5 / 6
5
しおりを挟む「し……しかしなぜこんなことを君が知っているんだ? 辺境にきて半年にしかならない君が、ここの内情ついてこれほどまで知っているはずが……」
荒涼とした辺境地にそびえたつ、長い長い防壁。長年の雨風や隣国との小競り合いで増えていく一方の修繕費。そして国を護る兵士たちに支給される、食事や衣類などの日用品代。
一昨年に起きた土砂崩れで荒れた道の整備も、いまだ完了していない。
トリシアは結婚が決まった際、それらを事前に調べ上げていた。いざという時に役に立つと考えて。
「そのくらいの情報、少しの時間と労力をかければ調べられますわ。私の試算では、その慰謝料でそれらを充分まかなえるはずですが?」
「……」
ガイジアはまたも声にならない声でうめいた。
「実のところ、私の両親はとても妹贔屓で、地味でぱっとしない私のことは家政や領地経営にずっと利用してきたんです。そのおかげで、父がこれまで色々としてきた後ろ暗い数々に気がつきましたの。それをネタにちょっぴり脅したのですわ」
「お、脅しただと……!?」
トリシアの口元に、黒い笑みがふわりと浮かんだ。
「それらを公にされたくなければ私の言い値を用立てろと言ったら、すぐに納得してくれましたわ。もしバレたら、間違いなくかわいい妹もろとも全員路頭に迷うことになりますもの。それどころか、牢屋に引っ越す羽目になるかもしれませんし。ですのでまぁ、これはいわば離縁を強引に進めた迷惑料みたいなものですわね」
「迷惑料……」
ごくり、とガイジアの喉が鳴ったのは、気のせいだったろうか。気がつけばジールも他の使用人たちも、恐ろしいものを見るような顔で呆然と凍りついていた。
もはやガイジアの口からは、言葉ひとつ出てこなかった。
そして――。
「さて、ではこの場をもって悩ましい問題はすべて片づきましたわね。私たちの不毛な結婚も、お金の問題も。……ですわね? ガイジア様」
「……あ、あぁ」
口元にゾッとするような美しい笑みを浮かべたトリシアを、ガイジアがはじめて見るかのような目で見つめていた。
ガイジアにとってみれば、トリシアは地味でおもしろみのない女性に見えた。こんな者が自分の伴侶となるのか、と失望するくらいに。
が、今目の前にいるトリシアはその時の印象とはまったく違って見えた。
内面からにじみでる美しさとでも言うのだろうか。
凛と真っ直ぐに伸びた背筋。隠しきれない賢さがにじみ出た面立ちも、よく見れば化粧が控えめであるだけでそれなりに整っている。
何より、揺るぎない強さを秘めた眼差しはなんとも言えず美しかった。
見惚れたガイジアは、思わぬ言葉を口にしていた。
「もう一度……もう一度だけ、君と私の関係を一からやり直すわけには……?」
その瞬間、トリシアが噴き出した。
「ぷっ……! 嫌ですわ。今になってそんなことをおっしゃるなんて……。もちろんご冗談ですわよね?」
言葉ににじむあからさまな拒絶の色に、ガイジアははっと表情を変えた。
「あ、……いや。も、もちろんだ……。そのようなこと無理に決まっている……な」
もごもごと何かをつぶやくガイジアを、トリシアは興味なさそうに見やると。
「世間には、私は署名を済ませた離縁届だけ残して行方をくらましたと広めてくださって結構ですわ。それきり行方がわからないのだと」
「しかし、君の家族は……? いくらなんでも娘の行方がわからないとなれば……」
ガイジアの言葉に、トリシアはもう一度小さく噴き出した。
「ふふっ。私に、身を案じてくれるような家族はひとりもおりませんわ。それに、私もううんざりですの。この国にも、つまらないしがらみにも」
「うんざり……??」
ガイジアはきょとんとした顔をしていた。
なら君はどうやってこの先の人生を生きていくつもりなんだ、とでも言いたげな。
貴族として生まれ、これからも国の駒として生きていくつもりのガイジアには想像もつかないのだろう。貴族ではない自分の人生など。
王命という名の気まぐれで、こんなに理不尽な目にあったというのに――。
「ふふっ。私は自由に生きますわ。国からもあの家族からも解き放たれて、つまらぬ肩書なんて捨てて、自由に」
「自由……?」
「えぇ。この頭と思いひとつあれば人生などどうとでもできますわ。少なくとも私にはその力が十分にあると自負しておりますもの」
「ひとりで……か?」
その瞬間、トリシアの顔にやわらかな笑みが広がった。
「……私には、信頼に足る者がおりますので、どこへでもついてきてくれる頼もしい者の助けが、ね。それさえあれば、不安なんてこれっぽっちも感じませんわ」
「……」
呆然としたまま、立ち尽くすガイジアと使用人たち。
「さて、と。では私はこの辺で失礼いたしますわ。ガイジア様、皆様。この地と皆様の平穏とお幸せを、遠くからお祈りしておりますわ。では、ごきげんよう」
そしてトリシアは、艶やかな微笑みを浮かべ立ち上がったのだった。
2,026
あなたにおすすめの小説
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
相手不在で進んでいく婚約解消物語
キムラましゅろう
恋愛
自分の目で確かめるなんて言わなければよかった。
噂が真実かなんて、そんなこと他の誰かに確認して貰えばよかった。
今、わたしの目の前にある光景が、それが単なる噂では無かったと物語る……。
王都で近衛騎士として働く婚約者に恋人が出来たという噂を確かめるべく単身王都へ乗り込んだリリーが見たものは、婚約者のグレインが恋人と噂される女性の肩を抱いて歩く姿だった……。
噂が真実と確信したリリーは領地に戻り、居候先の家族を巻き込んで婚約解消へと向けて動き出す。
婚約者は遠く離れている為に不在だけど……☆
これは婚約者の心変わりを知った直後から、幸せになれる道を模索して突き進むリリーの数日間の物語である。
果たしてリリーは幸せになれるのか。
5〜7話くらいで完結を予定しているど短編です。
完全ご都合主義、完全ノーリアリティでラストまで作者も突き進みます。
作中に現代的な言葉が出て来ても気にしてはいけません。
全て大らかな心で受け止めて下さい。
小説家になろうサンでも投稿します。
R15は念のため……。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました
四折 柊
恋愛
子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)
あなたの愛が正しいわ
来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~
夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。
一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。
「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」
愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる