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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
09 強くなったつもりでいた
しおりを挟むトンネルの外は夕暮れ時だった。
俺が初めてこの世界に迷い込んだ時とは違う、今にも雨が降り出しそうな厚い雲の空。もう日も沈み始めているんじゃないかっていうぐらい薄暗い。
ヴァンさんは地面に俺を下ろすと、直ぐにランタンに明かりを灯し、濃い緑色の手のひらで握れるぐらいの石を渡した。
つるんとした潰れた卵型で冷たくて気持ちがいい。細かい縞模様になっている、とても綺麗な石だ。
「癒し深き孔雀石、怖れと不安をその身に受けよ」
静かに呪文を唱えると、すぅっと俺の身体から強張りが消えていった。
まだ少し心臓はどきどきいっているけど、震えは無い。変な冷や汗をかいていたみたいで、大きく深呼吸をしてから額をぬぐった。
「無理をしてはだめだと言っただろう」
「すみません……」
「暗闇が怖いのかい? それとも……」
静かにゆっくりと、たしなめるような口調でヴァンさんが叱る。
俺は肩を小さくすぼめた。
「分からない」
物心ついた時からずっと、暗い部屋で一人夜を過ごしてきた。
寂しいという感覚はあっても、暗闇が怖い、と思った記憶はあまりない。
「どうして……気持ち悪くなって、歩けなくなるのか分からない……」
こんな状態では暗い地下道のどこかにある、元の世界と繋がった場所なんて探せない。探せないということは、ずっとこの世界に留まるということで、それはヴァンさんの迷惑になってしまうということだ。
なんだかもう……情けなくて涙が出てくる。
「リク」
膝を抱える、俺の頭を撫でて髪を梳く。
「傷は、目に見える場所だけにあるものではないよ」
顔を上げる。
涙目になった俺を、ヴァンさんは優しく見つめている。
「見えない傷ほど深く、命を奪うこともあるのだから」
「俺は……」
「辛いと思ったなら頼ればいい」
「で、でも……」
俺とヴァンさんは赤の他人なのに。
「僕は、そんなに頼りないかな?」
「いや!」
思わず大きな声になった。
そんなんじゃない。
頼りないんじゃなくて、これ以上頼りにしては申し訳ないというか。迷惑というか。俺みたいなヤツ、かまう必要は無いというか……。
……これ以上優しくされても、俺は何も返せない。
「頼りない……わけじゃないです……」
どんなにいい子にしていたって、結局……俺は、あのだらしない人の息子で。こんなに大切にしてもらえる価値を、見いだせないでいる。
どうしてこんな世界に迷い込んでしまったのだろう。
どうして……ヴァンさんに出会ってしまったのだろう。
ヴァンさんは地面に両膝をついて、俺の目線に下りてくる。そのまま両手で顔を包んで、溢れそうになる涙を拭いながら言った。
「……強制しているわけじゃないから、怯えないでおくれ」
俺は喉を詰まらせながら首を横に振る。
どうしてなのか、胸が痛い。
胸が痛い。
本音をさらしたら、そこからぐすぐすと崩れていきそうになる。
強がって、強く生きようと思って、強くなったつもりでいたけれど、俺はどうしようもないほど子供だ。人の厚意を受けきれないでいる。
「俺……」
「うん」
「どこにも……行くところが無い」
「うん」
ヴァンさんは頷きながら、真っ直ぐ俺を見つめている。
「あの……家に、置いてくれませんか?」
消え入りそうな声で言った。
優しさに勘違いしてはいけない。あくまでもとの世界に戻るまでの間だ。
「帰る道が、見つかるまでの間でいいから……」
「リクが居たいだけ、居なさい」
そう言うと、まるで「ちゃんと言えたご褒美だよ」というように、額に口づけた。
俺は気恥ずかしさで顔が熱くなる。
やっぱり外国人……いや、異世界人はスキンシップが近いというか、大胆というか。慣れなくて心臓はパクパクいいっぱなしだけれど、不思議と嫌な感じはない。
郷に入っては郷に従えともいうし。
「あ、ありがとうございます」
どうにかお礼の言葉だけ絞り出して、俺は頭を下げた。
ぽつり、ぽつり、と空から滴が落ちてくる。雨だ。とうとう降り出したみたいだ。ヴァンさんも同じように暗い空を見上げて立ち上がった。そして俺に手を伸ばす。
「ここに座っていては濡れてしまう。帰ろう」
「はい」
出された手につかまって、俺は立ち上がった。
ヴァンさんは俺の手を握ったままゆっくりと、あの不思議な物で溢れた家へと歩き出す。今日も行き交う人の姿は少なくて、窓を閉じている家が多いせいか、人の話し声や歌声は聞こえない。
世界に二人きりしかいないような錯覚を起こす。
「異世界に繋がる入り口は、僕が見つけておこう」
真っ直ぐ前を向くヴァンさんが、呟くように言った。
「場所が分かってから行った方が、暗い中をあても無く歩き回らずにすむ」
「ヴァンさん……」
「だからリクは何も心配しないで、待っていたらいいよ」
頷いて答えた。
急いで見つけなくてもいいです……と、ワガママな思いが湧いてくる。もちろんそんなことは口にできない。見つけて早く帰らなければ、いつまでも迷惑をかけてしまうのだから。
「そうだ」
俺は半歩前を行くヴァンさんに声をかけた。
「あの、元の世界に戻るまでの間、俺をあそこで働かせてください」
驚いた顔で立ち止まったヴァンさんは、本当に思ってもみなかったという顔で俺を見下ろした。
「リク、そんなことは……」
「ただ黙って暮らすわけにはいきません。掃除でも洗濯でも何でも言ってください。料理は……そんなに得意じゃないけれど、教えてもらえればきっと簡単なものぐらいならできるようになると思います」
そうだ。数日でもここで暮らすのなら、この世界の仕組みを知らなきゃいけない。生活習慣だって違うだろうし、見たところ電気もガスも無い。増えた喰いぶちの分だけでも働かないと、何もかも頼りっぱなしというのはやっぱり嫌だ。
ヴァンさんは複雑な表情をしていたが、やがて「わかった」と呟くように答えた。
「でも、まずはしっかり休むんだ。特に今日はもう、無理をしない。雨にも当たって冷えただろうから、帰ったらちゃんと身体を拭いて……」
もう十歳の子供じゃないと知っているはずなのに、ヴァンさんは変わらない。雨だってパラパラといった程度で、そんなに濡れているわけじゃないのに。
それでも俺は、今日だけは大人しくしようと素直に頷いた。
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