探偵と助手の日常<短中編集>

藤島紫

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キリマンジャロAAキボの香りでおはよう

2.夢からの目覚め

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「起こそうと思っていたが……疲れているなら、休んでも良かったんだぞ?」

 夢を、見ていたらしい。
 目の前にいるのは、上司の紗川だ。
 嫌味なほどに、ハイブランドのスーツが似合っている。
 こちらを見下ろしている紗川がわずかに首をかしげると、長い髪がさらりと肩から落ちた。
 適当に手近にあった紐で結うものだから、まとめきっていない髪がひと房、おかしなところに残っていた。

(無造作にしていることがカッコイイのだと言いさえしなければ、かっこいいのに。ほんんと、残念な人だよなあ……)

 ぼんやりとそんなことを思っていると、湯気の立つカップが目の前に現れた。

「あ……えっと……だいじょうぶ、です」

 カップの中では深い琥珀色のコーヒーが小さく波打っている。
 三枝はコーヒーを両手で受け取った。
 自分のデスクに目をもどせば、モニター画面は、作業途中のままだった。
 スリープになっていないところを見ると、眠ってしまったのは本当に一瞬だったらしい。

「眠そうにしていたから、いれてきたんだが、ない方が良かったか?」
「いえ、ありがとうございます」

 夢の中の子供は、明るく、幸せそうに笑っていた。
 しかしその夢は、後の悲劇を鮮烈に思い出させる。
 男の臭い。
 吐瀉物の臭い。
 錆びた鉄の臭い。
 アンモニアの臭い。
 圧倒的な、死の臭い。

「三枝君」

 低い声が鼓膜を振動させ、臭いの記憶を払しょくした。

「はい」
「今日のコーヒーはキリマンジャロKIBOだ。ゆっくり香りを楽しんでから飲むといい」

 差し出されたカップからは、甘く華やかな香りが漂ってきた。
 この香りを、『甘い』と表現すると教えてくれたのは紗川だ。

「淹れたてではないから多少、香りは飛んでしまっているが……」

 三枝はゆっくりと首を振った。
 いい匂いだと思う。
 記憶の中の苦しい臭いを一瞬で拭い去ってくれた。

「先生」
「何だ?」
「他と比べたら確かにキリマンジャロの香りは甘いと思うんですが……なんで甘い香りがするんでしょうか」
「甘さにも種類がある。これは果物の甘さに近い」

 言われてからなるほどと思った。
 砂糖の甘さではない。

「コーヒー豆と言われるが、もともとはグミのような赤い果実なんだ。多くの動物が好んで食べる。浅煎りのコーヒーの酸味はフルーティと表現されることが多いがそれは当然だ。もともとは果物なんだからな」

 なるほど、と思いながらカップに口をつける。
 やけどしないように静かにゆっくりと口に含み、舌の上でキリマンジャロの酸味を味わいながら飲み込むと、華やかな香りが鼻から抜けていった。
 ふわりと温かさが喉から体内に落ちていく。
 眼を閉じると、体にコーヒーがしみわたっていくのが分かった。

「うまいか?」
「……はい」
「そうか」

 見上げると、紗川がほほ笑んでいた。
 ふと、視界がぼやけているのに気付いた。

(やべぇ……俺、泣いてたのか)

 夢を見ていた。
 懐かしい夢だった。
 あの子はもう、いない。
 それがひどく三枝の胸をえぐった。
 おそらく、ほんのわずか眠っていた間に寝言か何かを言っていたのだろう。
 それでコーヒーを持ってきてくれたに違いない。
 紗川は三枝を慰めはしない。
 それが嬉しかった。

(たぶん……俺が自分の力でなんとかできるって信じてくれてるんだよな、これは)

 泣いていたことにも触れてこない。
 この上司は時々、意地悪なほどに優しい。
 涙がこぼれてしまった。

「すみません」

 せっかく気付かないふりをしてくれていたのに、礼を言ってしまった。

「違うだろう?」

 いきなりタオルを頭から被せられた。
 あくまでも、こちらが泣いていることには気づかないふりをしようという事らしい。

「コーヒーをいれていただき、ありがとうございました、だ」
「はい」

 あくまでも、本質には礼を言わせるつもりもないのだ。

(ほんっと、ヤなやつだよな、先生ってさ)

 あの子はもういない。
 あの子供は死んでしまった。
 自分のせいで。
 三枝はゴシゴシと涙をぬぐうと、タオルから顔を出した。

「ありがとうございました」

 あの時、声をかけてくれて。

――自殺するなら別の方法にしてくれないか?

 最悪だと思った一言が、まさか救いの一言になるとは思ってもみなかった。
 だが、あの時のことをきちんと感謝するにはまだ時間がかかりそうだ。

「コーヒー、まだあります?」
「あと一杯くらいならあるぞ」
「じゃ、それもいただきます」

 熱いコーヒーを無理やり飲み下す。
 舌がやけどしても構わない。

「あと一杯頂いて、残った仕事、終わらせちゃいますね」

 空になってもまだ熱いカップを片手に立ち上がる。
 時々は、まだ思い出すことがある。
 悲しみに囚われていた日々に、また捕まってしまいそうになることがある。
 それでももう、大丈夫だ。
 三枝はニッと笑って見せると「新しいの、落としておきますね」とキッチンに向かった。

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感想 6

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みんなの感想(6件)

2018.12.23 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2018.12.25 藤島紫

けいたんさん、丁寧に読んでいただいて嬉しいです。
ありがとうございます。
エコカーが出てくる前の時代の車が特に好きなので
ついつい、描写にも力が入ります……
素敵と言っていただけて安心致しました。
これからもお付き合いいだけたら幸いです。

解除
2018.12.23 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2018.12.25 藤島紫

けいたんさん、
こちらでもご覧いただき、ありがとうございます。
再読していただけて、とても光栄です。

探偵と助手、いいコンビと言っていただけて嬉しいです。

今後ともよろしくお願い致します。

解除
2018.11.25 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2018.11.25 藤島紫

白鳥武美さん、ご感想をありがとうございます!!
過分なお言葉で恐縮です。

キャラクターと読みやすさはこだわっているので、そこをお褒めいただいてとても嬉しいです。

ミステリとしては
まだまだひねりが足りないところがあるように思っておりますが、
楽しんでいただけて何よりです。

これからも自らに厳しく課題を与え続けて努力して参りますので、
どうぞよろしくお願い致します。

解除

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