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第一章

⑩二人を引き裂く悲劇

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一月

 しんしんと雪の降る寒い夜、真夜中にふと眼が覚める。目線の先ではカーテンが少し開いていて、その隙間から森の木々が白くなっているのが見えた。俺はベッドを下り、窓に近寄ってカーテンをきっちり締め直す。
 ベッドに眠る圭吾けいごを見下ろすと、足先が掛け布団からはみ出していて寒そうだ。すぐに布団の中に戻り、圭吾の足を俺の両足で挟んで温めてやった。
 寝ぼけた小さな声で圭吾が「あったかい」と呟く。寝ている圭吾は起きている時の十倍可愛らしい。徐々に足は温まり、二人の体温が混ざり合って、俺はまた眠りの世界へと引きずられていく。
 温かくて、幸せで、一生この布団から出たくないと思いながら、圭吾の背中に手を回し、引き寄せる。圭吾からはスースーと穏やかな寝息が聴こえていて、俺もふわふわと夢の中へと入っていった。



 朝。悲鳴。誰かが怒鳴るような声。バタバタと廊下を走る複数の足音。取り乱した叫び。ただごとではない気配に意識が覚醒し、上半身を起こす。室内でもブルッと震える寒さだ。時計を見ると、食堂が開くにはまだ三十分程あった。
 圭吾が「ちょっと見てきます」と、ジャージを羽織って、部屋を出ていく。一人残された俺は胸騒ぎがして怖くなって、掛布団をかぶりじっとしていた。
 ガタっと大きな音がして、勢いよく部屋のドアが開く。戻ってきた圭吾の顔は酷く青白い。
光夜こうや和登かずとが……」
 とてもとても悪いことが起きているのが分かって、足がすくんだ。身体が震え、とりあえずベッドから出たものの、そのままうずくまる。
 開けられたままのドアから、階段下の喧噪が鮮明に聴こえてきた。寮父に加え、教諭たちも駆け付けたようで、聴こえる声の数が、どんどんと増えていく。「ナイフ」とか「背中」とかいう単語が断片的に耳に入った。

 俺は圭吾に連れられ、皆から随分と遅れ食堂へと続く渡り廊下にどうにか辿り着く。田淵たぶち先生が「ここからは近づくな」と渡り廊下に立っていたけれど、いつの間にか降り止んだ雪の上に、真っ赤な血が流れ着いているのが見えた。
 倒れている和登らしきものには、もう毛布が掛けられている。背中の辺りがポコリと盛り上がっているのは、ナイフが今もそのまま刺さっているからだろうか。
 毛布を掛けてやっても、渡り廊下は寒いだろうに、と妙に冷静な自分が思った。和登は人一倍寒がりだから、と。
 誰かが「これってあの高校生が殺される事件だよな……」と震える声で呟いたのが耳に届いた。

 二年生の時、俺と同じ部屋だった和登。三年生の今はクラスが同じで、圭吾の次に俺と仲良くしてくれている友達。オシャレで、バスケットが上手くて、でも成績は悪くて。
 お互い家族のことは干渉しないよう心掛けていたけれど、その分毎日、くだらない馬鹿話を沢山して。
 俺は今、寒いのか、怖いのか、悲しいのか。身体は震えるけれど自分の感情が分からない。涙だって一粒も出ない。
 遠くから、パトカーのサイレンがいくつもいくつも重なって聴こえてきた。

 授業は休講になり、全員、トイレ以外は寮の部屋から出ないようにと通達があった。
 朝食は、ワゴンに乗せられ、寮父や教諭たちが一部屋一部屋を訪ね配ってくれた。生徒全員の顔を直接見て、精神状態を心配しつつ、和登以外の全員が揃っているか調べていたのだろう。被害者という意味でも、加害者という意味でも、確認する必要があるはずだ。
 俺自身は取り乱したりもせず、感情が麻痺し、ただただ和登を早く暖かい場所に移動してやってほしい、とばかり考えていた。

 配られたコーンポタージュにトースト、ベーコンエッグとフルーツヨーグルトを、突くように食べながら「警察は生徒も調べるかな?」と圭吾に投げかけた。
「まぁそうでしょうね」
「俺たち、疑われるのかな?」
「そんなことはないでしょう」
「マスコミも来るだろうな」
「でも学園内には入れないと思いますよ」
 上滑りした会話を交わし、沈黙を埋める。結局トーストとベーコンエッグはほとんど喉を通らず、残してしまった。
 窓際に椅子を移動させ、グミを舐めながら森を眺める。昨晩の雪で真っ白に化粧されているから、光が反射して眩しい。どうやら俺は、友達が死んだのに悲しいと泣き叫ぶこともできない、薄情な男だったようだ。
 圭吾が俺に何か言おうと、何度も口を開きかけては、やめているのが眼の端に見える。俺は、冷静なつもりでも、気が立っていたようで、先廻りして圭吾に冷たく言い放つ。
「また、四百何年だかを生き抜いたとか、次にもっと沢山の人生を生きられるとか、言うなよ。そんなオカルトな慰めは、俺にも和登にもいらないから」
 圭吾は悲しそうな顔をして、ただ頷いた。

 昼食も部屋に配膳された。夕方になりようやく、学園内を出歩いてもいいと許可が出る。その場合は必ず複数で行動するように、と条件付きで。
 コツコツとノックの音が聴こえ、美智雄みちおが天文部の副部長とともに訪ねてきた。圭吾を「天文部で集まるから、来るように」と連れ出していく。
 一時間程で戻ってきた圭吾に「夕飯を食べに食堂に行きましょう」と誘われた。俺はどうしても和登が倒れていた渡り廊下を通りたくなくて「いらない」と伝えた。渡り廊下が見渡せる一階へ降りるのすら嫌で「今日は風呂にも入らない」と宣言をする。
 圭吾が部屋から出て行ってすぐ、食堂まで一人で行かせてしまったと後悔したが、予想より早く戻ってきてくれた。
「調理師に頼んで用意してもらいました」
 圭吾は二人分の夕食をテイクアウトしてきてくれたのだ。麻婆豆腐丼を食べながら、決意したように圭吾が言う。
「嫌かもしれないけど、聞いてください。この事件は弟くんの時とも、亮太りょうたの時とも、違うんです。和登は八回目の人生だったんです」
 またその話かと、圭吾を睨む。それでも話すのを止めてはくれない。

「和登には、あと四十年しか残っていなかったんです。まだ八回目だったのに。有益な九回目の人生を少しでも長く過ごす為には、八回目を早く終えたほうがいい、と考える偏った人たちがいるんです。だから和登もこれでよかったという……」
「よかった?そんな訳あるかよ。は?」
「僕の考えではありません。そう考える一派が、世の中に存在するという話です」
「圭吾の意見じゃなくても、お前たちが信じている生まれ変わりみたいな可笑しな話が、大前提にあるんだろ。俺の前で二度とその話しをするのは、やめろ」
「光夜、どうか僕の話を聞いて」
「イヤだよ。だって可笑しいだろ、その死生観」
「和登だけじゃなく、光夜も八回目だから……」
 俺は話を遮る。
「さっき委員長が、明日の朝、ダリアを摘むって言いに来た。圭吾は摘まなくていいよ。温室には来ないでくれ」
 圭吾の眼からポロポロと涙が溢れ出た。
「光夜にちゃんと話しておきたいんです」
「黙っててくれ。泣きたいのは俺の方だ」
 俺は二段ベッドの上にあがり、布団を被る。麻婆豆腐丼は、豆腐をいくつか飲み込んだだけで、残してしまった。
 圭吾に辛く当たる必要なんてなかったのに。俺は本当に弱くてダメな人間だ……。圭吾が一人で食事をする音が聴こえている。途中で鼻をすすり、ティッシュで拭いて、また鼻をすする。
 謝らなくては。今こんなタイミングで圭吾と揉める必要なんてないのだから。圭吾だって和登の死が悲しいのだから。
 でも今は、頭の中が混乱したままで、もう少し、もう少しだけ気持ちが落ち着くまでの時間がほしかった。

 またコツコツとノックの音がする。圭吾がドアを開ける気配と、寮父の声が聴こえてくる。
「光夜も、ちょっといいか」
 寮父が部屋に入ってきて、ベッドで寝ている俺のところまで近づいてくる。
 和登が死んで、部屋に一人になってしまった一年生の理久りくと、圭吾か俺のどちらかが同室になってやってほしい、という話だった。三年生同士で同室なのは俺たちだけだから。
 和登の使っていたC棟の部屋ではなく、B棟の空き部屋で理久と残り一か月半を過ごすことになるらしい。
 俺が、と名乗り出ようとしたが理久は天文部だと思うと一瞬の迷いが生じた。その隙に圭吾が「僕が」と応えた。
「そうか圭吾、ありがとう。ではすぐに荷物をまとめて、移動してやってくれ」
 寮父は「これは片づけておくから」と二人共が残した麻婆豆腐丼を下げてくれた。

 和登の身体は、警察が連れていってしまったらしい。俺たち一人一人が、警察に尋問されるようなことはなかったし、マスコミが学園に入ってくることもなかった。
 翌日、圭吾以外の園芸部のメンバーで、ダリアを摘んでC棟の和登の部屋、バスケット部の部室、三年一組の教室に飾った。
 俺たちが作業している間、天文部の数人が見張るようにこちらを見ていた。その中に、圭吾の姿はなかった。
 ダリアを全て活け終わって温室へ戻った時、美智雄がすっと近づいてきて「君も気をつけろ」と良く分からない忠告をしてきた。
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