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第2章 届かない背中と指の距離

34 夏のはじめ嵐の前 1

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 俺の名前は、ジャスパー・レイク・デイヴィス。
 このアールネスト王国でも規模の大きい迷宮の上に出来た都市、ベネルクの街で、魔力の循環の調整を主とした治癒師をしている。
 まぁ、他にも薬師であり、街の人たちの相談役でもあり、国の三大結界術師であり怪物級モンスタークラスの大魔法使い、アーヴァイン・ヘンリー・ホールの維持管理メンテナンス係でもあるのだけれど……。

「まったく、俺を何だと思っているんだ。人使いが荒すぎるぞ」
「それだけジャスパーに頼っているってことでしょう?」

 一階の店舗奥にあるカウンターでお茶を出しながら、黒髪と黒い瞳の少年が笑う。約半年前の秋の終わり、迷宮に繋がる地下道に迷い込んで来た異世界の子供、リクだ。

 当時十五歳だったというが、背は低いし痩せた貧相な子という印象で、十三がそこらにしか見えなかった。最初に見つけて保護したアーヴァイン――ヴァンなど、十歳程度だと思っていたらしい。
 さすがにそれは年下に見過ぎだと呆れもしたが、そう思われても仕方がないほどリクは小さく儚い印象の子供だった。

 この国では珍しい髪色と、時おり深い藍や紫にも見える黒い宝石のような、くりっとした大きな瞳。長い睫毛と色の薄い卵色の肌。鼻梁びりょうは決して高くはないが、人形のように整った顔立ちで、ふと見た瞬間にはどちらの性別か迷うほどに中性的で愛らしい。
 この半年で少し身長も伸びて肉付きも良くなった。とはいえ、街を行く同世代の子よりずっと小柄で細身だ。手足はすらりとして、筋肉がつきにくい体質――本人の言うところの「アジア人の特徴」と話していたから、人種的な問題もあるらしい。

 何より寂し気な気配を漂わせながら、こちらが声を掛けると明るく笑い返す。
 人を頼らない。
 あまり恵まれた育ちではなかったようで、何事も一人で解決しようと動く。それが見ていてもどかしい。壁を作られているようにすら感じる。
 目が離せなくなる。

 そういった雰囲気と姿もあって、道行く人たちの視線が集まるのも当然だろう。
 誇張無しに、リクは将来、美人になると思う。
 男の子に美人というのもなんだが、どこかうれいた眼差まなざしというか――ヴァンの見立てでは強力な魅了の魔力の影響もあって、一度彼の姿を目にすると忘れられなくなる。

 魔物を含め、魔力を持った者は虜になる。

 影響力を防御シールドする術を施している俺ですら、ついつい目で追ってしまう。
 本人は、そんな力があることすら全然気づいていないけれどね。

「……ヴァン、遅いな」

 階段の上を見上げてリクが呟く。

「寝てるんじゃないのか?」
「いや……さっき、起きて身支度していたから。寝てはいないと思うけど……」
「忙しくしていたんだろ?」
「うん……魔法院とのやり取りとか。これから夏至に向けて大結界の準備とか……大変そう。あまり寝る時間も無いみたいで」

 心から心配する声で呟く。
 人に甘えることが苦手なくせに、人の世話は焼きたがる。けれど今のところ、ヴァンに対してできることは多く無さそうで、もどかしくも感じているようだ。

 リクは元の世界には戻らず、この世界で生きると決めた。
 その時、二人の間で固い誓いが交わされた。
 俺から見ればまるで婚約だ。ならば当然交わされるだろうちぎりは、まだ行われていない。成人していないリクに、ヴァンは手を出さないと心に決めているらしい。
 更に同性となれば、色々と乗り越えなければならない問題もある。

 ――数日前、リクは十六歳になった。成人まで後二年。
 二年は長いぞ。
 ヴァンは一度決めたことは必ずやり遂げる男だから、保護者に徹するだろうが……リクの方は待っていられるのかなぁ……。まだヴァンに対する自分の気持ちに気づいていなくても……青少年、なんだぜ?

「あ、ヴァン!」
「待たせたな」
「待ったよ」

 仏頂面ぶっちょうずらで俺が続く。
 階段を下りてくるヴァンに駆け寄るリクの、まぁ嬉しそうな顔だこと。
 キラキラと輝く、子犬や子猫のようなリクの表情を眩しそうに眺め、一呼吸置いてからひたいにキスをする。
 もう何度見たか分からない、ではよくある挨拶の姿。
 けど、そういう習慣の無い国で育ったらしいリクは、頬を赤らめながら嬉しいやら物足りないやらで、複雑な表情だ。
 ヴァンは気付いているのかなぁ……。

「手に入ったって?」

 たずねる声に俺は懐から小箱を取り出す。
 収められた物は小指の先程の大きさの、パープルともバイオレットとも言い難い、夜空のように美しい魔法石だ。ツテを使ってやっと見つけたものの、なかなか譲ってもらえず俺の人脈まで駆使するなんて、ヴァンにしては珍しい。

「綺麗な魔法石いし……」
「リクはこういう石、好き?」
「うん、よく分からないけれど、すごく惹きつけれる。魔力もすごいんでしょ?」
「そう……とても強い力を持ってる」

 にっこり微笑みながら、ヴァンが答える。
 俺はわずかにふんぞり返って言う。

「ロロットの実家まで手を回したんだ。感謝してくれ」
「奥方には、心からのお礼を申し上げるよ」

 そう爽やかに笑って、更に奥の作業場に行く。
 そこで魔法石を起動させる詠唱を始めた。離れたカウンターで様子を伺うリクは、尊敬と同時に眩しいものを見るような熱い眼差しを送っている。

「リクは……」
「え? あ、はい」
「ここの暮らしにも、ずいぶん慣れてきたね」
「うん……ヴァンがいろいろと丁寧に教えてくれるんだ。魔法も光と浄化を覚えたから、今は風と氷に挑戦している」
「すごいね」

 照れくさそうに笑う。
 あぁ……無邪気だ。

「覚えたって言っても、そんな強い力じゃない。浄化だって泥水から……なんて全然無理だし。飲み水を綺麗に保つ程度で」
「それだけでも十分だろ。ヴァンの魔法を基準に考えていたら、みんな初心者になっちまう」
「ははは……そうだね」

 何せあいつは規格外なのだから。

「さっき、ヴァンに何か言いたそう……だったけど」
「えっ?」

 正確には物欲しそうな顔、だ。物足りないというか。
 リクが欲しいと言えば、ヴァンはどんな物でも用意するぐらい甘やかしていることを知っている。
 可愛くて愛しくてたまらないでいるのだから。気づいていない、ということは無いだろう。そんなヴァンが応えないというのなら、リクが欲しいと言わないか、今のヴァンには与えられない物なんじゃないかな……と思うのだが。

 リクは顔を赤くして視線を泳がす。分かりやすいなぁ。

「ジャスパーは……その、シャーロットさんと……」
「ロロットと?」
「挨拶でキスとかするよね?」
「うん」
「口に」
「するよ」

 妻だからね。

「そっか……」

 と、言ったまま視線を落とす。本当に分かりやすい。


「なに、口にキスしてもらいたいの? ヴァンに」





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