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4章
月光の中であなたと
しおりを挟むその光景に、恐怖もどこかへ吹き飛んでいました。
なぜここにジルベルト様がいるのでしょう。
王宮で、陛下のおそばでお仕事をなさっているはずのジルベルト様が。
どうしてこんな場所に。
ふと見れば、いつもひとつにきれいに縛られているその髪はひどく乱れていて息も上がっています。
動揺する私に、ジルベルト様は叫びました。
「こっちへこい! セリアンに乗れっ!」
その緊迫した声に、現実が理解できないままセリアンの背にひらりとまたがれば。
「ああん? 今度は一体なんだぁ?」
ぽかんと口を開いてこちらを見ていた大男の口から、苛立ちを含んだ声が聞こえました。
「なんだっ、てめぇは。関係ないやつは引っ込んでなっ!! この女は俺たちの獲物なんだよっ」
邪魔されたのが相当腹立たしいのか顔を真っ赤に染め憎々しげにそう叫ぶと、大男は私に向かって突進してきました。
体の割に素早いその動きに、思わず後ずされば。
それに気づいたジルベルト様が私の前に立ち、男に向かって剣先を向けました。
が、男はそれにひるむ様子もなくギラギラと目を怒りに燃やしています。
「ジルベルト様、危ない!」
私はとっさに叫んでいました。
ジルベルト様の剣の腕がどれほどのものかはわかりませんが、普段帯刀などしていないはず。となれば、荒事に慣れたこんな輩をそう簡単に相手にできるとは到底思えません。
ならば私がなんとかしなければ、ととっさにセリアンのお腹に足でトンッ、と合図をすると。
ブヒイイイインッ!!
セリアンの前脚が男に向かって勢いよく蹴り上がり、その姿に一瞬男がたじろいだのです。
ガキイイインッ!!
その隙をついて、ジルベルト様の剣が男の肩口をかすめます。
と同時に、ジルベルト様の声が聞こえました。
「セリアン! そのままミュリルを連れて後退しろっ。主人を安全な場所に連れて行くんだ!」
どうやら、ジルベルト様の剣は男のシャツをわずかに切り裂いただけだったようですが、明らかに怯んでいます。男は数歩たじろいで、ジルベルト様をにらみつけ。
「くっ……! てめぇ! この野郎っ」
男の体当たりの攻撃を、ジルベルト様が刀身でひらりひらりとかわしながら抑え込んでいます。月の光を浴びて剣を自在に操るその姿は、まるで絵画のような美しさで。
とはいえ、見惚れているわけにはいきません。
「セリアンッ! ジルベルト様を助けて! お願い、私だけ逃げるわけにはいかないわ!」
けれど、セリアンは私を背に乗せたままじりじりと後退していくのです。
どうやら私の身の安全と敵への攻勢を天秤にかけ、ジルベルト様の命令をきくことにしたようです。
「ジルベルト様っ!!」
目の前で繰り広げられる大男とジルベルト様の攻防に見守るしかできない自分が、なんともじれったくてなりません。私だって、力になりたいのに。
「邪魔するやつは、痛い目にあわせてやるっ!!」
男が憤怒の表情を浮かべて、ジルベルト様に掴みかかろうとしたその時。
なぜかジルベルト様は男の後方に一瞬目を向け、なぜか動きを止めたのです。
そして次の瞬間、その理由がわかりました。
グルルルッ……!! ガウッ!!
闇の中を切り裂くようなスピードで男の腹目がけて飛び込んできた、白い影。
「っ!! ぐあっ! な……」
男の腹にその白い影が猛然と突っ込み、男の身体がうめき声を上げつつ大きくよろめくと。
「オーレリーッ?」
白い影の正体は、私のかわいいオーレリーでした。
ぐるるる、と歯をむき出しにして、いつもの天真爛漫なつぶらな目とはまるで別人、いえ別犬のような獰猛な顔で男に攻撃を仕掛けます。
なるほど、オーレリーが向かってくる姿がジルベルト様には見えていたのでしょう。
「いいぞっ! オーレリー、そのままそいつに食らいつけっ!」
ジルベルト様の声に、オーレリーは「ワオンッ!!」とひと鳴きすると、ガブリ、と噛みついたのです。
その鋭い犬歯で、男の尻に。
次の瞬間、夜の闇の中に男の絶叫が響き渡りました。
「ぎゃああああああっ!! 痛えっ! 離せっ、この馬鹿犬っ! 頼むっ。尻が……俺の尻がぁっ!!」
情けない叫び声を上げながら、地面に転がる大男。
その尻をガッチリとくわえこんだまま離そうとしない、オーレリー。
そしてそれをぽかんと見守る私と、息をつくジルベルト様。
「これは……一体……」
気づけば、目の前だけでなく酒蔵の中でも大捕物がはじまっていました。
酒蔵の中から聞こえる、男たちの悲鳴。
そして何人もの足音。
「大人しくしろっ!」
「助けてくれぇ! 俺はただ金が欲しくて……」
「誘拐監禁の罪で逮捕するっ!」
「牢屋は嫌だぁーっ。勘弁してくれぇっ」
次第に情けなく尻すぼみになっていく男たちの声と、何人もの人間がドタバタと動き回る声がひとしきりおさまったと思ったら、今度は。
「宰相殿! 中は済みましたよ!」
「こっちも頼む! こっちにもひとりでかいのがいるぞ!」
ジルベルト様の声に、数人の警邏隊と思しき青年が駆け寄ってきます。
「宰相殿っ! ご無事ですかっ?」
「ご苦労だった。その男も捕獲してくれ」
「わかりました! 他の男たちも、すでに全員捕縛済みです。黒幕もすでにとらえたと報告が上がっています! ……あ、奥様はご無事でしたか?」
人のよさそうな青年が、ふとこちらをのぞきこみます。
けれどその瞬間、ジルベルト様はまるで私の姿を自分の身体で覆い隠すように立ちふさがると。
「あ……、ああ。問題ない。妻は私が連れて帰るから、男たちを頼んだ」
そう言って、私の視界をさえぎったのです。
「はい! 了解いたしました。ご無事でなによりですっ! では、私たちは男たちを送り届けますので」
そして大男は、痛む尻を押さえながら涙目でもだえつつ連行されていったのでした。
この瞬間私は、ようやく理解したのでした。
私は人生二度目の誘拐劇から、またも無傷で無事に助け出されたのだということを――。
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