祠の神様

みん

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3話 みのりと夏美

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小学校3年生の冬、その時期私は「口なしお化け」と呼ばれていた。

休み時間はいつも本を読んだり絵を描いたりして、周りの同級生とほとんど話さなかったからだと思う。

あまり良いあだ名ではないことは分かっていたけれど、反論する勇気もなくて、ただ黙っていた。

 そんなある日当時の国語の先生(吉村先生じゃないよ)が、全員が音読をするまで授業を終わらせないと言った。

学校の指導方針なのか先生の意地が悪いだけなのか、その決め事は私にとって恐怖以外の何物でもなかった。

人と話すことすらまともに出来ないのに、クラス全員に見られる中で音読など、出来るわけがない。

そう思った。
 

 クラスの皆が着々と音読を終えて、ついに終わってないのは私一人だけとなった。仕方がない。

勇気を振り絞って頑張ろう、と席を立とうとすると、
「せんせー、立花さんは“口なし”なので音読なんて出来ないとおもいまーす。」

と一人の男子が言った。

「口なし?なんだそれは。だけど先生は立花と話したこともあるし、大丈夫だろ。な、立花。」

「・・・。」

 突然、言葉が出てこなくなった。なけなしの勇気は意地の悪い男の子のたった一言で吹き飛ばされてしまったのだ。

「立花?大丈夫だ、ここに書いてある文章を読むだけだ。簡単だろ?」

 先生は何も分かっていない。普通の子には簡単なことでも、私にはとても難しいことなのだ。

 だけど、そのことを伝えることすら出来ない。

「あのな、自分の言葉で話して、人に伝えるということはとても大事なことなんだ。特にみんなはこれから高学年になるんだ。新1年生も入ってきて、もっとしっかりとしてもらわなくちゃいけない。そうだろ?よし、みんなで立花を応援してやってくれ。」

 先生がそう言うと、

「おい立花、授業終わんねーだろ、早く読めよ。」

 と今度は違う男の子から心無い言葉が投げつけられる。

「立花さん、この文章読むだけよ、簡単なのに。」

隣の席の女の子からは、ため息が混じった声。

 早く読めよー。
 簡単だろー。
 本当に口なしになっちゃったのかー。
 読め、読め、よーめ、よーめ、よーめ、よーめ、よーめ。

 いつの間にか「読め、読め。」と大合唱になってしまった。

「おいお前ら、うるさいぞ!」

 先生が慌ててそう言ったが、一度始まった合唱は止まらない。

 声は渦となり、クラス中を巻き込み、大きく、恐ろしく巨大になっていく。渦はうねりをあげて私を引きずり込み、私は息をすることすら苦しくなる。

 その渦の中心で、ほんの少しの言葉が出ないことが悲しく、そんな情けない自分を呪った。座ったまま机の上に突っ伏して泣いてしまいそうになった。

 その時、

「おまえは一人で、夜道を医者様よびに行けるほど、勇気のある子どもだったんだからな!」

 大きく、そして澄んだ美しい声が教室に響く。さっきまで騒いでいたクラスの皆が合唱をやめて、教室の入り口を見た。

「自分で自分を弱虫だなんて思うな。人間、やさしささえあれば、やらなきゃなんねえことは、きっとやるもんだ。それを見て、他人がびっくらするわけよ。」

 そう言いながら、一人の少女が、ゆっくり歩いて私の所にやってくる。私が読むはずだった文章だ。

 モチモチの木というとても有名な絵本の一節で、臆病者の主人公「豆太」の姿が、いまの私の姿と重なる。

 少女は私の横に立つと、こう言った。

「みのりを苛めるやつは私が許さない。この子に悪口を言ったやつ、今すぐぶん殴ってやるから出て来なさい。」

 よく通る綺麗な声だった。突然の出来事で面食らっていた先生が、

「小坂、お前は隣のクラスだろ。それに別に、立花を苛めていたわけではないぞ。」
と言った。

 その言葉に後押しされたのか、夏美ちゃんの登場で静かになっていたクラスの皆が口々にそうだそうだ、とまた騒ぎ立てた。

 そもそも立花が悪いんだろ、簡単な音読すら出来ない立花が悪い、と。

「うるせえ!」
とまた夏美ちゃんが一喝する。
その迫力に、またみんな沈黙する。

「先生、隣のクラスまでこの意味の分からない授業は聞こえてきました。私だって隣のクラスの人間が口を出すのはおかしな話だって分かっています。だけど、私には我慢できません。人に言葉で伝えることって大切ですよね。それは分かります。・・・だけど人にはそれぞれ個性があるんです。それぞれ得意なことや不得意なことは違うんです。確かにみのりは話すことがちょっとだけ苦手かもしれない。だけどみんな、みのりの“絵”を見たことがある?今にも飛び跳ねそうなウサギや、縁側で気持ちよさそうに眠るネコ。陽の光を浴びて輝く龍の絵を見たときは、感動して泣いちゃったこともある。そして、グラウンドで遊ぶ皆の絵もいっぱい描いているんだよ。みのりだって皆と話したい。だけどちょっとだけお喋りが苦手だから、上手く話せないだけ。・・・きっとみのりは、将来偉大な絵描きになる。私は、そう信じてる。」

彼女はそう言い、言葉を切った。
そして、

「先生、みのりはちょっと気分が悪いので早退します。ついでに私も。」

と言い、私の手を取って教室を飛び出した。先生、気分悪いので早退しまーす!と自分のクラスにも大きな声で伝えると、ぐんぐんと走った。

玄関を出て、商店街を抜け、お互いの家の近くの公園まで全速力で走った。

 はぁっ、はぁっと息を切らしながら、2人で公園の隅にあるブランコに乗った。

 しばらくお互い無言でブランコをゆっくりと動かした。
 キー。
 キー。
 ブランコが軋む音が静かに、私達の間を通り抜ける。

「ランドセル、忘れてきちゃったね。」

夏美ちゃんがそう呟き、悪戯っぽく笑った。夏美ちゃんの額は冬なのに汗がびっしょりだった。

たぶん私も同じだったと思う。だけどなんだか可笑しな気分になってきて、お腹の底、自分の中の深い場所から明るいものが込み上げてきた。

そして、思いっきり笑った。私が笑うのを見ると、夏美ちゃんも一緒になって笑った。何が可笑しいのかさっぱり分からなかったけれど、私たちの笑い声は教室にあった渦とは違った形で混ざり合い、夕焼け空へと響いた。

大きな声だった。

こんなに大きな声が私から出るなんて、とそう思った。気が済むまで2人で笑った後、

「夏美ちゃん、ありがとう。」
と言った。

ん、別にどうってことないよ、と彼女は笑ってブランコを強く漕いでいった。フォン、フォンと風を切る音がする。

「みのり!」

と彼女が私の名前を呼んだ。

「んー?」

と私が返事をすると、勢いよくブランコから飛び降りて、両足で地面に着地した。そしてすくっと立ち上がると、

「大丈夫だよ。」
と言った。

夕陽が公園に差し込み、彼女の影は濃くなり、大きくなった。彼女の真っ直ぐで力強いその眼差しは、私の心をスッと軽くした。
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