金の滴

藤島紫

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紅茶の天使と 珈琲の魔王6

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「ええ、大丈夫です」

 微笑むとティッシュが鼻の穴から落ちそうになった。鼻を覆うふりをしつつ、ティッシュを押し込む。
 魔王のせいで鼻の穴が限界まで膨らんだ。奥の粘膜が痛い。
 思わず涙ぐむと、友岡の顔が曇る。どうやらかなり心配しているようだ。
 魔王の非道なふるまいに傷ついた心に両岡のやさしさが染みる。

「斎藤さん、体が弱いみたいですし、あまり無理しない方がいいですよ」

 体が弱いというより、ミッシェル様の美貌に弱いのだが、説明するまでもない。ミッシェル様が美しいのは見ればわかる。説明は野暮というものだ。気遣いだけありがたく受け取ることにする。
 友岡は眉を寄せつつも「辛かったら言ってください」と優しい言葉を添えてくれた。
 どこかの魔王とは大違いだ。

「ありがとうございます」

 にっこり微笑んで魔王への恨みを拳の中に握り込む。
 今は業務を提携しているが、いずれ紗祿珈琲を上回るコーヒーを作る。カフェ業界の圧倒的シェアを確立するのだ。
 そして、ミッシェル様は紅茶の天使からカフェの天使になり、伝説となるのだ。
 ミッシェル様はただ美しいだけではない。私の人生を救ってくれた。
 至高の美は世界すら変えるはず。もはや救世の美と言っても過言ではない。
 ただ、問題は、ミッシェル様にその気がないことだ。
 どうやって事業を大きくするか。
 今後の事業展開について考えながら、私は天使と魔王を見た。
 まさに一対の光と影。
 今はセット売りをした方がいいだろうか。
 構図を考えればライバルが手を結んだ新たな事業は話題性がある。
 将来的には魔王が悪事に手を染め、天使が正義の鉄槌を振り下ろして幕引きとなるのが理想的だが、それは難しそうだ。
 そんな隙をあの諏訪乃が見せるとは思えないし、何よりやりづらい。
 諏訪乃には、借りがある。
 まさか、こうなることを見越して私に恩を売ったのだろうか。
 穿ちすぎか。いや諏訪乃ならありうる。

「鳥の声が近くなりましたね」

 耳元に息がかかり、飛び上がりそうになった。
 見ると、友岡が申し訳なさそうに頭をかいている。

「驚かせてすみません。鳥の声が大きくて」

 確かに友岡の言う通り、鳥の囀り声が大きく、背後から普通に声をかけても届かないだろう。
 だからと言って、耳元で喋らないでほしい。

「大丈夫ですよ」

 大きめの声で返事をする。
 あまり声を張らずとも、若干ボリュームを上げれば届くはずだ。
 不思議なことに店内よりも外の方が鳥の声が小さく感じる。
 屋外だから、音が発散されるのだろうか。
 そんなことを考えていると、空調ダクトが三つ並ぶ手前で諏訪乃が止まった。
 上の方から鳥の声が聞こえる。
 まさかと思いダクトの下に歩いていくと、何かが額に落ちた。
 生暖かい。
 ダクトを見上げると、鳥のお尻がこちらを向いていた。

「っ!!」

 上方に鳥のお尻、ひたいに生暖かい感覚。
 見下ろすと、足元には無数の鳥のフン。
 ここまでくれば、ひたいに落ちたものは一つだ。

「華子君!」

 ミッシェル様に手を引かれた。
 ティッシュが刺さった鼻を手で隠していたのにこれでは丸見えだ。
 それまで私がいた場所に、新たなフンが落ちた。

「はな、こ……さん……くっ……」

 諏訪乃が壁に額をつけて肩を震わせている。
 友岡が心配そうに私を見た。いや、あの顔は心配というより、憐れんでいるのではないか。
 一抹の希望を胸にミッシェル様をそっと見上げる。

「華子君……その……」

 そこまでがミッシェル様の限界だったようだ。耐えかねたように吹き出した。

「もうしわけな、い……っ……」

 口元を押さえて堪えようとしているが、笑いを隠せていない。

「こうなるかなとは思ったが……まさか……」

 よほどツボに入ったのか、諏訪乃が苦しそうに笑っている。
 魔王は笑い死ねばいいと思う。
 予想しながら、私が鳥の巣の下にいくのを止めなかったのだ。
 私は鼻の穴に押し込まれていたティッシュを引っこ抜き、額を拭いた。

「だからあんたは魔王なのよ!」

 ミッシェル様にひどい顔を見せてしまった。
 それを笑われた。
 全部、諏訪乃のせいだ。

「ばかっ!」

 壁に手をついて笑い続ける諏訪乃のお尻をハイヒールで蹴飛ばす。

「痛っ」

 対して痛くもないくせに声を上げる態とらしさも腹立たしい。
 ティッシュを抜いたせいで、つうっと鼻から何かが垂れてきた。
 こればかりは認めるほかない。鼻血だと。

「申し訳ありません、ミッシェル様! 顔! 洗ってきます!」

 身を翻すと、私は一目散に店内に駆け戻った。

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