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英雄譚②
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◆
冷気が、全身を突き抜けた。
極北の大地で鍛えぬいた肉体が、そのあまりの寒さに悲鳴をあげている。
指先の感覚がない。いや、指先だけではない。
腕も足も、瞼すら、四肢の全てが自分の意思で動かせない。
僅かにカタカタと鳴る奥歯だけが、自身がまだ生きているということを実感させてくれる。
俺は今日、新たに一つ学びを得た。
恐怖とは、酷く冷たいものなのだ。
扉の先には、一個軍団が収まりそうな広間。そして一人の王。
顔も知らぬ、その容姿すら人類には伝わっていない。だが、わかる。
奴こそ、魔王。
魔王の目は、どこか虚ろであった。
まるで、何の感慨も湧かないかのように我らを見つめている。
命を奪いに殺到した我らを前に、なんと傲岸不遜なことか。
我らなど、とるに足らないということか。湧き上がる怒りに、凍った手足がじわりと溶けていく。
一門の全てが、同様の怒りを感じているのだろう。みな、一歩また一歩と魔王へと歩み寄る。
「ちがう。そうではない……」
大叔父上が呟いた。
「魔王が見ているのは、我らではない。その焦点は、我らの背後に広がる城下の大戦だ。軽く見られているどころではない、我らは宙に舞う埃や何かと同程度にしか思われておらんのだ」
その言葉を裏付けるかのごとく、魔王は漸くこちらに視線を落とした。
それこそ、大叔父上の声を聞くまで我らに気づいていなかったかのように。
「なんだ、人がいたのか」
厚く、鈍い声が広間に響くと同時に、闇の瘴気が我ら勇者一門にのしかかる。
俺は、その重さに思わず膝をついてしまう。俺だけではない、一門の皆が、大叔父上ですら立っているだけで精いっぱいといった面持ちだ。
玉座の間に入って以来、感じていた冷たいプレッシャーの比ではない。
恐怖とは冷たいもの? 否、真なる恐怖とは昏く重いものなのだ。
その視線が向けられたいま、俺たちは初めて魔王と戦うことへの恐怖に晒されている。
そうか、これが魔王と戦うということなのか。
これを前にして、剣を抜くなど一体どれほどの勇気があれば可能なのか。
伝説の御先祖は、なんと偉大な勇者であったのか。俺は、初めて理解した。
指先一つ動かせない。
柄を握る気力すら湧かない。
ああ、我らはここに臆病者として果てるのだ。
絶望の幕により、物語が終わろうとしたその時。
突如、光が差し込んだ。
鏡面のごとく磨かれ、青空の下にあっては「次太陽」、月夜にあっては「小天文」と称される我ら勇者一門に受け継がれてきた聖剣。
たとえ、吸った魔物の血で曇っていようが、杖代わりに使われたことで切っ先が欠けていようが関係ない。世に比類するもの無き美しき刀身が、広間に僅かに差し込んでいる光を映しだしたのだ。
いま我が背におわす祖母の手で掲げられることによって。
「おお、ばば様が剣を抜かれた」「よもや」「なんという勇気」「なんという胆力」
俄かに、声が上がる。
だが、俺は知っている。違う。みんな、誤解している。
我が祖母は、勇気をもって剣を抜いたわけでは無い。あの剣は、そもそも最初から抜かれていたのだ。
「この臆病者の一族め。これより、《勇者》の号は儂一人のもんぞ!」
祖母の一喝に、みな呪いが解けたように湧きたった。
一人また一人と、体に纏わりつく恐怖を打ち払い気勢を上げ剣を抜いていく。
その様子を、魔王は心底嬉しそうに、まるで子を慈しむ母であるかのように見守って
いた。
「魔王の首は、俺がもらい受ける!」
大叔父上が、ひときわ大きな声をあげ一息に魔王へと切りかかった。
必殺の上段構え。一切の防御を捨てた、海すら割る渾身の一撃。
転瞬いつの間にか抜かれた魔王の剣が、その空いた銅へと横薙ぐ。
しかし、同じく一瞬のうちに間合いを詰めていた当主供周りがそれを剣で受けた。
かに思えた。
魔王の一撃を受けた、供周りの剣は粉々に砕け散り、勢いそのままに大叔父上へと打ち当たる。
だが、大叔父上は仲間の当たりに体勢を崩しながらも一刀を振り下ろして見せた。
その軸のずれた剣筋は、魔王の手甲を砕くにとどまった。
倒れかかる供周りを手で押しのけ、再び大上段に構える。
あくまで一刀にかける、その頑なな姿に、魔王の口角が徐々に上がっていく。そして、遂には歯を見せ声をあげて呵々大笑してみせた。
「よいぞ、人間」
魔王も、剣を振り上げ同じ上段の構えをとる。
ほんの瞬刻の沈黙の後、二人は同時に剣を振った。
「ぬうん……」
大叔父の巨体が、ぐらりとゆらぐ。
同時ではなかった、魔王の剣が僅かながら早かったのだ。
皆が、我が一門最強の敗北に気を取られる中、間髪入れずに黒い影が魔王へと迫った。
影の正体は、我が父。その必殺の刺突が、大叔父上の体の隙間より魔王の心臓へと放たれる。
大叔父上の巨体の影に、巧みに魔王の死角へと隠れ完全なる不意を狙ったのだ。魔王の目には、父の剣が無から沸いて出たように見えたであろう。
だがしかし、魔王はそれを体を捻り躱して見せた。
的を失った父は、勢いそのままに魔王の袂を通り過ぎる。だが、その隙を狙った魔王の拳が我が父の顔面へと打ち据えられた。父は、地面に突っ伏しうめき声をあげた。
ゆらりと振り返った魔王の右手には、いましがた奪ってであろう父の目玉がつままれていた。
そして、それをこれ見よがしに我らに見せつけ、口を大きく開け飲み込んでみせたのだ。
明らかな挑発に我が一門は、怒りそのままに魔王へと一斉にとびかかった。
冷気が、全身を突き抜けた。
極北の大地で鍛えぬいた肉体が、そのあまりの寒さに悲鳴をあげている。
指先の感覚がない。いや、指先だけではない。
腕も足も、瞼すら、四肢の全てが自分の意思で動かせない。
僅かにカタカタと鳴る奥歯だけが、自身がまだ生きているということを実感させてくれる。
俺は今日、新たに一つ学びを得た。
恐怖とは、酷く冷たいものなのだ。
扉の先には、一個軍団が収まりそうな広間。そして一人の王。
顔も知らぬ、その容姿すら人類には伝わっていない。だが、わかる。
奴こそ、魔王。
魔王の目は、どこか虚ろであった。
まるで、何の感慨も湧かないかのように我らを見つめている。
命を奪いに殺到した我らを前に、なんと傲岸不遜なことか。
我らなど、とるに足らないということか。湧き上がる怒りに、凍った手足がじわりと溶けていく。
一門の全てが、同様の怒りを感じているのだろう。みな、一歩また一歩と魔王へと歩み寄る。
「ちがう。そうではない……」
大叔父上が呟いた。
「魔王が見ているのは、我らではない。その焦点は、我らの背後に広がる城下の大戦だ。軽く見られているどころではない、我らは宙に舞う埃や何かと同程度にしか思われておらんのだ」
その言葉を裏付けるかのごとく、魔王は漸くこちらに視線を落とした。
それこそ、大叔父上の声を聞くまで我らに気づいていなかったかのように。
「なんだ、人がいたのか」
厚く、鈍い声が広間に響くと同時に、闇の瘴気が我ら勇者一門にのしかかる。
俺は、その重さに思わず膝をついてしまう。俺だけではない、一門の皆が、大叔父上ですら立っているだけで精いっぱいといった面持ちだ。
玉座の間に入って以来、感じていた冷たいプレッシャーの比ではない。
恐怖とは冷たいもの? 否、真なる恐怖とは昏く重いものなのだ。
その視線が向けられたいま、俺たちは初めて魔王と戦うことへの恐怖に晒されている。
そうか、これが魔王と戦うということなのか。
これを前にして、剣を抜くなど一体どれほどの勇気があれば可能なのか。
伝説の御先祖は、なんと偉大な勇者であったのか。俺は、初めて理解した。
指先一つ動かせない。
柄を握る気力すら湧かない。
ああ、我らはここに臆病者として果てるのだ。
絶望の幕により、物語が終わろうとしたその時。
突如、光が差し込んだ。
鏡面のごとく磨かれ、青空の下にあっては「次太陽」、月夜にあっては「小天文」と称される我ら勇者一門に受け継がれてきた聖剣。
たとえ、吸った魔物の血で曇っていようが、杖代わりに使われたことで切っ先が欠けていようが関係ない。世に比類するもの無き美しき刀身が、広間に僅かに差し込んでいる光を映しだしたのだ。
いま我が背におわす祖母の手で掲げられることによって。
「おお、ばば様が剣を抜かれた」「よもや」「なんという勇気」「なんという胆力」
俄かに、声が上がる。
だが、俺は知っている。違う。みんな、誤解している。
我が祖母は、勇気をもって剣を抜いたわけでは無い。あの剣は、そもそも最初から抜かれていたのだ。
「この臆病者の一族め。これより、《勇者》の号は儂一人のもんぞ!」
祖母の一喝に、みな呪いが解けたように湧きたった。
一人また一人と、体に纏わりつく恐怖を打ち払い気勢を上げ剣を抜いていく。
その様子を、魔王は心底嬉しそうに、まるで子を慈しむ母であるかのように見守って
いた。
「魔王の首は、俺がもらい受ける!」
大叔父上が、ひときわ大きな声をあげ一息に魔王へと切りかかった。
必殺の上段構え。一切の防御を捨てた、海すら割る渾身の一撃。
転瞬いつの間にか抜かれた魔王の剣が、その空いた銅へと横薙ぐ。
しかし、同じく一瞬のうちに間合いを詰めていた当主供周りがそれを剣で受けた。
かに思えた。
魔王の一撃を受けた、供周りの剣は粉々に砕け散り、勢いそのままに大叔父上へと打ち当たる。
だが、大叔父上は仲間の当たりに体勢を崩しながらも一刀を振り下ろして見せた。
その軸のずれた剣筋は、魔王の手甲を砕くにとどまった。
倒れかかる供周りを手で押しのけ、再び大上段に構える。
あくまで一刀にかける、その頑なな姿に、魔王の口角が徐々に上がっていく。そして、遂には歯を見せ声をあげて呵々大笑してみせた。
「よいぞ、人間」
魔王も、剣を振り上げ同じ上段の構えをとる。
ほんの瞬刻の沈黙の後、二人は同時に剣を振った。
「ぬうん……」
大叔父の巨体が、ぐらりとゆらぐ。
同時ではなかった、魔王の剣が僅かながら早かったのだ。
皆が、我が一門最強の敗北に気を取られる中、間髪入れずに黒い影が魔王へと迫った。
影の正体は、我が父。その必殺の刺突が、大叔父上の体の隙間より魔王の心臓へと放たれる。
大叔父上の巨体の影に、巧みに魔王の死角へと隠れ完全なる不意を狙ったのだ。魔王の目には、父の剣が無から沸いて出たように見えたであろう。
だがしかし、魔王はそれを体を捻り躱して見せた。
的を失った父は、勢いそのままに魔王の袂を通り過ぎる。だが、その隙を狙った魔王の拳が我が父の顔面へと打ち据えられた。父は、地面に突っ伏しうめき声をあげた。
ゆらりと振り返った魔王の右手には、いましがた奪ってであろう父の目玉がつままれていた。
そして、それをこれ見よがしに我らに見せつけ、口を大きく開け飲み込んでみせたのだ。
明らかな挑発に我が一門は、怒りそのままに魔王へと一斉にとびかかった。
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