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1章
パン聖女、誕生 2
しおりを挟む玉座から国王と王妃が見下ろす中、ただの白い粉だった小麦粉がみるみるもっちりとしたひとかたまりのパン種へと変化していく。
そして――。
「おおおおおっ、力だっ! これこそ聖力……! 神よ……。神の思し召しだっ」
「なんと美しい力の発現だっ……! まるで霞がかっているかのようで、なんと神聖な……」
確かにパッと見た目は神々しいと言えなくもない。だが神聖も何もない。白く霞がかったように見えるのは、ただたんに粉が宙に舞って光に透けているだけのことである。
けれど当のシェイラは、取り憑かれたように鬼気迫る勢いで今なおパンをこね続けていた。
「……」
「……」
「……」
「……」
皆が無言で見つめる中、気がつけば謁見室にはうず高くパン種が積み上がっていた。
その山を見て、誰もが思った。
一体誰がこのパンを焼き、そして食べるのだろう――と。
王都中の民が数日は食うに困らないであろう量のパン種が出来上がった頃、ようやくシェイラははっと我に返った。
「あれ……? 私……いつの間にこんなにたくさん?」
きょとんとした顔で呆然とパン種の山を見上げるシェイラに、国王から声がかかった。
「実に見事だ! 聖女シェイラ。パンをこねて聖力を放つとは……」
「えっ⁉ 聖力……? 私、そんなの使ってた!?」
本人にはまったくそんな自覚はなかった。
けれどシェイラが大量のパン種を積み上げた結果、国の西方にある交易路を徘徊していた魔物たちが見事に姿を消した。まるではじめからそこに存在しなかったかのように、きれいさっぱり。
「魔物たちに荷を荒らされ困っていた商人たちが、これでまだ以前のように国中に物資を届けられると歓喜に沸いております!」
勢いよく飛び込んできた使者からもたらされた報告に、国王は満足げにうなずいた。
「そなたの美しい聖力の発動、しかと見届けさせてもらったっ。これより先もこの国の平穏のため、その力を発揮してもらいたい! 聖女シェイラよ」
「は、はぁ……」
謁見室に歓声が響き渡る。
そしてこの日から、シェイラは今代の聖女となった。王宮の一室を与えられ、ひたすらにパンをこねる生活がはじまったのだった。
◇◇◇
「聖女殿! 本日の退治要請は今朝の時点で三件です。お願いいたしますっ」
「はいっ! 頑張りますっ」
まぜまぜまぜまぜ……。こねこねこねこね……。
ポスンッ! ベチンッ!
こねこねこねこねこねこねこねこね……。
ビタンッ! バチンッ!
「大変ですっ! 聖女様っ、今度は西の町で魔物が農作物を荒らして回っていると……」
「あっ、はい! 今すぐっ」
「それから、国境近くの街道沿いにも魔物が集まっていると……! 商人たちがこれでは峠を越えられないと困っているようです」
「はぁいっ! すぐやりますっ」
まぜまぜまぜまぜ……。こねこねこねこね……。
ベチッ! ポスンッ!
こねこねこねこねこねこねこねこね……。
バシンッ! ベチンッ!
こねてもこねても、国中から魔物の退治要請は次々と舞い込んでくる。それこそ息をつく間もないくらいに。
(もうっ……! 魔物もちょっとはゆっくり昼寝でもしててくれたらいいのにっ。これじゃあ何本手があっても足りないよっ)
聖女に任命されるのは当然ひとりきりだ。ということは、このひっきりなしに舞い込んでくる要請を、ひとりでなんとかしなきゃいけない。
とはいえ、身体はひとつしかないわけで――。
(あぁ……! こねてもこねても、ちっとも減っていってる気がしないっ)
聖女としてパンをこねはじめてから、すでに二ヶ月が過ぎようとしていた。
なのに、ちっとも魔物たちの数は減っていなかった。それどころか、より増えている気さえする。
(数ヶ月もすれば……! 魔物たちはいなくなるんじゃっ……! なかった……! のっ!?)
こね過ぎてきしみはじめた腕を懸命に振るいつつ、心の中でぼやく。
(どうして……こんな、平凡なっ! パン屋の……娘の私が! 聖女……なんかに?)
それは青天の霹靂だった。
『あなたが今代の聖女との神託が下りました。今すぐに王宮へお越しください』
ある日突然神官たちが店先にやってきて、いきなりそう告げた。
そしてわけもわからないまま、国王陛下と王妃様の前に立たされて『さぁ、聖女殿! 聖力を!』なんて強いられた。
なんで私が? 何の取り柄もないごくごく平凡な、庶民の代表みたいな人間が聖女に?
戸惑いを通り越して、恐怖しかなかった。でもあの時――。
『大丈夫。君ならきっとうまくやれると思う』
そう言って私を励ましてくれた人。なんとその人物は、この国のリンド王子殿下だった。
(リンド殿下、優しかったな……。声も話し方もなんだかあったかくて……)
あの時リンド王子が声をかけてくれなかったら、きっとあの場から逃げ出すか失神するかしていただろう。今もあの一言が、私をなんとか奮い立たせていると言っても過言ではなかった。
とはいっても――。
(こねてもこねても、魔物がちっともいなくならないのはなんでなんだろう……。本当に私、国を助けられるのかなぁ。不安だなぁ)
ずっしりと肩にのしかかる重圧に、潰れそうになっていた。
そんなこと、衛兵やら専属侍女がぴったりと控えている状況ではとても口には出せないけど。
「本日もお疲れ様でございました。シェイラ様。では、ごゆっくりおやすみなさいませ」
「は、はい。ありがとうございます……。おやすみなさい」
その日は退治依頼が立て込んだせいで、夜遅くまでパンをこね続けた。
そして、やっとのことでベッドに潜り込んだ。
ふかふかのベットに潜り込み、目を閉じた。けれどどうにも眠れず、がばっと起き上がった。
「……うーっ! だめだわっ。魔物たちが気になって眠れないっ! こうなったら……」
ゴソゴソとベッドから這い出すと、こっそり侍女たちの目を盗んで隠してあったパンこね道具一式をベッドの下から取り出した。
「あとちょっとだけ……、ちょっとだけこねてから寝よう!」
腕をまくり上げ、よいしょと小麦粉のたっぷり入った袋から粉を取り出す。そして。
まぜまぜまぜまぜ……。こねこねこねこね……。
ベチッ! ポスンッ!
こねこねこねこねこねこねこねこね……。
バシンッ! ベチンッ!
滾々と夜は更けていく。
月明かりの差し込む夜の部屋に、舞い上がる白い粉。
パンをこねる小気味よい音が、静かな夜に響く。
そして、次々と積み重なっていくパン種たち。
「ふうぅっ……! よしっ、こんなもんかな……。っと……あれ? もう朝……?」
気がつけば空は白々と明け、小鳥たちは爽やかにさえずっていた。
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