覇王樹

神永 遙麦

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これはハズレくじを引いてしまった僕らの物語

佳月の初陣

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 返信を期待していたわけじゃないけど、来なかった。僕は何となく落ち込んだ気分のまま顔を洗って道場に入った。あ。道場には先生がいた。先生は僕と佳月をギロリと睨みつけた。

「遅かったな。大一」
「すみません。考え事をしてました」

 僕の言葉に先生は無言で佳月の頬を叩いた。痛みでなく恥を知らせるための叩きに見えた。ひっ、と僕は息を呑んだ。ピクっと敢太の手が動いた、苛立ったようだ。先生は青く佳月を睨んでいる。

「次代司令官であるお前が見習い戦士である彼らの生活管理くらいできなくてどうする?」
「申し訳ありません」と佳月は静かに頭を下げた。
「私に知らせるべきことはないか?」

 先生の言葉に佳月はチラと僕を見た。もしかしてこの間僕が書いた手紙も報告すべきことなのかな?
 佳月は軽く目を瞑った。

「二軍より報せがありました。伝暗の軍が、境界線を突破したと。二軍の隊士らが迎撃中です」

 佳月の静かな言葉に、ダンっと敢太は床を蹴るように片膝を立てた。肩が揺れている。拳がわずかに震えている。視線が鋭くなり、眉間に皺が寄る。怒りを抑え込むように、奥歯を噛みしめている。ぴくりと苛立ったように先生の眉が動いた。そして深々と息を吐いた。部屋中にピリピリとするような威圧感がある。

「蓮医隊への連絡は?」
「済ませました。現在、準備の最中であると思います」
「思います、ではない。支度の状況は逐一確認するように。それから、敢太、愛恵人、大一。私と佳月はしばらく留守にする」

 敢太の表情が明らかに変わった。怒りと戸惑いと、信じられないという思いが混ざった目で、佳月を真っ直ぐに睨んだ。愛恵人は佳月を見てから、敢太へ視線を移した。
 ドンッ、と敢太が立ち上がった。足元の床が小さく軋む。拳を固く握りしめ、腕の筋が浮き出ている。額に青筋が走っている。胸が荒々しく上下し、今にも怒鳴り散らしそうな雰囲気だ。

「先生、なんで佳月まで連れて行くんですか? こいつはまだ5歳ですよ!」と先生にギラギラとした目を向けた。
「佳月は次代司令官だからだ。さすがに前線には出さぬが、戦場に慣れることが必要とされている」
「まだ試験にも受かっていないのに!」

 先生はふん、と鼻で笑った。先生の前に立つと、敢太が少し小さく見える。佳月はそっと敢太に近寄り、袖を掴んだ。

「ゲン。私が次代司令官としての修行を積むことはお祖父様の命令でもあるんだよ」
「お前、女だろ」と敢太は佳月に合わせ身を屈めた。
「うん」と佳月は敢太と目を合わせて頷いた。

 ちょっと佳月の返事が潔かった。僕はふん、と笑いを堪えた。隣の愛恵人は思いっきり吹き出した。先生にギロリと睨まれ身が竦んだ。

「私は蓮医隊との連絡へ行く」と先生は敢太に聞こえないくらいの小声で軽く身を屈めた。

 先生は佳月の意思の強そうな顔を見てから、道場を出た。佳月と敢太の話はまだ続いている。

「10歳になるまでに答えを出さなきゃいけないんだよ、私は。15歳まで時間がある敢太とは違うの!」
「司令官になる方を選ばなきゃいいだろ! チビはすぐ死ぬぞ!」
「そもそも、ゲンは私の親でもないし、そんな年でもないんだからそこまで心配する必要ないでしょ」
「あるだろ。言っとくけどお前の親父さんはオレの師範だったんだからな」
「その父の子どもで、家に残ってるのは私だけなんだから、私がやるの」と佳月は腰に手を当て、「これも理解できないんなんて頭イカれてんじゃないの?」と軽い調子で毒を吐いた。
「頭イカれてんのはお前の祖父と先生だろ。オレはガキを戦場に出すなって話してんだよ」
「そーれが? 二軍では未成年だろうと前線に出てるよ。ゲンは一軍に属してるからって平和ボケできるご身分なのかしら?」

 少しずつ敢太が押されている。先生に対するより態度が柔らかいせいで、幼さゆえに本気を出し続ける佳月に負けそうだ。

 ――私とあなたがなんでこの家に生まれたのか知りたくない?――。
 ――私の原動力はそういうことにしてある。何で私がこの地位なのかも分からないから、頑張る。そしたらさ、大きくなってこの地位に相応しい人となれた時、分かると思うの――。

 ふと佳月の言葉を思い出した。本格的に冬に入る少し前のことだった。
 顔を上げると佳月は仁王立ちしていた。

「それじゃ、そういうことで。私が行くからね」と踵を返し、道場を出た。

 嵐が去ったあとのように道場はシンとした。愛恵人は無理やり笑い、立ち上がった。

「なあ、ゲン。今日の訓練どうする? サボって祭り行く?」
「ダメに決まってんだろ」と敢太はげんなりとした声のまま立ち上がった。

 愛恵人はヤレヤレと腰を上げた。僕も慌てて立ち上がった。それから疑問を解消することにした。
 
「ねえ、敢太。二軍と一軍の違いってあるの?」
「二軍は3年前にできた軍だ。まだ佳月から聞いてないのか?」
「うん」

 僕が頷くと、敢太はボリボリと後頭部を掻いた。

「一軍には隊員が5人しかいない。佳月、オレ、お前と愛恵人……5人目の説明はめんどいから今度な。しかも5人中4人は未成年かつ試験も受けたことがない。しかも、当時は師範……佳月の父親、お前の父親、オレの親父、美実さんの父親が立て続け亡くなっていた。そこで、親切な親戚の方々が二軍と自称して前線を守っていてくれてんだよ」
「ふーん」と僕は頭の中に図式を描いた。「何で二軍なの? 普通、前線に出てくれている方が一軍じゃないの?」
「先にできたのが一軍だからだ。あのさ、知ってる? 相伝隊はだいたい1600年前に出来たんだぜ」
「1600年前? ってことは……」

 僕が数える指を伸ばしかけた時、道場の戸が破られるように開いた。佳月だ。太陽のように活き活きとした表情だ。

「それじゃ、行ってくるね!」と佳月は再び戸を閉めた。

 愛恵人は屈伸運動を始めた。見送らなくていいのかな? 敢太を見ると佳月が去っていった後をじっと見つめていた。先生が佳月へ向ける視線と違い、温かさが混ざった視線だった。師匠の娘ってそんなに大切な存在なのかな?
 僕も敢太の視線の先を見た。うずうずして、僕は駆け出した。バン、と戸を開け長い廊下を抜けて外に出た。走っていいく佳月の後ろ姿がある。足元で冷たい風が凍りそうなくらい冷たい風が流れている。僕は精一杯息を吸った。子役だったから、発声には自信がある。頬が熱くなる。

「佳月ー! 気をつけてねー!」
「分かったー!」と小さな影が手を振った。

 ビュウと冷たい風が吹いた。高い声が木霊している。
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