことでメッセージのやり取りさせてもらった時、誕生日聞いたら教えてくれたんやけど、あれ?今日やなかったっけ?」
 僕は「とにかく帰るね。ごめん」と一人駅へ向かった。
 電車に揺られマンション最寄駅で降りることはできたものの、久しぶりの体調不良が堪え、ホームで動けなくなってしまった。親切な人が駅員を呼んでくれ、救護室から僕のスマホを使って吉野が呼び出される。目が覚めた時、僕は吉野の背中におんぶされ、もうすぐマンションに着くという所まで来ていた。
「ごめんなさい、吉野……」
 小さな声で謝れば「よかった、目が覚めましたか?」と優しい声を掛けてくれた。慌てて駅まで迎えに来てくれたのだろう。ダウンコートも羽織っておらず、タキシードのままだった。
「背中、温かい」
 甘えて吉野の肩に頬を寄せると、フフフっと笑ってくれた。玄関で背中から下され「風呂が湧いていますから、お入りください」と促される。玄関でしてくれたことも、風呂場でしてくれたこともあったのに、そういう雰囲気ではない。素直に従い湯に浸かって身体を温めれば、わざと体調不良を引き起こし吉野に性的なことをしてもらおうとした自分を情けなく感じた。パジャマに着替えリビングへ行くと、吉野は「続けて私も入ってしまいますね」と風呂場へ消えてしまった。
 照明を消してベッドでウトウトしていると「郁三さま」と吉野の声がする。目を開ければ、吉野が僕のベッドを見下ろしていた。
「お正月のこと、気にしていますか?まじないで忘れさせてあげる、とお伝えしたでしょう?」
 まじないがどんな内容か分からなくても、一彦兄さんと吉野のことは忘れてしまいたくて「うん」と頷く。吉野はするりとベッドに入り込んできて、ギュっと僕を抱きしめてくれた。風呂から出たばかりの吉野は温かく、いい匂いがする。「吉野」と名を呼ぶと唇を重ねてくれた。舌が口内に入ってくれば僕は夢中になって、与えられたキスに応えた。
「脱いで、全部」
 僕にそう言い、吉野も全てを脱ぎ捨てる。肌と肌が触れ合うように抱き合えば、心臓がドクンドクンと高鳴っていく。そこからは今まで吉野がしてくれたことを総ざらいするようだった。熱い舌が耳、首筋、鎖骨を這い、胸の突起が口に含まれ、指で転がされる。陰茎を指でしごかれ、滲んだ先走りを舐め取られ、口に含まれて吸いつかれる。僕が喘いで「待って、待って、あっ、ダメ」と吉野の腕にしがみついても止めてはくれず、なのに達しそうになる直前で力を抜かれ、イかせてはもらえない。「はぁはぁ」と息を乱す僕にお構いなく吉野の行為は進み、ローションで充分に濡らされた指が後孔に入り込み蠢いた。
「んっ、あっ……」
「気持ちいい?郁三」
 指の数が増やされて、身体がビクンと震える箇所が重点的に擦られて、甘く高い声が溢れる。それでもやはりイク寸前に指を抜かれてしまう。
「なんで?ねぇ?よしの……なんで?」
 僕の目によく分からない涙が溢れ出す。すると吉野は目尻に唇を寄せ、舐め取ってくれた。
「もう、いちひことセックスすることは無いから。今、俺がしたいのは郁三だけ。ねぇ、挿れていい?」
「それが、まじない?」
「そう。俺と郁三を繋ぐまじない」
「うん」と頷けば、四つん這いになるよう指示をされ、吉野が僕の後孔に滾った陰茎を当てた。
「力抜いて。そう、大丈夫。気持ちよくしてあげるから」
 熱い塊りが僕を貫き、圧迫感で呼吸をするのも忘れてしまう。
「息、吐いて。大丈夫、だよ、いくみ」
 吉野の声はいつもよりずっと余裕が無さそうだった。腹の中が吉野のモノでいっぱいで、苦しくて、でも奥には甘い疼きが確かにあった。
「動くよ」
 ゆっくり揺すられただけで、僕はシーツに白濁を放ってしまった。しかし達した余韻に浸る間もなく、吉野は大きく硬い陰茎を、僕に打ち込んでくる。
「あっ、あっ、あっ、んっ、やっ」
 強すぎる快楽に、僕はシーツを握りしめ嬌声をあげ続けた。頭の中は何も考えることができず、ただただ快感に嬲られ、溺れる。吉野が「んっ」と呻き、僕の奥深くに吐精したことは覚えているが、意識を失うように眠ってしまったようだ。
 カーテンの向こうは朝日が明るく、布団の中は暖かい。隣を見ると吉野が裸で眠っていた。しばらく顔を眺めていたが、気配を感じたのかその目がゆっくりと開く。
「郁三さま、おはよう、ございます」
 朝がくれば「さま」に戻るのかと可笑しくなってクスクス笑う。
「あっ、そうだ。吉野、昨日お誕生日だったの?お祝いもできなくて、ごめんなさい」
「いえ、昨晩は最高の誕生日でしたよ」
 吉野の言う最高が何を指しているのか考えると恥ずかしく、目を伏せる。
「可愛い人だ」
 布団から伸びてきた腕が僕の頬を撫でた。
「ねぇ、吉野、欲しい物はある?」
「そうですね……」
 まだ眠そうな顔をしている。
「郁三さま、これからも執事としてここに住まわせていただく契約が欲しいです」
 そう言って、温かい唇を重ねてくれた。
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