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1章
はじめまして、旦那様 3
しおりを挟むついに初対面の日がやってきた。
「……」
「……」
向かい側に座るシオンをちらと見やり、アグリアはテーブルの下でもじもじと落ち着きなく両手を握り合わせた。
シオンもどう対応していいものかわからないのだろう。型通りの挨拶が済んだあとは、互いに黙り込んだまま沈黙が続いていた。
(困ったわ……。何を話せばいいのかしら……。けがについてはもう話しちゃったし、他に話題なんて……)
モンバルトから聞いていた以上に、シオンはとんでもない美形だった。それこそ直視しにくいくらいの。
さらりと額に斜めにかかった、艶やかな黒い髪。その隙間からは、きらりと涼しげなグレーがかった濃青色の目がのぞく。長く戦地にいるせいだろう。肌は少々日に焼けていて筋肉に覆われた引き締まった体躯が、より一層精悍に見せていた。
「……?」
こちらの視線に気がついたのか、シオンとばっちり視線が合った。慌てて視線をそらし、うつむいた。
(なんでこんな人が私なんかと結婚を? こんなに条件のいい契約婚なら、どんな女性だってうなずきそうなのに……)
たとえそれが普通の結婚だろうと契約婚だろうと、シオンならどんな相手だって選べただろう。わざわざこんな田舎の貧乏領地の令嬢なんかを相手に選ぶ必要はなかったのだ。
相手によったらお金なんていらないなんて言い出す人もいそうなくらい、シオンは素敵だった。
なのにまさか自分がこんな人と、ほんの一時とは言え夫婦になるなんて人生はわからないものである。
(にしてもなんでお父様ったら、席を外したりするのよっ! あとは若い者同士で、なんてお見合いじゃあるまいしっ)
シオンが屋敷に到着して、ひとまずは父と並んで初対面となったのだけれど、何を思ったか父が突然に席を立ったのだ。
『いやぁ、シオン君が想像通りの若者で安心したよ! えっと、あれだ! 私はまだ体が本調子ではないから、あとはふたりで適当にやってくれ。夕食にはモンバルトも顔を出すと言っていたから。じゃあな、シオン君』
そんなわけのわからないことを言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。
(絶対にあれは、おかしな気を回したんだわ……。まったくもう、私とシオンはそんな関係じゃないってお父様だってよく知ってるはずなのに!)
いたたまれない沈黙の中、さてどうしようかと焦っているとシオンがぽそり、と口を開いた。
「そういえば、メリューのことだが……」
「え、あ……はいっ。なんでしょう!? あっ! もしかしてメリュー、お嫌いですかっ⁉ ならもちろん別のものをお出しして……」
すでにメリューのパイは朝のうちに焼いてあった。きっと屋敷の中に漂っている甘く香ばしい香りに、気がついたのだろう。
「いや、そもそもメリューという果物の存在を知らなかったんだが、仲間に聞いた。なかなかに育てるのが難しい、高価な果物でここの特産品だと教えてもらった」
「あぁ、はい! そうなんです。でもまぁ人気、と言えなくもないですが輸送に向かない分、あまり収入には結びついてなくて……」
実際のところは、ただ単に流通量が少なすぎて物珍らしさから一部の貴族や金持ちが買ってくれているだけとも言える。
もちろん味はとびきり甘くておいしいし、皆に気に入ってもらう自信はある。けれどいかんせん日持ちがしないし、加工して保存しようにもジャムくらいしか方法がないのだ。
よって領地の特産品であるにもかかわらず、あまり収益が上がっていないのが現状だった。
「なるほど……。確かに日持ちもせず加工も難しいとなると、遠路はるばる王都に流通させるのは難しいか……。領地経営というのも、なかなかに大変なものなんだな」
「せめてメリューのジャムを王都でもっと流通させられれば、皆に知ってもらう機会にはなると思うんですけど……」
いっそのことメリューの収穫体験付きのツアーを売り出そうかなんて思っているのだ、と夢のような話を口にすれば、シオンがふむふむとうなずいた。
「それはおもしろそうだな。王都の人間は、ここみたいな自然たっぷりな場所が妙に好きだからな。きっと話題になると思う」
「そう……ですかね?」
思いがけず好反応をもらい、嬉しくなる。
とは言えこの領地に宿は一軒もないし、現実には無理なんだけど。
シオンだって最初はどこか宿にでも泊まる、と行っていたのだ。この領地に宿が一軒もないと知るまでは。
「まぁ、ゆくゆくはそんなこともできたらいいなーっ、なんて……。あははっ。あ……! じ、じゃあシオン様。そろそろお部屋に案内しますね!」
居心地の悪い沈黙から逃れるチャンスとばかりに、慌てて立ち上がった。
「さぁ、どうぞ。何か足りないものがあったら、なんなりと言ってください。ベルを鳴らしてくれれば、私の部屋まで聞こえるので」
「使用人はいないんだな。ということは、屋敷のことは大体君がしているのか?」
けげんそうな顔でたずねたシオンに、こくりとうなずいた。
「えぇ。小さな屋敷ですし、父娘ふたり暮らしですからね。洗濯だって料理だって、私ひとりでも十分に回るので。なので、何かご入用の時はどうぞご遠慮なく」
にっこりと笑ってそう告げれば、シオンがこくりとうなずいた。
「わかった。そうさせてもらおう。悪いが一週間ほど、世話になる。すまない。アグリア」
シオンの口から出た自分の名前が、なんだか特別なもののように聞こえてドキリとする。
「えっ……と、はい! こちらこそ、よろしくお願いしますっ!」
一気に火照った顔が恥ずかしくて、急ぎ踵を返そうとした時だった。
「……あぁ、それからアグリア」
「はい……?」
ふいに呼び止められ、振り向いた。
「俺のことは、シオンでいい。すまないが、少しの間厄介になる」
「わ、わかりました。シオン様……じゃなくて、シオン。こちらこそよろしくお願いします……!」
シオン、と呼びかけた瞬間、なぜだか胸の奥がぶわりとざわめきたった気がした。
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