玉座の間にて

ふっくん◆CItYBDS.l2

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英雄譚③

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子を三人産んでなお、その美しさが評判だった叔母上の腹から腸が漏れ出る。厳しい稽古から逃げ出した俺を、よく探しに来てくれていた兄の首が胴から離れた。片目を抜かれながらも、再び立ち上がった父は顔をつぶされてしまった。

共に育ち、共に飯を喰らい、共に生きてきた家族たちが魔王に蹂躙じゅうりんされていく。

「ばば様、いい加減に降りてくれ! ばば様を背負っているせいで俺は未だ剣すら抜けていない」

俺の言葉に、背負った祖母は微動だにしなかった。
それどころか、肩を掴む手に力がこもる。

「待て……お前は優れた剣士だが、万が一の勝ち目はない」

「だからと言って、じっとしていられるか」

「だから見よ。奴の剣筋を追え、奴の思考を先んじろ、勝機を見つけるなら今しかない」

あまりの歯痒さに、腸が煮えくり返りそうになる。だが、だからと言って祖母を投げ出すわけにもいかない。
俺は祖母の言葉に従い、じっと目を凝らす。

呼吸を整え、魔王の剣に穴が開くほどみつめる。
そうすると微かながら、その剣に違和感を覚える。魔王は、左手を庇っているようにみえた。

「何が見える?」

「大叔父上の一撃は、届いていたんだ」

よく見れば、魔王は傷こそ負っていないが当初より確実に動きが悪くなっている。
皆の必死の剣が、少しずつではあるが確実に魔王の体力を奪っているのだ。

「このまま数で押せば、いつかは魔王も倒せるかもしれない」

「その通り、だが奴が衰えるのを待つ気はないぞ。少しでも早く奴を倒せば、それだけ仲間の命を救える」

「不意打ちなら。いや、奴は死角からの親父の剣すら交わして見せた」

「奴の目は、異常なほど良い。魔王は常に、動きある者を視界におき、その挙動を把握できるように努めておる……」

祖母が、急に黙り込む。

「どうした、ばば様?」

「奴は、お前のことだけ見ていない。いや見えていない気がする」

「どういうことだ?」

祖母は、俺の背から降り俺の姿を一瞥いちべつする。

「剣か……? いや、確証はないが」

「ばば様、何か知恵があるなら貸してくれ」

「奴は、自らを前に剣すら抜けぬ臆病者を敵としてみておらんのかもしれん。つまり、いまだ剣を抜いていないお前は魔王にとっていないも同じ。

ならば、お前の剣ならば魔王に届くやもしれぬ。だが、奴を一刀のもとに切り伏せられなければ……」

「ばば様。俺の得意な剣を忘れるとは、もうボケたのか」

「居合か」

魔王を中心に、仲間たちのむくろが円周に広がっている。
だが、勇者一門の誰一人として意に介さない。仲間の骸を踏み荒らし、血に足を滑らせようとも我らは宿願たる魔王を打ち倒すのみなのだ。

俺は、祖母の手振りを合図に魔王の背後へと回り込む。

魔王を狭間に、祖母と目が合った。これが、今生の別れとなるやもしれぬ。
減らず口の絶えない、気難しい年寄りであったが、いまとなっては何もかもが愛おしくてたまらない。

「ちぇえええいぃあああああああああああああ」

今まさに絶命し膝から崩れ落ちる仲間の隙間を縫い、祖母が魔王へと躍りかかる。
同時に、俺は全身全霊をもって地を蹴った。

居合。
極東の地より伝わった剣技。
本来剣技にあるべき構えを捨て、静から動への瞬時の入れ替わり、剣を鞘から抜き放つ動作を持って敵に一撃を与える迅速の剣。

祖母の読みが正しければ、その直前まで、剣は鞘に収まっているが故に魔王は俺を敵と認識できない。
我が一門、最速の剣受けてみよ。

あえて魔王の気を引くべく奇声をあげた祖母が、その小さき体で魔王の蹴りを受け、壁まで飛ばされる。
その衝撃に、肺腑の空気がすべて抜けたのであろう。祖母の叫声が止まり、ほんの一瞬だけ場が沈黙に包まれた。

ちりん。

後に、鈴の音と語られた鞘を走る刀身が調。
続くは、ぬるりと魔王の右腕が地面に堕ちる音であった。

胴を上下に切り分けたつもりであった。
生涯にわたり、最高に剣が奔っていた。だが、それでも魔王は躱して見せたのだ。
額から冷や汗が流れる。必殺の剣を躱されたいま、待つのは死あるのみ。遂に俺にも安らぎが訪れるのだ。

不意に、人の気配を感じた。
大勢の人間の声に、鎧と剣がすれる音。沸き立つ歓声。
ああ、いったいどれほどの時間、我らは戦い続けていたのだろうか。大平原にて戦っていた、国の兵隊たちが遂に魔物の軍団を突破し魔王城に雪崩れ込んだのだろう。

「ここまでか」

魔王は、落ちた右腕に握られたままの剣を拾い上げ、器用に鞘に納めた。
利き腕を斬りおとされたばかりだというのに、その所作は静かで麗しくすらある。

しかし、何故剣を納める? 勇者を前にして、どうしてそのようなことができる。
理解の及ばない魔王の行動に、俺の思考は動きを止めてしまっていた。

「我が腕を堕とすとは見事なり。しかし、今日はここまでとしよう。
今宵の大合戦は貴公らの勝利だ。しかし、私は力を蓄え再びこの魔王城へと帰って来よう」

魔王はきびすを返し、俺のことなど気にも留めず歩みを進める。
その背に、黒く大きな影が覆いかぶさった。

「なっ!?」

魔王が、初めて驚きの声をあげた。

「俺゛が勇゛者゛だ!」

大叔父上が叫んだ。袈裟切けさぎりにされ、倒れたはずの大叔父上が息を吹き返し、魔王を逃すまいと覆いかぶさったのだ。

それと時を同じくして、人ならざる獣じみた叫喚が骸の中よりあがった。

「あ゛あああ゛あ゛あ゛ああ゛ああ」

声にもならぬ声をあげたのは、顔をつぶされたはずの我が父であった。父は血と涎をまき散らしながら、魔王の足へと剣を突き立てる。

魔王の喉から唸り声があがる。

「この卑怯者共め! 背を向けた相手に剣を向けるとは!」

ああそうか、魔王は思い違いをしているのだ。
我ら勇者一門が、武に身を捧げた一門であると。自身と同じく、人生を剣に捧げ、強者との戦いを楽しむ者達であると。

違うのだ魔王。我ら勇者一門が欲するは《武》ではなく《勇》。
それも、強大な敵を前に立ち向かい続け、討ち果たしという《勇者》の証。つまり、魔王の身骨こそ我らの求め続けた珠玉の宝なのだ。

「ここまでか」だと? 
圧倒的な力で、我が家族を蹂躙し、その果てに利き腕を落とされ。さぞお前は楽しんだのだろう。
だが、これは勇者と魔王の戦いだ。お前ひとり満足して終わらせるわけがないだろう。
まだ、まだまだ、まだまだまだ、俺たちの楽しみが終わっていない。

右腕だけでは足らない。もう片方の腕も、足も、二十全ての指も、鼻も、目も、皮も、爪も、肉も、髪も、耳も、歯も、腸も。そして、その首も。
全部、全部全部全部。一かけらも余さず落とさなきゃ納まらない。

まとわりつく親父たちを振りほどこうと、魔王が剣を抜き、そのままに振り上げた。その手首に、槍が突き刺さる。腹を割かれ漏れ出た腸を片腕で抱え込み、片膝ながらの一矢を伯母上が見舞ったのだ。

「ははははは! 見ろ、私の槍が魔王を貫いたぞ! ほら、初めてを奪われた女のように泣き喚け! 」

伯母上の嬌声に、倒れたはずの一門の皆々が、続々と立ち上がる。

「俺にもやらせろ」「次は耳を削ごう」「爪もはごう」

動きを止められた魔王の体に、次々と剣が差し込まれていく。

「このイカレどもめええええええええええええ!!」

魔王の膝が地につく。しかし、それでも一門は止まらない。
受けた痛み、失った家族、勇者の一門に生まれた使命。あらゆる思いを載せて、皆が魔王へと剣を、槍を、斧を、突き立てていった。

その悲鳴が明け、魔王の目より光が失われた時分。
その体は、かつて生ある者であったとは思えぬ巨大な剣山と化していたのだった。




「それで、何人生き残ったのだ」

「20余名ほど。当主含め、我が家の主だった男たちはほとんど死に申した。
最期に立ち上がった者たちも、もはや執念にのみ体を突き動かされていたのでしょう。

魔王亡き後、しばらくして息絶えました」

「それは申し訳ない事を聞いた」

「いえ、それが我ら勇者一門の宿願なれば」

「うむ、世界はまさに貴殿ら一族によって救われたのだ。

さて、その類まれなる働きには当然、王家は報いなければならぬ。
貴殿らは、何を望む」

「実のところ、誰の剣が魔王を死に至らしめたのかわからぬのです。ですので、その可能性をもった魔王に挑んだ全ての者に《勇者》の称号を頂きたく」

「―――よかろう。いやしかし、伝説にならえば魔王を前に、剣を抜いた者を《勇者》と呼ぶは当然のこと。称号だけでは、ちと寂しすぎる。

他に、望むことはないのか?」

「……ならば、我ら一門に仕事をお与えください」

「恩賞ではなく仕事が欲しいと申したか?」

「ええ。我が一門は、長年の苦しみに耐えようやく真の勇者たる機会を得ることができました。

しかし、此度の戦に列することのできなかった童ら。それに、まだ見ぬ我が子孫たちは、我らと同じ《勇者》への執着に苦しみ苛まれることでしょう。

ですので、時に際して彼らにも、我らと同じ機会をお与えいただきたいのです」

「具体的には、何がしたいのだ」

「未来永劫にわたって、我ら一門を魔王番として彼の地に配して頂きたく―――」
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