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第1章 廃ビルの向こうは異世界でした
24 個人レッスン
しおりを挟む思えばこんな風に、誰かに何かを教えてもらう、ということもなかった。
一階の店の奥、本や魔法石や小さな機械の置かれたテーブルに向かって立ち、少し潰れた卵のような石を左の手のひらにのせた。大きさはすっぽり手の中に収まるぐらい。以前見たものより一回り小さいかな。
色は綺麗な乳白色で、ひやりと冷たい。その感触が気持ちよくて、俺は石の角度を変えながらまじまじと眺めていた。
すごく、わくわくする。
「最初は気持ちを楽にすることが大切だよ。さ、両手で石を包んで」
上下で挟むように魔法石を包むと、俺のすぐ後ろにヴァンさんが立った。
どんなふうにするのだろう、と思う俺の背中にピッタリと密着して、両腕が横から伸びてくる。そのまま魔法石を持つ、俺の両手まで包むように重ねてきた。
骨のしっかりしたヴァンさんの大きな手は、俺の指先まで隠してしまう。
なるほど、こんなふうに教えてくれるんだ。
「石の、肌触りを感じて……」
耳のすぐ上で、ヴァンさんが低く囁く。
くすぐったいような……不思議なあたたかさが胸の奥から湧きあがる。背中に鼓動や息遣いを感じて、少し、気恥ずかしい。けれど手取り足取りで教えてくれるのだから、ちゃんと集中しよう。
俺は手の中の魔法石に意識を切り替えて、瞼を閉じた。
「……どうかな?」
「ん……」
俺の手のひらの熱が伝わったのか、魔法石がほんのりあたたかくなってきたような気がする。それとも俺を包む、ヴァンさんの手のひらの熱が伝わっていくせいかな。
「あたたかい……」
「……そう」
ふーっ、と静かに、深く、呼吸する。
石の中心部分に、熱の塊ができていくような感覚がある。同時に俺の胸の深いところ、身体の中心にも熱の塊が生まれてくる。
不思議だ。
肩も背中も腰も、両腕や手まですっぽりとヴァンさんに包まれて、自分も石になっていくように錯覚する。
とても……きもちいい。
「じょうずだよ……」
ヴァンさんの囁く、柔らかな声が降ってくる。
「その熱を、ちゃんと感じることが大切だから」
「……う、ん……」
熱が、石や、身体の中心に集まっていく。
線香花火の火の塊が、丸く、明るく、集まっていくような、とても綺麗な光と熱だ。チカチカと小さな火花を散らしている。
「んっ……!」
一瞬、パチッと跳ねた光が、俺の深い場所に当たった感覚がした。
意識を散らすと火傷しそうだ。でも、大丈夫。ヴァンさんがそばで見守っていてくれる。何も心配はいらない。このまま、もう一度、熱を集めていく。
とても、綺麗な光のイメージが見える。
「……そぅ、その光に集中して……」
「こう……?」
「とてもじょうずだ。そのまま、優しく包み込んで……」
俺を包むヴァンさんの囁き声に合わせて、意識を集中していく。
くるくると光の塊が小さくなっていく。
新たな力が生まれる、光の種のような……中から、何かが生まれる。
「……感じるかい?」
「う、ん……」
「それが魔力の種。魂といってもいい……」
俺の手を包む、ヴァンさんの手のひらに熱と力がこもる。
耳に触れる唇の、熱い息に甘い痺れが走る。パチパチと火花を散らして、魔法石も俺も、弾けていきそうだ。
「……さぁ、解放してあげるんだ」
「んっ……」
「前にも一度……唱えたね」
呪文だ。
覚えている。
頭の芯が痺れるような感覚を味わいながら、俺は、呪文を唱える。
「……月長石の光を……ここに……」
ふわぁ……と、まるで花の蕾が開くような感覚がした。
月の光に照らされた大きな白い花の、何枚も重ねられた花弁が開いて、零れる。柔らかな香りまで放つような感覚で。
「はぁ……んんっ……」
思わず吐息が漏れる。
ゆっくりと、ヴァンさんに導かれるように手を開いた。夢見るような心地で瞼を開ける。そこには……眩しいほどに輝く魔法石があった。
「……はっ、あ、……ヴァン、さん……」
光っている。
ちょっとだけ輝いて直ぐに消えた以前とは違う。煌々と輝く石がある。
「やった、光った……すごい」
集中しすぎたせいか肩で呼吸を繰り返しながら、俺を包み込んでいるヴァンさんを見上げた。優しく微笑む瞳が俺を見つめている。
「うん。とてもじょうずだったね」
そういって、少し汗ばんだ俺の額にキスをする。
嬉しい。
俺にも出来た。すごい、嬉しい!
「魔法だ。本当に光っている。綺麗だ。できたよヴァンさん!」
どうしよう。嬉しくて興奮が収まらない。
「誰でも、輝かせることができるものではないんだよ」
「そうなの?」
「前にも言っただろ? 才能にもいろいろなものがある。力を引き出す人、浄化する人、封じ込める人」
「あぁ……」
俺はどうやら、石の力を奪ったり封じるような能力ではなさそうだと教えてくれた。
「リクはとても石に愛される才能があるのだと、思うよ」
「あいされる?」
「そう、惹きつけられる。夢中になる。力を貸したくなるんだ」
「俺が……ではなく、石が?」
「そう……」
うっとりとした眼差しで見つめている。俺は、不思議な思いで首を傾げた。
まるで魔法石にも意思があるような口ぶりだ。あぁ……でも、あるのかもしれない。
「うん、俺が触れている石が、喜んでいるような感じがあった」
嬉しくて光って、熱を持ちながら火花を散らしていた。
「……そっか、あんな風に優しく包んで喜ばせてあげると、魔法というかたちで返してくれるんだ」
そう思うと、ただ綺麗なだけの魔法石が、なんだか可愛く思えてくる。
「リクはとても賢いね」
「教えがいがある?」
「とても。どんなことでも教えたくなる」
ふふ……と笑うヴァンさんが、背中から俺を抱きしめた。
腕の強さが心地いい。嬉しくて、俺も笑い返す。
「もっとやりたいな。この石、借りていてもいい?」
「その魔法石はリクにあげよう。けれど、魔法の練習は無理に続けてはダメだ」
「どうして?」
せっかくイイカンジを掴んだ。忘れない内に繰り返し練習して、どんな時でもできるようになりたい。
「意欲があるのはいいことだけれど、魔法は使いすぎると酔うからね」
「酔う?」
「そう、魔法酔いと言ってね、無理に使いすぎたり強引に強い魔法をかけられると身体の負担になる。吐き気や頭痛など、酷い時には意識を失う。能力に合った使い方が必要なんだ」
そうか。
呪文さえ唱えれば何でもできる、便利な道具じゃないんだ。
「だから訓練が必要だと?」
「自分のできる範囲を見定めて、少しずつ練習すること。約束できる?」
「わかった」
頷く。ヴァンさんは「いい子だ」と言って頭を撫でて、もう一度髪にキスをした。
異世界人だから態度が親密なのは分かるけれど、やっぱり照れくさいし、くすぐったい。けれど嫌だと感じない辺り、俺もけっこう異世界の暮らしに順応できているのかな。
と、その時、店のドアがノックされた。
「はぁい、いちゃいちゃしているところ悪いけど、お客さんよ」
「ゲイブ!」
俺を抱きしめていたヴァンさんが、身体を起こして声を上げた。
大柄な上にがっしりとした体型の浅黒い肌のお客さんは、楽しいものを見たという笑顔で店へと入って来た。
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