探偵と助手の日常<短中編集>

藤島紫

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本日のおやつは、さつま芋パイです。

探偵助手のおやつは、おやきです 3

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 15秒以内に収まるように一気にまくしたてると、クッションが床に落ちた。

「ああ……そう、だ……明日……明日は……もう、今日か。間違っているぞ、三枝君」

 あくびをかみ殺しながらけだるげに言う声は低い。
 三枝は落ちたクッションを拾うついでに、周囲に光よけにされそうなものがないのを確認した。
 せっかく起こしたのだ。また寝られたら溜まったものではない。

「時間よりその態度が人として間違ってると思いますよ、俺は」

 けだるげに体を起こした上司は「そういえば客が来るんだ……」等と呑気につぶやく。三枝は思いきりソファの背もたれを叩いた。

「もーっ! しっかりしてください。3時半にお客さん、来るんですよね? とっとと起きて下さい」
「ああ……起きる」

 のっそりと上体を起こして立ちあがる。
 まだ眠いせいか猫背気味だが、それでも三枝より手のひら分くらいは大きい。
 そして腹立たしいことに、あくびをかみ殺して長い前髪をかき上げるしぐさに大人の男の色気を漂わせる。
 この嫌味な男こそが、この事務所の主人であり、三枝の上司――探偵だ。
 アルバイトに女性を雇うことはできないと、探偵の友人たちが口をそろえて言っていたのがよくわかる。
 寝起きが悪い上司を起こすのが出勤して最初の業務では、女性には無理だ。
 ちなみに、探偵助手である三枝の主な業務内容を一般的な言葉で説明するなら「家事」である。

「朝飯用意しておきますから、その間にひと様に見せられる状態になってきてください」
「分かった。シャワーを浴びてくる」

 紗川はゆっくりとした動作でローテーブルに置いてあった眼鏡を掴むと、入口と反対側にあるドアの向こうに消えた。

(全く……。普段からちゃんとしててくれればいいのに)

 探偵助手とは、探偵の付き人であり、身の回りの世話をするものらしい、と気づいた時には後の祭りだった。
 三枝自身、こんなことをしたくて探偵に雇ってもらったのではない。

(アルバイトだけど、思ってたのと実際が違ってたら労基に相談してもいいのかなあ……)

 現実にはできもしないことを考えながら、三枝は朝食を用意した。
 淹れたてのコーヒーの香りが室内を満たしだしたころ、シャワーを浴びて身支度を整えた紗川が現れた。

「先生、髪も乾かしてますよね――っと」

 声をかけたとたんに、唇に人差し指をあてる仕草で沈黙を指示された。
 スマートフォンを片手に誰かと話して言う様子から、状況を察した三枝は慌てて口をつぐむ。

「はい……ご安心ください。……到着ですか? そうですね、夜になるかと」

 様子からして顧客だろう。

「打ち合わせ通り、いつも通りで……はい、来客を知らない訳ですから……そうですね」

 電話をしながらキッチンにやってきた紗川はあたりを見渡している。
 三枝は上司が何を探しているのか気づいていながらも、クラスの女子からもらった黒いゴムをわかりやすいところに置いてみた。
 しかし紗川はそれを素通りしてパンの袋を閉じていたモールをつまむと、それで髪をまとめようとしている。

「それはいい考えですね。こちらは構いません……」

(いや、俺は全然いい考えだと思わないし、構いますよ、先生! ムリです、モールじゃ髪を止められませんって)

 仮に止まったとしても、あまりにもひどい。
 先ほど拾い上げたリボンを無言のまま紗川に差し出す。
 紗川は黙って受け取るとそれで髪をまとめた。

(何なんだよ、このこだわり……!)

 背が高く、程よく筋肉が付いている紗川は、誰もが口をそろえてスタイルがいいという。
 市販では袖と丈が足りないらしく、着ているスーツは全て老舗ブランドのオーダーメードだ。
 呆れている三枝の前で、ようやく通話を終えた紗川が首を傾げた。

「なんだ?」
「あの……せめて来客時くらいまともなゴムとか使いませんか。ケーキの箱についてた黄色いリボンとか、かっこ悪いんで」

 無駄だと分かっていながら、最後の抵抗とばかりにコーヒーと一緒にゴムを差し出す。
 紗川はコーヒーだけを受け取り、一口飲むと、深く息を吐いて長い前髪をかきあげた。そしてやりと笑う。

「やれやれ、分かっていないな、三枝君。物事はメリハリがあるほうがいい。あえて気を配らない、無造作が粋と言うものだ」

(いや、すみません。それは分からない方がいいような気がします)

 上司が相手だけあって、ツッコミは心の中だけにとどめておくことにした。
 即座に口をついて出さなかったのは、せめてもの情けと言うものだ。

「ところで三枝君。上の棚は見なかったか? そっちを使って構わない」

 三枝は頷いた。パッケージには手書きでマンデリンG1、100グラム1400円と書いてあった。

(やった、気になってたんだよなー)

 一も二もなくうなずく。

「コーヒーメーカーでいいなら、お客さんが来たら出せるように今から作っておきます。あ、頼まれてたもの買って来ましたよ。お茶請けの芋ドーナツと、お使い物用にさつま芋パイです」
「助かる。領収書は後で――」

――ドンドン

 ガラス戸を叩く音がする。二人はほとんど同時に振り返った。
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