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第三章

トイレで。

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 吉野が留守にして四日目の朝、目覚めると全裸のまま布団に包まってベッドにいた。昨晩の電話では、随分と甘えたことを言った記憶があり恥ずかしさが募る。気分は完全には晴れていないが、大学に行くには支障ない程度だ。思えば、中学高校の頃は毎日こんな体調だった。東京に来て吉野と暮らすようになって、この鬱々とした「気」の排出方法を教わり、僕の毎日は明るくなった。とはいえ、相変わらず吉野に手伝ってもらわないと自慰はできないのだが。昨日、後ろを触って、あんなに気持ちが良かったのは何だったのだろう。熊本にいる吉野のことがあんなに恋しかったのは何だったんだろう……。
 大学でいつもの日常を過ごし、日が暮れる前にマンションへ帰ったが、吉野はまだ帰宅していなかった。横になって身体を休めたく、リビングのソファでタオルケットに包まり目を閉じる。しばらくして玄関の鍵が開く音がし、浅く眠っていた意識が浮上した。あぁ、吉野が帰ってきてくれた。恥ずかしさもあって、タオルケットをギュッと抱きしめ寝たふりを続ける。しかし、吉野はいつも玄関に入るとドサっドサっと荷物を置くのに、その音がしなかった。近づいてくる足音も吉野が歩く軽やかな音とは違って、ドスンドスンと重く響いていた。誰だろう?泥棒?心臓がバクバクし恐怖で身体が固まる。
「なんだいたのか?」
 声の主は側までやってきて、僕の猫っ毛をくしゃくしゃと撫でた。その声にも撫で方にも身に覚えがあった。タオルケットを振り払いガバッと身体を起こす。
「一彦兄さん?どうして?」
「何度か電話したんだぞ、でも出ないから」
 スマホを手繰り寄せれば「八木一彦」という着信が三件もあった。大学にいる時、消音にしてそのままだったようだ。留守電が入っていたから本人の目の前で再生する。
『もしもし郁三?一彦だけど、今どこだ?折り返し連絡をくれ』
『もしもし。突然だけど、今日泊めてくれるか。もう近くまで来てる。また電話する』
『郁三。父さんに鍵借りてるから、勝手に部屋に入って待ってるぞ』
 兄さんは相変わらずせっかちだ。
「いい部屋に住んでんじゃねーの。だけどなんかすげぇ、デジャブ感があるな」
「デジャブ感?」
「俺が一時住んでた部屋に似てるのかもしれねぇ……。まぁいい。元気だったか?って元気無さそうだな、おい」
 またくしゃくしゃと頭を撫でられる。
「そんなことないよ、まぁまぁ元気」
「父さんは郁三の体調不良は東京に行ったら治ったって、言ってたけどな」
 父にも母にも兄たちにも、心配をかけるのはイヤだからそういうことにしておきたい。
「昨日遅くまでレポートをしてて睡眠不足なだけ。だから心配しないでよ、一彦兄さん」
「そっか。じゃ、いいけどよ」
 一彦兄さんは四人兄弟の一番上で、二十八才。父の会社で働いていて、僕が高三だった一年間は東京の支社で働いていた。
「会議があって今朝、東京に来たんだ。今夜は知り合いの処に泊まろうとしたのに、そいつと連絡取れなくてさ」
「それで僕のところに?」
「父さんから様子見てこいって言われてさ」
「泊まるの?」
「嫌か?」
 ブンブンと首を横に振る。俺は幼い頃から十才離れた一彦兄さんのことが大好きだったから、嫌な訳がない。それでも、吉野のことが頭をよぎった。
「父さんには内緒なんだけど、実は友達とルームシェアをしていて」
 小さな声で、口から出まかせを言う。
「へー、女か?」
「違うよ、男!だからね、兄さんが寝るのはこのソファになるけどいい?」
「構わないぜ。いいソファだしな。やっぱりこのソファにもデジャブ感があるんだよな」

 慌てて吉野にメッセージを送信する。
『吉野、今どこ?突然なんだけど今日、兄さんが泊まることになって』
 すぐ既読になる。
『というか、もう来てるんだけど。吉野のこと友達って言っちゃった』
 すぐに返信が来る。
『どっちのお兄さん?』
『一番上の兄。知り合いの処に泊まろうと思ってたのに、連絡取れないんだって』
 既読にはなったが、しばらく返信がない。五分程して『私は駅前のビジネスホテルに泊まります。お気になさらず』と送られてきた。
 吉野は今どこにいるのだろう。もう近くまで帰ってきていたのだろうか?どっちの兄か聞いてくるなんて、吉野は一彦兄さんと玲二兄さんのこと、知っているのだろうか?
「そうだ、郁三。美味そうなもの色々買ってきたぞ」
 兄さんは、デパ地下の惣菜を沢山テーブルに並べる。
「酒も無いだろうと思って、ワインを買ってきた。グラスあるか?」
 吉野とは食べないような、高級そうな惣菜ばかりだった。あまり食欲はなかったが、心配をかけたくなかったから、僕も色々と小皿に取り分ける。
「兄さんは今、何の仕事をしているの?」
 そもそも僕は父が何の事業をしているのかも、把握できていない。
「俺は、フォーマルスーツをレンタルする事業を担当してる」
「フォーマルスーツ?タキシードとか?」
「そうそう。そういうやつ」
「タキシードって執事が着る服でしょ?」
「執事?あぁ、執事も着てるかもしれないな。本物は見たことないけどよ。俺の仕事は主に結婚式場相手だ」
 兄さんはワインが進むと、どんどん饒舌になっていった。
「俺さ、来年の春に結婚するんだ」
「そうなの?全然知らなかった!おめでとうございます」
「父さんがかなり強引に進めた話でさ」
「どんな人?」
「地元じゃ結構有名な家の子で、めちゃくちゃ可愛いし、めちゃくちゃいい子。きっと郁三のことも可愛がってくれるぜ」
「早く会ってみたいなー」
「そのうちな」
 そう言ってテーブルを挟んだ僕に手を伸ばし、またくしゃくしゃと頭を撫でてくれた。
 兄さんが幸せだと知れたのは単純に嬉しかった。なのに、話の雲行きは怪しくなりワインは明らかに飲みすぎの量になる。
「俺の好きだった奴はさ、俺を「いちひこ」って呼んでくれてて。でも、絶対に結婚できない相手で。だからいつも好きになりすぎないよう努力してたんだ」
「え?何の話?」
「だけど一緒に暮らそうって俺、酔った勢いで、そいつに言っちゃって。二人で部屋借りたのが今年の三月」
「それは今度結婚する人とは違う人?」
「違う人。でもそいつも、俺はいつか地元に帰って結婚するって充分に承知してたんだ」
 兄さんは、意外とあっけらかんとその話を進める。まるで随分昔の思い出話のように。
「なのにそいつ、部屋の家具を俺のセンスに合わせて、金無いくせにローン組んで揃えたりして。ベッドなんか大きなダブルベッドで。俺を繋ぎ止めようとしてくれて」
 兄さんは、フラフラと立ち上がってソファのほうへ移動する。
「こういうテーブルやソファ、俺好みのイイ家具を並べてくれてさ。……そういえばこの部屋の家具、全部俺好みだわ。郁三もセンスいいな」
 兄さんはネクタイを外し、ジャケットを脱いでソファに横になった。
「俺たった一ヶ月しかそこに住まなかった」
 話を聞きながら、頭がグワングワンとして、いつもよりずっと体調の悪さを感じる。
「こんな話、父さんにも母さんにも内緒な。忘れて郁三も。でもオマエに話したらなんかスッキリしたわ」
 この話のどこがそんなに僕にダメージを与えたのか分からないが、背中に悪寒が走る。
「何が嫌って、それをいい思い出みたいにして、結婚を楽しみにしてる自分がいることだな。未練じゃなく罪悪感なんだ、今感じてるのは。もっと引きずるかと思ってたのに」
 目の奥がチカチカして、胃がムカムカして気持ち悪い。
「俺もう寝るわ。風呂は朝、借りるな」
 兄さんは、俺がさっきまで使っていたタオルケットを羽織って、あっという間に寝息を立て眠ってしまった。
 僕はテーブルの片付けもせず自室に戻った。早く眠りたかったが吉野にメッセージを送らねばとスマホを手に取る。
『兄さんの話を聞いてたら凄く具合悪くなっちゃった。もう寝ます。おやすみなさい』
 待っていたように、すぐに返信が来た。
『お兄さんは?』
『ワイン飲んで、ソファで寝ちゃった』
『ちょっとそちらへ帰ります。土産に買ってきたものを冷蔵庫に入れたいから』

 吉野が帰ってくるならばと、掛布団をズルズル引き摺って玄関に行き、包まって靴箱に寄りかかり座った。三十分後、鍵が開く音がし、やっと吉野に会えると安堵した。
「郁三さま、こんなところで何を」
「吉野……。おかえりなさい」
「お兄さんの話を聞いたんですか?それでそんな具合悪くなったんですか?」
 吉野は怒っていた。
「ごめん。勝手に兄さんを泊めて」
「そんなこと私に謝る必要はありません。ここは八木家で借りている部屋なんですから」
「じゃ、なにをそんなに……」
「それより、これお土産です。冷蔵庫入れてきますから、そこで待っていて」
「あっ、ダメだよ。リビングでは一彦兄さんが寝ているから」
「大丈夫。酒飲んで寝ちゃったあの人は、なかなか起きないですから」
 吉野が気になることを言った気がしたが、体調の悪さで、頭が働かなかった。冷蔵庫に土産を入れに行っただけの吉野は、なかなか戻ってこない。兄さんに見つかったのだろうか?心配になって廊下を進みリビングを覗けば、ソファに眠る一彦兄さんを、吉野がただ見下ろしていた。その姿を見た時、くらっと眩暈がしてよろけてしまう。僕が立てた物音に吉野が気づき、駆け寄ってきてくれた。
「ねぇ、吉野。出してほしい、お願い……手伝って」
 吉野は僕をトイレに押し込む。男二人では身動きが取れない程狭い。白熱灯が煌々と明るい中、吉野が僕のスウェットと下着を下ろす。僕の股間はもう勃ち上がりかけていた。
「早く。ねぇ、吉野……」
 縋るように腕を掴んで懇願してしまう。吉野は自分のチノパンも下ろした。
「触って、郁三さま」
 戸惑ったが下着の上から、初めて吉野の股間を触った。熱いそこをそっと撫で続けると、どんどんと大きく硬くなっていく。
「もっと強く」
 ギュっと握れば、吉野の先走りで下着にシミができた。吉野は下着をずらして自分の陰茎を露わにする。僕のより大きく太いそれを目の当たりにすれば胸がドキドキし、痛いくらいに勃起してしまう。僕は気持ちが昂って「吉野」と名を呼んだが目を合わせてはくれなかった。やはり何かに怒っている。
 吉野は自分の陰茎と、僕の陰茎を合わせて握った。二人のモノがくっついて、その生々しい未知の感触にビクっと身体が震える。吉野の手がゆっくりと上下にしごき始めれば、酷く気持ちが良かった。
「よ、よしの。あっ、あっ」
 吉野も呼吸が荒くなる。そして詰問するように話しかけてくる。
「お兄さんの、はなし、きいて、あげたんでしょ?ねぇ?」
「あっ、あっ、うん、うん、きいたっ」
「お兄さん、いくみさまに、はなして、スッキリしたって、いってました?」
「うん。あっ、言ってた。スッキリ、したって、あっ、言ってたっ」
 吉野の手が止まる。
「そう、それは、よかった」
 その声があまりに柔らかい声だったから、吉野の顔を見つめてしまった。すると吉野が「手を重ねて」と囁く。二人の陰茎を合わせて握ってくれている手に、僕の手を重ねた。吉野と共に上下に動かせば、互いの先走りが混じり合って、グチュグチュと音を立てる。
「あっ、んぁっ、よしの、よしの、イ、イきそう、ねぇ、あっ」
「いいですよ、沢山、出して」
「あっ、イ、イクっ」「んっ」
 僕の身体だけじゃなく、吉野の身体もビクビクっと震えた。二人同じタイミングで吐精した。乱れた呼吸が整う頃には、具合の悪さは消えて無くなっていた。
 吉野がトイレットペーパーで白濁を拭きとってくれる。汚れたトイレットペーパーと水が流された時、僕から吉野にキスをした。「キスの練習です」と伝えれば「下手くそですね」と笑ってくれた。トイレから出た吉野は小声で「駅前のビジネスホテルに泊まりますから。お兄さんによろしく」と言って、出て行ってしまった。玄関には、さっきまで僕が包まっていた掛け布団が落ちていた。
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