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3 新しい名前
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ミシェルフォンが気が付いたときはまだ洞窟の中だった。周りにはルコッタの姿が見当たらなかった。
慌てて起き上がったミシェルフォンは、ボトッと何かが手の甲に落ちてきてビクッと体が震えた。
よく見ると濡れた手拭だった、何となく額に手を当てて見たらやはり湿っていた。
ミシェルフォンは自分が熱を出した事を知った。
「叔父様」
小声で呟いてみたが少しエコーが掛かっただけで、何の返事もない。その事があの地下牢を思い起こされて、ミシェルフォンは心細くなって涙が溢れてきた。
長く暗い地下牢に幽閉されていたミシェルフォンが、感情というものに触れ始めた瞬間だった。
寂しい、心細い。
一人っきりなった時、人が当たり前に感じる感情を、今までミシェルフォンは持ったことがなかった。だが今は途轍もなく心細く寂しい、そう感じた。
暫くそうしていたらサクサクサクという音が聞こえて来た。あっ!と嬉しくて俯いていた顔を上げたが、その瞬間恐怖も湧いてきた。
(叔父様じゃなかったらどうしよう)
怖いという感情が腹の底から湧き上がったのもこれが初めてだった。
果たしてそれは枯れ葉を踏みしめるルコッタの足音だった。
彼の顔を見た途端ミシェルフォンは「ふぅ」と大きく吐く息と安堵の気持ちが自然と溢れた。
安心感、それも初めて知る感情だった。
「おっ下がったな」
何処からか帰ってきたルコッタは、直ぐにミシェルフォンの額に手を当て、熱を確かめると安心したように微笑んで言った。その後、少し翳りの表情を顔に浮かばせながら、ルコッタはミシェルフォンに提案した。
「ミシェルフォン、あまりここには長く居られない。そろそろここを出ようと思う、その前に名前を変えて新しい自分になってみないかい?」
「名前を変える?」
「あぁ、ミシェルフォンなんて長い名前呼び難いし平民の名ではないからね。似たような名前も良くないな。それとこれからの行き先だけどね、私も国が無くなってから逃げた先のマルティ王国という所に今は住んでいるんだ、そこに向かうよ」
「マルティ王国?逃げる」
ミシェルフォンは以前ホワントが、密かに紙にサラサラっと書いて見せてくれた地図を頭に思い浮かべた。確かマルティ王国は、トラウスマ王国からずっと西にいくつか国を隔てた場所にあったように思う。
あの時ホワントは突然書いたその地図を、少しの間だけミシェルフォンに見せてから、徐に口に入れて食べてしまったのを見た。
ひょっとしてこういう時の為にホワントなりに考えてくれたのだろうか?
そこまで考えてミシェルフォンはホワントはどうしたのだろう?と思い出した。
「ホワント」
思い出すまま口にした時、ルコッタが驚いた顔をした後に溜息を零した。
「お前が気にするかもと思って言えなかったんだけどね、ホワントとはここで落ち合おうと約束していたんだ。約束の期限は今日までだった、ミシェルフォン、お前は2日間熱に魘されて眠っていたんだよ」
「落ち合う?」
「あぁ1ヶ月前にホワントから連絡が来た、お前と妹のことについてだ。16歳の誕生日の式典で、きっとお前が国外追放になるから、護送の途中で助けてほしいって書いてあったよ」
「⋯⋯」
「あの破落戸達が君達の隊列を襲わなかったら、私が襲ってお前を逃がす算段だったんだ、間一髪間に合って良かった」
「では⋯」
「ホワントは、長い間家族を人質に取られていたんだけど、その家族が亡くなったそうだ。それでお前と一緒に逃げようと、義姉上の鷹を使って私に連絡してくれたんだよ」
「そう⋯⋯ですか」
ずっとホワントとしか話したことがないミシェルフォンに取って、ホワントに母のような温もりは求められなかったけれど、彼女は唯一の外界との繋がりだった。そしてそれは遠い国を挟んでもそうだったのだと思った。
「悪いがもうホワントを待つのは無理だ、もしもあの破落戸達が誰かの差し金だったとしたら、何時までもここに居るのは悪手だ。だからそろそろ出発するんだけど、名前どうする?」
ミシェルフォンには新しい名前と言われても何も思いつかなかった。
ミシェルフォンが目を泳がせてグスグスしていると、ルコッタが言った。
「じゃあ、簡単だけどメープルはどうだい?義姉上も好きな木だったし花言葉が“変化”だから」
「お母様、メープル?花言葉」
「どうかな?」
「ありがとうございます、叔父様」
ミシェルフォンはその日から、ルコッタの名付けてくれたメープルとして、彼と旅を続けた。
かなりの強行軍で旅をしたから、ルコッタの家に辿り着いたときには、二人ともボロボロの状態だったが、家ではルコッタの妻のカミラと娘のティーラが主の帰りを待っていた。
そして一緒に居たメープルの事も歓迎してくれたのだった。
カミラもティーラもルコッタが亡国の落し胤とは知らない、だから二人にはメープルが元王女だという事も伏せている。
ただティーラとは同い年で従姉妹なのだとは伝えた。
それからミシェルフォンは、幽閉されていた王女ではなく、稀代の悪女でもなく、ルコッタベーカリーで働く『メープル』になった。
慌てて起き上がったミシェルフォンは、ボトッと何かが手の甲に落ちてきてビクッと体が震えた。
よく見ると濡れた手拭だった、何となく額に手を当てて見たらやはり湿っていた。
ミシェルフォンは自分が熱を出した事を知った。
「叔父様」
小声で呟いてみたが少しエコーが掛かっただけで、何の返事もない。その事があの地下牢を思い起こされて、ミシェルフォンは心細くなって涙が溢れてきた。
長く暗い地下牢に幽閉されていたミシェルフォンが、感情というものに触れ始めた瞬間だった。
寂しい、心細い。
一人っきりなった時、人が当たり前に感じる感情を、今までミシェルフォンは持ったことがなかった。だが今は途轍もなく心細く寂しい、そう感じた。
暫くそうしていたらサクサクサクという音が聞こえて来た。あっ!と嬉しくて俯いていた顔を上げたが、その瞬間恐怖も湧いてきた。
(叔父様じゃなかったらどうしよう)
怖いという感情が腹の底から湧き上がったのもこれが初めてだった。
果たしてそれは枯れ葉を踏みしめるルコッタの足音だった。
彼の顔を見た途端ミシェルフォンは「ふぅ」と大きく吐く息と安堵の気持ちが自然と溢れた。
安心感、それも初めて知る感情だった。
「おっ下がったな」
何処からか帰ってきたルコッタは、直ぐにミシェルフォンの額に手を当て、熱を確かめると安心したように微笑んで言った。その後、少し翳りの表情を顔に浮かばせながら、ルコッタはミシェルフォンに提案した。
「ミシェルフォン、あまりここには長く居られない。そろそろここを出ようと思う、その前に名前を変えて新しい自分になってみないかい?」
「名前を変える?」
「あぁ、ミシェルフォンなんて長い名前呼び難いし平民の名ではないからね。似たような名前も良くないな。それとこれからの行き先だけどね、私も国が無くなってから逃げた先のマルティ王国という所に今は住んでいるんだ、そこに向かうよ」
「マルティ王国?逃げる」
ミシェルフォンは以前ホワントが、密かに紙にサラサラっと書いて見せてくれた地図を頭に思い浮かべた。確かマルティ王国は、トラウスマ王国からずっと西にいくつか国を隔てた場所にあったように思う。
あの時ホワントは突然書いたその地図を、少しの間だけミシェルフォンに見せてから、徐に口に入れて食べてしまったのを見た。
ひょっとしてこういう時の為にホワントなりに考えてくれたのだろうか?
そこまで考えてミシェルフォンはホワントはどうしたのだろう?と思い出した。
「ホワント」
思い出すまま口にした時、ルコッタが驚いた顔をした後に溜息を零した。
「お前が気にするかもと思って言えなかったんだけどね、ホワントとはここで落ち合おうと約束していたんだ。約束の期限は今日までだった、ミシェルフォン、お前は2日間熱に魘されて眠っていたんだよ」
「落ち合う?」
「あぁ1ヶ月前にホワントから連絡が来た、お前と妹のことについてだ。16歳の誕生日の式典で、きっとお前が国外追放になるから、護送の途中で助けてほしいって書いてあったよ」
「⋯⋯」
「あの破落戸達が君達の隊列を襲わなかったら、私が襲ってお前を逃がす算段だったんだ、間一髪間に合って良かった」
「では⋯」
「ホワントは、長い間家族を人質に取られていたんだけど、その家族が亡くなったそうだ。それでお前と一緒に逃げようと、義姉上の鷹を使って私に連絡してくれたんだよ」
「そう⋯⋯ですか」
ずっとホワントとしか話したことがないミシェルフォンに取って、ホワントに母のような温もりは求められなかったけれど、彼女は唯一の外界との繋がりだった。そしてそれは遠い国を挟んでもそうだったのだと思った。
「悪いがもうホワントを待つのは無理だ、もしもあの破落戸達が誰かの差し金だったとしたら、何時までもここに居るのは悪手だ。だからそろそろ出発するんだけど、名前どうする?」
ミシェルフォンには新しい名前と言われても何も思いつかなかった。
ミシェルフォンが目を泳がせてグスグスしていると、ルコッタが言った。
「じゃあ、簡単だけどメープルはどうだい?義姉上も好きな木だったし花言葉が“変化”だから」
「お母様、メープル?花言葉」
「どうかな?」
「ありがとうございます、叔父様」
ミシェルフォンはその日から、ルコッタの名付けてくれたメープルとして、彼と旅を続けた。
かなりの強行軍で旅をしたから、ルコッタの家に辿り着いたときには、二人ともボロボロの状態だったが、家ではルコッタの妻のカミラと娘のティーラが主の帰りを待っていた。
そして一緒に居たメープルの事も歓迎してくれたのだった。
カミラもティーラもルコッタが亡国の落し胤とは知らない、だから二人にはメープルが元王女だという事も伏せている。
ただティーラとは同い年で従姉妹なのだとは伝えた。
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