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第三章 葛藤
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暖炉の中で緩やかに燃えていた薪が、パチンと大きく爆ぜた音でユリアーナは「ハッ」と目を覚ました。思わず自分が何処にいて何をしていたのかが分からず、ボーッと目に付いた床を眺める。
青を基調とした上品な絨毯は、ユリアーナのお気に入りで2ヶ月前に模様替えした執務室に敷いた物だ。
「あぁ寝てしまっていたのね」
絨毯で覚醒したユリアーナは、自分が執務の途中で転寝していた事に気付いた。
(まさか)開いていた帳簿を見て安堵する、うっかり涎などでインクを滲ませたのではないかと不安が過ぎったのだ。
窓のカーテンは開いたままで、ユリアーナは閉じようと立ち上がる。
夕食のあとこの部屋に来て帳簿を開いた所までしか今は記憶がない。
一体どれくらい寝ていたのか、窓に近づきながら壁の時計に目を向けると、針は11時を少し過ぎた辺りを指していた。
執務室の窓からはあの花壇が見える。
この部屋で仕事をするようになって、義母が何故あの場所を子供達に与えたのか理由が分かり、ユリアーナは胸が熱くなった。
義母は表向きの社交をしない代わりに家政は完璧にやり遂げていた。少しでもユリシーズの助けになろうと努力していたから、かなりの仕事量だったと思う。忙しくてなかなか子供達の側にいけない義母が、子供達の成長を少しでも見守ろうと、自分の目の届く範囲に花壇を設えたのだ。
ここからなら見えるし声も聞こえる。
今はそこに嘗てのマリアンナの花壇にシモンの種が植えられている。植えてからもう4ヶ月が経っていたが、芽が出るのは早かったのにその後の成長はゆっくりでまだ花は咲いていなかった。
シモンの手書きの説明書には、成長が遅いとあるからと庭師はあまり気にしていなかった。でもユリアーナはこの寒さの中で枯れてしまうのではないかと、心配で不安で切なく思っていた。それはそのままユリアーナのシモンへの思いであるのだが本人は気付いていない。
不安な気持ちで毎日そこへ散歩がてらと理由をつけながら夜の執務の後に向かっていた。
「今日は行けないかしら?」
窓に近付いて気付いた、夕刻には気配はなかったが今外は雨が降り窓にも水滴が落ちていた。
残念に思いながら暫く考えてユリアーナは執務机の上の帳簿を片付けた。
そのまま廊下に出てエントランスではなく、裏の出入り口に向かう。そこに使用人用の傘が置いてあるのをユリアーナは知っていた。
1本拝借していつもと違うコースで花壇に向かう。
丁度30cm程成長している。
まだ蕾も何もなく茎と葉っぱだけのそれは、名もないただの植物で一体何物なのかも分からない。
今日は雨に濡れていてベンチに座れないユリアーナは、立ったまま上からそれを見下ろす、それだけなのに思い出し涙が溢れてきた。
短い期間でユリアーナの周りには変化が起きた。
先ずイザベラが結婚した。
お相手はアトルスで母と同じ外交官補佐をしているイザベラより5つ年上の人だった。
その人が他国の大使館勤務に移動する事になり、イザベラはプロポーズされたのだと母から聞いた。
国を出る前に身内だけで細やかな式を挙げる事になり、イザベラはユリアーナに手書きの招待状を送ってくれた。中身は招待状というよりも便箋3枚に渡ってユリアーナに懺悔する物であったから、思わず笑ってしまったが、笑えた事が許せる事だとユリアーナは思えて喜んで式に参加させてもらった。
結婚式の前日の晩餐の席でイザベラは正式にユリアーナに謝罪してくれたのだが、数年ぶりに対峙するイザベラは別人の様だった。昔の気性の粗さはなくその表情もどこからどう見ても淑女のそれだった。
その席でお祝いを各々渡せたのだが、ユリアーナは彼女に伯父お薦めのオルゴールを贈った。父ユリシーズは義母との約束を果たす為、おそらく平民が一生ゆったりと過ごせる程の持参金を贈ってイザベラとお相手の方を恐縮させていた。
遠慮するイザベラに母エリーヌが「他国では何があるか分からないのだからお守り替わりに貰っておけば良い」と言って益々恐縮に追い打ちをかけていた。夫婦は似るのだとその時ユリアーナは思った。
アトルス王国の子爵領の小さな教会で二人は幸せそうだった。マリアンナもユリアーナの横で嬉しそうに笑っていて、その表情はライレーンでは見られなかった笑顔で、マリアンナは留学して正解だったのだと感じた。
義母だったエリーヌは涙が終始止まらずに母エリーヌにずっと肩を抱かれていた。
式が終わったあと、母エリーヌがユリシーズと復縁してライレーンに戻ると二人から報告があり、ユリアーナは嬉しくて二人に幼子のように抱きついて泣いた。
きちんとお別れが出来ていなかった伯父夫婦にもお礼が言えてユリアーナはそれで満足するはずだった。
でもどうしてもシモンをひと目見たかった。
気軽に話せば良いのかもしれないが、今のユリアーナにそれは難しいと自分で分かっていた。
何故ならまだ時間の薬が全く効いていなかったからだ。
毎日ふとした瞬間にシモンの笑顔が思い出される、何故か日に日に強くなってる気がして、早く忘れたいと願えば願うほど胸が切なくキリリと痛む。
今会ってしまえば泣いてしまうと分かっていては会えない、でも会いたい。
心の葛藤の末にユリアーナはこっそりひと目見るだけに留めるつもりで植物園に向かった。
ばったり会ってしまわないように、こっそりと歩くユリアーナは傍から見たら充分怪しく見えたかもしれない。
そこに居たのは、やはりと言うべきかシモンは一人ではなかった。
彼の隣にはファライナが居た。
ただその表情はまるで別人のようだった、天真爛漫だった笑顔は消えていて、穏やかな微笑みを浮かべていた。
シモンと二人、花や薬草を眺めながら歩くその姿をユリアーナは真正面から見つめた。
微笑むファライナに声をかけるシモンの目は愛おしさが溢れていて、ユリアーナは直視するのが辛かった。
でも現実はちゃんと受け止めなければならないのだと自分を戒めた。
そして面と向かってはまだ言えないけれど、自分の気持ちに区切りをつけたかった。
ユリアーナはその場で二人に向けてカーテシーをする。
「ありがとう」
囁くような小さな声でユリアーナはシモンに向けて呟き踵を返してその場を後にした。
その後ろ姿をシモンが切なく見ていた事をユリアーナは知らない。
青を基調とした上品な絨毯は、ユリアーナのお気に入りで2ヶ月前に模様替えした執務室に敷いた物だ。
「あぁ寝てしまっていたのね」
絨毯で覚醒したユリアーナは、自分が執務の途中で転寝していた事に気付いた。
(まさか)開いていた帳簿を見て安堵する、うっかり涎などでインクを滲ませたのではないかと不安が過ぎったのだ。
窓のカーテンは開いたままで、ユリアーナは閉じようと立ち上がる。
夕食のあとこの部屋に来て帳簿を開いた所までしか今は記憶がない。
一体どれくらい寝ていたのか、窓に近づきながら壁の時計に目を向けると、針は11時を少し過ぎた辺りを指していた。
執務室の窓からはあの花壇が見える。
この部屋で仕事をするようになって、義母が何故あの場所を子供達に与えたのか理由が分かり、ユリアーナは胸が熱くなった。
義母は表向きの社交をしない代わりに家政は完璧にやり遂げていた。少しでもユリシーズの助けになろうと努力していたから、かなりの仕事量だったと思う。忙しくてなかなか子供達の側にいけない義母が、子供達の成長を少しでも見守ろうと、自分の目の届く範囲に花壇を設えたのだ。
ここからなら見えるし声も聞こえる。
今はそこに嘗てのマリアンナの花壇にシモンの種が植えられている。植えてからもう4ヶ月が経っていたが、芽が出るのは早かったのにその後の成長はゆっくりでまだ花は咲いていなかった。
シモンの手書きの説明書には、成長が遅いとあるからと庭師はあまり気にしていなかった。でもユリアーナはこの寒さの中で枯れてしまうのではないかと、心配で不安で切なく思っていた。それはそのままユリアーナのシモンへの思いであるのだが本人は気付いていない。
不安な気持ちで毎日そこへ散歩がてらと理由をつけながら夜の執務の後に向かっていた。
「今日は行けないかしら?」
窓に近付いて気付いた、夕刻には気配はなかったが今外は雨が降り窓にも水滴が落ちていた。
残念に思いながら暫く考えてユリアーナは執務机の上の帳簿を片付けた。
そのまま廊下に出てエントランスではなく、裏の出入り口に向かう。そこに使用人用の傘が置いてあるのをユリアーナは知っていた。
1本拝借していつもと違うコースで花壇に向かう。
丁度30cm程成長している。
まだ蕾も何もなく茎と葉っぱだけのそれは、名もないただの植物で一体何物なのかも分からない。
今日は雨に濡れていてベンチに座れないユリアーナは、立ったまま上からそれを見下ろす、それだけなのに思い出し涙が溢れてきた。
短い期間でユリアーナの周りには変化が起きた。
先ずイザベラが結婚した。
お相手はアトルスで母と同じ外交官補佐をしているイザベラより5つ年上の人だった。
その人が他国の大使館勤務に移動する事になり、イザベラはプロポーズされたのだと母から聞いた。
国を出る前に身内だけで細やかな式を挙げる事になり、イザベラはユリアーナに手書きの招待状を送ってくれた。中身は招待状というよりも便箋3枚に渡ってユリアーナに懺悔する物であったから、思わず笑ってしまったが、笑えた事が許せる事だとユリアーナは思えて喜んで式に参加させてもらった。
結婚式の前日の晩餐の席でイザベラは正式にユリアーナに謝罪してくれたのだが、数年ぶりに対峙するイザベラは別人の様だった。昔の気性の粗さはなくその表情もどこからどう見ても淑女のそれだった。
その席でお祝いを各々渡せたのだが、ユリアーナは彼女に伯父お薦めのオルゴールを贈った。父ユリシーズは義母との約束を果たす為、おそらく平民が一生ゆったりと過ごせる程の持参金を贈ってイザベラとお相手の方を恐縮させていた。
遠慮するイザベラに母エリーヌが「他国では何があるか分からないのだからお守り替わりに貰っておけば良い」と言って益々恐縮に追い打ちをかけていた。夫婦は似るのだとその時ユリアーナは思った。
アトルス王国の子爵領の小さな教会で二人は幸せそうだった。マリアンナもユリアーナの横で嬉しそうに笑っていて、その表情はライレーンでは見られなかった笑顔で、マリアンナは留学して正解だったのだと感じた。
義母だったエリーヌは涙が終始止まらずに母エリーヌにずっと肩を抱かれていた。
式が終わったあと、母エリーヌがユリシーズと復縁してライレーンに戻ると二人から報告があり、ユリアーナは嬉しくて二人に幼子のように抱きついて泣いた。
きちんとお別れが出来ていなかった伯父夫婦にもお礼が言えてユリアーナはそれで満足するはずだった。
でもどうしてもシモンをひと目見たかった。
気軽に話せば良いのかもしれないが、今のユリアーナにそれは難しいと自分で分かっていた。
何故ならまだ時間の薬が全く効いていなかったからだ。
毎日ふとした瞬間にシモンの笑顔が思い出される、何故か日に日に強くなってる気がして、早く忘れたいと願えば願うほど胸が切なくキリリと痛む。
今会ってしまえば泣いてしまうと分かっていては会えない、でも会いたい。
心の葛藤の末にユリアーナはこっそりひと目見るだけに留めるつもりで植物園に向かった。
ばったり会ってしまわないように、こっそりと歩くユリアーナは傍から見たら充分怪しく見えたかもしれない。
そこに居たのは、やはりと言うべきかシモンは一人ではなかった。
彼の隣にはファライナが居た。
ただその表情はまるで別人のようだった、天真爛漫だった笑顔は消えていて、穏やかな微笑みを浮かべていた。
シモンと二人、花や薬草を眺めながら歩くその姿をユリアーナは真正面から見つめた。
微笑むファライナに声をかけるシモンの目は愛おしさが溢れていて、ユリアーナは直視するのが辛かった。
でも現実はちゃんと受け止めなければならないのだと自分を戒めた。
そして面と向かってはまだ言えないけれど、自分の気持ちに区切りをつけたかった。
ユリアーナはその場で二人に向けてカーテシーをする。
「ありがとう」
囁くような小さな声でユリアーナはシモンに向けて呟き踵を返してその場を後にした。
その後ろ姿をシモンが切なく見ていた事をユリアーナは知らない。
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